まっとうな正義感と小さな嘘。彼は本物の英雄なのか、それとも詐欺師か!?
『別離』(2011)、『ある過去の行方』(2013)などの作品で知られ、国際的にも高い評価を受けているイランの名匠アスガー・ファルハディ監督が手がけた映画『英雄の証明』。
男がとった良心の行動に様々な人間の目論見が加わり、小さなひび割れのような出来事が男の運命を大きく左右していくヒューマン・サスペンスドラマです。
第74回カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞したのをはじめ、第94回アカデミー賞国際長編映画賞ショートリスト選出、第79回ゴールデングローブ賞非英語映画賞にノミネートされるなど、注目の一作です。
映画『英雄の証明』の作品情報
【日本公開】
2022年公開(フランス、イラン合作映画)
【原題】
A Hero
【監督・脚本】
アスガー・ファルハディ
【キャスト】
アミル・ジャディディ、モーセン・タナバンデ、サハル・ゴルデュースト、サリナ・ファルハディ、フェレシュテー・サドル・オーファン
【作品概要】
ベルリン、カンヌ国際映画祭で、数多くの映画賞に輝き、米アカデミー賞外国映画賞を2度も制したアスガー・ファルハディが描くサスペンス溢れるヒューマンドラマ。第74回カンヌ国際映画祭グランプリ受賞作。
主人公のラヒムを演じるのはファジル映画祭で2度受賞経験があるアミル・ジャディデイ。
映画『英雄の証明』あらすじとネタバレ
イランの古都シラーズ。
元看板職人のラヒムは、3年前、別れた妻の兄バーラムから借りた金を返せず、告発されて刑務所に投獄され服役していました。
2日間の休暇をもらえた彼は、この機会に兄に借金を返して、告発を取り消してもらおうと考えていました。
数日前に、婚約者のファルコンデが偶然17枚の金貨を拾ったのです。ラヒムはそれを換金して返済にあてようと目論んでいました。
ラヒムは刑務所を出るとすぐに姉夫婦の家に身を寄せました。姉夫婦はラヒムが刑務所にはいっている間、彼の息子のシアヴァシュの面倒を見てくれていました。
それからすぐにラヒムはファルコンデと落ち合って貴金属店に行き、金を鑑定してもらいましたが、思っていたよりも値がつかず、借金の半分くらいにしかならないことがわかります。
足りない分は刑務所を出てから働いて返すとバーラムに頼みますが、バーラムは全額返済でなければ訴えを取り下げないと拒否します。
その翌日、他人の金貨をくすねることの罪悪感にさいなまれたラヒムは、金貨を落とし主に返すことを決意します。
貼り紙を作り、落とし主を探したところ、一人の女性から連絡があり、金を預かっていた姉のもとに女性が訪ねてきました。
彼女の夫は賭け事に熱中していて、金があることが分かれば、すぐに使ってしまうだろう、だから夫には知られたくないのだ、内職をして必死に貯めた金貨だと説明し、感謝を述べると女性は帰っていきました。
ラヒムが連絡先の電話番号を刑務所のものにしていたせいで、このささやかな善行が刑務所にも伝わり、刑務所は「正直者の囚人」という美談として、マスコミに取材させ、ラヒムはインタビューを受け、新聞にも記事が掲載されました。
借金があるにも関わらず、正直に金を返した英雄としてラヒムはたちまちもてはやされます。
特別休暇を与えられたラヒムはチャリティー協会のイベントに招かれ、息子と一緒に出席しました。
吃音症の息子のスピーチも、人々の涙を誘い、3400万トマンの寄付が集まりました。人々はバーラムにこれでラヒムを許してやってくれと訴えますが、バーラムはラヒムに貸した金額は1億5000万トマンで到底足りないと抵抗します。
しかし、自身の娘の子供でもあるシアヴァシュの悲しげな表情を観て、「この子のためだ」と言って、残りの謝金は出所後働いて返すことに同意しました。
正直さを買われて、就職先も紹介されたラヒムは、職場に向かいますが、ここで思わぬ足止めを喰らいます。
担当者は、彼に本当に女性に金を返したことを証明しろと言いだしたのです。彼はSNSにこれは詐欺だという書き込みがされていて、広まっていると述べました。
ラヒムは金を取りに来た女性を探す羽目になりますが、名前も住所もわからない女性を探すのは容易ではありません。
彼女はタクシーに乗ってきたので、タクシーの運転手を探し出し、話を聞かせてもらいました。運転手は自身もかつて刑務所で服役した経験があり、ラヒムに同情して、協力的でした。
女性は、ラヒムの姉の家を出たあと、貴金属店で降りたといいます。店に入って訪ねてみると、女子は金の鑑定を頼み、換金せずそのまま帰ったと言います。
ラヒムは店内に監視カメラが設置されているのを観て、女性の写真が欲しいと頼みました。最初はことわられましたが、事情を必死に訴え、女性の映った写真を手にいれました。しかしそれ以上、探す手段が見つかりません。
SNSで広まった噂のせいで、予定されていたテレビ取材が中止になり、刑務所の上層部も、彼に疑惑の目を向け始めました。
ラヒムは思案した末、ファルコンデを、金を取りに来た女性に仕立て、再び担当者のところに出向きますが、相手は今聞いた話の裏付けを取ると言い出し、ラヒムを困惑させます。
さらに担当者は、ラヒムが金を拾った日付よりも前に、刑務所からメールでバーラムに金を返すと連絡していたことを指摘します。
金を見つけたのは、自分のフィアンセで、それを換金しようと思っていたけれど、良心が咎めてやめたのだと訴えますが、自分が見つけたと言っていましたよね、と相手にされません。
実は、そのことは刑務所の上層部には伝えてありました。ただ、彼女がフィアンセだということは周りには秘密だったこと、上層部もそこまで正確に言う必要もないだろうと判断したこともあり、それきりになっていたのです。
ラヒムは刑務所の上層部に事務所に行って、そのことを証明してほしいと頼みますが、相手にされず、しびれを切らして暴言を吐いてしまい、叱責されます。
担当者にメールを暴露したのは、バーラムしか考えられないと、ラヒムは彼の職場に押しかけました。そこには元妻もいて、彼を見るとののしり始めました。
映画『英雄の証明』解説と評価
アスガー・ファルハディ監督は、これまでも、ほんの一瞬の油断や、ちょっとした判断の過ちという誰もが起こしうる事柄で人間の運命が大きく変わる作品を描いてきました。
『彼女が消えた浜辺』(2009)は、集団心理の高揚感がもたらす一瞬の油断が悲劇を生み、『別離』では、介護職の女性が宗教的な理由で真実を証言できないことが大きな波紋となり、『セールスマン』では、致し方ない理由で転居した先でのちょっとした判断ミスから起こる悲劇とその後の葛藤が描かれていました。
それらは、どこでも、いつでも、誰にでも起こりうる出来事で、人生の歯車を狂わされた人々の姿はその圧倒的な心理描写も相まって、まったく他人事ではない臨場感溢れるものでした。
本作もまた、良心に基づいた善行のせいで、窮地へと追い詰められる人間の姿を、類まれなる描写力で表現し、観る者を引きずり込みます。
囚人のささやかな善行を刑務所の宣伝に使おうと目論む刑務所の幹部たちや、問題発生時に保身に明け暮れる慈善団体など、組織の身勝手さが浮き彫りにされますが、ここに、SNSという要素が絡んできて、事態は一層複雑になっていきます。
主人公のラヒムが金を落とし主に返したのは、純粋にそうすることが正しいと感じたからで、そこから何かを得ようとしていたわけではありません。
ですので、金を取りに来た女性の名前や住所を聞き出して書き留めるようなこともしていません。ところが、SNS上では、「当事者が語っているだけで、目に見える証拠が何もない。金の受取人は誰かもわからないし、これは作り話ではないか。ラヒムは作り話で喝采を得ているペテン師ではないか」と書き込まれ、拡散されていきます。
ここからアスガー・ファルハディ監督らしさがさらに加速して行きます。「英雄」から一転、「ペテン師」に転落させられようとしている中、自身のささやかな善行は本当だと証明するために、ラヒムは小さな嘘をつき、そこから生じた綻びを指摘されることで、一層信用を失ってしまいます。
少しくらいの嘘なら許されるだろうという判断や小さな申告漏れが、大きな痛手となってしまうー。人間が翻弄され追い詰められていく様が丹念に描写され、観ていて他人事でない思いに駆られるのです。
ラヒムは疑心暗鬼になり、元妻の兄や刑務所の上層部に怒りをつのらせ、ついに暴力を奮ってしまいます。
ここに来て、観客はラヒムという人物の別の側面に気が付きます。善良に見える彼にも問題はあり、一方で、悪役的な立場にいた元妻やその兄にも言い分があるだろうということに気がつくのです。ここでも逆転の構図が見えてきます。
ただ、そんな状況の中でも父を信じる息子や、ラヒムの名誉を守ろうとする婚約者の姿が胸を打ちます。金銭への執着ではなく人間の尊厳を守ることへと物語が収束していくことに救いを感じました。
まとめ
舞台となるのは、古代遺跡が多く現存するイラン南西部の古都シラーズです。
映画の冒頭、刑務所を出てきたラヒムが、遺跡の修復作業をしている義兄を訪ねる場面がありますが、そこで登場するのが王たちの墓であるナクシュ・ロスタム遺跡です。実に迫力のある壮大な景色が登場し、目を見張ります。
ラヒムはここで修復作業のために設けられた階段を登っていきます。かなり高いところまで登っていく姿を映画は静かに映し出します。
ようやく到着し、義兄と言葉を交わすラヒム。義兄は降りようと言い、わざわざ上がってきた階段をラヒムはすぐに下っていくことになります。
持ち上げられて落とされるという、その後のラヒムが経験する事柄がこのくだりに象徴されているかのようです(義兄は常にラヒムの味方をしてくれる立場ですが)。
また、同じ階段を降りるという行為でも、ファルコンデの場合、彼女が階段を降りるシーンが長回しでなく、生き生きとしたカットを重ねることで表現されていて、フィアンセと久しぶりに会う歓びが表されています。
ラヒムに冷たい目を向ける自身の家族に対して、毅然と立ち向かう、ファルコンデの逞しさが強く印象に残ります。人間たちが巻き起こすこの狂想曲に、一筋の光明を与えています。