神にさずかった才能を手放す気はない!
映画『ガリーボーイ』は2019年10月18日(金)より新宿ピカデリーほか全国にてロードショー。
インド、ムンバイ地区のスラムに響くラップは若者の心の証だ!
インドのスラムを舞台にラップに目覚めていく若者の姿を描いた映画『ガリーボーイ』をご紹介します。
映画『ガリーボーイ』の作品情報
【公開】
2019年公開(インド映画)
【原題】
Gully Boy
【監督】
ソーヤー・アクタル
【キャスト】
ランヴィール・シン、アーリアー・バット、シッダーント・チャトゥルヴェーディー、カルキ。ケクラン
【作品概要】
インドで活躍するHIPHOPアーティストNaezyとDivineの実話をもとに、スラムで生まれ育った青年がラップに出逢ったことで自分の価値に気付き、成長していく姿を描く。
監督を務めたのは、『人生は一度だけ』(2011)がヒットしたインド出身のゾーヤー・アクタル。
アメリカの伝説的リリシストラッパーNasがプロデューサーとして参加している。
映画『ガリーボーイ』あらすじとネタバレ
ムラドは、父、母、弟、父方の祖母と共にインド・ムンバイのスラム、ダラヴィ地区で暮らしています。
両親はムラドが今の生活から抜け出し成功できることを願って、無理をして彼を大学に通わせていました。
父は雇われ運転手として毎日懸命に働いていましたが、家に第二夫人を迎えて以来、家族の間で諍いが絶えません。
ある時、父が足を骨折し、ムラドは代わりに働き始めますが、生まれで人を判断するインド社会への憤りといらだちを感じる日々が続きます。
地元の友人モインとは気があってよくつるんでいますが、車の窃盗を手伝わされたり、麻薬の取引に子どもたちを利用するなど、困らされることもしばしばでした。
ムラドには身分の違う裕福な家庭の恋人がいました。彼女の父親は医者で、彼女も医学部に進学し、医師を目指していました。しかし、家庭教育があまりにも厳格なためムラドともなかなかあえず、彼女もまた苛立ちを募らせていました。
ある日、ムラドは大学構内でラップをする学生MCシェール(シッダーント・チャトゥルヴェーディー)と出会います。
言葉とリズムで気持ちを自由に表現するラップの世界を知ったムラドは、自分で考えたライム(歌詞)をノートに書き付け始めます。
SNSでシュールが主催するラップの集まりがあることを知ったムラドはでかけていき、シュールに自分が書いた歌詞を歌ってくれるよう頼みます。
しかし、シュールはどうして俺がお前の書いた歌詞を歌わないといけないんだ、お前自身が歌えばいいじゃないかと、彼に歌うようにすすめるのでした。
まったく自信がなかったムラドでしたが、周囲が盛り上げてくれて、初めてラップを人前で披露します。
ラップの楽しみを覚えたムラドは、“ガリーボーイ”(路地裏の少年)と名乗り活動を始めました。しかし、彼の周囲の人々は、ラップというものを理解せず、彼が仕事もしないで遊び呆けているという目でしか見てくれません。
映画『ガリーボーイ』の感想と評価
インドの大都市ムンバイにあるスラム地区ダラヴィは、ダニー・ボイル監督の2008年の作品『スラムドッグ$ミリオネア』の舞台としてよく知られています。
本作の撮影は、そのダラヴィの広大なゴミ収集場に巨大なセットを作って行われました。1人の青年が、インド社会に残る多くの問題に直面し、閉塞感を抱きながら、ラップと出会うことで、新しい自分を見出していくという物語がスピーディーにダイナミックに語られます。
前半は、主人公のムラド(ランヴィール・シン)と、その恋人サフィナが両親の支配下で息苦しい思いをして暮らしている様子が描写されます。
ムラドの両親は、経済的に苦しい中、ムラドを大学に通わせ、なんとかこの貧しい生活を抜け出させてやろうとしているのですが、堅実に生きてほしいという両親の強い想いは、彼に束縛感をもたらします。また、ムラドは貧しいものを見下すインド社会の現実に直面し閉塞感にもさいなまれています。
一方、サフィナの家は裕福で、経済的には父親は娘に甘いところがあるのですが、娘に自由を与えない様は徹底しています。少しぐらい音楽を聴きたい、パーティーにも行ってみたい、お化粧も楽しみたいというサフィナのささやかな願いは聞き入られません。
どちらの親も、インド社会でもまれてきた自分たち自身の経験から、最善と思う教育を良かれと思って子どもたちに施しているのですが、若い2人にはそれらはあまりにも窮屈すぎるのです。まだまだ古い慣習や価値観の残る古風な親世代とそれに追従することに抵抗を感じている若い世代との対比が鮮やかです。
サフィナの場合、さらに親が決める結婚話も持ち上がり、事態はかなり深刻です。しかし、ここで面白いのは、このサフィナが圧倒的に強い女性であることです。
親に連れられて見合いさせられた男性はムラドの友人で、サフィナの性格をよく知っているだけに、「こんな女と結婚させられてたまるか」と恐れおののいていて、思わず笑ってしまいます。
ムラドが別の女と浮気したと思ったサフィナがその女性をビール瓶でなぐりつけるシーンまであり、彼女の気の強さがクローズアップされます。
監督のソーヤー・アクタルも、脚本のリーマー・カーグティーも共に女性です。ムラドとも対等の関係を築くサフィナの姿には、まだまだ男性優位社会の側面が大きいインド社会における新しい女性像という希望が投影されているのでしょう。
こうした叩く、殴るという行為は、サフィナだけでなく、全編に渡って登場してきます。
スマホで頭を殴りつけるは、平手打ちを激しく食らわすは、互いの想いをぶつける親子の姿はパワフルというかパッショネイトというか、非常にアグレッシブです。
考える前に手が出てしまうということがあたりまえの環境において、主人公のムラドはラップで、ライムで気持ちを伝えることを選択します。ここでは暴力と対極にあるものとして、ラップが浮上してきます。
ラップを選び、習得していくことで、自身を表現する術を持ち、それによって、人々の共感を得、自身の価値にも気付き始めるムラド。そうした姿が感動的に綴られます。
終盤のラップバトルは、エミネムの半自伝的映画『8 Mile』を彷彿させるエキサイティングなものです。審査で名前を呼ばれて前に出された人が実は落選というのは、ミュージカル『コーラスライン』のワンシーンを思い出させます。
苦しみながらも新しい世界に自己を見出す主人公の姿には、インドの若い世代の確かな息吹と、新生インドの芽生えを感じさせます。
まとめ
主人公ムラドを演じたランヴィール・シンはボリウッドの稼ぎ頭と称されるなど、出演作を次々にヒットさせているインドの人気俳優です。
これまで演じたキャラクターとはひと味もふた味も違う姿を見せた『ガリーボーイ』での演技で、さらに俳優としての評価を高めました。
ヒップホップ界のレジェンドNasがエグゼクティヴ・プロデューサーとして参加し、劇中には多くのラップが流れますが、ステージで行われるラップはムラド自身が歌っています。
NaezyやDivineというムンバイ出身のHIPHOPアーティストたちの半生がストーリーの基になっていて、劇中歌われる「Mere Gully Mein(路地裏が俺の庭)」は、2015年にNaezyやDivineが初共演した楽曲です。
ストリートの生の声から生まれたラップを鮮やかに描いた『ガリーボーイ』は、インド初の本格的ラップ映画として記憶されるとともに、国境を越え、今の時代に閉塞感を抱える若者たちから大きな共感を得る作品としても語られていくことでしょう。