ネメシュ・ラースロー監督の長編第2作『サンセット』
『サウルの息子』(2015)でカンヌ映画祭グランプリを受賞し、センセーショナルなデビューを果たした若き映画監督ネメシュ・ラースローの長編第2作。
1913年、繁栄を極めたオーストリア=ハンガリー帝国を舞台に、王侯貴族が集う高級帽子店に隠された謎が暴かれます。
家族を探し求め、大戦前の激動時代を駆け抜けた一人の女性の真実の物語です。
映画『サンセット』の作品情報
【日本公開】
2019年(ハンガリー・フランス映画)
【原題】
Napszallta
【脚本・監督】
ネメシュ・ラースロー
【キャスト】
ユリ・ヤカブレイター・イリス、ブラド・イバノフ、エベリン・ドボシュ、マルチン・ツァルニク、モルナール・レべンテ、スザンネ・ベスト、ナジュ・ジョールト、シャーンドル・ジョーテール、モーニカ・バルシャイ
【作品概要】
長編デビュー作『サウルの息子』(2015)がカンヌ国際映画祭グランプリのほか、アカデミー賞やゴールデングローブ賞の外国語映画賞も受賞したネメシュ・ラースローの長編第2作。
本作は2018年・第75回ベネチア国際映画祭コンペティション部門出品作品で、第1次世界大戦前ヨーロッパの中心都市だったブダペストの繁栄と闇を描いています。
映画『サンセット』のあらすじとネタバレ
陽がゆっくりと沈み、暮れていく日没の油彩画が映ります。
1913年、オーストリア=ハンガリー帝国が栄華を極めた時代。新興都市ブダペストは、今やウィーンと繁栄を競っていました。
レイター・イリスは、ブダペストのレイター帽子店で働くことを夢見てやってきます。
そこは、彼女が2歳の時に亡くなった両親が遺した高級帽子店でした。
イリスは店に入ると、女店員がお客のように接し色々な帽子を持ってきますが、求人広告を見てやってきたとイリスが話すと、女店員の態度が急に変わり、奥の部屋に連れて行きます。
女店員をまとめるゼルマが、オーナーのブリルの前で質問を始めます。
イリスは、両親がこの店を経営していたことやこの店が火事になった2歳の時に、孤児の斡旋屋に引き取られ、トリエステという町で帽子屋の修行をしたことを話します。
ブリルは「やっと会えたな」と声を掛けるも、「何が狙いだ?」と意味深な言葉を残し、突然現れた彼女を歓迎せずに追い返します。
店内の女店員たちが大忙しの様子から、イリスは今週に「大きな行事」があることを知ります。
結局その夜、イリスは近くに宿を見つけることができず、店の部屋で泊まることになりました。
夜中イリスの部屋に、見知らぬ男が突然やってきます。
彼はガスパールと名乗り、レイター家に息子がいたことをイリスに伝えると、イリスは兄がいることを初めて知り愕然としました。
翌日イリスはトリエステに帰るため、ブリルに馬車を用意されます。
イリスは駅で列車を待っていましたが、虚ろな眼差しのまま急に向きを変え、かつて世話になった孤児院に向かいます。
「あなたは何も知らないの?」とイリスを憶えていた女性が、イリスの帰る寸前に声を掛けてきます。
その女性から「火事で燃えた家の子」と当時噂になっていたことや、兄の名前がカルマンで、レディ伯爵を殺したことを聞かされます。
その日、レイター帽子店では公園で30周年を祝う行事を行っていました。
イリスはお店に入ると、喪服のレディ伯爵夫人がやってきました。彼女は5年間も喪服を着ており、イリスをじっと見つめて去って行きました。
ゼルマが「雇うわけじゃないけど、人手がいるの」とイリスに声を掛け、イリスは一時的に店で働くことになりました。
女店員たちから「拷問で死んだ」と新聞を読み上げる声や「ウィーン王室の侍女に選ばれたの」という声が聞こえます。
階下のテントでは、皆がダンスを踊っています。
黒い帽子を被った髭面の男がイリスに近寄り「ブリルはうまい餌を投げ込んだ」と耳元で囁きます。彼は、ヤカブと名乗り「ここを去れ、今週ここで血が流れる」とイリスに警告します。
ある日ゼルマが女店員を集め「今週は王室の方がいらっしゃいます」と告げます。
イリスは店を抜け出し、レディ伯爵夫人の屋敷を訪ねます。伯爵夫人はパイプを持ち、朦朧としていました。
兄のことを教えて欲しいとイリスが話し始めた途端、オーストラリアの客人フォンがやってきます。
夫人が奥の部屋にイリスを隠しましたが、彼が伯爵夫人に暴力を振るい襲いかかるのを、イリアは目撃します。
その後イリスは店に戻り、下働きの少年アンドルを探します。
彼は兄のカルマンに助けてもらったと聞いていたので、イリスは「兄は、伯爵夫人を助けようとしたのでは?」と問いかけますが、アンドルは無言でした。
イリスは馭者のガスパールを探しに、町外れの村へ行くと暗闇から「ウィーンの男が街に着いた」「レイターは奴を狙う」という声が聞こえてきました。
イリスは荒くれた男たちが集う場所に、カルマンを探しに行きますが相手にされず、逆に男たちに襲われます。
その時に以前「立ち去れ」と警告してきた男ヤカブが助けます。イリスはヤカブが兄なのかを訪ねますが、違うと答えられました。
列車に乗って帰る途中、何台もの馬車がレディ伯爵夫人の家へ走っていくので、イリスはすぐに列車を降りて馬車で向かいました。
そこでは演奏会が開かれていましたが、フォンを狙う暴徒たちが銃声を響かせました。
伯爵邸から暴動を犯した男にイリスは連れて行かれ、「ブリルは女店員を富豪たちに捧げている。お前と組んで帽子店を破壊する」と命令します。
ボートで必死に逃げ出したイリスは店に戻り、ブリルに店が襲われることを話します。
ゼルマはボロボロになったイリスの服を着替えさせながら、兄カルマンがかつてブリルを殺そうとしたことを告げます。
いよいよフェルディナンド皇太子が来店する“大きな行事”の日がやってきました。
映画『サンセット』の感想と評価
最初に登場する主人公のイリスを、無性に目で追ってしまいます。
彼女の美しさの中に、なぜかいつも漂う不安と躊躇いの瞳に釘付けにされます。
気品を持ちながらも、内に秘めた謎や生い立ちがあり、実際彼女も自分の生い立ちや家族の謎を追ってブダペストにやってきたようでした。
映像は、常にイリスの背中にピタッとカメラを付けているかのように追いかけ、遠景がほとんどボヤけて、行き交う人々も焦点が定まりません。
そんな映像の中、イリスはとにかく動きます。
隙さえあればどんどん突き進み、禁断の世界へ入り込んでいきます。
この不安で混沌とした当時のヨーロッパは、どんな時代だったのでしょうか。
本作の歴史的背景とは
20世紀の初めには、隆盛を極めたオーストリア=ハンガリー帝国が存在しました。
そこは当時ヨーロッパの中心であり、首都はウィーンと、本作に出てくるブダペストでした。
広大な領地が多くの国々と他民族を抱えており、劇中でもハンガリー語やドイツ語など多数の言葉が飛び交っていました。
第一次世界大戦が勃発前の、近代化と廃退が共存し、ヨーロッパの蓄積された緊張が爆発寸前の中心都市、それがブダペストでした。
その過激さと脆さを持ったモチーフとして、イリスが現れたのも納得です。
イリスの存在
ヒロインのイリスは、2歳の時に帽子店がなぜか火災に遭い、孤児として斡旋屋を仲介して、トリエステに連れて行かれます。
トリエステでどう育ったのかは謎に包まれたままですが、帽子屋で働いていたことは、本人がデザイン画を持参してきたことから分かります。
背中のカメラが映し出すように、どんどんイリスは進みます。どんな危険で禁断の場所でも、彼女には躊躇がありません。
しかも目はいつも焦点が定まらない虚ろな瞳で、笑ったり微笑んだりする表情は映画でほとんど見られません。
瞳の奥に最も凄みを見せるのは、男たちの集会に男装をして乗り込むシーンです。
ネメシュ監督は、イリスを当時の女性としては逸脱した特殊な女性として描き、彼女を“ジャンヌ・ダルク”に例えています。
そしてこの映画のもう一つの大切なモチーフは、何と言っても『帽子』です。
境界としての帽子
女店員が帽子のモデルとして、遊園地に繰り出すシーンがあります。
女店員は、豪華で美しい帽子をかぶった途端、王侯貴族の侍女になるために日々を生きている日常から、非日常へと自分が生まれ変わることを知っているかのように歩き出します。
その姿は、自信に満ちた美しいモデルのようでした。
装飾が施された帽子を身に着けることで、当時の人々は社会道徳観を持ち、洗練された姿と平静を保っているように見せました。
一方その裏では抑えられない欲望と権力が蠢き、帽子を脱いだ瞬間に闇と破滅が待っていることを、帽子を通して物語っています。
まとめ
冒頭から心をざわつかせるようなシューベルトの曲が流れ、明るく輝く街並みが次第に陰りを見せるサンセットが映し出される映像は、この映画の物語を暗示しているようでした。
登場人物は多彩なキャラクターが次々と表れ、多くを語らずに映像から姿を消していきます。
主人公のイリス以上に、観るものは頭の中で少ない情報から細い糸を手繰り寄せ、物語をつないでいく必要があります。
一つ一つのシーンの映ったものを見逃さないように、緊張感を持って映像を追いかけます。
実際にネメシュ監督も“観客に映画へのインスピレーション(気づき)を育ててほしい”と語っており、敢えて全てを語らず、謎を謎のままに留めているのでしょう。
イリスとともに、謎を追って20世紀のヨーロッパ世界を辿ってみませんか。