是枝裕和監督が描く、空虚な心を持った大人の愛の映画『空気人形』
心をもったことで、“せつなさ”を知った人形と、心が空っぽになった人間との交流を描く、第62回カンヌ国際映画祭「ある視点部門」に出品された映画『空気人形』。
主演の韓国人気女優ペ・ドゥナはこの『空気人形』で、第19回日本映画プロフェッショナル大賞、第19回東京スポーツ映画大賞、第24回高崎映画祭などで主演女優賞を受賞しました。
演出はカンヌ国際映画祭の常連ともいえる是枝裕和。2004年コンペンション部門に『誰も知らない』を出品し、2018年『万引き家族』にて第71回カンヌ国際映画祭のパルムドール賞を受賞の実力者。
今の時代は人間関係が希薄になり、誰も他人に関心が及ばないためか、孤独から心が虚しくなり、どこにも希望が見いだせずに、いとしさやせつなさも忘れた人が多く存在します。
そして、空っぽになった心を満たすため、人は何かを求めます。それは、“心”をもたない人形も同じでした。
映画『空気人形』の作品情報
(C)業田良家/小学館/2009「空気人形」製作委員会
【公開】
2009年(日本映画)
【原作】
業田良家
【監督/脚本】
是枝裕和
【キャスト】
ペ・ドゥナ、ARATA、板尾創路、高橋昌也、余貴美子、岩松了、星野真里、丸山智己、奈良木未羽、柄本佑、寺島進、山中崇、ペ・ジョンミョン、桜井聖、オダギリジョー、富司純子
【作品概要】
原作は漫画家の業田良家が、短編漫画として1998年~2002年に、ビッグコミックに掲載した11編の短編漫画を、「ゴーダ哲学堂」(小学館)として、出版されその中の同名漫画『空気人形』です。
出演者のARATA(井浦新)、映画監督や俳優としても活躍する、お笑い芸人130Rの板尾創路が、主人公の心の機微を左右する“男”として、対称的な役を好演。物語は東京ウォーターフロントの高層マンション群を対岸に見る、下町の寂れた街の古いアパートから始まります。
そのアパートで独り暮らしをする、うだつの上がらない中年男と“のぞみ”と名付けられた空気人形が、空っぽな心を「代用品」で補いながら、健気にくらす人々とすれ違い、交流していくストーリーです。
映画『空気人形』のあらすじとネタバレ
(C)業田良家/小学館/2009「空気人形」製作委員会
「ただいまぁ!」木造トタン屋根の古いアパートに、1人の中年男が帰ってきます。その男は秀雄といい、職場での愚痴や文句を、しきりに誰かにしゃべっていました。
秀雄が話しかけていた相手は、メイド服を着た若い女の子の人形で、秀雄は“のぞみ”と名前をつけて、ケーキとコーヒーを出して、人間の恋人のように話しかけています。
秀雄は恋人を抱くようにのぞみを抱き朝を迎えると、いつも通り仕事に行く支度をします。ところがその日は何かが違っていました。外の風が窓辺の風鈴の音を鳴らすと、のぞみは瞬きをします。
するとのぞみは秀雄が着替えをして、あいさつの練習をする姿が見えるようになっていました。秀雄はのぞみにキスをし、「今日もキレイや。じゃあ、いってくるわ!」と、出かけました。
残されたのぞみは自分の体を動かせるようになり、ベッドから出て立ち上がり、窓辺に立つと、軒先から滴り落ちる雨の雫を指で触ると、「キレイ」と、つぶやきます。
のぞみは秀雄の服を着たり、秀雄がのぞみに買った衣装をとっかえひっかえ着替えます。最終的に昨夜着ていたメイド服に着替えて、窓辺に座り外を眺めていました。
そして、のぞみは外に出てみることにします。おぼつかない足取りで階段を降りて、外に出ると最初に出会ったのは、小学校に向かう女の子とそのお父さんです。
女の子がお父さんに「いってきまーす」というと、のぞみも真似をします。
ゴミ袋を集積所に置いて出かける人達、ゴミ収集車がやってきて作業員が、燃えるゴミ、燃えないゴミと言って仕分けするのを、興味深く眺めていると、身ぎれいにした老女が「ご苦労様」と、作業員に声をかけ別の方へ向かって歩いて行きます。
老女は町工場の人達に「ご苦労様」と、会釈をしながら決った道を日課のようにして巡り、交番へ立ち寄るとおまわりさんを相手に、メモ書きしたニュースネタを話します。
おまわりさんが「その犯人ならもう捕まったよ。犯人は浪人生・・・動機は交際に反対されたからだって」と、話し相手になっています。
のぞみは園児のお散歩の列に出くわします。歌を唄いながら整列して歩く姿に、のぞみも笑顔になってついて行きます。そして、園児の一人がのぞみに手をのばすと手をつなぎますが、「冷たい!」と園児は手を離してしまいました。
夕方になってのぞみは秀雄のアパートを探しているときに、ネオンでキレイに光る、“シネマサーカス”という、レンタルDVD・ビデオショップの前にたどり着きました。
好奇心旺盛なのぞみは、店内へと吸い込まれるように入っていきます。そして、よくわからないけれども、たくさんのDVDケースとパッケージ写真を見て、楽しい気持ちになっていました。
(C)業田良家/小学館/2009「空気人形」製作委員会
のぞみが店内を見て周りレジの前に出ると、レジに立っていた若い男性が「何かお探しですか?」と声をかけ、のぞみはその男性の顔をみると、しばし呆然としてしまいます。
その夜、秀雄はのぞみを車椅子に乗せて、散歩をしに公園へ出かけます。公園のベンチに座らせて、ホット缶コーヒーを持たせて、のぞみの手を温めるとその手をにぎり、キスをしようとします。
ところがそのキスを避けるように、のぞみの体が動きうまくキスができません。のぞみは「私は心を持ってしまいました。持ってはいけない心を持ってしまいました」と、心でつぶやきます。
のぞみは“サークルシネマ”で、アルバイトをすることにしました。店員の純一から映画について教わります。店長の鮫洲は「映画を観たことがないの?」と聞きました。
そして、のぞみの持っているDVDを見て、「そんなの“代用品”、やっぱり映画館で観ないと」と、言います。
シーズンはクリスマス間近です。クリスマス用のディスプレーを出していると、中年のOLが携帯で話しながら、通りすぎます。
「大丈夫、大丈夫。部長の言った事なんて気にしなくていいからね。私はあなたのことをちっともそんな風に思っていないから、安心して」
OLは同僚の愚痴を聞いて慰めてあげていました。のぞみはそのOLの足を見て驚きます。自分のふくらはぎに付いてる、継ぎ目がOLのふくらはぎにも付いていて、自分と同じ人形だと思ったからです。
のぞみが返却されたDVDを戻していると、かがんだのぞみのスカートの中を覗き込む若者がいます。
鮫洲はのぞみに「クリスマスはどうしてるの?彼氏と一緒?」と、親指を立てます。のぞみも真似をし黙っていると「好きな男、いるんでしょ?」と聞かれて、純一の姿を目で追いながら「い、いいえ」と答えます。
のぞみは「私は嘘をつきました。心を持ったので嘘をつきました」と、心でつぶやきました。それから自分の体中にある、継ぎ目のことが気になりだします。
帰り道はその日に覚えた映画タイトルと、特徴をおさらいします。家の近くまで来ると、ゴミ捨て場に1個のリンゴが落ちていて、のぞみは不思議に思います。
近くのマンションに住んでいる摂食障害の女性が、リンゴ農園を営む親から帰ってくるよう電話で言われていました。
その晩、秀雄はのぞみのためにいつもより、“100円”高いシャンプーを買って、髪の毛を洗い、「おまえは歳をとらなくてええなぁ。俺はいつまでおまえとエッチできるやろ」と言い、ホームプラネタリウムを天井に映し出し、星座の説明をします。
そして、その晩ものぞみを抱きます。そして、のぞみは自分の本当の役割が「私は“空気人形”、性欲処理の代用品」だと知りました。
以下、『空気人形』ネタバレ・結末の記載がございます。『空気人形』をまだご覧になっていない方、ストーリーのラストを知りたくない方はご注意ください。
(C)業田良家/小学館/2009「空気人形」製作委員会
のぞみは時間があると街に出て、いろいろ学びます。メイクの無料体験で、体の継ぎ目を目立たなくする術を知り、コンシーラーの試供品をもらいます。
そして洋品店で靴を見たり、メイド服ではない普通の服を試着したり、好きな服を買いおしゃれにも目覚めます。純一に「空には何があるの?」と聞いて、空は夜には月や星が出て、今は透明で見えないけどあるんだと、教わります。
店内のテレビで海の映像を観ると「これが海?」と聞き、見たことがないと言うと、純一はのぞみを人口の浜辺へ連れて行きました。
“歳をとるってどういうこと?”と聞くと、年老いてだんだん死に近づくこと。“死?”命を失うこと。純一は人口の浜辺で磯の香りを嗅ぎながら、子供の頃を思い出すと言いました。
のぞみも真似をして磯の香りを嗅ぎ「私も思い出す」と言いますが、のぞみには何もありません。
のぞみと純一はレストランに入りますが、のぞみは食事も食べずにスケッチをしています。隣りの席にはあの近所の小学生親子が座っていて、のぞみは女の子の顔を描いていました。
女の子は人形の髪をフォークでといて、父親に注意されますが、「アリエルがこうしてたもん」と言います。父親はアリエルを知ってるふりをしますが、女の子はママと観たんだからパパは知らないと見抜かれます。
女の子の名前は“萌(もえ)”といいました。その日は萌の誕生日で、父親は、バースデーケーキのサプライズを用意していました。店内にバースデーソングが流れると、のぞみは純一に聞きます。
「“誕生日”、彼女がこの世界に生まれてきた記念の日」と教え、萌がキャンドルの火を吹き消すと、のぞみは「誕生日、誰にでもあるの?」と、人には誕生日があることと、誕生日の意味を知りました。
のぞみは野に咲く花の名前を聞きます。花が終わり綿毛になる前のタンポポを純一は、“枯れてる”と言います。のぞみは可哀そうと言いますが、純一は「いつかは死なないと、世界は生き物であふれちゃうから」と、答えます。
そして、街灯で照らされる道にできた、2人の影を見てのぞみは焦ります。のぞみの影は中身が空っぽのため、薄く透けているからです。
純一はのぞみがなんの知識もないことに疑問を持たず、「他にはどんなことが知りたい?」と優しく尋ねます。のぞみは1人帰りのバスの中で「もっと、あなたのことが」とつぶやきました。
のぞみは家に帰ると浜辺で拾ったラムネの瓶を押し入れに隠そうとして、自分が入っていた箱を見つけ出します。
“キャンディー、5980円”と書かれていました。のぞみは箱の中の匂いを嗅ぎます。そして、「私は空気人形・・・型遅れの安物です」と、自分の出生を少し知りました。
次の日、のぞみは空気入れのポンプを使って、お腹にある空気入れから自分で空気を入れて、出かける支度をします。
店には、萌の父親が“アリエル”のDVDを探しに来たり、交番のおまわりさんがおすすめのハードボイルド映画、スカートの中を覗こうとした浪人生がマニアックな映画を訊ねてきます。
のぞみには何が何だかわからず、“役立たず”だと落ち込みます。しかし、店の前をあの中年OLが通りかかると、自分のコンシーラーを彼女に手渡し「これで“線”が消せるから」と言い、満足して店に戻ります。
(C)業田良家/小学館/2009「空気人形」製作委員会
のぞみはアルバイトの帰りに、空地のベンチで老人と出会い、昆虫の“かげろう”を知っているかと訊ねられます。
“かげろう”は卵を産むとすぐに死んでしまう虫。体の中は空っぽで胃袋も腸もないなく、そこは卵だけが詰まっていて、ただ産んで死ぬだけの生き物だと教えます。
「人間も同じようなものだ」というと、のぞみは「私も空っぽなの」と言います。すると老人も「奇遇だね私も空っぽだ」と、答えるとのぞみは「他にもいるのかしら?」と聞きます。
老人は「今時は多いだろうよ。こんな街に住んでる者は皆、そうなってしまう。君だけじゃないよ」と対岸の高層マンション群を眺めて言いました。
老人は更に吉野弘の詩「生命は」を引用して、命の成り立ちを説明してくれます。どんな命でも、自分だけでは完結できず、他者からの仲立ちで成り立っていると悟ります。
レンタル屋の店長は朝食に卵かけご飯を食べ、摂食障害の女性は大量の食料を買い込み、萌の父はスーパーでクリスマスケーキを売り、浪人生はメイドカフェで覚える気もない、単語帳をめくっています。
中年のOLは受付でちやほやされる、若い派遣社員の隣りで不満を溜めて、秀雄はレストランで、何度もオーダー変更する客の対応にあたふたし、未亡人の老女はその夜もニュースになった事件のメモを取り続けていました。
年が明け来店する客も少ない日、のぞみと純一は2人で店内のディスプレーを交換していました。
ところがのぞみは誤って脚立から落ちそうになり、什器の角で腕に穴を開けてしまいます。のぞみの体からたちまち空気が抜け始め、その場でしぼんでいきます。
のぞみの叫び声で駆けつけた純一はその姿に驚き、のぞみは「見ないで」と言うのが精一杯でした。
純一は急いでセロハンテープで穴を塞ぎます。そして、「空気・・・栓はどこなの?」と聞きます。のぞみは弱々しく「お腹・・・」と言い、純一は「ゴメン」とスカートをめくります。
のぞみはもう一度「見ないで」と哀願しますが、純一は栓をあけて口で空気を吹き込みます。
のぞみの体は純一の息で満たされ、体を起こし息切れをする純一の体に抱きつくと「しばらくこのままで」と言うと、2人は抱き合いました。
帰り道、月明りに自分の手をかざすと、透けてみえる中には純一の吹き込んだ息が漂っていて、のぞみはそれを愛おし気にみつめます。
そして次の日、のぞみは空気入れのポンプを捨てました。のぞみの心は幸せな気持ちでいっぱいになり、それは宙に舞うほどの喜びでした。
幸せな気持ちのまま街を散策し、透明でキラキラするものを探し、のぞみはアルバイトに行きます。
純一に「ビックリしたでしょ?」と聞き純一は「うん・・・でも、」と言いかけると、のぞみは「でも、他にもたくさんいるんでしょ?そう言った人がいたの」「僕もそうだよ・・・同じようなものだ」と、純一は言いました。
のぞみは純一に初めて映画館へ連れて行ってもらいます。のぞみは映画を楽しむよりも、純一と一緒にいることに楽しさを感じます。
浮かれているのぞみは映画館を出ると、暗くなった夜空を見上げ、秀雄の口真似をしながら、星座の説明をし始めます。すると純一は聞きます。
「どこで関西弁覚えたの?」のぞみはすぐには答えられず、とっさに「映画を観たの」と誤魔化しました。
その晩からのぞみは秀雄を避けるようになり、自分でシャワーを浴びて念入りに体を洗いました。
のぞみが初めて純一のマンションに行った時、部屋の中を詮索していると、写真の束を見つけます。女性の写真とその女性と一緒に写った写真でした。
その時、純一から店でおきた時の気分を聞かれます。“息を吹き込まれた時?”と聞くと、純一は「抜けた時・・・苦しかった?」と言います。
のぞみは写真をそっと元の場所に戻しながら「うん。苦しかった」と答えます。「心を持つということは、せつないことでした」。のぞみがせつなさを覚えた日でした。
街の孤独な住民たちの日常もせつなさでいっぱいです。
中年のOLが同僚の相談にのっていた携帯のやりとりは、自作自演でした。家で愚痴を言い、自分が吹き込んだ録音メッセージを再生していました。
独居の老女は交番のおまわりさんに話し相手になってもらうため、ニュースのネタを持って出かけています。
のぞみは物置に隠れるようになり、秀雄は部屋の中を捜しまわります。萌の大切なおしゃべり人形は壊れ、浪人生はフィギア人形のスカートの中を覗き、摂食障害の女性は食べては吐き、レンタル屋の鮫洲は卵かけご飯の卵に、殻が残り苛立っていました。
秀雄がのぞみに仕事の愚痴を言っていたことは、全部自分の失敗のことで店から「おまえの代わりなんていくらでもいる」と、叱責されていました。
そして、とうとう秀雄がアダルトビデオを借りに、レンタル屋に来てしまいます。のぞみは気づきますが、貸し出しの受付をしても、お互い顔を伏せていて、秀雄は気づきません。
ところが鮫洲は秀雄の顔を覚えていて、のぞみと公園にいたところも見ていました。鮫洲はのぞみが純一に好意を寄せていると知った上で、秀雄のことを黙って欲しければと、体の関係を迫りました。
のぞみは言われるがまま、されるがままになるしかありませんでした。
そして、ある晩のぞみが物置で隠れていると、秀雄が誰かと会話をして、バースデーソングで「ハッピバースデーディア、“のぞみ”」と歌う声も聞こえてきました。
しばらくするとまた秀雄が“のぞみ”という声が聞こえてきます。その様子を聞いていたのぞみは、とうとう物置から出て階段を上っていき、部屋の電気を付けました。
ベッドには新しいロマンスドールと、それを抱く秀雄がいました。のぞみを見て仰天する秀雄にのぞみは、“心をもってしまい、こうなった”と話します。
そして、「私のどこが好きになったの?」と聞きます。何も答える事の出来ない秀雄に、「“のぞみ”という名前も昔の彼女の名前じゃない。その人の代用品なのよね?」と、たたみかけます。
秀雄は「元の人形に戻ってくれへんか?めんどくさいんや・・・こういうのがめんどくさいから、人形がよかったんや」
ショックをうけたのぞみは、外へ出て行ってしまいました。秀雄はあとを追いかけてのぞみを探しますが、秀雄と会うのはその日が最後となりました。
次の日、のぞみは病で伏せている空地で会った老人に、薬を飲ませます。老人は昔、犬を飼い高校の代用教員をしていました。
のぞみが「代用品」とつぶやくと「そうだよ。ずっと空っぽな代用品」と、老人は言いながらのぞみに、額を触ってほしいと頼みます。
手の冷たいのぞみは、熱のある老人の額を冷やすことができました。老人はのぞみに「手の冷たい人は、心が温かいんだよ」と言うと、のぞみは嬉しそうに微笑みます。
(C)業田良家/小学館/2009「空気人形」製作委員会
それからのぞみは、自分が入っていた箱に記載してあった、製造元「ソノダ製作所」の住所を頼りに、自分の生まれた場所に行きます。
製作所の中に入ると女性の裸体を模した人形が、何体もありました。しばらくすると、人形師のソノダが現れますが、のぞみを見るとなぜか「おかえり」と言い、のぞみは「ただいま」と答えます。
のぞみはソノダに、どうして心をもったのか聞きます。その理由は制作者でもわからないと答え、「人間を作った神様だってわからないと思う」と言います。
そして「心なんて持たない方がよかった?」と訊ねると、「わからない、でも、苦しい」と返しました。
ソノダはのぞみに使い古されて戻ってきた、のぞみと同じ型の人形たちを見せ、「どんなふうに扱われてきたか、顔の表情でわかるんだ。だから、人形にも心はあると思う」と話します。
人形たちは年に一度、“燃えないゴミ”として処分されると知ります。ソノダは、人間も死んでしまえば、燃やされるから燃えるゴミと一緒だと言います。
別れ際にソノダは「君の見てきた世界には、美しいものはあったかな?」と聞くと、のぞみは頷き、「私を生んでくれてありがとう」と言って、製作所をあとにしました。
のぞみは純一に「私はだれかの代わりでもいいの。そのために生まれてきたんだから」と話します。でも、純一は「君がだれかの代わりなんてことはない」と言います。
そして、のぞみが自分にできる事なら、なんでもしてあげるというと、「他の人には頼めないけど、君になら・・・」と、のぞみに頼んだのは、“空気を抜きたい”ということでした。
純一は「大丈夫、また僕が吹き込んであげるから」と言い、何度も空気を抜いては吹き込んでを繰り返しました。
純一は疲れて眠りにつきますが、閉じたまぶたから涙が流れていました。ひとみはそれを拭うとおもむろに、自分の腕に開いた穴をふさぐセロテープをみつめます。
のぞみはダイニングへいくと、セロテープを持ってきて、純一のお腹の辺りを何かで切り、切り口にセロテープを貼ります。
純一は目を覚ましますが、のぞみの奇行に動揺もせず、むしろ痛みに耐えているようでした。のぞみは「ねぇ、栓はどこ?」と無邪気に聞きますが、純一は答えません。
傷から流れる血液は止まらず、のぞみはもう一度セロテープを貼り、今度は口から息を吹き込みます。何度も何度も吹き込みますが、とうとう純一は息絶えてしまいました。
「私の息は純一に吹き込めませんでした」のぞみは純一を半透明のゴミ袋に入れて、ゴミ収集所に置き、自分の街に帰ります。早朝の街は静かで、人は誰もいません。
街なかをさまよいながら、秀雄とよく来た公園のベンチでのぞみの集めた、キラキラして美しいものを広げて夜をあかします。
「私は心をもってしまいました」のぞみは、“燃えないゴミの日”のゴミ集積所に、ゴミの袋にもたれて座っていました。街はいつもの日常が始まり、そこにいるのぞみのことに誰も気をとめません。
動かなくなったのぞみは、倒れて横たわります。目の前にはタンポポの綿毛があります。のぞみは夢をみます。
人間になったのぞみが、純一と行ったレストランで食事をし、知り合った人たちからバースデーを祝ってもらう夢です。
秀雄がバースデーケーキを持ってきて、純一はキャンドルの火を吹き消すよう促します。のぞみは嬉しくて涙が止まりません。
キャンドルの火に息を吹き火を消すと、目の前に見えたタンポポの綿毛を飛ばしていました。風は綿毛を出会った人たちのところに運びます。
ただ、のぞみは摂食障害の女性には会っていません。
でも、その朝の彼女は部屋の窓を開けて、階下を見下ろしてつぶやきます「キレイ」と。
彼女の部屋からはゴミ集積所が見えて、キレイな色の空きビンと、たくさんのリンゴに囲まれた、のぞみの姿がキラキラと風に揺れて見えたからです。
映画『空気人形』の感想と評価
(C)業田良家/小学館/2009「空気人形」製作委員会
本作はどことなく、子供の頃に読んだ童話の「ピノキオ」にも、似ていますし、「人魚姫」や「白雪姫」に通じる部分もあります。
ピノキオは人間の子供を望んだおじいさんが、木の操り人形を造り、女神の魔法で自由に動けるようになると、さまざまな経験をしながら心を育むお話でした。
本作では“のぞみ”がなぜ、心を持つようになったのかは、語られません。そこに疑問を抱くのではなく、心を失くした人間が、心を取り戻すまでの過程を、空気人形“のぞみ”の姿を借りて描いた作品と言えるからです。
のぞみはピノキオのように、持ち主から“本物の人間”になることを望まれていません。半ば強引に心を持たされ、知らなくてもよかった“せつなさ”を感じていきました。
のぞみの最期は寂しさそのものでしたが、その最期の姿を見て「キレイ」と言った摂食障害の彼女に、何か“のぞみ”が残る様子で救われる思いがしました。
それはソノダが「どんな風に扱われてきたか、戻ってきた時の表情でわかる」と、言った通り、のぞみは秀雄から大事にされ、純一に恋をして、キレイなものも見てきた証でもあるからです。
そして、摂食障害の女性が“のぞみ”の蘇生した人間の姿として例えるなら、彼女はきっと病を克服し生き続けてくれると希望を残します。
純一の孤独
本作に出てくるその他の登場人物は、何かしらの事情で孤独な状況でした。そのどれもが架空などではなく、どこにでもいる普通の人々でありうる孤独ばかりです。
みな満たされない空っぽな心を抱え、それをロマンスドールや留守番電話、フィギア、映画、ニュースネタ、食べ物などを“代用品”にして、かりそめで満たしながら、強がって生きているだけなのです。
なかでも、純一は穏やかで優しい青年でした。しかし、いつも遠くを見つめるような眼をして、寂しげで笑顔は一度もありません。おそらく、のぞみが見つけた写真の中の女性が、亡くなったからでしょう。
純一がのぞみと「同じようなものだ」と言ったのは、心に大きな穴が開いて空っぽになっていたからです。
そんなときにのぞみが現れて、純一にとりとめのない質問を沢山してきました。普通ならなぜこんなことまで知らないのか?と、怪訝に思うことでも純一にとっては、気が紛れたからでしょう。
そして、純一がのぞみに「君が誰かの代わりなんてことはない」と言ったのは、“死んだ彼女の代わりになんてなれない”という意味もあったと考えられます。
「のぞみにしか頼めないこと」とは?
純一は自ら死ぬ道を探していたように見えます。生きていることへの意味を見いだせていませんから。タンポポが綿毛になって、次の命に繋がることをのぞみに教えませんでした。
のぞみの空気を抜いては空気を吹き込むことで、苦しんで死んだ恋人を蘇生させられなかった後悔や、彼女ものぞみのように、蘇らせることができたなら・・・と、思っていたようにも見れます。
純一がのぞみにお腹を切られることを想定していたかは、疑問が残るものの、激しく抵抗するわけでもなく、動けそうなのに何もしないまま絶命したのは、自分や他人の手を使わず、死ねる方法を漠然と見つけた結果、のぞみが思った通りに行動してくれたからでしょう。
「のぞみにしか頼めないこと」の言葉の裏には、そういう意味もあったのだろう
と思われます。
まとめ
(C)業田良家/小学館/2009「空気人形」製作委員会
のぞみは“自分の役割”を模索しながら、現実を突きつけられ、苦しみ傷ついていきます。
いつしか、のぞみは人間になることを望んだのだと思います。そう願いながら“空気人形”としての役割を終えます。
この作品はピノキオのように最後は人間になって、幸せに暮せる結末ではありません。
また、のぞみが海の底に沈んでいくシーンがありますが、その姿は、王子(純一)に愛されなかった人魚姫が、泡になっていくようにも見えました。
のぞみはそれでも、たんぽぽの綿毛になって、孤独な人たちを結びつけていきます。
映画『空気人形』は無関心な人間関係が、人を孤独にし、寂しさを代用品で埋めようとすればするほど、孤独の深みにはまり、抜け出せないことを示唆した作品です。
そして、空っぽになった心は人の愛でしか埋まらないのだと伝える、大人のための寓話だったのです。