『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』で注目を集める、あの事件が映画化された!
ハリウッドを震撼させた事件から50年、今再び注目を集めるシャロン・テート殺害事件。
“マンソン・ファミリー”に焦点を当てた映画は多数存在しますが、犠牲者である、シャロン・テートの視点で描かれた作品が公開されました。
ロマン・ポランスキー監督作品『吸血鬼』に出演、監督と恋に落ち、1968年に結婚したシャロン・テート。
その後彼女は夫とハリウッドの豪華な邸宅で暮らし、子供を身ごもり幸せの絶頂にいました。
しかし彼女は自分の知らぬ所で、恐るべきカルト集団に目を付けられていたのです。
惨劇の犠牲者となったシャロン・テート。事件は世間を震撼させただけではなく、一つの時代の終焉を告げる事にもなります。
CONTENTS
映画『ハリウッド1969 シャロン・テートの亡霊』の作品情報
【公開】
2019年(アメリカ映画)
【原題】
The Haunting of Sharon Tate
【監督・脚本・製作】
ダニエル・ファランズ
【キャスト】
ヒラリー・ダフ、ジョナサン・ベネット、リディア・ハースト
【作品概要】
チャールズ・マンソン率いるカルト集団、“マンソン・ファミリー”に殺害された女優・シャロン・テート。その事件を被害者の側から描く、サスペンス・ホラー映画。
監督は『ハロウィン6 最後の戦い』『隣の家の少女』の脚本を手がけたダニエル・ファランズ。ドキュメンタリー映画『HIS NAME WAS JASON 「13日の金曜日」30年の軌跡』を監督し、「13日の金曜日」シリーズの歴史を紹介したホラー映画通です。
また「悪魔の棲む家」シリーズを生んだ、「アミティヴィルの恐怖」の原因とされる、あの家で実際に起きた“デフェオ一家殺害事件”映画化した、『悪魔の棲む家 REBORN』を監督でもあります。
本作でシャロン・テートが演じるのは、エグゼクティブ・プロデューサーも務める、ヒラリー・ダフ。センセーショナルな事件が、50年目の今甦る…。
映画『ハリウッド1969 シャロン・テートの亡霊』のあらすじとネタバレ
“私たちの見るもの、見られるものは全ては、夢の中の夢なのか” エドガー・アラン・ポーの詩「夢のなかの夢」の一節を紹介して、映画は始まります。
1968年8月1日、インタビューで心霊体験があると答えたシャロン・テート(ヒラリー・ダフ)。彼女は夫、ロマン・ポランスキーと暮らす新居を紹介します。
かつてリリアン・ギッシュ、ケーリー・グラント、最近まで音楽プロデューサーのテリー・メルチャーが住んでいた、ロサンゼルス・シエロ・ドライヴ10050番地の、豪華な邸宅だと語るシャロン。
彼女はこの新居でも、夜中に奇妙なものを見た、と告白します。寝室の前に立っている男の姿、そして居間で縛られ倒れた2人の姿。それは友人のジェイ・セブリング(ジョナサン・ベネット)と私で、2人とも喉を切り裂かれていた、と話します。
その1年後、TVのニュースはこの邸宅で、妊娠8ヶ月のシャロン・テートを含む、5名が殺害されたと伝えていました。そして事件は、チャールズ・マンソンの指示で行われたと語る、“マンソン・ファミリー”のメンバー。
事件の3日前の1969年8月6日、シャロン・テートは、ハリウッドセレブのヘアドレッサーであるジェイ・セブリングの運転する車で、自宅に戻ります。
到着したシャロンを迎えたのは、アビゲイル・フォルジャー=ギブ(リディア・ハースト)と、そのパートナーのヴォイテック・フライコウスキー。2人もポランスキー夫妻の友人で、今はこの邸宅で暮らしています。
久々に自宅に戻ってきたシャロンは、飼い犬と再会します。夫のロマン・ポランスキーは、映画『イルカの日』の脚本を、ロンドンで執筆中で不在でした。
ポランスキーは友人たちに、身重の彼女を支えてくれる事を望み、この邸宅で暮らす事を許していました。シャロンは自身の新作映画について語り、4人は楽しく過ごします。
小さな偶然の積み重ねが、友人たちとの出会いを生み、自分の今を築いたと話すシャロン。人生は予め決められた計画なのか、それとも運命は変える事が出来るのかと、疑問を口にします。
そんな彼女にギブは、幸せの絶頂にあるあなたには、この人生しかないと答えます。
しかしシャロンは、夫の浮気を疑っていました。彼は私に嘘をつき、私は信じるふりをする。そんな心境をジェイに打ち明けるシャロン。
4人がゲームに興じていると、何者かが尋ねてきます。対応したヴォイテックは、現れた男にこの家にテリーはいない、今はポランスキー夫妻の家だと説明し、追い返します。
ヴォイテックは、チャールズ何とかと名乗る男が来たと、一同に伝えました。
その夜、眠っていたシャロンは、怪しい物音に気付き邸内を調べます。何者かが玄関のドアをノックし、ドアを開けた際に飼い犬が飛び出します。
ドアの外には何者かが残した、テリーに宛てた包みが残されていました。
1969年8月7日。目覚めたシャロンにギブとヴォイテックは、あなたを世話するためにここにいる、と話します。しかしシャロンにはその態度が不満でした。
昨夜現れた男について訊ねられたヴォイテックは、シャロンの留守中、あの男と取り巻きの女たちを、邸宅に引き入れた事を認めます。
邸宅を友人たちに解放するのは、シャロンとポランスキー2人が決めた事でしたが、ギブとヴォイテックの、勝手な振る舞いに怒りを覚えるシャロン。
気を取り直し、ギブと散歩に出たシャロンを、怪しげな2人組の女が抜き去ります。その後シャロンは、死体となった飼い犬の姿を見つけます。
犬の死体はヴォイテックと、シャロンの見知らぬ若者が庭に埋めました。その若者はスティーヴン・ペアレントと名乗り、今までいた管理人のウィルに代わり働いていました。
近くのトレーラーハウスに住んでいると語るスティーヴン。戸惑いながらも、シャロンは彼の態度に好感を持ちます。
邸宅に入ったシャロンは、ポランスキーの部屋に入ります。そこにオープンリールデッキがありました。
彼女がデッキにかかったテープを再生すると、男が歌う曲が流れてきます。そして周囲にはテリーと書かれた、テープの入った袋が無数にある事に気付き、不安に襲われるシャロン。
邸宅に現れたジェイに、シャロンは不満を打ち明けます。部屋の模様を変え、怪しげな男とその信奉者を引き入れ、断りなく管理人を変えたギブとヴォイテックに、怒りを覚えていました。
ポランスキーが戻って来れば、2人を追い出せばいい、と答えたジェイ。それに対し運命は変えられないと思う、とシャロンは力なく呟きます。
ジェイは運命は変えられる、無数の選択枝があると答えます。何かあれば駆け付けると言って、彼女を励ますジェイ。
その夜、邸宅に何者かが侵入します。オープンリールデッキから流れる音楽に気付いたシャロンは、それを止めに向かいます。
そこには、男が立っていました。シャロンの友人も侵入者に気付きます。お前は誰だ、と訊ねられた男は答えます。俺は悪魔だと。
映画『ハリウッド1969 シャロン・テートの亡霊』の感想と評価
今だ語られる50年前の事件
華やかなハリウッドの邸宅で起きた惨劇。凶行を行ったカルト集団。チャールズ・マンソンの名は悪のアイコンとして、今もサブカルチャーの世界に君臨しています。
ベトナム戦争の激化、公民権運動の高まりが社会をつき動かしていた1960年代後半。同時にそれらに対するアンチテーゼとして、1967年より“サマー・オブ・ラブ”がムーブメントとなります。
このヒッピー文化が先導したカウンターカルチャーは、サイケデリック・ロックを生んだだけでなく、その信奉者には、愛と平和を基盤とした、世界の変革を確信させるものでした。
“サマー・オブ・ラブ”を信じた若者は、コミューンを作り集まります。そこはフリー・セックスと、マリファナやLSDがはびこる場所。やがて治安悪化を口実に、公権力からの弾圧が始まります。
それまでミュージシャンを目指すも社会に適応できず、人生の大半を刑務所で過ごしていたチャールズ・マンソン。
出所した彼は、この時代の潮流を利用し、LSDを用いて少女を洗脳、彼女らに男性を誘惑させ信者にし、カルト集団の指導者して君臨します。
“マンソン・ファミリー”は悪名名高い事件を起こし、それと同時期に“サマー・オブ・ラブ”は終焉を迎えます。時代の区切りとして、この事件は深く記憶される事になりました。
繰り返し映像化された事件
社会に衝撃を与えた事件は、今までに何度も映像化されています。
マンソン裁判の検事、後に作家となったヴィンセント・バグリオーシの著書、「ヘルター・スケルター」が、1976年テレビ映画化されます。日本では翌1977年、劇場公開された作品です。
参考映像:『ヘルター・スケルター』予告編(1977年日本公開)
この作品でチャールズ・マンソンを演じたスティーヴ・レイルズバックは、後にトビー・フーパー監督の『スペースバンパイア』に主演、猟奇殺人鬼エド・ゲインを描いた作品『エド・ゲイン』を自ら製作・主演し、ジャンル映画の顔として活躍しています。
裁判で死刑判決が下されたチャールズ・マンソンは、その後カリフォルニア州が死刑制度が一時的に廃止された影響で、終身刑に減刑されます。
その結果、獄中のマンソンを信奉する者も現れます。こうしてマンソンはアメリカン・ポップカルチャーの汚点、そして悪の象徴として注目を浴び続けます。
この後もマンソンと、“マンソン・ファミリー”を題材にした映画やドラマは作られ続け、ミステリー小説や犯罪ドラマに大きな影響を与えました。
事件発生から50年を迎える今、クエンティン・タランティーノ監督作品、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』が公開。同じ題材の映画は、本作以外にも製作されました。
参考映像:『チャーリー・セズ マンソンの女たち』予告編(2019年日本公開)
『チャーリー・セズ マンソンの女たち』は、“マンソン・ファミリー”のメンバーに焦点を当てた映画です。
また映画監督、ロマン・ポランスキーを語る際に、この事件は欠かせない存在です。ポーランド出身のユダヤ系の彼は、ナチスが作ったユダヤ人ゲットーから脱出し、辛くも生き延びますが、母親はアウシュビッツで虐殺されます。
シャロン・テート事件後の1977年、少女への淫行疑惑で逮捕。釈放後国外逃亡し、今も逃亡犯としてアメリカに入国出来ないポランスキー。その後海外で創作活動を続け、映画監督として巨匠の地位を築きます。
ポランスキーを擁護する者は、彼の少年時代の体験と、シャロン・テート事件が彼に与えた影響を語ります。しかし彼に対する批判の声は根強く、近年“#MeToo”運動の高まりと共に、ポランスキーは2018年、アメリカの映画芸術科学アカデミーから除名されます。
この様にマンソン、“マンソン・ファミリー”、ポランスキーを語るのに、欠かせない存在のシャロン・テート事件。しかし最も語られていない人物がいます。
それは事件の犠牲者たち、シャロン・テート本人についての物語でした。
シャロン・テート最後の日々を大胆に脚色・ドラマ化
ダニエル・ファランズ監督は、あえて犠牲者たちの物語を、事実に沿った形で描かず、大胆な創作を加えて描きました。
当事者が全員死亡している“デフェオ一家殺害事件”を、大胆に『悪魔の棲む家 REBORN』として映画化した手法の、発展形といえる映画です。
映画化された『ハリウッド1969 シャロン・テートの亡霊』のスタイルは、賛否両論呼ぶものとなっています。
シャロン・テートの実妹、デブラ・テイトはこの映画を強く非難しています。このような形で商業映画化に反発するのは、心情的に理解できますし、同様の批判が多数あります。
更に本作は劇中で、チャールズ・マンソンが歌う曲、「CEASE TO EXIST」を使用しています。何とも大胆としか言いようがありません。
一方ホラー・ファンタジー系の雑誌・媒体などに、作品を好意的に評価したものもあります。実際の事件をベースにしながら、展開に捻りのある物語を創造した点を認めたのでしょう。
まとめ
『ハリウッド1969 シャロン・テートの亡霊』、また同テーマの作品を見る手助けに、実際の事件を少し解説しましょう。
信者をドラック漬けにして、カルト集団を作り上げたチャールズ・マンソン。この事件に先立つ1969年7月25日、最初の殺人としてドラックの売人を殺害。その後別件でファミリーのメンバーが逮捕されます。
警察の捜査の目をそらす為、自分を音楽デビューさせなかったと信じる人物への、恨みを晴らすことも兼ねて、ハルマゲドンと信者を煽り、シャロン・テートの邸宅を襲ったマンソン。シャロンには、まさにとばっちりの悲劇です。
マンソンは自分の手を汚しません。8月9日のシャロン・テート殺害を実行したのは、ファミリーの男1人、女3人(うち1人は見張り役)。本作に登場した実行犯が男1名に女2名、マンソン不在の理由はここにあります。
事件が大々的に報じられ、有頂天になったマンソン。ハルマゲドンを現実にすべく、翌8月10日に適当に選んだ大邸宅に、マンソン自ら指揮して侵入、2名を殺害します。この時も自分の手を汚さず、信者に実行させています。
8月16日、別件で逮捕された“マンソン・ファミリー”。ここから事実が暴露してゆきます。
今だチャールズ・マンソンを、神格化する方もいる様ですが、実態はひがみ根性を持つ人物が、実利と妄想で行動しただけ。
シャロン・テート以上に、その前後の事件の犠牲者が、話題にならないのも悲しい事実です。人間、殺されて良い事はありません。
少し脱線したので、映画の話題に戻します。本作で語られている映画『イルカの日』。当時ロマン・ポランスキー監督作品として、準備が進んでいました。
しかし事件を受け監督は降板、1973年にマイク・ニコルズ監督作品として完成します。
そしてシャロンが「12の椅子、13の椅子になるかも」と語っていた、彼女の次回作は『扉の影に誰かいる』『白い家の少女』の、ニコラス・ジェスネル監督作品『12+1(別タイトルThe Thirteen Chairs)』。
1969年の映画で、シャロン・テートの遺作となり、セリフ通りオーソン・ウェルズも出演しているコメディ映画です。
映画の過去作にこだわる、ダニエル・ファランズ監督らしいセリフの挿入でした。