娘が産まれても、大人になりきれない男の心の葛藤と成長を描いた、映画『泣く子はいねぇが』。
監督、脚本、編集を担当した佐藤快磨が、5年の時間を費やして完成させた本作は、仲野太賀や吉岡里帆など、若手の注目俳優が集結。
秋田県・男鹿半島の伝統文化「ナマハゲ」を通して「父親の責任」「人としての道徳」に向き合った、本作の魅力を解説します。
映画『泣く子はいねぇが』の作品情報
【公開】
2020年公開(日本映画)
【企画】
是枝裕和
【監督・脚本】
佐藤快磨
【キャスト】
仲野太賀、吉岡里帆、寛一郎、山中崇、田村健太郎、古川琴音、松浦祐也、師岡広明、高橋周平、板橋駿谷、猪股俊明、余貴美子、柳葉敏郎
【作品概要】
娘が産まれても、大人になりきれない男、たすくが抱える心の葛藤と成長を描いたヒューマンストーリー。
2016年のTVドラマ『ゆとりですがなにか』でブレイクし、2018年の『母さんがどんなに僕を嫌いでも』や、2020年の『生きちゃった』など、心の葛藤に悩む主人公を多く演じている仲野太賀が、大人になり切れない男、たすくを好演しています。
たすくの元妻ことね役を、2015年の朝のテレビ小説『あさが来た』で人気となり、2019年の『見えない目撃者』などで主演を務めている、注目の女優、吉岡里帆が演じています。
たすくの母親を演じる余貴美子や「ナマハゲ存続の会」会長の夏井を演じる柳葉敏郎など、実力派俳優が出演。
監督は、2016年の『壊れ始めてる、ヘイヘイヘイ』や、2019年の『歩けない僕らは』などで高い評価を得て、本作が劇場長編デビュー作となる佐藤快磨。
また、2018年の『万引き家族』などで世界的に高い評価を得ている、是枝裕和が、本作の脚本に惚れ込み、企画として携わっています。
映画『泣く子はいねぇが』のあらすじ
秋田県・男鹿半島で暮らす、後藤たすくは、妻のことねとの間に娘が産まれ、幸せを感じていました。
たすくは「凪」と名付けた娘を可愛がりますが、凪はたすくに懐く様子を見せません。
また、市役所に提出した出生届の記載に間違いがあり、ことねはその点をたすくに指摘します。
ですが、ヘラヘラしているたすくに、ことねは呆れた様子を見せます。
また、凪が産まれた事で「今年は参加しない」と約束していた、ナマハゲを「ナマハゲ存続の会」会長の夏井康夫に頼まれ、断れなかった、たすく。
「お酒は飲まない」と、ことねと約束し、たすくはナマハゲに参加します。
年末の街中を、たすくはナマハゲとして歩きまわります。
たすくは友人の志波亮介に勧められた事で、ことねとの約束を破り、お酒を飲み泥酔してしまいます。
そして、ナマハゲのお面を被り全裸の状態で街を徘徊し、その様子をテレビ中継で流されてしまいます。
ことねは無表情で、その中継を見ているのでした。
2年後、たすくは東京に出て来ていました。
全裸で街を徘徊する様子がテレビ中継された事で、ことねと離婚し、全国から苦情が寄せられ、ナマハゲ存続の危機となり、男鹿半島にいられなくなったのです。
東京に逃げて来た形のたすくは、毎日に何の目標も持てずに暮らしていましたが、男鹿半島から志波が訪ねて来ます。
たすくは志波から、ことねが離婚後に、夜の繁華街で水商売を始めた事を聞きます。
しかし、ことねはお酒も飲めず、水商売を一番嫌っていました。
たすくは罪の意識を感じ、男鹿半島に戻り、ことねとやり直そうとしますが…。
映画『泣く子はいねぇが』感想と評価
秋田県・男鹿半島を舞台に、大人になりきれない男、たすくの奮闘ぶりを描いた映画『泣く子はいねぇが』。
本作を一言で表現すると、主人公のたすくが、自分の情けなさを受け入れるまでの物語です。
たすくは娘が産まれても、父親としての自覚が芽生えておらず、娘の出生届を提出したその日の夜に、酔っぱらって、全裸で街を徘徊する様子がテレビ中継されるという、大失態をおかします。
それが原因で、たすくは故郷の男鹿半島にいられなくなり、逃げるように東京へ移住します。
ですが、たすくは逃げて来ただけなので、東京に何の目的も無く、ただただ毎日を過ごしているだけです。
そんな、たすくですが、友人の志波から、離婚した元妻ことねが、水商売を始めた事を聞き、ことねの力になる為、男鹿半島へ戻ります。
しかし、男鹿半島に戻った、たすくが目の当たりにするのは、誰も自分を必要としていない、逆に忘れ去ろうとしている現実でした。
ことねすら、たすくの事を全く必要としていません。
考えてみれば、逃げるように故郷を出て、その後にまともなフォローも無く、いきなり戻って来られても、ことねには、たすくが無責任にしか感じないでしょう。
しかし、たすくは、ことねに拒絶されても「あいつには、自分が必要」と勝手に思い込み、空回りとも言える頑張りを見せるようになります。
つまり、この段階だと、2年前と何も変わっていないのは、たすくだけで、周囲の人間は、たすくの大失態により受けたダメージから、立ち直ろうとしているのです。
しかし、たすくにも、2年間という時間から逃げ続けた事を、実感させる出来事が起こります。
それは、娘の凪が出演する、幼稚園の演劇会を見に行った場面で、2年ぶりに見る、自分の娘の顔が分からないという、これまで自分が逃げ続けて来た事への、代償を思い知らされます。
さらに、そこで新たな夫と楽しそうに凪を見つめる、ことねを見てしまい、たすくは「もう、自分は必要ない」と、身を引くしかない状況となります。
ただ、ことねも本当に幸せかは定かではありません。
子育ての息抜きにパチンコを打ったり、医療事務の資格を取得するなど、どこか新たな生活に対する不安を感じる描写もあります。
ですが、それでも間違いなく、ことねにとって、もうたすくは頼る存在ではないのです。
たすくは、自身の情けなさを受け入れるしかなく無くなりますが「自分は凪の父親である」という、自覚だけは揺るぎません。
そして、ラストシーンの、たすくがナマハゲとなって、凪に会いに行く場面へと繋がっていきます。
この場面は、父親としては会えなくなった凪に、せめてナマハゲとして会いに行き、ことねも、そのたすくの想いを受け入れたというように見えます。
ですが、佐藤快磨監督は「ナマハゲから子供を守ったりする事で、父親としての自覚や責任が芽生える、そういう側面があるのではないか?」と考えています。
たすくは、ナマハゲとなって凪を怖がらせ、新たな父親に凪を託し、自身は別の人生を歩む覚悟を決めたと、この場面から読み取れます。
本作は、このナマハゲの場面で終わる為、その後に、たすくがどうなったかは分かりません。
ですが、ずっと逃げ続けて来た、自身の2年前の過ちと、迷惑をかけた故郷の人々に向き合った事で、たすくは間違いなく人間的な成長を遂げたのだと、解釈できるラストシーンとなっています。
人間的に成長した、たすくは気持ちを新たにして、今後の人生を歩むでしょう。
そう考えると、本作は全体を通して希望を感じる作品であると言えます。
まとめ
映画『泣く子はいねぇが』は、ゆっくりとしたテンポで物語が進む作品で、たすくの精神的な成長を、非常に丁寧に描いています。
ですが、重い空気が漂う作品ではなく、ところどころにコメディー要素が入っており、例えば密漁したサザエを買い取る業者の男が、やたら深い人生哲学を語りだしたり、サザエを捕る志波に、近くに警察が来た事を伝えるサインとして、たすくが変な踊りを必死で踊ったりと、どこかシュールな場面も挿入されています。
たすくは、子供が産まれた後も、飲みの席に行って泥酔したりする、どうしようもない部分がありますが、男性は何となく同じような経験があるのではないでしょうか?
たすくの大人になりきれない部分は、多くの男性が抱えており、佐藤監督自身「父性を探す」をテーマに、本作を撮影した事を語っています。
「楽しさ」を優先する、男性の馬鹿な部分と、「現実」を優先する女性の賢い部分を、丁寧に描いた映画『泣く子はいねぇが』。
大人になりきれない、全ての大人に、是非鑑賞してほしい作品です。