映画『流浪の月』は5月13日(金)より全国ロードショー公開!
凪良ゆうの人気原作小説を『悪人』(2010)、『怒り』(2016)で知られる李相日監督が映画化した『流浪の月』。
世間によって誘拐事件の“被害女児”とされた更紗と、その事件の“加害者”とされた青年・佐伯文の15年後の再会を描いた本作は、大人になった更紗役を広瀬すず、文役を松坂桃李が演じています。
このたび、自ら原作者の凪良ゆうさんに直筆の手紙を書き、映画化を熱望したという李相日監督にインタビュー。
原作小説の魅力やW主演となった広瀬すず・松坂桃李との役作り、撮影監督のホン・ギョンピョや美術監督の種田陽平などのスタッフ陣とともに作り上げていった演出について語っていただきました。
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カテゴライズできない確かなつながり
──李監督が原作小説を読まれ、原作者の凪良ゆうさんに直筆の手紙を添えて映像化のオファーをされたのが映画『流浪の月』のはじまりだと伺いました。原作のどのような点に魅力を感じられたのでしょうか。
李相日監督(以下、李):僕がこれまで手がけてきた作品とテイストこそ違いますが、事実と真実の違い、ある種の情報による思い込み、世間が抱いている常識という物差しに苦しむ人たちの物語という点では親和性がありました。現代を象徴しているような背景や設定に思えたので、イメージが湧きやすかったのです。
しかも文と更紗の関係性は、純度が高い。リアルかつシビアな世界に対しての、少し寓話的にも見えるほどの二人の純粋なつながり。そのバランス感覚が非常にいい小説だったのです。映画をご覧になった方が二人の関係に寄り添うことで、自分が信じて疑わない常識がどこかで崩れるような作品になるのではないかと考えました。
──本作の脚本も李監督ご自身が多くの時間をかけて手がけられたとのことですが、原作の脚色において苦労されたのはどのような点でしょうか。
李:人は「恋人」「友人」といった関係性を示す言葉が当てはまると安心しますが、文と更紗の関係性は性が介在するわけではないことからも恋愛とは言い切れない。親子の情愛でも、友情でもない。定義そのものを拒絶しているのです。
しかし、そこには堅固で確かなつながりがある。不寛容が覆う世界の中で、人の尊厳を労わるような二人の関係性は一種の理想のようにも感じられ、それを観客に実感レベルで届けるにはどうしたらいいのか。これが一番難しかったです。また文は「秘密」と言っていましたが、彼が抱えている深い苦悩、更紗が長い間抱き続けた違和感をどう表現するかも悩みました。
「15年間」を探しながら演じた広瀬すず
──更紗役の広瀬すずさんは『怒り』(2016)にも出演されています。今回の『流浪の月』では脚本完成前に出演オファーをされたそうですが、そのキャスティングの一番の決め手は何だったのでしょうか。
李:『怒り』以降、すずさんは世代を代表する存在になっていきました。彼女の軌跡をここ数年見つめながら、必ず映画で良い再会を果たしたいと思っていたのです。
広瀬すずといえば、目を閉じても感じる太陽の強い明かりのようにまぶしくもエネルギッシュなイメージがありますが、一方で陰のようなものを感じることもある。彼女ならば、他者との距離感で戸惑い、内側に抱えている何かを飲み込んで生きている更紗と強いシンパシーが生まれるんじゃないかと思いました。
──実際に更紗を演じられるにあたって、広瀬さんとはどのように更紗を膨らませていかれたのでしょうか。
李:更紗は小学生の時に文と出会い数ヶ月ともに過ごしますが、小学生時代の更紗は子役の白鳥玉季さんが演じてくれています。すずさん自身は体験できないことなので、自分の血肉にできません。
文から引き離されてからの15年間、文に対してどういう思いを抱き続けていたのか。自分と世の中との溝をどう埋めたり防いできたりしたのか。これも想像するしかありません。
僕は設定を伝えたり、想像しうる心情のヒントは与えますが、後は彼女自身が探していきながら演じていきました。大変だったとは思いますが、最後に更紗が眠っている文を見つめる場面を撮った時、すずさんが更紗を掴んだように感じられました。
松坂桃李の「濁り」のなさ
──文役の松坂桃李さんにも、脚本完成前に出演オファーをされたと伺いました。
李:「人に寄り添う」と言葉で語るのは簡単ですが、それを体現するのはとても難しい。特に文という人物は、他者の痛みを誰よりも感じ取れる、現実離れするほどの優しさを兼ね備えている共感性の強いキャラクターです。
桃李さんのこれまでの出演作を振り返ってみると、作品ごとに役のイメージへ没入するものの、自分自身のイメージはそこに残さない。文役には桃李さんしか思い浮かばなかったほどに、彼には「濁り」がないのです。
──現実離れした優しさを持つ文という人間を映画を通じて形作っていくのは、非常に難しかったのではないでしょうか。
李:正直、監督である僕自身にも文を十分には理解できず、彼の心情の奥底を明快に解説することは困難です。どう捉えるのかは、桃李さん次第でした。
ただ原作小説もあるし、脚本もある。「こういうことがあった」という履歴を元に、書かれていない行間を一緒に掘り起こしました。特に、幼い更紗との時間を通じて、更紗が文にとってどういう存在だったかという手がかりは得たでしょう。
母親という圧倒的な存在
──文の母親・音葉を内田也哉子さんが演じられています。文を見つめることができないものの、その瞳は動揺で揺れていたのが印象的でした。
李:僕の印象では、音葉は小説ではより冷徹で、文を全く寄せ付けない母親でした。しかし也哉子さんが演じてくださったことで彼女自身の家族観も反映され、記号的な冷たさとは違った温度感が混ざり合い、複雑で捉えどころのない印象に変化しました。母親という存在に厚みが出たと思っています。
──本作では作品を通して父親の不在、そして母親の在り方が問われているように感じられました。
李:人が成長するにあたって、母親という存在は圧倒的に大きい。それは良くも悪くも否定できない事実です。
私にも子どもがいますが、父親からすると「あえて放っておいた方が良いのでは」という事柄にも妻は母親として関わっています。子ども側もどこかでそれを求めている部分があって、大袈裟にいえば共依存的な側面が母親と子どもにはある気がします。
また僕自身がもつ母親像も非常に複雑でややこしく、理解が困難な存在でもあります。映画を作る過程において、どうしたってそうした自分の母親観が見え隠れしてしまいますよね。母親との関係の難しさを語り始めたら、2時間くらいかかりそうです。
「瞳の奥の空洞」の撮影を目指した本作
──本作は、撮影監督を『バーニング 劇場版』(2019)、『パラサイト 半地下の家族』(2020)で有名なホン・ギョンピョさんが担当されたことでも話題になっています。
李:『流浪の月』という作品のテイストを考えると、映像的にも今までの自分のトーンから少し何か変化がほしいと思っていました。
『怒り』『許されざる者』『悪人』を撮ってくださった笠松則通さんはコミュニケーションが取りやすかったですし、何より僕が思い描いているものをそれ以上のものにして撮ってくださる方でした。しかし、そこに甘えて寄りかかり過ぎていたような気もしていたのです。そこで、カメラマンをあえて別の方に、できれば海外の方にお願いするのがいいのではと思ったのがきっかけでした。
2018年に『パラサイト 半地下の家族』の撮影現場を見学に行った時、ポン・ジュノ監督からホンさんを紹介していただきました。ホンさんが撮られた『バーニング 劇場版』には少し浮遊しているような、何か不穏な空気感が漂っていて、鋭さも含まれている。あのトーンに近しい何かが、『流浪の月』には合うのではないかと感じられたのです。
一方で韓国でキャリアも実績もある方が、日本の片隅で生きる男女のパーソナルな物語に興味を示してくれるのかという不安もある。ただポン監督に相談したところ「激情型同士で合うんじゃないか」と背中を押していただけました。そこで思い切って電話で想いを伝えた後、原作を短編サイズに訳して送ったところ快諾していただけました。
本作では「瞳の奥の空洞を撮りたい」と思っているとホンさんに伝えたところ、彼もそれを強く意識してくれました。文が更紗の唇に触れた場面があるのですが、そのショットはかなりアップに撮影されています。画角的にバランスが悪くても、瞳の奥をキャッチできるところを攻めてくれたのだと思います。
──また本作の美術監督を『キル・ビル Vol.1』『マンハント』『三度目の殺人』など国内外の作品で活躍する種田陽平さん手がけられています。
李:本作に登場する亮のマンションの室内は、長野県・松本の倉庫内にセットを立て込みました。その他の舞台はほぼロケセットを生かしながら、大胆に加工しています。
文のカフェや学生時代のマンションは壁をブルーグレーのトーン、床は茶色に統一しています。濃淡はあるものの、文が生息する場所を湖の水中に見立ててイメージしています。カフェは縦長の構造だったので、手前半分を作業スペースに見立ててレイヤーを作り、奥行きを感じさせました。そして一番奥に大きく印象的な窓があるので、やや青いステンドグラスの雰囲気を付け足しました。最終的には窓からの自然光も逆算しながら、床や壁の色の詳細なトーンや質感を決めたのです。
種田さんは画に映る美術というだけでなく、映画の核心的な部分についても話してくださる方です。特に本作は水辺の場面が多いのですが、水を海ではなく湖に決める過程でも種田さんとの会話が重要なキーになりました。
──その他にも技術的な見どころをお教えいただけますか。
李:見どころといいうよりも「聴きどころ」になりますが、音響効果の柴崎憲治さんは映像の迫力を増す効果音を当てる印象が強い方です。今回初めて一緒にお仕事をしましたが、人物の心理に作用する音を考えていただきました。
文がコーヒーの粉を入れたお椀をパンパンと軽く叩く場面は、ぜひ意識して聴いていただきたいです。文の個性に合わせて極力ソフトな印象を追求した結果、お椀を叩く音を録りさらにその音を逆回転して使用することで、叩いた後の残響が吸い込まれるような柔らかい音へと変質させてくれています。
インタビュー/ほりきみき
李相日監督プロフィール
1974年生まれ。大学卒業後、日本映画学校(現:日本映画大学)へ入学。卒業制作作品『青〜chong〜』(1999)がぴあフィルムフェスティバルPFFアワード2000グランプリを含む4冠に輝く。
新藤兼人賞金賞受賞の『BORDER LINE』(2002)、村上龍原作にトライした『69 sixty nine』(2004)、『スクラップ・ヘブン』(2005)を経て、『フラガール』(2006)で第30回日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞。日本映画界を代表する監督としての地位を築く。
近年は『悪人』(2010/第34回日本アカデミー賞優秀作品賞)『許されざる者』(2013)、『怒り』(2016/第40回日本アカデミー賞優秀作品賞)など深い人間洞察に満ちた映画を次々と送り出している。
映画『流浪の月』の作品情報
【公開】
2022年(日本映画)
【原作】
凪良ゆう『流浪の月』(東京創元社刊)
【監督・脚本】
李相日
【撮影】
ホン・ギョンピョ
【キャスト】
広瀬すず、松坂桃李、横浜流星、多部未華子、趣里、三浦貴大、白鳥玉季、増田光桜、内田也哉子、柄本明
【作品概要】
原作は凪良ゆうの同名小説。2020年の本屋大賞を受賞し、同年の年間ベストセラー1位に輝いた。
監督を務めるのは『悪人』『怒り』で知られる李相日。『パラサイト 半地下の家族』『哭声/コクソン』などを手がけてきたホン・ギョンピョがカメラを回した。『キル・ビル Vol.1』『三度目の殺人』の種田陽平が美術監督を担当している。
主演は広瀬すず、松坂桃李。『いのちの停車場』(2021)でも共演した二人が本作でも息の合った演技を見せる。
映画『流浪の月』のあらすじ
雨の夕方の公園で、びしょ濡れの10歳の家内更紗(白鳥玉季)に傘をさしかけてくれたのは19歳の大学生・佐伯文(松坂桃李)。引き取られている伯母の家に帰りたがらない更紗の意を汲み、部屋に入れてくれた文のもとで、更紗はそのまま2か月を過ごすことになる。が、ほどなく文は更紗の誘拐罪で逮捕されてしまう。
それから15年後。“傷物にされた被害女児”とその“加害者”という烙印を背負ったまま、更紗(広瀬すず)と文は再会する。しかし、更紗のそばには婚約者の亮(横浜流星)がいた。一方、文のかたわらにもひとりの女性・谷(多部未華子)が寄り添っていて……。
堀木三紀プロフィール
日本映画ペンクラブ会員。2016年より映画テレビ技術協会発行の月刊誌「映画テレビ技術」にて監督インタビューの担当となり、以降映画の世界に足を踏み入れる。
これまでにインタビューした監督は三池崇史、是枝裕和、白石和彌、篠原哲雄、本広克行など100人を超える。海外の作品に関してもジョン・ウー、ミカ・カウリスマキ、アグニェシュカ・ホランドなど多数。