名優ロバート・デ・ニーロとロビン・ウィリアムズによる永遠の名作
神経科医オリバー・サックスが実体験をつづった著作を原作に、30年にわたる昏睡から目覚めた重症患者と彼を救おうとする医師の交流を描く感動のヒューマンドラマ。
『ゴッドファーザー PARTII』(1974)『レイジングブル』(1980)のロバート・デ・ニーロと、『いまを生きる』(1989)『グッド・ウィル・ハンティング 旅立ち』(1997)のロビン・ウィリアムズのふたりの名優が主演を務めます。
監督は『ビッグ』(1988)『プリティ・リーグ』(1992)のペニー・マーシャル。観る者の心を激しく揺さぶる感動の実話『レナードの朝』をご紹介します。
映画『レナードの朝』の作品情報
【公開】
1991年(アメリカ映画)
【原作】
オリバー・サックス
【脚本】
スティーヴン・ザイリアン
【監督】
ペニー・マーシャル
【編集】
ジェリー・グリーンバーグ
【出演】
ロバート・デ・ニーロ、ロビン・ウィリアムズ、ジュリー・カブナー、マックス・フォン・シドー、ジョン・ハード
【作品概要】
名優ロバート・デ・ニーロとロビン・ウィリアムズが、長い眠りから目覚めた重症患者のレナードと、彼を救うために奮闘する人情熱い医師のセイヤーの心の絆を演じる感動のドラマ。
『プリティ・リーグ』(1992)のペニー・マーシャルが監督を務めています。
患者たちが薬によって一時的に病を克服することができた奇跡の夏。その実話をもとに、人々の喜びと悲しみを丁寧に映し出した名作です。
ジョン・ハード、ジュリー・カブナー、マックス・フォン・シドーらが共演しています。
映画『レナードの朝』のあらすじとネタバレ
1969年のブロンクス。人付き合いが苦手でずっと研究だけに携わってきた精神科医のセイヤーは、ベインブリッジ病院で初めて臨床医となります。
精神病患者たちの悲鳴や大声に驚くセイヤー。看護師のエレノアは、じきに慣れると声をかけます。
患者ひとりひとりの病状を丁寧に診察するセイヤーに、好感を持つエレノア。
患者のひとりであるレナードに母親が言葉をかけ続けていました。息子と言葉ではなく話をするという彼女は、セイヤーに子供を持てばその意味がわかると言います。
レナードの病状は25年前からずっと変わっていないとカルテに書かれていました。
エレノアからのお茶の誘いを断ってセイヤーは帰宅します。人付き合いが極度に苦手な彼は、植物を愛で、ピアノを弾いていつもひとりで過ごしていました。
1920年代に嗜眠性脳炎を患った患者が多いことに気づいたセイヤーは、その後遺症研究の博士P・インガムを訪ねます。脳障害を負った彼らは何も考えていないという博士の言葉に、セイヤーは違和感を感じます。
レナードの母から彼のこれまでの経過を聞くセイヤー。手の震えから始まってやがて字が書けなくなったレナードは11歳で退学。
次第に放心状態で座っているようになり、ママと呼び続けたのが最後の言葉となりました。1939年11月14日20歳で病院に入院しましたが、それまでの9年間はずっと読書をしていたことがわかります。
セイヤーがレナードの脳波を調べると、名前を呼んだときに脳波が動いていました。
さまざまな患者にボールを投げ続けたり、美しいアリアを聴かせたり、本を読んで聞かせたりすると、それぞれが特定の何かに反応することがわかります。
レナードを文字盤に触らせると、彼は「リルケ パンサー(豹)」という文字を指しました。セイヤーはリルケの本を読みながら、治療について考えます。
パーキンソン病の新薬を使ってみることを思いつき、了承をとってレナードに薬を飲ませ始めたセイヤーは、少しずつ量を増やして様子をみていきました。なかなか効き目が出ないことから、セイヤーは一気に倍の量を飲ませます。
うたた寝していたセイヤーが目を覚ますと、ベッドにいるはずのレナードの姿がありませんでした。
あわてて飛び起きて院内を探すと、テーブルに向かって文字を書いているレナードをみつけます。静かだと言うレナードに、夜中だからみんな眠っていることを教えるセイヤー。
「僕は眠ってない」とレナードは言い、「君は起きている」とセイヤーが答えます。レナードは紙に、「レナード」と自分の名を書いていました。
翌朝訪れた母を、レナードは「ママ」と呼びながら抱きしめます。
映画『レナードの朝』の感想と評価
なぜ奇跡は起きたのか
25年間まったく周囲と意思疎通ができないまま大人になったレナードと、彼の内なる心に触れようと必死に治療を進める医師のセイヤー。
ロバート・デ・ニーロとロビン・ウィリアムズという名優ふたりによって紡がれる奇跡の実話『レナードの朝』からは、さまざまなことを教えられます。
レナードをはじめ、精神病棟に入院している患者たちは動けずじっとしていますが、音楽、文学、投げられたボールなど、それぞれにとっての特別なものにだけ反応をみせます。
オペラに反応する人、ロックに反応する人、ボールを受け取れる人、さまざまです。無表情に見える彼らの胸の内には、それぞれの世界や好みが存在することが垣間見えます。
彼らの聞こえない声に耳を傾ける家族や医師たち。薬によって言葉を発し、文字を書き、自由に動くことができるようになった患者たちは、人生を謳歌します。
これまでの失った時を必死で取り戻そうとするかのように。そして、いつその幸せが去ってしまっても悔いなくいられるように。
朝起きて何もかも失っているかもしれないと思うと怖くて眠れないと言っていたレナードでしたが、悲しいことに彼の恐れていた朝がとうとうやってきます。
薬が効かなくなり、副作用のひどいけいれんが止まらなくなったレナードは、その姿をビデオに撮るようにとセイヤーに言い続けます。辛くてとても撮れないと言うセイヤーに、苦しみの中でレナードは叫びます。「学べ!」と。
自分の病状よりも、ほかの患者が不安がることを心配した温かな心を持つレナード。彼は自分が礎となって、この病の治療が進んでいくことを何より望んでいたのです。
彼の思いは今の時代にも引き継がれ、純粋な医療技術に加え、現代では進歩したITも大きな力となっています。
ある男の子の話です。彼は幼児の頃に高層マンションから落ちて喋ることも動くこともできなくなり、表情も失っていたことから、体と同じく心も壊れてしまったと思われていました。
しかし、その子の瞳が本を読んであげたときに輝くことに母親だけは気づいていたと言います。
コンピューターの進歩によって、実は少年が言葉をよく理解していることがわかりました。
彼の可能性を信じて話しかけ続けた母の深い愛情によって、困難の中でも強くやさしい心を育んだ少年は、13歳になってはじめて世界とつながり数々の美しい詩を残したそうです。
レナードにもいつも語りかけてくれていた愛する母の存在がありました。また、彼の激しいけいれんを止めてくれたのは、ポーラの温かなぬくもりでした。
周囲の人たちからの愛情、向き合う医療者の病を直そうという熱いを思い、そしてそれにこたえようとする患者本人の気持ちがあって、奇跡は起こるべくして起きたのかもしれません。
そして忘れてはならないのは、そこには前の時代の患者たちの喜びと悲しみという礎があることです。レナードの気高い魂がその事実を私たちに教えてくれます。
まとめ
長い眠りの中にあった患者たちが、目覚めた奇跡の夏を描き出す感動作『レナードの朝』。生きる幸せを教えられるとともに、人にとっての本当の幸せが何なのかについて深く考えさせられる作品です。
映画の中の患者たちが手にした「自由な生」は、生まれながらに健康な人たちには想像しえないほどの強い輝きを放っていたのではないでしょうか。
たとえそれが一瞬で失われるものだったとしても、その光は何ものにも代えがたい価値があったに違いありません。
夜安心して眠り、変わらぬ朝を迎えられることが、どれほど大きな奇跡であるか。作品の中からレナードは永遠に私たちに語り続けてくれることでしょう。