映画『ホテルローヤル』は2020年11月13日(金)より全国順次公開!
桜木紫乃が直木賞を受賞した同名小説を原作に、『百円の恋』『銃』などで知られる武正晴監督が映画化した『ホテルローヤル』。女優・波瑠が演じる主人公を中心に、とあるラブホテルに訪れる人々の人間模様と時代の移り変わりを描いた作品です。
映画の劇場公開を記念し、本作を手がけた武正晴監督にインタビュー。
小説を読み進めていく中で実感した原作者・桜木さんの作家/人間としてのとしての魅力、映画の作中で描こうとした「積極的逃避」という人生の在り方など、貴重なお話を伺いました。
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原作者・桜木紫乃の「肉」と「骨」を見つめる
──本作の原作にあたる桜木紫乃さんの小説『ホテルローヤル』を読まれた際、特にどのようなものを武監督は作品から感じ取ったのでしょうか?
武正晴監督(以下、武):やはり、小説を書かれた桜木さんの存在ですね。『ホテルローヤル』は桜木さんの実家でもあったラブホテルでのご自身の実体験を「物語」として再構築していった短編の連作集なわけですが、その文中には「書き手の視点」が存在しているため、読んでいても「この箇所は桜木さんの実体験なのだろう」「桜木さん本人がそこにいる」と気づく場面があるんです。直木賞を受賞したのも、桜木さんの切実な心情が文中に込められているからこそだと感じてます。
何かをクリエイトするという行為には、やはり自分自身の肉と骨を切り削いでいくことが不可欠です。僕が長い間携わってきた映画に関しても、メディアとしてのその性質も相まって、作り手自身の恥ずかしい部分や見せたくない部分を見せなくてはいけないという側面があります。
そして小説に関しても、その文章を通じて、桜木さんがご自身のどの肉や骨を切り削いでいるのかを見つめていくと、彼女がどのような作家なのかを想像できるんです。例えば桜木さんの小説はどの作品でも、『ホテルローヤル』と同じように「北海道の釧路」という場所が登場する。そしてその風景が、釧路を知らないはずの人間でも手に取るように把握できる程、詳細に描写されているし読み手にも伝わってくる。「北海道に生きる人々はこんな思いを抱いているのか」「ここまで厳しい人生を送っていくのか」と、北海道以外の場所で生きてきた僕たちでは窺い知れない、あらゆることに気づかされる。その上で「エンターテインメント」としても読み手を楽しませてくれるんです。
また時には、「北海道と東京を行き来する作家」として桜木さんご本人らしき人物が登場することもある。『ホテルローヤル』をはじめ、彼女が発表した小説をかたっぱしから読んでいく中で、桜木さんの書く小説の面白さ、そして桜木さんご本人の面白さを実感できたんです。
感謝なくしては語れない映画の完成
──桜木さんの「作家性」ともいうべきものを実感された上で、映画化を進められていったわけですね。
武:映画化を進めていく過程でも、桜木さんご自身の魅力や作家性、彼女がこれまでの作品で描き続けてきた世界観をどうすれば映画の中に盛り込んでいけるのかを常に考えていました。小説の舞台であり、桜木さんの故郷でもある北海道の釧路で撮ればいいんじゃないか。いっそのこと、桜木の実家でもあったホテルローヤルが実際に立っていた場所で撮ればいいんじゃないか。そうやって、ある意味ではドキュメンタリー的に撮影を進めていったわけです。
また、桜木さんのような物静かさを持ちつつも「厳しさ」を演じられる女優さんとして、波瑠さんを桜木さん自身を投影した主人公の雅代役に据えることで、雅代に「桜木さん」が乗り移るのではとも考えていました。
そもそも今回の現場はキャストもスタッフも、桜木さんが書かれた小説に惚れ込んだから、「北海道や今はなきホテルローヤルに行ってみたい」と思ったからこそ集まってくれた方ばかりです。また北海道での撮影では、現地で暮らす方たちに助けてもらう場面が多々ありましたし、何よりもホテルローヤルがかつてあった場所に立つラブホテルを撮影に貸してくださった方たちはとても寛容に対応してくれました。そうした数え切れないほどの人々の力がなければ、今回の映画を作ることはできませんでした。
「積極的逃避」という覚悟
──作中終盤で描かれる雅代がホテルローヤルと「自分自身の人生」のために考えた選択は、時代や場所、男女を問わず必要な物事の捉え方であるとも感じられました。
武:世の中には「実家の跡を継ぐために生まれてきた」「誰かの親になるために生まれてきた」「誰かの恋人になるために生まれてきた」「誰かに出会うために生まれてきた」なんてセリフをいまだに吐く人間が男女問わずいますが、「そんな人間いるわけないだろう」と僕は思うんです。その意見は現在の社会では「極論」と批判されたり、「大きなお世話」と受け取られるかもしれませんが、映画ではそれを社会に向けて投げかけることができるわけです。
僕は雅代を桜木さんご本人だと感じながら『ホテルローヤル』の映画化を進めていましたが、桜木さんは「ラブホテル経営で一生を費やす」という選択をとらなかったことで、「作家」になろうと思うことができた。僕はその「逃げ」を、かつて川島雄三監督が語っていた「積極的逃避」だと捉えているんです。僕自身もあの日田舎から逃げなかったら、現在まで映画を作り続けることはできませんでした。「積極的逃避」の先に「映画作り」があったんです。
「何かから逃げてでも、何かを捨ててでもやりたいことはないのか」という問い。その問いを踏まえた上で「もっと逃げろ」「もっと逃げるんだ」と後押ししたかった。結末の描写でもその思いが込められています。物語の中心である「ラブホテルの一室」に雅代たちを閉じ込め続けた後、最後の最後に釧路の広大で素晴らしい風景を映し出す。「空も大地も海も広がっているのだから、どこへでも行くことができる」「どこへでも逃げられるんだ」と画家になりたがっていた雅代に伝えかったわけです。
他にも、雅代がホテルを後にする際に自分がそれまでに描いてきた絵をポンと捨てる場面がありますよね。そこには「今まで描いていた絵はいらない」「これから新しい絵を描いていくんだ」という彼女自身の意志があります。いつまでも同じ絵を完成させずにグチャグチャと描き続けているよりも、真っ白なキャンバスで新たな絵を描き始めた方がいい。そもそも、描こうとしていた風景自体がもうなくなってしまっているわけですから。
その一方で、「夢の跡」であるホテルローヤルから離れていく雅代が「そこに両親がいた」ということだけは忘れてほしくないとも考えていました。様々な感情を抱いてはいるかもしれないけれど、それでも感謝は忘れてほしくなかった。そうでなくては、雅代の行動は「積極的逃避」ではないただの「逃げ」になってしまうからです。
過去の時間が再び訪れる「原風景」
──映画のラストシーンで展開された「時間」の演出にも驚かされました。
武:あのラストシーンは、やはり小説を読んだ際に映画として描くべきだと感じた廃墟となったホテルとホテルの開店で灯りが点く看板をどう繋げるかを考えた結果ではあります。映画版の主人公として雅代を据え、彼女の高校生時代からホテルを後にするまでを描きつつも、現在の時間としての「廃墟」と過去の時間としての「看板」をどう交差させるのか。それは小説では描くことのできない、むしろ描く必要のない部分ではありますが、映画として表現する以上そこを描くことは避けられなかったわけです。
またあのラストシーンで映し出されている道は、小説にも登場しているだけでなく、かつてあの場所に暮らしていた桜木さんにとっての「原風景」でもあるんです。ある意味では「原風景小説」でもある『ホテルローヤル』にとって、過去の時間が再び訪れる場所はあそこしかないと感じられたんです。
今思うと、あのラストシーンの演出はテオ・アンゲロプロス監督の『旅芸人の記録』(1975)の世界そのものなんです。高校の時に観たんですが、あまりの衝撃でひっくり返ったんです。旅芸人が一本の道を歩いていくうちに時代そのものが転換してしまう。「映画は何をやったっていいんだ」と感じさせてくれた作品の一本であり、僕はああいう映画が大好きなんです。
作り手として在り続ける覚悟
──作中では、先ほど武監督が語られた「積極的逃避」という覚悟の選択と同時に、避けようがなく訪れる「残酷さ」もまた描かれています。
武:桜木さんはかつて自分の周囲に存在していた人々や風景を描くだけでなく、「現在の自分はそこにいない」という厳しさも小説で描いていることがやはり伝わってくるんです。それは今回の『ホテルローヤル』もまた同様です。
中でも病室で雅代が父親と面会する場面は、言い換えれば「自身の父親を捨てる瞬間」を描いた場面でもある。それは非常に厳しく残酷な光景であり、「親という存在を精神的に殺さなくてはならない」という多くの作り手に共通する思いがヒシヒシと伝わってくるんです。実際、その場面の撮影時にはたまたま桜木さんが立ち会ったんですが、涙が止まらなかったそうです。小説でもその場面は克明に描写されていましたし、小説というフィクションだからこそ描き切れた光景が「映画の撮影」という現実として目の前に現れたわけですから、ある意味では当然のことなのかもしれません。
もちろん、本当に親を殺してしまうわけではありません。ですが、そう思わざるを得ない理由には、「親兄弟、そして故郷を捨ててでも何かを成し遂げなくてはならない」という作り手たちにとっての「任侠」の世界がある。詩や演劇、映画とあらゆる創作の中で親を殺そうとした寺山修司をはじめ、「親殺し」は国や時代を問わず、あらゆる作り手たちが試みてきたことです。ただここで重要なのは、その「親殺し」には確かな感謝が存在するんです。感謝をしながらも作品という足跡を残していく。だからこそ創作という行為はこれまで続いてきたし、同時に残酷さも生まれるんだと思います。
考えてみると、僕がやり続けていることは少し遅れてきた「天井桟敷」なのかもしれません。実際、僕は高校生の時に寺山修司の「家出のすすめ」や「書を捨てよ町へ出よう」を読み、かなり影響受けました。次回作にあたる『アンダードッグ』でボクシングを題材にしたのも、寺山の影響なのかもしれません。
ただ、寺山たちの作品を初めて読んだ時に「なるほどな」と納得することができたんです。「どうにもならない」「どうしようもない」と悩み続けていた15・16歳の頃に抱えていた、学校の先生や大人たちに尋ねても誰も答えてくれやしなかった問いの答えがそこにあった。だからこそ、その答えの「実践」を映画でやってみたいと思えた。「積極的逃避」という考え方もその「答え」の一部です。
「いつか逃げてやる」と考えているけれど、行動に移せずにいる人々を後押ししたい。「嫌なところ」から「自分が生きられるところ」へと逃げようとする人々の応援歌を作りたい。今回の『ホテルローヤル』だけでなく、映画を撮る際にはいつもそう思っていますし、今後もそういった映画をたくさん撮っていきたいと考えています。
インタビュー/出町光識
構成/河合のび
撮影/田中舘裕介
武正晴監督プロフィール
1967年生まれ、愛知県出身。2006年に短編映画『夏美のなつ いちばんきれいな夕日』を発表後、翌年2007年に『ボーイ・ミーツ・プサン』で長編映画デビュー。
2014年の『百円の恋』では、日本アカデミー賞をはじめ数々の映画賞受賞により話題を集め、第88回アカデミー賞外国語映画賞の日本代表作品としてもエントリーされるなど大きな反響を呼んだ。また2019年は、総監督を務めたNetflixオリジナルドラマ作品『全裸監督』がブームとなり、2021年に配信予定の同作の第2シーズンにも期待が寄せられている。
2020年には『銃』の続編的作品にあたる『銃2020』の他、『ホテルローヤル』公開後の11月27日に『アンダードッグ』の劇場公開を控えている。
映画『ホテルローヤル』の作品情報
【公開】
2020年(日本映画)
【原作】
桜木紫乃『ホテルローヤル』
【監督】
武正晴
【脚本】
清水友佳子
【キャスト】
波瑠、松山ケンイチ、余貴美子、原扶貴子、伊藤沙莉、岡山天音、夏川結衣/安田顕 ほか
【作品概要】
桜木紫乃の直木賞を受賞したベストセラー小説『ホテルローヤル』を映画化。監督は『百円の恋』『銃』やNetflixドラマ「全裸監督」など多数の話題作を手がけてきた武正晴。
キャストには主人公・雅代役を務めた波瑠をはじめ、松山ケンイチ、安田顕、余貴美子、原扶貴子、夏川結衣、伊藤沙莉、岡山天音など実力派俳優陣が名前を連ねている。
映画『ホテルローヤル』のあらすじ
北海道、釧路湿原を望む高台のラブホテル。雅代は美大受験に失敗し、居心地の悪さを感じながら、家業であるホテルを手伝うことに。
アダルトグッズ会社の営業・宮川への恋心を秘めつつ黙々と仕事をこなす日々。甲斐性のない父・大吉に代わり半ば諦めるように継いだホテルには、「非日常」を求めて様々な人が訪れる。
投稿ヌード写真の撮影をするカップル、子育てと親の介護に追われる夫婦、行き場を失った女子高生と妻に裏切られた高校教師。
そんな中、一室で心中事件が起こり、ホテルはマスコミの標的に。さらに大吉が病に倒れ、雅代はホテルと、そして「自分の人生」に初めて向き合っていく……。