映画『わたしは分断を許さない』は2019年3月7日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開中!
2013年の初監督作『変身-Metamorphosis』にて、2011年3月の東京電力福島第一原子力発電所事故の歪んだ実態と、その現実に果敢に立ち向かう人々の姿を克明に描いた堀潤監督。
フリージャーナリストへの転身後も、あらゆるメディアを通じて日々報道を続ける監督が2作目に手がけた映画『わたしは分断を許さない』は、東日本大震災後の福島をはじめ、シリア・パレスチナ・朝鮮半島・香港・沖縄など、国内外の現場で生じている「分断」の真実を追ったドキュメンタリーです。
本作の劇場公開を記念して、堀潤監督にインタビューを行いました。
発信という行為に対して「小さな主語」を用いる意味と覚悟、「分断」の現場で気づかされたことやご自身が発信を続けるにあたっての原動力など、貴重なお話を伺いました。
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「わたし」として発信する覚悟
──本作の冒頭で発される「大きすぎる主語には注意が必要だ」という言葉は、作品全体を貫くメッセージであると感じられました。
堀潤監督(以下、堀):実はこの言葉は、自分自身の失敗から由来しています。
たとえば2020年現在、震災に関する報道の中で「被災地では今も多くの人々苦しんでいます」という言葉を伝えた際、ある人からは「堀さん、よく言ってくれました。私は復興住宅で生活しており、未だに地元へ帰れないのです。もっと伝えてください」という声が届き、一方で別のある人からは「堀さん、まだ“被災地”のレッテルを貼るのか。この数年間、風評被害と戦ってきているのを知っているだろう?」という声が届きました。
「伝えるべきことだ」と思い伝えたことが、他者を傷つけてしまった。「そんなつもりじゃなかったんです」と弁明したところで、それは後の祭りです。メディアを通じて伝えていた自身の言葉が、これまで地続きだったはずの場所に線を引き、まさしく「分断」を生み出していたという現実に気づかされたのです。
堀:大きな主語が分断を生む。だからこそ私は報道あるいは表現において、できる限り主語を小さくしていくことを試みなくてはならないと感じました。より正確に、より誠実に現在とそこに生きる人々の姿を伝えるためには、小さい主語で語っていく丁寧さと忍耐強さが必要なのだと自覚したのです。
僕が所属しているメディアにおいても「現在の政治は」「今の日本は」と大きな主語での語りが日常化していますが、それに対し「“あなた”はどうですか?」と問い質すと、急に口ごもってしまう。言論人であれば主語を明確にし、自身の発言に対して責任を負わなくてはならない。発信するという行為に対して覚悟を持たなくてはならない。その覚悟と向き合いがながら作った作品でもあります。
──堀監督の覚悟が、「わたし」という主語が用いられている本作のタイトルに深くつながっているのですね。
堀:このタイトルに関して、様々な方から「堀さん、随分思い切ったタイトルにしましたね」と驚かれます。もしタイトルが『分断を許さない』だったら、そういった反応はより少なかったはずです。「わたし」という主語が入った途端に、より断定的な、言葉の強さを感じるタイトルになる。そう受け取られる状況は、「わたし」の意見を主張することが「特別」である、言い換えれば「一般」でない社会が生じている証左でもあるのです。
SNSが発達したここ10年の社会では、何気なく発された個人の意見に対する「断罪」といえる場面が一層可視化され、「断罪」も加速度的に増加していったと感じています。「わたし」という主語を明確にしただけで、周囲の人々から「自分とは違う」と線引きされ、区別されてしまう。その「区別」は時には「差別」にまで達し、ついは断罪という形で攻撃されてしまう。結果として、自分自身の意見を主張することが怖くなってしまうわけです。
だからと言って、諦めてもいいのか。そのようなメディアの在り方として、そしてコミュニケーションの在り方として、意見の差異を受容しながらも、互いに言葉を交わし合うことが最も大切なのではないでしょうか。それを伝えるためにも、私は敢えて「わたし」を用いたのです。
世界各地の「分断」の現場で
──そもそも堀監督ご自身が、発信者として「分断」を意識されるようになったきっかけとは何でしょう?
堀:2019年の夏ごろから香港の若者たちを中心とした民主化デモの状況が徐々に熾烈なものになっていき、取材の中で私が知り合った方も逮捕されました。彼らは単に、法律に反対しているだけでなく、圧倒的な力の優位性によってねじ伏せられたり、経済的な波形の中に飲み込まれていく個人の尊厳のために闘っていることを目の当たりしました。
その闘いに対しては様々な意見や立場があって然るべきですが、一方で絶対に共有しなければならない価値観も存在する。その価値観を、何者かの力によって自身の意志とは無関係に分断されたり、その結果「仕方がない」と容認され思考停止に陥ってしまうことだけは止めなければならない。本作には元々現在とは異なるタイトルがついていたのですが、この香港デモの取材過程の中で『わたしは分断を許さない』へと変更しました。
近年、「多様性」「ダイバーシティ」といった旗を振り、人間同士の壁をなくすために敢えて「違い」を鮮明にしようとする動きが見られます。ですが、実際は「違い」が明確にされたことで人々はより他者との関わりを拒絶するようになり、人々の間に存在する壁はますます高くなってゆく。「分断」が進行し続ける社会の有り様に、目を向けていきたいと思ったのです。
──香港という「分断」の現場のみならず、作中では日本の日本の福島、沖縄、海外のシリア、パレスチナなど様々な場所を取材し、そこに生きる人々の声を伝えようとしています。その取材の中でも特に印象に残っているものとは何でしょうか?
堀:北朝鮮の平壌に行った時は、毎日が驚きの連続でした。到着時に目にした平壌国際空港の綺麗さにも驚きましたが、街に出てみると人々はみなスマホを持っていて、歩きながらスマホを操作している方も見かける。女性もハイヒールなど、オシャレな格好をしている。一つ一つのことに驚かされました。
ですが、それは当たり前のことでもありますよね。このご時世であればスマホも持つでしょうし、オシャレだってするでしょう。そんな当たり前のことに驚いてしまっている自分にハッとしました。日本に生きる私たちが日々受け取っている情報が、一方的な固定観念に過ぎなかった。軍事パレード、金正恩、そして飢餓や貧困というプロパガンダをこれまで植え付けられてきたのだと。
また当時は「日朝大学生交流会」に帯同する形で取材を行っていました。日朝大学生の交流は約10年の積み重ねによって互いに築き上げてきた信頼関係があるため、学生同士が自由に対話できる環境があるのですが、その中で日本の学生たちは「なぜ核実験をするのか?」「なぜミサイルは日本側に向いているのか?」「拉致問題もあり、北朝鮮という国が怖い」といった北朝鮮に対する率直な思いを伝えた。すると反対に、北朝鮮の学生たちも「日本にはなぜ自衛隊もあるのにアメリカ軍の基地もあるのか?」「しかも銃口は、韓国軍と共にこちらを向いている。それはなぜか?」と同じく日本に対する思いを伝えたのです。
その対話を通じて、「日本もまた脅威を与える側なのだ」「自分たちも加害側なのだ」とようやく認識することができた。被害者意識は簡単に手に入るが、自分自身が誰かの脅威となっていることへの自覚を持つのは非常に難しいことに気づかされたのです。
発信の原動力としての「発見」
──堀監督がジャーナリストとして、表現者として発信を続けるその原動力とは何でしょうか?
堀:今まで知らなかったことを発見していくことですね。小さい主語で社会事象を見つめてゆくと、100人いれば100通りの現場があり、一つとして同じものはありません。他人が伝えていない現場を、その現場と出会った誰でもない「わたし」として伝えようとする。そんな本来のメディアにとって当たり前の姿が、自身の発信における原動力となっています。
私は元々テレビマンとして活動していました。テレビマンの役割は、誰も見たことがない映像で人々を楽しませたり、驚かせたりすることが一番の仕事です。どこかの誰かがすでに撮った現場を、したり顔でもう一度行くことは、私から言わせれば単なる職場放棄なのです。誰にも取材されていない現場には、まだ誰にも拾われていない声が潜んでいる。発信を本当に必要とする場所を訪ね歩き、そうした声を拾い人々に伝えなくてはならない。そして現場に入ってみることで、初めて見えてくるものが無数に存在する。その発見こそが今の自分の原動力となっているのです。
「意図はない」と答えるものたちへ
──堀監督は前作『変身-Metamorphosis』、そして本作とドキュメンタリーを制作されてきましたが、ドキュメンタリーというメディアが持つ恣意性についてはどのようにお考えですか?
堀:ドキュメンタリーというメディアには意図を必ず含まれています。むしろ、どのようなメディアであれど「意図がない」と装うことの方がいけないのです。
現在のテレビでの報道に対し、日々視聴者としてそれをご覧になっている方から「違和感がある」という声を耳にすることが多々あります。それもまた、テレビでの報道が「意図がない」と装っていることに原因があるのではないでしょうか。
私はフリーランスのジャーナリストへと転身する前、テレビ局に所属していた時から「僕はおかしいと思います」と放送に関する自分自身の意図や意見を伝えていました。その際には、周囲の人々から「君自身の意見は言わなくていい」と咎められることもありました。
ですが、意図や恣意性をひた隠しにして報道を続けるよりも、自らの報道に対するスタンスと意見を開示した上で情報を発信することこそが「公平・中立」なのではないでしょうか。またそうすることで、「堀という発信者はああ伝えているが、自分はそうではないと思っている」と異なる意見が次々と生まれ、やがて多くの議論が芽生えるわけです。「わたし」の視点を開示することこそが大切であり、「この報道に意図はありません」「無色透明そのものです」と装ってしまった瞬間そのメディアには不信感しか抱けないのです。
「あなた」らしくいるという誇り
──この作品を通じて世界にはびこる「分断」を意識した若年層の人々に向けて、最後にメッセージをいただけないでしょう?
堀:作中には、「戦争絶滅」を訴え続け101歳でその生涯を終えたジャーナリストであるむのたけじさんが出演されています。私は亡くなる直前にむのさんのお話を伺うことができたのですが、その際むのさんは現在の若者たちに向けて「誇りを持ってください」という言葉を語られました。私が「“誇り”とは何でしょう?」とお尋ねすると、「あなたがあなたらしくいられることです」と答えられました。
太平洋戦争の頃、当時青年だったむのさんには自分らしく生きることはできなかった。では、今目の前にいる人々は自分らしく生きているかというと、そうではない。取材してきた全ての現場で、人々からはその人らしさが奪われています。
堀:国家権力、国交関係による身体的自由の制限や文化的交流の断絶。自然災害、人災による故郷の破壊や剥奪。圧倒的といえる様々な力が「自分らしさ」を奪い、そこに別の力が介入することで問題はより複雑になっていく。そして、問題を取り巻く社会の無関心が人々を孤立させる。それが「分断」されてしまった各地域の現状なのです。
あなたがあなたらしくあっていい。その上で、お互いの「あなたらしさ」を尊重し合う。「あなたがあなたらしくいられる権利、すなわち“人権”が損なわれている現状を見過ごしていていいのか?」という問いが、ジャーナリストとして生涯を全うしたむのさんの普遍的なメッセージであり、全てのジャーナリストが「わたし」として伝えるべきことの一つなのだと思っています。
インタビュー/くぼたなほこ
撮影/田中舘裕介
堀潤監督のプロフィール
1977年生まれ、兵庫県出身。アナウンサーとして日本放送協会(NHK)に入局。岡山放送局での勤務を経て、「ニュースウォッチ9」リポーター、「Bizスポ」キャスター等、報道番組を担当。
2012年、市民ニュースサイト「8bitNews」を自ら立ち上げる。2012年6月、アメリカ合衆国カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)に客員研究員として派遣され、SNSの活用などを研究。留学中に日米の原発事故報道を追った『変身-Metamorphosis』を制作。そして2013年4月1日付でNHKを退局した。
フリー転身後は、ジャーナリスト・キャスターとして数多くのテレビ・ラジオ番組等に出演する一方、インターネットテレビ、SNS、執筆活動などを通じて、精力的に発信を続けている。
映画『わたしは分断を許さない』の作品情報
【公開】
2020年(日本映画)
【監督・撮影・編集・ナレーション】
堀潤
【プロデューサー】
馬奈木厳太郎
【脚本】
きたむらけんじ
【編集】
高橋昌志
【音楽】
青木健
【キャスト】
堀潤、陳逸正、深谷敬子、チョラク・メメット、久保田美奈穂、安田純平、大和田新、エルカシュ・ナジーブ、仙道洸、松永晴子、ビサーン、アブドラ、むのたけじ、大田昌秀
【作品概要】
元NHK局員にして、現在フリージャーナリストとして精力的に活動する堀潤の、『変身-Metamorphosis』(2013)に続く監督第2作。
東日本大震災後の福島をはじめとする、シリア、パレスチナ、朝鮮半島、香港、沖縄など、国内外の様々な社会課題の現場で生まれた「分断」をテーマに、堀が現地取材を敢行していきます。
映画『わたしは分断を許さない』のあらすじ
2013年、初の監督作品となるドキュメンタリー映画『変身-Metamorphosis』で、2011年3月の東京電力福島第一原子力発電所事故の歪んだ実態と、その現実に果敢に立ち向かう人々の姿を克明に描いた堀潤監督。
アナウンサーとして所属していた日本放送協会(NHK)を退局した後はフリージャーナリストに転身。現場の人々が訴える「声」を少しでも多くの人々に伝えようと、あらゆるメディアにおいて精力的に活動を続けてきました。
そんな堀監督が、監督第2作となる本作で焦点を当てたのは「分断」。
東日本大震災後の福島をはじめ、シリア、パレスチナ、朝鮮半島、香港、沖縄など、国内外の様々な社会課題の現場で生まれた「分断」の実情を自ら現地取材。
現地での市井の人々の声を通じて、「今後のために我々ができることは何か?」を追究していきます。