映画『あらののはて』は2021年8月21日(土)より池袋シネマ・ロサ他にて全国順次公開中!
『カメラを止めるな!』の女優・しゅはまはるみ、『イソップの思うツボ』の俳優・藤田健彦、舞台演出やアニメ作品制作に携わってきた監督・長谷川朋史が結成した自主映画制作ユニット「ルネシネマ」。
第2作となる映画『あらののはて』は、高校時代に感じた“ある感情”を8年経っても忘れられずにいる女性と、そのきっかけとなった元同級生の間に残り続ける“青春”を描いた作品です。
このたびの劇場公開を記念して、本作を手がけた長谷川朋史監督にインタビュー。本作の作劇や演出について、そして現在の「映画制作」に対する自身の在り方など、貴重なお話を伺いました。
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過去の記憶とリンクした設定と“偶然”
──映画『あらののはて』を構成する「デッサン」と「青春」を組み合わせたプロットですが、どのような経緯を経て生み出されたものなのでしょうか?
長谷川朋史監督(以下、長谷川):自分はかつて美大に通っていたんですが、その受験勉強をしていた当時、美大の入学試験では必須と言っても過言ではない「デッサン」の勉強もしていたんです。
ただデッサンは、「絵を描く」という行為の中でも少し特殊なんですよね。「技法」や「練習」と見なされる一方で、「作品を描く過程」または「完成された作品」と見なされることもある。あえて言うなら「習作」という表現が良いのかもしれませんが、デッサンを行う目的は実はとても曖昧なんです。
「対象物の形や陰影を捉えるための練習」という側面は確かに強いですが、それだけのために行われるわけではないですし、そもそも日本を含めて、美大受験のためだけに勉強する人間の方が多いかもしれない。デッサンはそうした特殊な立ち位置にある存在だったため、デッサンを勉強していた当時から不思議さを抱いていましたし、そんな不思議なことをみんなが揃って受験のために続けている状況に面白さを感じていたんです。
もちろん、デッサンはその人の描画力を推し測る尺度にはなり得るでしょうし、それ故に美大受験における合否の判断材料として扱われています。だからこそ、デッサンの世界には「個性的なデッサン」や「斬新なデッサン」はまず存在しないし、存在しちゃいけないんです。
ただその一方で、かつて画塾の先生が「このデッサンは素晴らしい」と評したデッサンを見せられた時には、「これが大学に受かる要素が存在するデッサンなのか」と穿った見方ぐらいしかできませんでした。デッサンはそれほど、奇妙な行為であり作品なんです。
長谷川:その頃の体験が自分の中には非常に残っていて、画塾に通ってデッサンを続けていた記憶と、自身の青春時代がリンクしている。自分にとっては、「青春」と深くつながる言葉として「デッサン」が刻み込まれたわけです。
のちに大学を卒業し、以降も演劇に携わり続けたんですが、その頃の自分はとにかく演劇作品における舞台設定となる「シチュエーション」を考える作業に没頭していました。そうして作り出し続けていたものの一つとして、「デッサン」にまつわるシチュエーションが含まれていたんです。
ただ、その設定を引っ張り出してきて今回の『あらののはて』を企画したというわけではないんです。本作のシナリオを書き上げて撮影に入る直前、たまたま昔のアイディアノートをめくっていた時にたまたまその設定を見つけ、『あらののはて』のために練り上げたシチュエーションが昔の自分がすでに作り出していたものだったと気づかされたんです。「人間の考えることは、何十年経っても変わらないなあ」と改めて実感しました(笑)。
“意味”の映画が氾濫する現代で
──作中では、舞木ひと美さん演じる主人公・風子と髙橋雄祐さん演じる荒野の奇妙な関係性、そして二人の関係性に大小問わず巻き込まれていく周囲の人々の様が描き出され、『あらののはて』がある意味では「不条理劇」であると気づかされます。
長谷川:風子にしても荒野にしても、“不思議ちゃん”と“不思議くん”という設定で、二人の中での感情の流れはむしろ理解できてはいけないんだと思っていました。だからこそ「このセリフはどういう心理の中で発されたのか」が腑に落ちないようにしたい、二人以外の他者が理解できないように敢えて描いたんです。また実際の撮影や編集でも、シナリオに元々あった「意味」が変に生じてしまう場面をカットしていくなど、この映画をより不条理なものにするために演出を続けていました。
ただ、映画が描くものが一つの「物語」である以上そこに「条理」は存在しますし、条理と不条理が組み合わさった時にはどうしても「不条理でないもの」の方へ引っ張られていきます。そのため、その状況の中でどう「不条理なもの」へと引き戻すかには非常に苦労しました。
「不条理なもの」と「不条理でないもの」の一方に引っ張られては戻りを繰り返したことで、完成した映画には正直いびつな部分もあります。ただそれもまた、自分自身の映画や表現に対する素直な心に従った結果ではあるので、そのいびつさもまた大切なものだと感じています。
──長谷川監督が『あらののはて』の作劇にあたって「理解のできない、意味を見出せないもの」として「不条理」を強く意識されていた理由やその背景を、より詳細にお聞かせいただけませんか?
長谷川:『あらののはて』の企画を立ち上げた当時、自分はどの映画を観ても「つらい」と感じるようになってしまっていたんです。
当時は社会情勢や社会問題を扱った作品や、「“人間”って、“生きる”って、やっぱりこんなにつらいんだ」と思わされる作品が多く公開されていた時期で、おそらく『ジョーカー』(2019)が評判になっていた頃だったはずです。映画館へフラっと行こうと思っても、そこでは心がつらくなる映画しか上映されていない。当時の自分が多分心身ともに疲れていたからこそ、一層そのように感じられましたのかもしれません。
その結果、「もう、何かを声高に叫ぶ映画は嫌だな」「“意味”を持とうとする映画は嫌だな」と感じてしまった。そもそも人間が考え、感じるという行為に意味は存在しない。そう感じたからこそ、今回の『あらののはて』では物語としてのドラマチックさもオチも無理に求めず、自分自身が自然体の中で思い描き、惹かれた「映画」の方向へと歩むように映画を作ることにしました。
「意味がないからこそ、意味がある」
──『あらののはて』は長谷川監督にとって、映画を通じて何かしらのメッセージを伝えようとした作品ではなく、これまでのご自身の表現と改めて向き合う中で「自分にとっての“映画”」を“在るがまま”に追求された作品なのですね。
長谷川:そうですね。ですので正直メッセージ性に関しては、ほぼないといっても過言ではないかもしれません。
もちろん、「映画を観て何かを感じとってもらいたい」というエゴは、自分の中にも存在します。それに思い入れをもって作り上げる以上、その作品が好きになるにも、他者にもそれを共感して欲しくなるのも自然な感情の流れだと思います。
ですが今回の『あらののはて』は敢えて、思い入れを塗り込んでいない。むしろ、自分自身が「何だろう、この映画」と感じているほどです(笑)。ただ昔からの演劇仲間であるしゅはまさんには「ああ、昔の“長谷川演劇”だ」「思い出した、こんな感じだったよ」と言われたんです。その言葉で、あまり自覚はないものの「そうか、10年前の自分はこんなことをやっていたのか」と自分が続けてきた「表現」について実感させられました。
実際、昔から自分は作品に対して「ドラマチックにしたくない」「説教くさくしたくない」「メッセージ性を変に持たせたくない」という想いを常に抱き続けていました。
映像にも物語にも、そして映画にも意味はない。意味がないからこそ、意味があるんです。
無論、映画に対して思い入れを塗り込めてはいないだけで、「投影」自体はされていると感じています。人間の手で作られている以上、作品にも「表現者」としての自分が常に考え感じているものが投影されているとはと思っています。そうして今の『あらののはて』の形へと辿り着いたんだと思います。
自分たちをプロデュースする場としての「ルネシネマ」
──長谷川監督が長年の演劇仲間であったしゅはまはるみさん、藤田健彦さんとともに自主映画制作ユニット「ルネシネマ」を立ち上げられた経緯、またはきっかけについて改めてお聞かせください。
長谷川:10年ほど前、ある舞台をしゅはまさん・藤田さんと一緒にやっていた頃も、二人が映画を好きだということは何となく知っていました。ただその舞台の公演を終えた後も、年に一回は飲み会を設けるという風に定期的に会うようにはなり、その中で二人がどれほど映画が好きなのかを改めて理解したんです。
実は当時から「長谷川は本当に映像向きなのに」「映像作品を一度作った方がいい」と言われてはいたんです。自分の舞台における演出のどの点を見てそう感じてもらえたのかはいまだに分からないんですが、しゅはまさんも藤田さんもまたそれに気づいていて、気に入ってくれているからこそ、自分の監督する作品に出演してくれているんだと思います。
長谷川:また二人は、役者として40代になり「この先どう生きていくべきか」を考えた時に、「主演映画」を作るチャンスが今後あるのか否かという疑問を強く感じたんだそうです。
疑問の答えを探り続ける中で、自分たちの「主演映画」を作るには、自分たち自身で映画をプロデュースするのが一番だと気づいた。その結果が「ルネシネマ」であり、「しゅはまさん・藤田さん二人の主演映画を撮る」というコンセプトで企画を開始した『かぞくあわせ』(2019)なんです。
しゅはまさんも出演した『カメ止め』がヒットしたのもあり、自身の思い描く「女優としての未来」がだいぶリアルに想像できるようになりました。また藤田さんもそれに触発されて、現在までに映像・舞台両方の仕事を多く続けている。そしてルネシネマでの活動は、自分を含めた三人それぞれの「方向性」が固まっていくきっかけの一つになったとは感じています。
「本当」と思える映画を作り上げたい
──映画『あらののはて』が劇場公開を迎えた2021年現在、長谷川監督が今後も映画制作に携わり続ける理由、あるいは映画制作という行為そのものに求める“本当の意味”とは何でしょうか?
長谷川:自分には、現在の社会で作られ流通されている映像がすごく「嘘」に見えるんです。何故そう見えるのかは明確には分からないんですが、それ故に自分にとっての「本当」を必死になって探しているんです。
おそらく1980年代頃に観たアメリカ映画・フランス映画の数々が自分にとっての映像の原体験そのものであり、「ああ、これは“本当”だな」と思えるような映画だったんだろうと今は感じています。それはもしかすると、非常に懐古主義的な発想なのかもしれません。
ただ、「自分にとって“本当”と思えるものが今の世の中にない」というのも、あまりに悲しいし寂しい。そして「本当」がどう見つけられるのか分からないのなら、自分自身で試行錯誤を続けて作り上げていくのが一番の近道になる……それが、自分の映画作りのスタンスだと考えています。
インタビュー/河合のび
撮影/田中舘裕介
長谷川朋史監督プロフィール
1990年より舞台演出家・デザイナーとして活動。のちに俳優のしゅはまはるみ・藤田健彦らと「ルネシネマ」を立ち上げ、自主映画制作を開始する。
2019年に『かぞくあわせ』(オムニバス3部作)で映画監督デビュー。2020年には初の単独監督作『あらののはて』で門真国際映画祭最優秀作品賞、うえだ城下町映画祭審査員賞を受賞した。
映画『あらののはて』の作品情報
【日本公開】
2021年(日本映画)
【監督・脚本・撮影・編集】
長谷川朋史
【キャスト】
舞木ひと美、髙橋雄祐、眞嶋優、成瀬美希、藤田健彦、しゅはまはるみ、政岡泰志、小林けんいち、山田伊久磨、兼尾洋泰、行永浩信、小谷愛美、才藤えみ、佐藤千青、藤井杏朱夏
【作品概要】
『カメラを止めるな!』の女優・しゅはまはるみ、『イソップの思うツボ』の俳優・藤田健彦、舞台演出やアニメ作品制作に携わってきた監督・長谷川朋史が結成した自主映画制作ユニット「ルネシネマ」による第2弾企画・製作作品。高校時代に感じた“ある感情”を8年経っても忘れられずにいる女性と、元同級生の間に残り続ける“青春”とその顛末を描く。
主人公・風子役を女優・ダンサー・振付家とマルチに活躍し、本作のプロデューサーも務めている舞木ひと美が務めた他、『無頼』『僕たちは変わらない朝を迎える』で注目を集める髙橋雄祐、眞嶋優、成瀬美希らが出演した。
映画『あらののはて』のあらすじ
25歳フリーターの野々宮風子(舞木ひと美)は、高校2年の冬にクラスメートで美術部の大谷荒野(髙橋雄祐)に頼まれ、絵画モデルをした時に感じた理由のわからない絶頂感が今も忘れられない。
絶頂の末に失神した風子を見つけた担任教師(藤田健彦)の誤解により荒野は退学となり、以来、風子は荒野と会っていない。
8年の月日が流れた。あの日以来感じたことがない風子は、友人の珠美(しゅはまはるみ)にそそのかされ、マリア(眞嶋優)と同棲している荒野を訪ね、もう一度自分をモデルに絵を描けと迫るが……。
映画『あらののはて』は2021年8月21日(土)より池袋シネマ・ロサほかにて全国順次公開中!