機動戦士ガンダム第15話「ククルス・ドアンの島」を長編映画化
2021年9月に開催された「ガンダムプロジェクト」にて実物大νガンダム立像の計画や『機動戦士ガンダム 水星の魔女』などと共に企画が発表された映画『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』。
ファーストガンダムにて作画監督を務めていた安彦良和が月刊ガンダムエース連載漫画『機動戦士ガンダム THE ORIGIN MSD ククルス・ドアンの島』に着想を得て映画化。
1979年放送当時、制作体制の過酷さから作画崩壊が話題になり、再編集された劇場版 「機動戦士ガンダム」3部作においてもエピソード自体が全面的にカットされてしまうほど蔑ろにされた不遇のエピソード、第15話「ククルス・ドアンの島」を長編映画としてリメイクした作品です。
CONTENTS
映画『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』の作品情報
【日本公開】
2022年(日本映画)
【原作】
矢立肇、富野由悠季
【監督】
安彦良和
【キャスト】
古谷徹、武内駿輔、成田剣、新井里美、潘めぐみ、古川登志夫、中西英樹福圓美里、池添朋文、朝井彩加、近藤隆、松本健太、川田紳司、江口拓也、河本啓佑、中博史、白熊寛嗣、楠見尚おのれ、小西克幸、山崎たくみ、保村真、池田秀一、宮内敦士、上田燿司、伊藤静、遊佐浩二、林勇、廣原ふう、内田雄馬
【作品概要】
テレビアニメ「機動戦士ガンダム」(1979)は1981年から1982年にかけて再編集された劇場版3部作が公開。
その後キャラクターデザイン、アニメーションディレクターを務めた安彦良和が2001年よりファーストガンダムを再構成した漫画『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』の連載を開始。
全6章からなるOVAシリーズの総監督を務め、本作では劇場版3部作、漫画「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」からもカットされたテレビシリーズ第15話「ククルス・ドアンの島」をリメイク。
映画『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』のあらすじとネタバレ
宇宙世紀0079年(U.C.0079)地球連邦軍に対抗するジオン公国による独立戦争、 のちに「一年戦争」と呼ばれるこの戦いによって既に世界総人口の半分が消失し、戦況は大きな山場を迎えようとしていました。
ジオン公国軍による地球連邦軍本部(ジャブロー)への総攻撃は失敗に終わり、対する地球連邦軍はモビルスーツの量産を本格化。ジオンの本拠地(オデッサ)を攻略すべく、大反攻作戦の準備を進めていました。
サイドアからの長い旅路を経て、ジャブローでの補給と改修を終えたアムロ・レイたちの乗るホワイトベースは、本格的に地球連邦軍へ編入。反攻作戦へ参加すべく、最後の補給地ベルファストに向かう途中、カナリア諸島の州都ラス・パルマスに寄港していました。
そんな中、地球連邦軍参謀部からホワイトベースに、カナリア諸島に位置する無人島アレグランサ島でのジオン軍残置諜者掃討任務が言い渡されます。
友軍がジム2機で調査に行ったまま、消息を断ってしまう「帰らずの島」。この残置諜者掃討任務に際し、ホワイトベース艦長のブライト・ノアはアムロ(ガンダム)とカイ・シデン(ガンキャノン)を向かわせました。
しかし島に到着したアムロは、潜伏していたザクの襲撃を受けてガンダムに乗ったまま、崖から落下し行方不明に。一方、島で別行動をしていたカイは、この無人島で子供たちの姿を目撃し驚愕します。
予想外の事態にブライトは撤退命令を出し、カイはアムロを探せぬまま島からの撤退を余儀なくされました。
ガンダムにはじめて乗ったあの日から今日までの日々を夢見るアムロ。目を覚ますと自分がベッドの上で寝かされていることに気が付きます。
そしてケガをした自分を救ってくれたククルス・ドアンと名乗る男に出会います。
ジオン公国軍からの脱走兵である彼は、戦争で親を亡くした孤児たちを集め、島にある唯一の建造物である灯台に住み、ひっそりとした生活を続けながら、子供たちを守るため島に近づく者を排除していたのです。
敵兵という立場のため、子供たちから反感を買いながらも、アムロは行方がわからなくなったガンダムを探すために、 ドアンたちと島で共同生活をする道を選びます。
島での生活も3日目を迎え、アレグランサ島でドアンや子どもたちと交流していたアムロは、ドアン、マルコスとともに水道パイプの修理をかってでたことから、徐々に距離を縮めることになります。
その頃、地球連邦軍はジブラルタル海峡へ向けて軍を集結させていました。
これに対しジオン地球侵攻軍の指揮官であるマ・クベは、隠していた核ミサイルの存在を連邦軍元帥のゴップに明かし、作戦を中止するように恫喝します。戦いの趨勢を巡る駆け引きが行われていた。
その核ミサイルはアレグランサ島に隠されており、ドアンはそれを発射させないため、子どもたちには秘密にしたまま、島に住み続けていたのです。
島での異変が気になった・マクベは、事態の確認のためにかつてドアンが率いていた褐色のサザンクロス隊をアレグランサ島へと向かわせます。
ブライトは参謀部からの引き上げ命令を無視。カイ(ガンキャノン)、ハヤト(ガンキャノン)、ジョブ(ガンペリー)、スレッガー(ジム)、セイラ(コアブースター)も軍法会議覚悟でアムロの救出へと向かいました。
映画『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』の感想と評価
ファーストガンダムの本歌取りをする映画作品
1979年に放送された「機動戦士ガンダム」は、舞台となる一年戦争の進行状況に合わせ連続したドラマを大河的に展開していました。
そういった連続ドラマの中に時折り挿入されていたのが、第15話「ククルス・ドアンの島」に代表されるどの話数の間に入れても本筋に影響しないスピンオフエピソード。
TVアニメ1話分で描かれたドアンの物語は、無人島から発せられる連邦軍の救難信号をキャッチしたホワイトベースの指示により、アムロがコア・ファイターで偵察に向かうことから始まります。島に居たのはジオン軍の脱走兵、ククルス・ドアン。
彼は戦災孤児たちの面倒を見ながら、脅威となる侵入者を脱走時に持ち出したザクで撃退していたのです。ドアンの攻撃でアムロの乗るコア・ファイターは墜落。救助されたアムロは、島でドアンと孤児たちと共に共同生活を送ることになるも、島には脱走兵ドアンを探すジオン軍の追撃が迫っており、ドアンとアムロは共闘して追手のザクを迎撃…これが20数分で語られた1話完結のエピソードでした。
それまで敵であるジオンを一枚岩と思い込んでいたアムロが、心に傷を負った脱走兵と出会うエピソードとして重要な回であり、巻き込まれた戦災孤児への罪悪感を背負うドアンの物語が印象的。
本作の監督、安彦良和はこの第15話を「(作画崩壊など)悪い面ばかりが言われがちなエピソードだが、戦争における大事な視点が描かれている」と語り、物語に込められた戦争の被害者(=孤児たち)とドアンの抱える罪悪感に注目。
時系列や設定面を整理し、新たな解釈を付け加える形で「ククルス・ドアンの島」を劇場用作品として語り直したのです。
本作発表時に「ファーストガンダムに思い残すことはなくなった」とまで語る安彦良和の思いに加えて、最新のCGアニメーションで描かれるファーストガンダム、そしてドアンのザクⅡの姿が最大の見どころ。
本作で満を辞して主役(=ガンダム)が活躍したことには、初代TVシリーズを部分的に語り直す意義を含んでいたのです。
総集編としての意義は回想シーンの中でTVシリーズの有名シーンが角度を変えて再登場するところにもあります。
これまでのOVA作品「THE ORIGIN」では、ホワイトベース隊の活躍するTVシリーズへと繋がる前日譚がシャア・アズナブルの視点から描かれており、6作品全てタイトルに冠している「ガンダム」が劇中で活躍しませんでした。
今回スクリーンに初登場するORIGIN版ガンダムの姿、特に冒頭のガンペリーから出撃するシーンはTVシリーズ第1話「ガンダム大地に立つ」の起動シーンの現代版ブラッシュアップとも言える出来で、派生シリーズの多い「機動戦士ガンダムシリーズ」作品としての位置付けとして本作は総集編でありながらスピンオフという特異な存在であることを象徴していました。
前述したサイド7でのガンダム初出撃のほかに、第5話「大気圏突入」でのシャアザクとの宇宙戦、第9話「翔べ!ガンダム」のブライトとアムロの例のやりとり「親父にもぶたれたことないのに!」や第13話「再会、母よ」のジオン兵を射撃したアムロが母親に「人様を撃つなんて」叱責されるシーンに加えて、TVとは若干設定の異なる漫画版「THE ORIGIN」で描かれていた母親とは対照的な軍国主義の父親、テム・レイの呪縛などが描かれました。
15歳の少年アムロ・レイが一年戦争を通し、機械的な殺戮マシーンへと育っていくというガンダムの物語を構築する諸要素を抑えたこの回想は、主人公の内面の変遷を描く支柱的役割を果たしていました。
ドアンが捨て、アムロが獲得した男性性
戦争を遠ざけ、孤島で自給自足の生活を営むドアンは、戦争孤児の子どもたちを囲い共同体を構築していました。
ドアンを親代わりとする子どもたちが、就寝前に小指を掲げ「好き嫌いしないで食べます」「水は大事にします」「大きい子は小さい子を守ります」と一人ずつドアンと約束をするシーンは一見すると異様な光景であり、アムロも唖然としていました。
子どもたちが一斉に小指を天井に掲げるこのシーンはTVシリーズ主題歌「翔べ!ガンダム」のオープニング映像における「きみよ つかめ」の部分と重なります。ブライトが片手を空へ伸ばしたのに続き、ホワイトベース隊の面々が手を伸ばすあの姿と酷似しているのです。
ここで島の長であるドアンとホワイトベースの長であるブライトとの対比構造が視覚化されます。
アムロは自身の帰属するホワイトベース隊から離れ、孤島で子どもたちを囲んだ独自のコミュニティを構築するドアンに出会うことで、彼に対してブライトにはない家長としての父性を感じます。
その上アムロ自身もまた、同年代であるマルコスとの比較対象にされるのです。
農作業をはじめとした肉体労働を知らないアムロは、島の子どもたちから体力差を揶揄われ、それまで培ってきたパイロットとしての万能感がドアンの共同体では何の役にも立たないことを思い知らされます。
試作機に乗る天才パイロットとして特別扱いを受けてきたアムロは、島では等身大の15歳の少年へと戻されるのです。
同年代のマルコスとの競争によって、ドアンが既に獲得している男性性を継承しようとする物語が始まります。アムロもマルコスもその暴力を備えた男性性が戦時中において役立つことを自覚しているからです。
男性性の発露と衰退を描いた作品として連想されるのは、日本での公開が記憶に新しい『クライ・マッチョ』(2022)。
同作が男性性の象徴としてニワトリ(闘鶏:コックファイト)を配していたのに対し、本作で露骨にそれを表象したのが島の地下に隠されていた弾道ミサイル。
戦争を遠ざけるためにドアンが島で行っていた”仕事”とは、目的地到達前にこのミサイルを不発にすることでした。
ミサイルをファルスのメタファーとすれば、不発のミサイルは機能不全を意味し、戦争に役立つ暴力的な男性性が排除されることで、子どもたちのための純然たる父性を手に入れるというドアンの物語が完結します。
その手助けをするのが、ドアンのザクを海底に沈めるというアムロの行い。
オリジナルの第15話から唯一変更しなかったドアンとアムロの最後のやりとりは、既に両手を血に染めた者同士だからこそできる、戦争から足を洗う儀式としてこれ以上ない完璧なものだったのです。
反対にアムロは、ドアンが捨てた暴力的な男性性を強化させます。
島の子どもたちを守るために戦っていたドアンとの対比によって、アムロの既に一線を越えた冷徹な殺戮者としての様相がより際立つのです。
それを象徴するのが、丸腰のジオン兵をガンダムの足で踏み潰す残酷さと故障していたままの灯台です。
島がジオンにとって重要な作戦基地であることを、そしてドアン自身が残置諜兵であることを隠すために灯台としての機能を使わずにいた目印で、戦争を遠ざけるために敢えて壊れたままにしていたそれをアムロはいとも簡単に直してしまいます。
「余計なことを」とアムロを一瞥するドアンのセリフから、その行為が戦争へ戻ることに躊躇いのない人間にこそできることだと強調されます。
まとめ
TVアニメシリーズ『機動戦士ガンダム』(1979)の作画監督を務めた安彦良和による映画『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』は、2022年初夏という『シンウルトラマン』(2022)『トップガン マーベリック』(2022)と同時期公開のイメージから似たような焼き直しと思われがちかも知れません。
しかしながらファーストガンダムを一から作り直すための観測気球的な続編を期待させる色気は感じさせずこの一本で完結させるという潔い意志が伝わってくる作品でした。
主役であるガンダム=アムロに華を持たせつつ、対になるドアンの活躍も等しく描き、そしてドアンの比較対象であるブライトの繊細な内面にも言及がある、キャラクター描写の分配が行き届いた堅実な作りで、ファーストガンダムの入門としても物語の骨を掴めるのでアリだと言えます。
TVシリーズにあったコアチェンジが無かったりと、全43話のTVシリーズ原理主義者とは解釈違いで決裂してしまうであろう「THE ORIGIN版」ですが、違う角度から描かれたファーストガンダムを多角的楽しめる魅力は決して否定できるものではなく、ファンとしては条件反射的に喜んでしまうリアルロボットならではの殺陣が目白押しの一本です。
タキザワレオのプロフィール
2000年生まれ、東京都出身。大学にてスペイン文学を専攻中。中学時代に新文芸坐・岩波ホールへ足を運んだのを機に、古今東西の映画に興味を抱き始め、鑑賞記録を日記へ綴るように。
好きなジャンルはホラー・サスペンス・犯罪映画など。過去から現在に至るまで、映画とそこで描かれる様々な価値観への再考をライフワークとして活動している。