連載コラム「B級映画 ザ・虎の穴ロードショー」第19回
深夜テレビの放送や、レンタルビデオ店で目にする機会があったB級映画たち。現在では、新作・旧作含めたB級映画の数々を、動画配信U-NEXTで鑑賞することも可能です。
そんな気になるB級映画のお宝掘り出し物を、Cinemarcheのシネマダイバーがご紹介する「B級映画 ザ・虎の穴ロードショー」第19回は、ディーン・イズラライト監督が贈る、特撮番組「スーパー戦隊シリーズ」のハリウッドリメイク『パワーレンジャー』です。
「スーパー戦隊シリーズ」といえば、今なお「仮面ライダー」シリーズ、「プリキュア」シリーズと並ぶ日曜朝の子供向け番組として知られており、幅広い世代に支持されています。リメイクされたテレビシリーズは、90年代末にアメリカで社会現象を巻き起こしました。
シリーズを仕切り直したリブート映画版は、そんなテレビを観て育った、あの頃の子どもたちに向けて作られているからか、大人向けの作風にブラッシュアップされていました。
今回は日本特撮ヒーローをハリウッド映画化したディーン・イズラライト監督作『パワーレンジャー』のネタバレあらすじと作品情報をご紹介します。
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CONTENTS
映画『パワーレンジャー』の作品情報
【公開】
2017年(アメリカ映画)
【原題】
Power Rangers
【監督】
ディーン・イズラライト
【キャスト】
デイカー・モンゴメリー、ルディ・リン、RJ・サイラー、ベッキー・G、ナオミ・スコット、エリザベス・バンクス
【作品概要】
日本特撮番組「スーパー戦隊シリーズ」をアメリカ版にローカライズしたテレビドラマ「パワーレンジャーシリーズ」をリブートした2017年の映画。
アメリカの田舎町で暮らす5人の高校生がパワーレンジャーとなり、太古より復活した邪悪な宿敵に立ち向かう姿を描いています。
映画『パワーレンジャー』のあらすじとネタバレ
約6500万年前の地球。ゾードン率いる初代「パワーレンジャー」たちは、裏切り者のグリーンレンジャーことリタ・レパルサから、生命の源であり世界を滅ぼす力にもなる「ジオ・クリスタル」を守るために戦いました。
残されたゾードンことレッドレンジャーは、リタと共にパワーレンジャーの力が宿る「パワーコイン」を封印して眠りにつきました。
そして現代のアメリカは海岸沿いの街エンジェル・グローブ。地元高校に通う将来有望なアメフトの選手として街のヒーローだったジェイソンは、不良仲間と共謀。更衣室に牛を連れ込む悪戯をして警察に追われていました。
車で逃走し、追跡を振り払おうとしますが、車は転倒。重大な交通事故を起こします。
事故による怪我のために選手生命を絶たれ、親や街の住民の失望を一身に背負うこととなったジェイソンは、学校内の落ちこぼれが集まる補習クラスに通うことになりました。ジェイソンは保護観察処分になり、学校の補講を受けさせられます。
補講クラスでは、同じように問題を起こした生徒たちが集められていました。
キンバリーは彼氏を振ったことで同じチアグループからのけ者にされていました。トイレで絶交を言い渡されるキンバリー。それまで長かった髪をバッサリ切り落として教室へ戻りました。
自閉症スペクトラムを患うビリーは、いじめっ子から標的にされていました。
クラス初日。ジェイソンは自閉症スペクトラムを患うビリーをイジメっ子から助け友達となります。放課後ビリーは保護観察のGPSの細工と引き換えにジェイソンを街外れの採掘場へ連れていきます。
ジェイソンは採掘道具を現場まで運ぶ手伝いをすると、ビリーと別れひとり辺りを散策します。そこで彼は湖に飛び込むキンバリーの姿を目撃しました。
「街が自分を惨めにさせる。今夜出ていけるなら、こんな街出ていきたい。」お互いの気持ちを吐露し合うジェイソンとキンバリー。距離が縮まりかけていました。
アジア系の不良生徒ザックは病床の母とふたり暮らし。屋根に上っては双眼鏡で向かいの山でひとりヨガをする転校生トリニーがいったい何者なのかを眺めていました。
ビリーが崖を発掘しようと自作爆弾を炸裂させると、あたりに衝撃が走り、近くにいたジェイソン、キンバリー、ザック、トリニーが様子を見に来ました。
崩れた崖から5色の「パワーコイン」が現れ、5人は各自1枚ずつ手に取りました。その後、爆発の衝撃を確認しに来た守衛は5人の姿を発見。追跡されます。
ビリーの車で逃走を図る5人。カーチェイスを繰り広げるものの、踏切で貨物列車に激突してしまい、5人は気を失います。
5人がコインを手に入れたのと時を同じくして、ジェイソンの父親の漁船が海底よりリタのミイラを引き上げていました。
ジェイソンが意識を取り戻すと、そこは自宅のベッドの上でした。何故か激突の時に負ったはずの怪我はもちろん、アメフト選手を絶った大怪我も全くなくなっており、手をついただけで洗面台を破壊するほどの怪力が身についていました。
いつも通り登校したジェイソンはビリーとキンバリーも同じように力を身につけたことを知ります。学校を抜けて採掘場に向かった3人は同じく体の異変を感じていたザック、トリニーと合流し、パワーコインによって得た怪力と跳躍力を確認し合いました。
力を使い渓谷を駆け巡る5人。
川底に特殊な空間があることを見つけ、戦いをサポートするアンドロイドアルファ5と肉体を失い、動く壁に魂を預けた初代レッド=ゾードンに出会います。
ゾードンはパワーレンジャーについて5人に説明します。
真面目に話を聞かない5人に幻影を見せるゾードン。ゴールダーという怪物を作り出した邪悪なリタ・レパルサの存在とそれを倒すために5人は選ばれた存在であること語ります。そしてゾードンは先に抜け出していった4人を追いかけるジェイソンにチームをまとめるように言いました。
まだお互いを知らない5人は再び集まってパワーレンジャーになるための訓練を始めるも、心が通っていないため変身することが出来ませんでした。
来るべきリタとの戦いに迫られた5人は変身できないまま戦闘訓練を始めます。敵のホログラムを前に5人は、かわす、掴む、投げる、と戦いの呼吸を合わせていきます。
学校での交流も増えていく5人。未だ変身に必要な「集中」ができていないとアルファ5は言います。訓練への情熱が減っていく5人のモチベーションを上げようとアルファ5は恐竜を模った戦闘マシンゾードを見せます。
ザックはひとり訓練に戻らず、ゾードを起動させ暴走します。ゾードと秘密基地へ戻ったザック。そのせいでトリニーは怪我を負いますがザックは悪びれる様子もなく、ジェイソンと喧嘩し始めます。
チーム仲が乱れていく中、仲裁に入ったビリーの姿はブルーレンジャーへと変身していました。もう一度変身するよう4人はせかしますが、ビリーの体は元に戻ったまま。ゾードンは変身できなければレンジャーではないと、5人を帰します。
蘇ったリタのミイラは怪物ゴールダーを復活するために港で金を集めていました。その後街に進出。宝石店を襲います。リタは駆けつけた警官をも襲撃し、ゴールダーを復活させました。
その頃5人は家には帰らず、山で焚火を囲んでいました。お互いを知るため、改めて身の上話をし、秘密を打ち明け合います。
夜、家へ戻り眠るトリニーを突如リタが襲います。チームの中で疎外感を感じている彼女に自分と共通点が多いとリタは言います。トリニーに仲間になるなら助けてやると提案しました。
時を同じくして、家で眠るジェイソンのもとを訪ねるキンバリー。補講を受けさせられていた理由を隠していたのは自分の行いを恥じているからだと打ち明けます。
彼女は自分をふった元彼にキンバリーを信用して友達がシェアしてきたプライベート写真を送ってしまったのです。今でもそのことを後悔している、トリニーは酷い人間だと自分を責め続けていました。
トリニーから連絡をもらい、集まった4人はリタがトリニーのもとへ現れたこと、彼女を勧誘してきたことを知ります。ジェイソンはチームをまとめ、変身できないまま港に潜むリタを倒しに向かいます。
それぞれ武器を手に、勢い勇んでリタの潜む港へ向かう5人。しかし狡猾なリタの逆襲に会い、変身もできない5人は全く歯が立ちません。
身動きができない5人にリタは自身のクリスタルの在処を尋ねます。ザックの命と引き換えにリタはビリーを脅します。ビリーは以前、三角法を用いてクリスタルの在処を突き止めていました。
クリスタルは今、クリスピークリームドーナツの店が建っている場所にあることをリタに話すビリー。用が済んだとリタは彼を殺害。クリスタルを探しにその場を去りました。残された4人はビリーの亡骸をアジトへと連れていきました。
映画『パワーレンジャー』の感想と評価
日本で出来ないことをやり遂げた奇跡のような作品
本作をザックリ説明すると、日本の「スーパー戦隊」シリーズがやりたくても出来なかったようなストーリー構成、作風、演出を消去法的に取り入れていった作品です。
近年、日本のシリーズにおいても、本編に先駆けて前日譚が劇場公開されるなどして、主人公たちがヒーローになるまでを詳細に描く傾向は浸透しつつありますが、それでも2時間のうちの半分以上を割く贅沢ぶりは類を見ません。
日本もアメリカの同テレビシリーズも、第1話は5人が集められ、敵が侵略を開始し、初変身。何とか敵を撃破で、終わることが多く、お約束である巨大ロボ戦は2話以降に回される作品も少なくないです。1、2話合わせて50分弱しかない、チュートリアルを丁寧に2時間の映画に仕上げた、そんな作品です。
加えて変身アイテムに必殺武器、レンジャーが乗るメカなど玩具展開するための販促ノルマがアイテムを使用するシーンがノルマとして課されます。30分のドラマの合間のCMが劇中に登場するアイテムの玩具であるため、ドラマ部分の追求に制約が付きまといます。
そして本作。アメリカ玩具会社Hasbro(ハズブロ)とのタイアップもあるためか、一応アクションフィギュア、なりきりアイテムなど映画と関連して発売されました。
しかし単体の映画作品であるためか、そこまで本編には販促が影響しませんでした。それゆえ作品作りの自由度が高く、作家性が如実に反映された映画になったと言えます。
それはドラマ重視の作品作り。ティーンエイジャー向け青春映画のフォーマットの恩恵を受けて『ブレックファストクラブ』という教科書に倣って、異なる世界を生きてきた青年たちが通過儀礼や成長を経て新たな日常を手にする模様を描いています。
またアメリカ製作映画になったことで想定する視聴者層を鑑みてのチーム編成のブラッシュアップ、人種のバランスも意識的にリブートしていました。
オリジナルのパワーレンジャー(テレビシリーズ第1作目『マイティ・モーフィン・パワーレンジャー』)では、有色人種のメンバーが肌の色と対応する色を担当していました。
黒人はブラックレンジャー、アジア人はイエローレンジャー、なら貧乏な白人(レッドネック)はレッドレンジャーなのかと言いたくなるようなステレオタイプです。
ステレオタイプに当てはめないというのは現代の映画では当然要求される条件ですが、ティーンエイジャーを主役にした映画として性的マイノリティの描き方は不透明でありながら繊細で、必要に迫られて配慮したような嫌味を一切感じさせない素晴らしいものでした。
このように日本だけでなく、昨今アメリカの超大作ですら、ヒーローアクションを盛り上げるために切り捨てられてられた人間ドラマをそれぞれの関係性まで細かく、深く掘り下げて丁寧に描いています。
1年かけて培われていく人間模様を2時間に凝縮しており、観終わった頃には5人への愛着を感じずにはいられません。
多感な時期にスーパーパワーを手に入れたティーンエイジャーが自己満足の為に力を悪用するという場面は最終的に「大いなる力には、大いなる責任が伴う」ことを知り、ヒーローに至る作品にも、正義を拒絶し、悪に身を染めていくアンチヒーロー作品にも存在する楽しい息抜きパートです。夢想した憧れを叶えるシーンは観客にも一時の万能感を与えてくれます。
そういった視点からとらえると、本作はスーパーヒーロー映画的ではないと言えます。これが微妙な線引きに位置するアメリカの特撮だけが内包している変異種の特徴があります。
玉石混交!海を渡った日本のヒーロー
海外で作り直されることで浮かび上がる日本特撮の独自性。それを語るにはパワーレンジャーに製作に至るまでの海外リメイクされた日本特撮の歴史を踏まえる必要があります。
1993年の「パワーレンジャー」シリーズ第1作目『マイティ・モーフィン・パワーレンジャー』放送開始に至るまでの紆余曲折がありました。
遡ること1978年。東映はマーベル・コミックが保有するキャラクターの使用契約を結んでいたことからテレビドラマ『スパイダーマン』(1978)の放送が開始されます。
その後立て続けに製作された『バトルフィーバーJ』『電子戦隊デンジマン』『太陽戦隊サンバルカン』。現在は「スーパー戦隊シリーズ」にカウントされる上記3作品はマーベルとの提携で製作されました。
今やシリーズのお約束となっているロボ戦も『スパイダーマン』(1978)に登場した変形ロボ、レオパルドンの人気によるものでした。(海外との提携で作られるケースはそこまで珍しくありません。東宝映画『キングコング対ゴジラ』(1962)や『キングコングの逆襲』(1967)もキングコングというキャラクターをレンタルした形で製作された背景があり、日本特撮は欧米作品と相互に影響し合って発展していった事情が伺えます。)
日本オリジナル作品との違い
前置きが長くなりましたが、具体的なオリジナルの日本とローカライズのアメリカ作品の決定的な違いは見せ場をどこに設けているかです。
日本だと、変身。名乗り。必殺技。対してアメリカは必殺技のみ。起伏が寂しいと感じる箇所は物語のフリオチを利かせる。本作も変身シーン(モーフィンタイム)は一瞬で蒸着してしまい、そのプロセスをもう一度見ることもないので、あっけなく感じます。
そして名乗り。一切ありません。これは理由として考えられている仮説レベルの話ですが、西部劇は早撃ちの文化だから。敵の前で名乗り口上をすることなく現れたらすぐに討つ。という考えに基づいているからかもしれません。
日本の等身大ヒーローは東映製作で、当初アクション(殺陣)を担当していたスタントチーム、「大野剣友会」は元々時代劇の殺陣をやっていたので、今のマーシャルアーツやカンフーを取り入れたアクションとは違ったバックボーンがありました。
したがって海外、特に欧米諸国では、見得を切る様式美は感覚的に受け入れられなかったと言われています。しかし最近のアメリカンヒーロー作品、特にMCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)では見得を切るようなケレン味溢れる演出は取り入れられており、それが劇中での盛り上がるポイントとして機能しています。
例えば、『アベンジャーズ』(2012)におけるアイアンマンのスーツ装着シーンは特撮の変身シーンを彷彿させますし、『アベンジャーズ/エンドゲーム』(2019)でのラストバトルでのキャプテンアメリカの掛け声もかつてないほど、見得を切っています。何が言いたいかというと、その国の精神性や宗教的背景を推測して受け入れられやすいヒーロー像をマーケティングすることは不可能だということです。
「パワーレンジャー」シリーズがなぜ海を渡って爆発的な人気を得たのか。これもあくまで仮説ですが、それはシリーズの根底にある雑な統一性にあったのではないかと考えてしまいます。
分かり易く色で分けられた個性的なメンバー、合体技で戦うアクション、巨大マシンが戦うミニチュア特撮、ロボ戦、など30分の間に繰り広げられる様々な展開。バラエティに富んだ中の何か1つは必ず子どもに刺さる魅力があったのでしょう。
まとめ
本作は当初見込んでいたほどのヒットには恵まれませんでした。それは日本においてもアメリカにおいても、観客が期待した内容との齟齬があったからでしょう。
2時間ある映画の3/4は変身できず葛藤し、衝突し続ける未熟な5人の若者の姿を描き、ラスト30分に等身大バトル、人命救助、ロボ戦が凝縮して盛り込まれています。
青春ドラマがフラストレーションで、イマイチスカッとしないアクションシーンという批評も多いです。しかし、このバランスで作ることに意義があったのです。
日本においてもアメリカにおいても、おもちゃを宣伝するための30分あるコマーシャルのような揶揄のされ方が一般されてきた「戦隊モノ」が、本来追求していたのは、孤独なロンリーヒーローがなし得なかった団体技がもたらすカタルシスです。
ひとりも欠けてはいけない不可欠な5人が成し遂げる利他主義的偉業。つまり具体的なアクションよりも追及されるべき描写は5人が互いを理解するプロセスです。その点において本作は基本に忠実な作品であったと言えます。
さらに田舎町での戦闘は、道幅が広く50M級のロボットが民家や人を気にせず戦える程度には足場がしっかりしている・巨大な兵器を隠す余裕がある土地の規模など、程よい感じのリアリティレベルがキチンと追及されてもいるため、日本版でいわゆるツッコミどころとしてネタにされてきたあれこれは概ね解決されている手堅い戦隊映画でした。
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