細野辰興の連載小説
戯作評伝【スタニスラフスキー探偵団~日本俠客伝・外伝~】(2020年5月下旬掲載)
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第三章「東映京都撮影所長の陰謀」
第一節「幻の企画『七人の武蔵』を巡って」其の壱
「市川雷蔵は、まァ良いとしても、お父さんは、あの『七人の武蔵』のエピソードのことをどう思っているのよ? 」
「前・語り手」である高井明から何の連絡もないまま数ヶ月が過ぎた或る日、晴美が晩酌しながら絡んで来た。
年齢が20才ほど離れているせいなのか晴美は、子供がいないのにも拘らず、私を一方的に「お父さん」と呼ぶ様になっている。
「ホ〜ラ、お出でなすッた!?」と云う感じがしないでもなかった。
もう少し、蓋河プロデューサーのミッションである「カツライス」のことや、『貌斬りKAOKIRI~』と『~日本俠客伝・外伝~』のアクション性の違いのことも語っておきたいと云うのに。しかし、晴美は屡々,金言を放ってくれるので疎かにするわけにもいかない。
しかも大の内田吐夢監督ファンであり、『血槍富士』(東映`55・2月公開 監督・内田吐夢 脚本・三村伸太郎 主演・片岡千恵蔵)『飢餓海峡』(東映`65・1月公開 監督・内田吐夢 原作・水上勉 脚色・鈴木尚之 主演・三國連太郎/左幸子)、中でも『宮本武蔵』(`61・5月公開 監督・内田吐夢 原作・吉川英治 脚色・鈴木尚之/内田吐夢 主演・中村錦之助)五部作の大ファンなのだ。亦、金言が飛び出すかもしれない。
『七人の武蔵』と云うのは、舞台『スタニスラフスキー探偵団~日本俠客伝・外伝~』の中盤に出て来る重要なエピソードの中核になっている「幻の企画」のタイトルだ。
晴美が、以前から気に入らずにいたことは知っていた。
タイトルもだが、企画内容に腹を立てていたのだ。流石、吐夢さんファンであり『宮本武蔵』オタクだ。
何れにしろ、その物言いから今日の晩酌は間違いなく荒れる予感がした。
想えば何もかもが「新コロナウィルス肺炎パンデミック」のせいだった。一緒に暮らす様になってから20年、これだけ長期に亘って晴美と二人だけで夕飯を共に食したことはなかった。否、夕飯どころか、これだけの長い期間、一日中この狭いマンションで一緒に過ごしたのも初めての体験だった。
安倍総理による「緊急事態宣言」が4月7日に発せられてからの2ヶ月間と云うもの、御多分に漏れず私と晴美も「長期外出自粛要請」により「不要不急」の用事では殆ど外へ出なくなっていたのだ。どうしたって話題は煮詰まってしまう。
年金生活者とは云え、それだけでは食べて行けない私は、殆どオファーも来なくなったゴーストライターの仕事を待ちながら、横浜の日ノ出町に在る怪しげな文芸専門学校で週に3日ほど基礎的な文章の書き方などを教え糊口を凌ぐ足しにしていた。数十年前に少し大きな文学賞の最終選考に一度だけ残ったことがあると云う「名誉ある実績」が少しは役に立っていたのだ。
まるで『切腹』(松竹`62・9月公開 監督・小林正樹 脚本・橋本忍 主演・仲代達矢)で石浜朗の演じた千々岩求女の様な生活だった。勿論、安部総理の「緊急事態宣言」と黒岩県知事の「外出自粛要請」と共に休校になってしまったが。
晴美はと云えば、横浜の小さな映画館でパートのスタッフとして働いていたが、こちらも休館が続いていた。支配人が晴美の大学の映画研究会の後輩と云う縁で、煙たがられながらも10年近く働かせて貰っていたのだ。
と云う訳で今回は、未だ籍が一緒になっていないパートナーである晴美との『七人の武蔵』を巡る「口喧嘩」に少しお付き合いを願いたい。
その前に幻の企画『七人の武蔵』周辺に付いて少しだけ語っておきたい。
『日本俠客伝』が公開されたのは昭和39年8月。その年の元旦に封切られた『宮本武蔵』第四部『一乗寺の決斗』(東映`64・1月公開 監督・内田吐夢 脚色・鈴木尚之/内田吐夢 主演・中村錦之助) は、五部作の中でも集大成的な最高傑作と云われ伝説の作品となっている。
第二部『般若坂の決斗』(東映`62・11月公開 監督・内田吐夢 脚色・鈴木尚之/内田吐夢 主演・中村錦之助)で剣に生きることを決めた武蔵は、「兵法者の習い」から元・室町幕府指南の名門「京八流・吉岡拳法道場」を的に掛けて来た。第三部『二刀流開眼』(東映`63・8月公開 監督・内田吐夢 脚色・鈴木尚之/内田吐夢 主演・中村錦之助)では二代目・吉岡清十郎を一撃で倒し、この『一乗寺の決斗』で舎弟・吉岡傳七郎と一門の残党を終に全滅させると云う血沸き肉躍る内容だった。
京都は比叡山の麓、一乗寺藪乃郷下がり松の水田で繰り広げられる七十三対一の理に適ったモノクロの決斗シーンは、黒澤明の『七人の侍』と並び称される大殺陣として映画史に今尚、燦然と輝いている。
にも拘らず・・・。否、此処からは映画監督・風間重兵衛、否、彼が演じる播磨屋錦之助に語って貰おうではないか。
◯ 舞台
舞台中央のスポットライトの中に立ち、前方
に向けて「一人芝居」を繰り広げて行く風間
重兵衛演じる播磨屋錦之助。
錦之助「・・・。打ち止めって? 何の話です!?
社長。一寸、待って下さいッ、今、何を打ち止め
にするかも知れないと云われたんです?
・・・!? 誤魔化さないで下さいッ、話が良く
解かりません。(少し右側に視線を移し)監督、
今、大川社長はなんて言われたんです? 私の聞
き間違えですよね。『巌流島の決斗』の製作を中
止し『武蔵シリーズ』を『一乗寺』で打ち止めに
するかも知れないと聴こえたのですが? 何かの
間違いですよね、監督。・・・。嗚呼、良かっ
た。・・・内田監督の口からその言葉さえ、聴か
せてもらえればッ。・・・安堵しました。(お辞
儀をし内田監督を見送る。)(日野昴太演じる小
川三喜雄プロデューサーが上手から静かに入って
来て遣り取りを聴き始める。)・・・大川社長、
改めて云うのも何ですが、一年に一作、5年の歳
月をかけて錦之助の成長に合わせて武蔵の成長を
描くと云って下さったあの時の感激を錦之助は生
涯、忘れることはありませんッ。・・・。社長、
チミ~、とばかり云われても困ります。・・・未
だ本決まりではない? 未だそんなことを云って
いるのですか。本決まりになッて堪りますかッ、
・・・帰られるのですか社長!? 裏切ったら怒
りますからね!(大川博が退場する方向を少し不
安げに見送る)・・・岡田さん、裏切ったら本当
に怒りますよ。怒ったら何するか判らないです
よ、錦之助は。・・・。どうしても武蔵を演じた
いかって、妙な訊き方するじゃないか、岡田さ
ん。愚問でしょう。演じたいに決まっているじゃ
ないですか。もし、『巌流島』を製作しない様な
ことになれば私にも考えがありますからね。
・・・。出来る限りのことはするって? 他人事
のような云い方は止めて下さいよ。・・・。勿
論、協力はしますけど。・・・。だったら読んで
おいてくれって、(指で差し)何ですか、これは?
…。企画書!? 何の?(去っていく岡田を目で
追い)・・・どうなっているんだ。」
三喜雄「・・・錦ちゃん、そんな企画書は読まなく
て良いよ。」
錦之助「(初めて三喜雄に気付き)どうしてさ?」
三喜雄「読む価値の有る企画書だったら俺から錦
ちゃんに読ませているからさ。」
錦之助「三喜雄兄は知っていたのか?」
三喜雄「気にすることはないさ。内田監督の云うよ
うに巌流島で終わらない『宮本武蔵』なんて有り
得ない。」
錦之助「『一乗寺』は、当たらなかったのかい?
そんなことないよね?」
三喜雄「『二刀流開眼』と同じくらいだから客は来
ているさ」
錦之助「だったら何故?」
三喜雄「製作費が大きかったからな。余り会社を儲
けさせなかったのさ。それと、日活に少しだけ負
けた」
錦之助「裕次郎と小百合ちゃんに負けたのか」
三喜雄「違う。時代劇が現代劇に負けたんだ。正月
だからね。吉川英治が石坂洋二郎に負けたのさ。
誰が観ても中村錦之助は負けていないッ。」
錦之助「変な慰め方だな。こっちのもう一本も現代
劇だったじゃないか。」
三喜雄「鶴田さんと健ちゃんのギャング物じゃあ足
手纏いなだけさ。」
錦之助「鶴田ので客が入るのは着流しやくざ物だけ
だからな。分かっていて二本立てにしたのは誰
さ。」
三喜雄「・・・その着流しやくざ物なんだけど。」
錦之助「此処でも創り始めたらしいね。」
三喜雄「京都にまで進出してくるとはな。」
錦之助「・・・何か隠しているのか、兄さん?」
三喜雄「こう見えてもプロデューサーだからな。隠
していることは一杯あるさ(笑)。『赤いハンカ
チ』は裕ちゃんの主題歌も大ヒットしているし。
小百合ちゃんの『光る海』はデート向きだし、正
月に合ってたのさ。それに比べると、『下がり
松』は家族皆で観る正月映画にしては少し問題作
だったかもな。しかし、それはプロデューサーと
しての俺の責任だ。」
錦之助「主題歌のない、デート向きでもない問題作
の武蔵は、中止の憂き目に遭うのか?」
三喜雄「だから未だ何も決まっていないって」
錦之助「だったら、この企画書はなに?」
三喜雄「企画書は所詮、企画書だよ。」
錦之助「(独りごちる)・・・どうしても武蔵を演
じたいかって妙なことを訊いた岡田さん。・・・
その為なら何でも協力してくれるかって訊くか
ら、勿論、協力はするって云ったら、だったら読
んでおいてくれって、岡田さんが置いて行った企
画書。・・・一体、何が書いてあるのか?」
と云う様に『東京ギャング対香港ギャング』(東映`64・1月公開 監督・石井輝男 脚本・村尾昭/石井輝男 主演・鶴田浩二/高倉健)を併映とした『宮本武蔵 一乗寺の決斗』の正月興行は、大評判となりヒットしたのにも拘らず莫大な製作費の為に東映に大きな利益を齎すことは出来なかった。
因みに配給収入で2億2千5百万円と云うデータが『キネマ旬報』に残っている。入場料が大人200円の時代だから、現在だと単純計算で22,5億円。興行収入で云うと45億円となり、『パラサイト 半地下の家族』(ビターズ・エンド`19・12月公開 監督・脚本 ボン・ジュノ 脚本 ハン・ジンウォン 主演 ソン・ガンホ)と同レベルなのだから大ヒットには違いない。それ程、製作費が大きい大作だったということだ。
そして、この興行から、東映時代劇の雄、中村錦之助の悲劇が始まったと私は見ている。
「問題は、企画書の中味よッ。細野さんの悪口を言いたくないけど、この企画書の中味が『七人の武蔵』って何よ。岡田茂東映京都撮影所長が錦之助に渡した企画書の中味が『七人の武蔵』では情けなさ過ぎるッ。」
「良いだろう、リアリズムのドキュメンタリー演劇じゃないんだから。元々、虚実皮膜が売り物なんだし。」
「虚実皮膜が売り物なら何をやっても良いと云うの? 在りもしない映画を縒りによって『宮本武蔵』五部作を貶める小道具に持って来るなんて。」
「何だよ、貶めるって。何も貶めてなんかいないだろう。」
次第に晩酌の焼酎が効いて来たのか晴美も私も熱くなって来るのが判った。今まで、晴美の歯に衣着せぬ、何者にも忖度しない物言いには何度もヒントを貰い、助けられて来たことは認める。しかし、こうなれば後には引けない。
「別に『七人の武蔵』が映画化されたって描いているのではないんだから、企画されたってだけなんだからさ。」
「お父さんも解からない人ね。『宮本武蔵』を、錦之助さんを、内田吐夢監督を貶める為にわざわざ使っているのが腹立つと云っているのよ」
「だから、作劇上のことだろう。塩を入れなければ甘味も引き立たないんだからさ。」
後には引けない、とは云いながらも私は、晴美と口喧嘩するとどうも劣勢になってしまうのだ。
「それに、このタイトル、何よ。黒澤明の代表作と五味康祐の『二人の武蔵』をくっつけただけじゃないッ。」
「面白いじゃないか。第一、判り易い」
「武蔵が三人なら未だ良いけど。七人てイージー過ぎるし。『荒野の七人』『黄金の七人』『七人の孫』『七人の刑事』、そうそう『博徒七人』なんてのもあったじゃない。何でも『七人』を付ければ良いと思っているセンスが耐えられない。」
「三人でもイージー過ぎるだろう。『三匹の侍』『三匹が斬る!』」
「上げ足を取らないでッ。」
「解った。解った。でも、細野のことだ。『スタニスラフスキー探偵団』から『貌斬りKAOKIRI~』を生み出したように、『~日本俠客伝・外伝~』から『七人の武蔵』と云う映画が生まれるかも知れんぞ。」
「・・・それは、面白いかも知れないけどネッ。」
何のことはない、晴美も長期外出自粛にウンザリし新鮮な話題を渇望していただけなのだ。
引用した播磨屋錦之助と大川博社長、岡田茂京都撮影所長、小川三喜雄プロデューサーとのやり取りは、虚実皮膜を売り物にしている『~日本俠客伝・外伝~』の中ではどちらかと云うとシリアスな「場」となっている。
その年の2月に東京撮影所長から京都撮影所長に返り咲いた岡田茂が、時代劇のメッカと云われた京都撮影所でも「着流しヤクザ映画」を製作しようと布石を敷き始めたことを描く「場」と云っても良かった。
既に京都撮影所では鶴田浩二主演の『博徒』の製作が始まっていた。プロデューサーは俊藤浩滋。岡田茂としては、更にトップスター・中村錦之助に「着流しヤクザ映画」に主演して貰い、「ヤクザ映画」を表舞台に引き上げたかった。その画策の発端として細野は描こうとしているのだ。
プロデューサー小川三喜雄は、錦之助の直ぐ上の実兄であり、初代・中村獅童として十代後半までは歌舞伎俳優だった人だ。当代・中村獅童の実の父親でもある。
10代だった錦之助を庇う形で大物歌舞伎役者と大喧嘩し封建的な梨園を飛び出してしまった程、弟、錦之助の才能に惚れ込んでいた。錦之助が東映に入る段になり付き添う様に東映入りし、錦之助付のプロデューサーと云う立場で東映時代を過ごした。文字通り、東映での錦之助の黄金時代を築いた功労者の一人と云っても過言ではない。
全ては二人の母親、梨園のゴッド・マザーと呼ばれた小川ひなの考えだったとも言われているが。それは亦、別の話だ。
勿論、細野は、この「場」以外でも何度か小川三喜雄プロデューサーを登場させている。
第二章第二節『梨園の御曹司、映画界へ』で語ったように中村錦之助は名門・播磨屋の御曹司だった。後にも先にも歌舞伎界の名門から映画界に転身し、これほどまでの大スターになったのは中村錦之助だけであり、空前絶後だ。
デビューから10年が経った昭和39年、錦之助人気は衰えてはいなかったが、テレビなどに押された映画界の年間観客動員数は「華厳の滝」の様に逆さ落としを続けていた。10月に第18回近代オリンピックが東京で開催される時代の趨勢とも云えた。
日本が大きく変わりつつあったのだ。
しかし、時代劇に換わる新しい鉱脈を見つければ錦之助は未だ未だ客を呼べるッ。岡田茂はこう踏んでいた。
具体策も見えていた。
昭和38年4月に外様スターだった鶴田浩二主演でスマッシュヒットとなった『人生劇場 飛車角』の様な着流し「ヤクザ映画」、後に「任俠映画」と呼ばれる「ジャンル」だ。
明治中期から大正、昭和初期までを舞台とし、丁髷を捨て着流し姿で「長谷川伸の世界」の情念を錦之助に演じさせれば必ずや名作が生まれ、観客を魅了せずにはおかない。
つまり「時代劇」から「ヤクザ映画」へのシフト・チェンジだ。
これは、岡田茂が「中興の祖」になるべき輝かしい青写真でもあったのだ。
私も同感だ。
それ程までに前年の昭和38年に放った長谷川伸原作『関の弥太ッぺ』の錦之助は素晴らしく、映画も亦、「名作中の名作」となったのだ。
後で判るが、岡田の改革案はこれだけに止まらなかった。そこの処に関しては高井明に任せることにしたい。臨時雇いの私の任ではないだろう。
とまれ、その岡田の改革の潮流に呑みこまれ始める中村錦之助を描くシリアスな「場」の後半に、細野は何故か架空の『七人の武蔵』を抛り投げて来たのだ。
晴美が文句を付ける『七人の武蔵』の企画内容とはどの様な物だったのか。
舞台の続きを更に視て行きたい。
【この節】続く
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*この小説に登場する個人名、作品名、企業名などは実在のものとは一切関係がありません。作家による創作物の表現の一つであり、フィクションの読み物としてご留意いただきお楽しみください。
細野辰興のプロフィール
細野辰興(ほそのたつおき)映画監督
神奈川県出身。今村プロダクション映像企画、ディレクターズ・カンパニーで助監督として、今村昌平、長谷川和彦、相米慎二、根岸吉太郎の4監督に師事。
1991年『激走 トラッカー伝説』で監督デビューの後、1996年に伝説的傑作『シャブ極道』を発表。キネマ旬報ベストテン等各種ベストテンと主演・役所広司の主演男優賞各賞独占と、センセーションを巻き起こしました。
2006年に行なわれた日本映画監督協会創立70周年記念式典において『シャブ極道』は大島渚監督『愛のコリーダ』、鈴木清順監督『殺しの烙印』、若松孝二監督『天使の恍惚』と共に「映画史に名を残す問題作」として特別上映されました。
その後も『竜二 Forever』『燃ゆるとき』等、骨太な作品をコンスタントに発表。 2012年『私の叔父さん』(連城三紀彦原作)では『竜二 Forever』の高橋克典を再び主演に迎え、純愛映画として高い評価を得ます。
2016年には初めての監督&プロデュースで『貌斬り KAOKIRI~戯曲【スタニスラフスキー探偵団】より』。舞台と映画を融合させる多重構造に挑んだ野心作として話題を呼びました。