連載コラム「SFホラーの伝説『エイリアン』を探る」第7回
SF映画の二大“モンスター”が激突する大ヒット映画の続編、今度の戦場は街中!? 『AVP2 エイリアンズVS.プレデター』。
本作は映画『エイリアンVSプレデター』の続編で、宇宙生命体ゼノモーフと宇宙狩猟民族プレデターが街中で対決し、さらにゼノモーフとプレデターのハイブリッドがその中に割って入り、ますます人々を恐怖と混乱の中に突き落とすというエンターテインメント性抜群の作品です。
作品はグレッグ・ストラウス、コリン・ストラウスのストラウス兄弟が監督を担当。VFXアーティストとしても活躍する彼らがその才能を発揮し、魅力ある映像に仕上げました。またキャストにはレイコ・エイルスワース、ジョン・オーティスらの個性的な俳優を起用、緊張感あふれるアクションが展開する群像劇形式の物語で、魅力的な演技を披露しています。
コラム第7回となる今回は、シリーズ番外編的作品の第二作となる本作を考察し、作品としての評価とともに物語が描く本質などを探っていきます。
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CONTENTS
映画『AVP2 エイリアンズVS.プレデター』の作品情報
【公開】
2007年(アメリカ映画)
【原題】
Aliens vs. Predator: Requiem
【監督】
コリン・ストラウス、グレッグ・ストラウス
【脚本】
シェーン・サレルノ
【音楽】
ブライアン・タイラー
【キャスト】
レイコ・エイルスワース、ジョン・オーティス、スティーブン・パスクール、ジョニー・ルイス、デビッド・パートコー
【作品概要】
エイリアンとプレデターの二大人気モンスターが激突し、話題となった2004年公開『エイリアンVS.プレデター』の続編。前作のラストでプレデターの体内に産み付けられたエイリアンの卵が成長し、新種のエイリアン“プレデリアン”が誕生、コロラドの森に墜落したプレデターの宇宙船からエイリアンたちが次々と地上に降り立ち、人間たちを巻き込んで壮絶な戦いを繰り広げるさまを描きます。
監督には『スカイライン―征服―』を手掛けたコリン・ストラウス、グレッグ・ストラウスのストラウス兄弟。『ファンタスティック・フォー:銀河の危機』『300』などで、ビジュアルエフェクトを手掛けたことでも知られています。またドラマ「24 TWENTY FOUR」シリーズのレイコ・エイルスワースや『マイアミ・バイス』のジョン・オーティスら個性的なキャストが名を連ね、物語を描いていきます。
映画『AVP2 エイリアンズVS.プレデター』のあらすじとネタバレ
前作で地球での「儀式」を終え、仲間の死体とともに自分たちの母船に戻ったプレデターたち。
ところが持ち帰った死体からはプレデターと宇宙生命体ゼノモーフのハイブリッド種であるプレデタリアンが、ゼノモーフの幼体形であるチェストバスターの形でプレデターの腹を突き破って誕生します。
急速に成長を果たしたプレデタリアンは、宇宙船の中でプレデターたちを一人、また一人と虐殺。そしてコントロールを失った宇宙船は、地球のアメリカ・コロラド州ロッキー山脈の森に墜落。船内にいたゼノモーフの初期形態であるフェイスハガーが獲物を求めて船外へ出てしまいます。
森で狩りをしていたコロラド州・ガリソン市の市長バディ・ベンソンと息子のサムは宇宙船の落下を目撃、運悪くフェイスハガーと出くわしてしまい、抵抗もむなしく2人ともゼノモーフに寄生されてしまいます。さらにゼノモーフたちは下水道付近にいた浮浪者などをエサとして急速に繁殖、成長していきます。
一方そのころガリソン市では、刑期を終えて家に戻ろうとしていたダラス・ハワード(スティーヴン・パスクール)を、弟である高校生のリッキー(ジョニー・ルイス)が待っていました。
リッキーは知り合いの女の子ジェシー・サリンジャー(クリステン・ヘイガー)に恋をしていましたが、兄に掛けられた嫌疑から方々よりいじめられ、ジェシーの彼氏で不良のデールたちからもたびたび嫌がらせを受けていました。
また同じころ同市の別の場所にて、アメリカ陸軍の女性兵士ケリー・オブライエン(レイコ・エイルスワース)は、ガリソン市に残した娘モリー(アリエル・ゲイド)と夫ティムに会いに、休暇で帰省していました。
そんな中、墜落した宇宙船からの救難信号を受信したプレデターたちの惑星では、エイリアン駆除とプレデター遺体消滅を行うべくその任務のエキスパートであるプレデター、通称「ザ・クリーナー」が地球に派遣されました。
地球にたどり着いたザ・クリーナーは、墜落した宇宙船を爆破しゼノモーフなどの痕跡をすべて消していきます。
映画『AVP2 エイリアンズVS.プレデター』の感想と評価
シリーズの作品毎に描かれたメッセージを集約
シリーズはこの作品の後に『プロメテウス』『エイリアン:コヴェナント』と続いたわけですが、本作はその2作品とは迎合しない、ある意味ダン・オバノン/リドリー・スコットのタッグで作り上げられた『エイリアン』に対する『エイリアン2』以降の挑戦、その最終章ともいえるものであります。
『エイリアン』は未知の宇宙生命体をクローズアップして、その個体と人間との関係における神秘性、美学的なものを追っている傾向が見られるのに対し、以降の作品には『エイリアン』の世界観、生物の様式をありきとしつつ、新しい物語を作ろうと挑戦したり、何か異なる物語を交えようとする意向が見えます。
多くは『エイリアン』という脅威の存在を人間の対角に置き、人それぞれの立場に合わせた位置関係などを、世の風刺的な構図として描いたものが主となります。そして本作はそれらの描かれ続けてきたものを包括し、多くのゼノモーフたち、プレデター、そして人間さえも敵となりうるという状況の中、主人公たちは四面楚歌に陥るという物語を描いています。
さらに今回、前作『エイリアンVSプレデター』のラストシーンで現れた「プレデタリアン」という新種が登場します。これはもちろんプレデターのような知能はなく、ゼノモーフたちとのちゃんとした協調性があるかも不明です。しかもクイーン・ゼノモーフの存在はなく、フェイスハガーもいないまま自分で勝手に人間に対して手当たり次第に子供を産み付け、自身の子供を増殖させていきます。
ゼノモーフとプレデターという2つの脅威に加わる、さらに邪悪で危険な脅威。そして、その間に挟まれる地球人類。その構図は大きな力を持つ先進国間の対立と、それに挟まれる第三世界を髣髴とします。さらにその第三世界の中にも「強い力に押される被害者の一人」として振る舞う裏で、邪悪な思惑を企てる者がいる姿すら見えてきます。
『エイリアンVSプレデター』の製作が決まった段階で、かつてこのシリーズを手掛けたスタッフ陣にはかなりの物議を醸したエピソードがあります。このシリーズの遍歴を眺めると、そもそも第1作『エイリアン』に歴代の監督がいかに向き合い、対峙して自分なりの作品を作っていったかという歴史がそこにはあったことが見られ、そういう意味においては、本作はまさにその意志を集約した形で描かれたものといえるでしょう。
「『エイリアン』の壁」に果敢に挑戦
本作は物語の設定や画作りという点でも大きな展開を見せており、前作『エイリアンVSプレデター』がわりと「エイリアン」シリーズの世界観を主体に描かれていたものから一新され、「プレデター」シリーズの世界観に『エイリアン』を登場させるという形で物語は描かれています。
今回本作ではシリーズで初めて群像劇の構図を採用しており、犯罪の汚名を着せられながらもまっとうに生きようとするハワード、兄の犯罪歴のため世からは罵声を浴びせられ人生に失望する弟リッキー、そして彼らを取り巻く人たちがそれぞれに抱えた境遇を生きているさまが描かれます。
その一方で、ゼノモーフ退治の命につくザ・クリーナーの存在にもこの群衆の一人であるような雰囲気が感じられます。人間と違って表情のないプレデターですが、命令により一人でその使命をまっとうしようとするそのいでたちは、さまざまな感情に揺れ動く人間たちのさまと横並びで眺められるような立ち位置にあります。
さらにこの複雑な人間関係の中で注目すべきなのは、本作では「強い女性」が明確に描かれていないという点。
エイリアン4部作ではリプリーという絶対的な「強い女性」が描かれ、これに準ずるように『エイリアンVSプレデター』ではレックスという冒険家の女性が、プレデターやゼノモーフとの遭遇の際にゼノモーフを倒すという行動を起こし、劇中ではラストまで生き残り「強い女性」を象徴していました。
ところがこの物語のヒロインはリッキーが恋する女の子ジェシーですが、彼女はプレデターの犠牲となってしまい、強いところなどまったく見られずに生涯を閉じてしまいます。一方で女性軍人のケリーは子供を守り続ける母親として最後まで生き残り、「強い女性」像的な側面を見せますが、最後まで生き残った人たちを率いたのは主人公のハワードでした。
物語における「強い女性」のイメージを、それまでのシリーズ作での演出から少しずらす形で描いている『AVP2 エイリアンズVS.プレデター』。それは本作が、これまで描かれていたある特定の基準的な人物像が取っ払い、『エイリアン』という要素だけをスパイスとして使用した、「エイリアン」シリーズの主流とは異なるまったく新しい作品として作られたことを表しています。
また新モンスターであるプレデタリアンはその容姿の違いもそうですが、卵を産まず直接人間の体内にチェストバスターを生み込むなど、生態にも大きな変化を起こしており、H.R.ギーガーのデザインに敢えてプレデターのデザインとの融合による新たなデザインを拮抗させ、エンターテインメント性を狙う動きも見られます。
そして青々とした森や街中といった舞台は、『プレデター』で描かれた森、『プレデター2』で描かれた人波の中といったまさしく「プレデター」シリーズを象徴する場所です。そこにはこれまでのシリーズ作品にも増して『エイリアン』のモチーフやクリーチャーを登場させリスペクトを寄せながらも、逆に脱却しようとする意図が垣間見えます。
『AVP2 エイリアンズVS.プレデター』は『エイリアン』という作品が完全に一つのアイコン的存在、揺るがない大きな存在となったこと、そしてこれを使うことで新たな物語を築けるという新たな可能性が大きく開けたことを証明した作品と言えるでしょう。
まとめ
ラストに登場する「回収されたプレデターの武器を軍が企業の人間に渡すシーン」はある意味思わせ振りなおまけと捉えられがちですが、実は物語の表現しているメッセージを決定づける上で、非常に大きな意味を持つものでもあります。
軍が兵器渡した人物の名は「ユタニ」。「エイリアン」シリーズの初期作から『エイリアン3』までを通して登場するウェイランド・ユタニ社に関係しているのは明らかです。
またこの会社は設定上では日系企業とされており、『エイリアン3』の収容所でも壁に日本語の漢字のようなキャラクターが描かれているシーンがあるなど、この施設を所有する会社が日系企業であることをにおわせています。つまりこのラストシーンでは、ある意味日本という国の印象を暗に描いていると見ることもできるわけです。
一方で、その“日本の象徴”的な存在であるユタニに、「『ひょっとして味方になるのでは?』とにおわせながらも人間ですら虐殺を繰り返した」プレデターの武器を手渡したのは、何らかの強大な力を日本という国の誰かに渡す、あるいは日本という国を通じて、そういった力を広めさせるという風刺性を持たせているようでもあります。そしてこの強大な力がどのように世界に行き渡っていくのかという点には、現実とリンクした流れも感じられ、強いメッセージを引き起こすものとなっています。
そもそもこの物語の発端は、プレデターたちが自分たちのミスによってゼノモーフ、プレデタリアンを地球に逃がしてしまったという失態にあります。地球人では歯が立たないはずの大きな力を持った彼らが、その失態の証拠を消しながら懸命に自分たちの汚点を消して回るその姿には、強大な力を持つ大国が体制を維持すべく秘密裏に奔走するさまを連想させ、物語の展開・構造には社会の縮図のようなものさえ感じられます。
『エイリアン』『プレデター』を集約したという点で、この「対決」シリーズ2作はエンターテインメント性のみが追求された作品となってしまったと、世では酷評も多く上がる結果もあります。しかし実はそんな表面的な評価では締めくくれない、内容の深さを持った作品でもあるのです。
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