連載コラム『だからドキュメンタリー映画は面白い』第56回
全世界に衝撃を与えた暗殺事件に隠された悲劇
今回取り上げるのは、2020年10月10日(土)よりシアター・イメージフォーラム、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開の『わたしは金正男を殺してない』。
2017年にマレーシアのクアラルンプール国際空港で起こった、北朝鮮の朝鮮労働党委員長・金正恩(キム・ジョンウン)の異母兄・金正男(キム・ジョンナム)暗殺事件に隠された闇と真相に迫ります。
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映画『わたしは金正男を殺してない』の作品情報
【日本公開】
2020年(アメリカ映画)
【原題】
Assassins
【製作・監督】
ライアン・ホワイト
【製作】
ジェシカ・ハーグレーブ
【製作総指揮】
ダグ・ボック・クラーク、ダン・コーガン、ジェラリン・ホワイト・ドレイファス
【撮影】
ジョン・ベナム
【編集】
ヘレン・カーンズ
【作品概要】
2017年にマレーシアのクアラルンプール国際空港で起こった、金正男暗殺事件の闇と真相に迫ったドキュメンタリー。
監督は、アメリカで最も有名なセックス・セラピストに密着した『おしえて!ドクター・ルース』(2019)、聖職者による性犯罪の闇に切り込んだNetflixオリジナル・シリーズ「キーパーズ」(2017)で絶賛された気鋭のドキュメンタリー作家ライアン・ホワイト。
監督自ら、クアラルンプール、インドネシア、ベトナムで取材を敢行し、容疑者とされた2人の女性の過酷な現実や、驚愕の暗殺計画の全貌を解き明かしていきます。
製作国アメリカに先駆け、日本が世界最速公開となります。
映画『わたしは金正男を殺してない』のあらすじ
2017年2月13日、大勢の利用者で賑わうマレーシア・クアラルンプール国際空港の出発ロビーで、北朝鮮の最高指導者、金正恩の異母兄である金正男が殺害される事件が発生。
全世界に衝撃を与えたこの事件ですが、さらに衝撃的だったのが、逮捕された容疑者が“暗殺者”のイメージからはあまりにもかけ離れた、若き2人の女性だったことでした。
彼女たちはプロの暗殺者なのか、それとも囮として仕立てられた殺人者なのか?
女性たちの家族や弁護人といった関係者たちの証言や、工作員とのSNSでのやり取りを交えつつ、謎のベールに覆われた事件の真相に迫ります。
全世界に拡散された暗殺事件
2017年2月13日、午前9時のクアラルンプール国際空港。
自動チェックイン機の列に並んでいた1人の恰幅の良い男性に、グレーのシャツを着た1人の女性が話しかけます。
それとほぼ間を置かずして、“L.O.L(爆笑)”とロゴが入ったTシャツ姿の別の女性が、背後から男に飛びつきました。
その瞬間、グレーの女性が男の顔に触れたかのように見えたかどうかハッキリと確認する間もなく、女性たちはそれぞれ来た方向と逆に向かい、その場を離れていきます。
その数分後に男は死亡し、彼の正体が北朝鮮の故・金正日(キム・ジョンイル)総書記の長男、金正男だったことが判明。
死亡原因は、顔面から検出された猛毒の神経剤VXでした。
正男と女性たちのやり取りの一部始終を捉えていた空港内の監視カメラの映像は、またたく間にYoutubeなどで世界中に拡散。
ネット社会を象徴する事件として、記憶にとどめることとなったのです。
捨て駒にされた女たち
容疑者として逮捕された2人の女性、インドネシア人のシティ・アイシャとベトナム人のドアン・ティ・フォンは、共に20代で面識も全くありませんでした。
それどころか2人は、自分たちがしたことは、日本のテレビ向けの“イタズラ動画”の撮影に出演したという認識だったのです。
彼女たちは、それぞれ別のルートで、撮影スタッフを騙る暗殺工作員から動画撮影の仕事を受け、イタズラを仕掛ける訓練をしたのち、事件当日に備えました。
ベトナムの小さな農村から上京し、女優を目指しつつ接客やモデルの仕事をしていたドアンと、インドネシアの小さな村で育つも貧しい環境から脱しきれずにシングルマザーとなり、性風俗で日銭を稼ぐ生活を送っていたシティ。
女優として名を馳せたい、田舎の親に仕送りをしたい、それぞれの理由から動画撮影に参加したのに、気づいたら暗殺計画の捨て駒にさせられた女たち。
本作の監督兼プロデューサーであるライアン・ホワイトは、時代の潮流や俗社会に身を置く女性を被写体としたドキュメンタリーを多く手がけてきました。
『愛しのフリーダ』(2013)では、ザ・ビートルズの秘書を務め、時にはスタッフとして、時には母親的存在として彼らを支え続けたフリーダ・ケリーに密着。
『おしえて!ドクター・ルース』では、ホロコーストの生存者にしてアメリカで最も有名なセックスセラピストが辿ってきた、長きにわたる男性社会への抗いを収めています。
本作もまた、図らずも独裁国家の謀略に搾取されてしまった2人の女性の、声なき叫びの記録となっています。
参考動画:『愛しのフリーダ』(2013)
暗闇に包まれた事件に差す一つの光
独裁者の異母兄だった男が、白昼の空港で若き女性に毒殺され、裏で暗躍していたとされる者たちも相次いで消息不明に。
そんな創作サスペンス小説のようなお話が、金正男暗殺事件として現実となったのです。
事件の首謀者と目される北朝鮮のトップの金正恩は、最大の敵国だったアメリカのトランプ大統領との積極外交に応じる一方で、緊張と緩和で韓国に揺さぶりをかけ続けるなど、その動向は依然として掴めません。
真犯人が分からぬまま、完全に闇に葬られる形となった暗殺事件ですが、ドアンとシティへの非難は止むことはありません。
本作プロデューサーのジェシカ・ハーグレーブは言います。
この作品を観た人に、わたしたちはニュースの見出しの先にあるものを知ろうとするべきだ、さらに掘り下げて理解するべきだ、と気づいてもらえたら嬉しい。
ラストで示される彼女たちが得たものこそ、ニュースの見出しの先にあるものであり、本作唯一の“光”なのです。
次回の連載コラム『だからドキュメンタリー映画は面白い』もお楽しみに。
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