SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2020エントリー・ブルーノ・メルル監督作品『フェリチタ!』がオンラインにて映画祭上映
埼玉県・川口市にある映像拠点の一つ、SKIPシティにておこなわれるデジタルシネマの祭典が、2020年も開幕。今年はオンラインによる開催で、第17回を迎えました。
そこで上映された作品の一つが、フランスのブルーノ・メルル監督が手掛けた映画『フェリチタ!』。とあるホームレス一家が遭遇した一つの出来事を描いた、ユーモアあふれる作品です。
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映画『フェリチタ!』の作品情報
【上映】
2020年(フランス映画)
【原題】
Felicità
【監督】
ブルーノ・メルル
【キャスト】
ピオ・マルマイ、リタ・メルル、カミーユ・ラザフォード、オレールサン、アダマ・ニアン
【作品概要】
フランス映画ならではのシュールなユーモアを堪能できる作品。作品を手掛けたブルーノ・メルル監督は初長編『変態ピエロ』(2007)が第46回カンヌ映画祭批評家週間のオープニングを飾り、監督としても華々しいデビューを飾っている一方、短編映画でも高い評価を得てます。
父ティモシーを演じるのは、『トラブル・ウィズ・ユー』(2018)でセザール賞主演男優賞にノミネートされたほか、『おかえり、ブルゴーニュへ』(2017)にも主演した人気俳優ピオ・マルマイ。
また、ティモシーの娘・トミー役を監督本人の娘リタ・メルルが演じています。また一方でフランスの人気ラッパー、オレールサンが、トミーの想像の世界に現れる宇宙飛行士役で出演と、ユニークなキャスティングもおこなわれています。
ブルーノ・メルル監督のプロフィール
フランス出身。数々の短編映画を経て初長編である『変態ピエロ』(2007)を制作、カンヌ映画祭批評家週間のオープニング作品として上映され、数多くの映画祭にも選ばれました。
本国フランスでは多くのTVシリーズの脚本を手掛ける脚本家として有名で、さまざまな映画作品の脚本を自身または共同で手掛けており、『アーティスト』(11)のミシェル・アザナヴィシウス監督による大作『The Lost Prince』(20)にも、共同脚本として名を連ねました。
また最近ではフランスで2020年2月に公開されたミシェル・アザナヴィシウス監督の『The Lost Prince』(2020)で共同脚本を務めました。
映画『フェリチタ!』のあらすじ
父、母とともに長期不在の家でこっそりとスクワッド(不法占拠)生活を送っている少女トミー。
家に持ち主が戻ってくると突然連絡があれば慌てて家を出ていくという、あわただしい毎日を過ごしていた一家でした。
そんな一家の中で、時々イヤーマフをつけては自分の世界にこもってしまう11歳のトミーは、いつも冗談とは思えない作り話をする自由奔放な両親に驚かされながら、楽しく暮らしていました。
そしてある日、刑務所を出たばかりの父は「新学期一日目となる明日は、必ず車で学校まで送る」とトミーに約束します。
ところがその日に限って清掃のパート仕事に出た母が夜になっても戻らず、父とともにパニックに陥ってしまいます。
果たして、母に何が起こったのでしょうか……?
映画『フェリチタ!』の感想と評価
「幸福」の真意を問うコメディー
「Felicità(フェリチタ)」とは、イタリア語で「幸福」の意味。劇中でもイタリアの夫婦デュオ、アル・バーノ&ロミナ・パワーが歌う、同名のヒット曲を登場人物が歌い、人生を謳歌するような表情を皆が見せるシーンがあり、このキーワードは本作の重要なテーマであることをにおわせています。
どんな真剣な話も「冗談」として話す両親、それをまさしく「冗談」として受け止める少女。そんな3人の親子の生活は、自分の家も持たず家から家へと放浪の旅を続けるという一見みじめな生活ながら、画としては何の悲壮感も見せない、ある意味違和感のある光景を見せています。
どこか落ち着かない様子を見せながらも、子供にはおどけた表情だけを見せて笑わせようとする親、そしてそんな親を覚めたような表情で見つめつつも、素直にその気持ちを受け止めている少女・トミー。
何も持っているはずのない彼らなのに所有感や裕福感を超えた、つまり「幸福である」様子を見せます。
やるせなくなった時にはイヤーマフをつけ、周りから自分の世界を遮断するトミーですが、そんな自分でさえも受け入れ、愛してくれる両親。実は本当の両親でもない複雑な境遇も感じられますが。
実はそういった設定をあえてはっきりさせず、かつ少女に対してなにか普通ではない状態と感じさせているところ、そしてその境遇を越えて互いの存在を認めあっている様子にも、この物語の真のテーマが表れています。
物語ではそんな風に、3人の間に複雑な要素を間に挟みながらも、その壁を越えた強い関係を描いています。それこそが「幸福」であり、映画の問うているものでもあります。
普通に生きているわけではないけど、そばに誰かがいるだけで安心して生きていられる、そんな風な情景から「本当の幸福とは何か」という質問を、世に投げかけているともいえるでしょう。
ラストで見られるトミーの表情は、その投げかけられた問いをさらに印象深く見る人の胸に焼き付けてきます。
ブルーノ・メルル監督メッセージ
「私は『The Lost Prince』で描いた父娘の関係について、この作品でさらに追及したかったのです。しかし、すぐにこの希望は作品の一部でしかないことになりました。特に私は本作で、決められた社会生活から外れることで得られる自由を通して、精神的余白というものについて描きたいと思いました。
この少女の両親は、今後数カ月、数年の中で、どのような選択をするでしょうか?家、犬、リラックスした仕事のあるきちんとした暮らしでしょうか、あるいは、自由を伴う放浪的な生活でしょうか。この前提を決めてから、作品を構築していきました。私は、この映画を宝探しのような作品にしたかったのです。」
作品のカラーを決定づける、表情付けへの配慮
また作品としてユニークなのが、極端に役者の表情を制限しているような部分であります。
演技ではある程度役者として演技が任される部分が通常はありますが、この作品では意外に役柄ごとのイメージが、特定の表情で表される印象もあります。
例えば一つの出来事においてさまざまな事情を掛け合わせた場合、不安におののいたり、あるいは怒りに震えたりといった状況において微妙な感情のブレを表情に表したりする部分が該当します。
ところが本作においては、そんな演技者に依存する表情のブレは見当たらず、どちらかというとストレートな感情表現が印象付けられています。
つまりは、演出の方法によるブレに対しての抑制を感じさせ、作品の印象としても隠れた大きなポイントといえるところでもあります。
そしてそれこそ同時にメルル監督の作品に対するポリシー、作品のカラーを強く出す部分でもあるのです。
まとめ
先述の通り、作品はどこか恵まれていないある親子の姿を悲壮感なく描いています。
物語は少し寓話的な雰囲気をもって幕を開け、そこには2001年のフランス映画『アメリ』ほどではないものの、どこか現実離れした感じを見せています。
そんなフランス映画のコメディー的な雰囲気をたっぷりと味わえる一方で、あえてリアリティーを削って、作品作りの焦点を訴えたいメッセージに絞っているようでもあります。
そんな「フランスらしさ」といわれる、汚れているもの、深刻なもの、などといったテーマをあくまで明るくオシャレに描いたテイストのある物語であり、その雰囲気がかえって普通に考える「幸福とは何か」というテーマを、違った視点で客観的に考えさせてくれるような作風となっています。