命あるものはやがて朽ちる。だからこそ、儚くも美しい。
数多くの広告写真を手掛け、その卓越した美学で人々を魅了し、国内外で高い評価を得ている写真家・上田義彦の映画初監督作品『椿の庭』。
海を望む高台にある古民家。夫を亡くした絹子は、思い出が詰まったその家で、娘の忘れ形見である孫娘の渚と暮らしていました。
四季折々の花が咲く美しい庭を眺めながら、穏やかな暮らしはずっと続くかのように見えました。終わりの足音が、静かに近付いてきます。
儚くも美しい時間を、写真のように収めた映画『椿の庭』を紹介します。
映画『椿の庭』の作品情報
【公開】
2021年(日本映画)
【監督】
上田義彦
【キャスト】
富司純子、田辺誠一、清水紘治、内田淳子、北浦愛、三浦透子、宇野祥平、松澤匠、不破万作、チャン・チェン、鈴木京香
【作品概要】
日本を代表する写真家・上田義彦が、構想から15年の歳月をかけ完成させた映画初監督作品『椿の庭』。
本作には原作はなく、完全オリジナルストーリーで、第42回モスクワ国際映画祭に正式出品、第2回江陵国際映画祭ではオープニング作品として出品されました。
主演には、紫綬褒章受章の名女優・富田純子と、『新聞記者』(2019)で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞したシム・ウンギョンがW主演し、祖母と孫を演じます。
また、絹子(富田純子)の娘・陶子役に鈴木京香が加わり、3世代の女性の生き方を情感たっぷりに演じています。その他に、チャン・チェン、田辺誠一、清水紘治ら深みのある演技の男性陣が絹子を取り巻き、物語に陰陽を付けます。
映画『椿の庭』のあらすじとネタバレ
葉山の海を見下ろす高台にある古民家。手入れが行き届いた庭には、藤の花が見事に咲いています。さわさわと海風が庭の木々を揺らし、鳥がさえずり、花には虫が寄ってきました。
季節は春。絹子は夫の周忌を終えたばかりでした。夫との思い出が詰まったこの家で、絹子は娘の忘れ形見である孫娘の渚と2人暮らしをしています。
庭の小さな池に放たれた2匹の金魚。ぷかりと1匹が浮かび上がり死んでいました。絹子と渚は、椿の花でその体を包み込み土に還しました。
東京で暮らす娘の陶子は、年老いた母と渚が女2人きりでこの家に暮らし続けていることが気がかりでした。
「皆一緒に東京で暮らそう」と誘いますが、絹子は「大丈夫よ。この家が私は好きなの」と、家から離れるつもりはありません。
陶子の心配事にはもう一つ理由がありました。それはこの家の相続問題です。担当税理士の黄(ファン)からは、相続税の問題解決策として家の売却を勧められていました。
激しい雷が鳴り、大粒の雨が庭の紫陽花に降り注ぎます。雨蛙が心配そうに顔を出しています。
絹子は家のことで悩んでいるようでした。悲し気に考え込むことが増えた絹子を、渚は心配しながら見守ります。
桃が美味しい夏真っ盛りの昼下がり。お盆には、夫の友人だった幸三が訪ねてきました。若い頃の思い出話をする絹子は、どこかはしゃいでいるようです。
レコードに針を落とします。ブラザース・フォーの『トライ・トゥ・リメンバー』が聞こえてきました。
「この家がなくなったら、家族の記憶を思い出せなくなってしまうのかしら。今の私ではなくなってしまうわね」。絹子はとうとう倒れてしまいます。
季節は夏から秋へと向かっていました。税理士の黄が、買い手の戸倉を連れて家を見学にやってきます。
映画『椿の庭』の感想と評価
海を見下ろす高台にある古民家で暮らす祖母・絹子と孫・渚の1年間を描いた映画『椿の庭』。四季折々の花が咲く美しい庭と、趣のある日本家屋での生活は、どこか懐かしさを連れてきます。
そして、長年にわたり家を大切に守ってきた絹子と共に、抗うことのできない時代の移り変わりに、切なさを感じることでしょう。
高層マンションが立ち並ぶ現代では、日本家屋の一軒家での暮らしは減っています。生活に便利さとスピードを求めることが普通になり、手間暇をかけ丁寧に使い続けることが省かれてきました。
物語は、絹子と渚が暮らす家を、ある事情で手放さなければならなくなったことで、動き出します。
幸せな記憶を、家とともに失くしてしまうことを恐れる絹子。私が私でなくなる感覚。家には絹子の全てが詰まっていました。
絹子と渚は、咲いている花や、旬な食べ物で季節を感じ、鳥のさえずりや海風、漂う匂いで時間を感じて暮らしています。そこに流れる時間は、同じ時間であっても、とても贅沢で尊いものに思えます。
絹子は毎日、着物を着て過ごしています。その所作の美しさは、日々を丁寧に、自分らしく生きることの清さを教えてくれます。
祖母・絹子を演じた富司純子の凛とした佇まいが、より映像に説得力をもたらします。全編で使用された着物は富司自身の所有する着物ということで、手慣れた着付けのシーンにも納得です。
映画『椿の庭』には、三世代の女性が登場します。椿の花のような、謙虚な美しさを持つ、3人の女優の共演に注目です。
夫との幸せだった時間を大事にしている祖母・絹子。駆け落ちした長女の忘れ形見の孫・渚。絹子のもう一人の娘・陶子。
亡き母が叶えられなかった祖母との暮らしを、自分が叶えるために日本にやってきた渚。渚の優しさは、夫と娘を亡くした絹子の悲しみを癒していきます。
渚を演じるのは、落ち着いた雰囲気の中に少女らしさも見せるシム・ウンギョン。おっとりとしているようで芯のある渚役に、とてもぴったりです。
そして、絹子の娘・陶子。年老いて行く母を心配し、渚を可愛がる心優しい女性です。絹子と渚に一緒にマンションで暮らそうと提案しながらも、絹子の家への愛情に心を痛めます。
陶子を演じるのは、鈴木京香。富司同様、凛とした佇まいと滲み出る美しさが、陶子と重なり、富司と本当の親子のように見えます。
それぞれの年代の女性が抱える悩みや決断に自分を重ね、共感できる方も多いと思います。
まとめ
写真家の上田義彦が、監督・脚本・撮影を担当し、映画初監督作品となった『椿の庭』。美しい一瞬一瞬を、写真に収めるように丁寧に繋ぎ合わせた叙情的な映像が印象的です。
四季折々の美しさを見せる庭、ぬくもりのある日本家屋での暮らしの様式は、日本文化の素晴らしさを改めて感じさせてくれます。
命あるものはやがて朽ちる。それは、家も人も同じなのかもしれません。朽ちる時まで、自分らしくいられたら、それは幸せなことです。
この世のものはすべて諸行無常。だからこそ、儚くも美しい時間を丁寧に生きていきたいものです。