「死にたい」その思いで集まった12人の子どもたち。しかし、集いの場にはすでに1人の少年が横たわっていました。
いるはずのない13人目。この中の誰かが嘘を付いているのでしょうか。
集団安楽死を成し遂げるため、12人の未成年者たちが、廃病院で13人目の死体の謎を解く。
原作はSFから時代小説まで、数々の賞を受賞している大人気作家・冲方丁。彼の初の現代ミステリー小説を、堤幸彦監督が映画化。
12人の子どもたちの死にたい理由とは。12人が最後に導き出した答えとは。
映画『十二人の死にたい子どもたち』あらすじとともに、原作との違いにも注目します。
CONTENTS
映画『十二人の死にたい子どもたち』の作品情報
【公開】
2019年(日本)
【原作】
冲方丁
【監督】
堤幸彦
【キャスト】
杉咲花、新田真剣佑、北村匠海、高杉真宙、黒島結菜、橋本環奈、吉川愛、萩原利久、渕野右登、坂東龍汰、古川琴音、竹内愛紗、とまん
【作品概要】
『マルドゥック・スクランブル』などのSF小説から、『天地明察』の時代小説まで書き下ろす人気作家、冲方丁のミステリー小説『十二人の死にたい子どもたち』の映画化。
監督は『ケキゾク』『トリック』『SPEC』とミステリー作品を多く手掛けてきた堤幸彦監督。
死にたい十二人の子どもたちには、新田真剣佑、北村匠海、高杉真宙、杉咲花、橋本環奈など、今最も旬な若手俳優が勢揃い。
謎が謎を呼ぶストーリーの面白さはもちろん、俳優たちの演技バトルにも注目です。
映画『十二人の死にたい子どもたち』のあらすじとネタバレ
靴を履いていない細い足が、引きずられるように通り過ぎます。運んでいる人物の荒い息遣いが聞こえてきます。
これから、ここ廃病院には「死にたい」意思を持った子どもたちが12人集まる予定です。
この集いの主催者サトシが、慣れた足取りでやってきました。自分の決めたルール通り、数字の書かれたプレートを手に取ります。数字は「1」。
時刻は午前11時。地下の多目的ルーム・集いの場の鍵を開けます。集合時間は12時です。
サトシはこの建物の主電源がONになっていることが気になり、時間まで建物内を見回ることにしました。
廃病院の2階ロビーには、ケンイチの姿がありました。持っている数字は「2」
突然後ろで、ドサッという音が聞こえます。驚き後ろを振り向くも誰もいません。自分は「2」なのだから前に来ている人がいるはずと納得します。
その音を聞いていたもう一人の人物がいました。数字は「4」リョウコです。
リョウコは2階の女子トイレにいました。外をそっと覗くと黒い格好をした誰かが走りさっていきます。
そのころ、1階の女子トイレでは、ゴスロリ姿のミツエが最後の姿チェックをしていました。一番きれいな姿で死にたい。数字は「3」です。
同じ1階の正面玄関にはニット帽をかぶった少年、シンジロウが、自動ドアをチェックしていました。開くはずのない自動ドアが動いています。
考え込むシンジロウに、ゴトッ、自販機で飲み物を購入した音が聞こえます。気になり移動するシンジロウ。手にしているのは数字の「5」です。
建物の外では、2人の少女が出くわしていました。戸惑い気味のメイコに、「あなたも集いの人?」と聞くアンリ。
2人は一緒に建物の中に入ります。メイコは「6」、アンリは「7」の数字を取ります。
タカヒロは、外の空気を吸いたいと思い立ち、屋上へ行こうとエレベーターを押しますが、動いていないようです。
階段で屋上まで行くと、ガタンゴトン、エレベーターが開閉する音が聞こえてきます。エレベーターのドアにイスが挟んであります。そのため動かなかったのです。
そこに2人の少年がやってきます。ノブオとセイゴでした。
「お前がやったのか?」見るからにヤンキーのセイゴに聞かれ、慌てたタカヒロは「ぼ、ぼ、ぼ、ぼくじゃない。お、お、屋上へいこうと思って」吃音症のようです。
そんなタカヒロにノブオは穏やかに話しかけます。「屋上いいよね。けっこう広いし」
3人は一緒に地下へ向かいます。タカヒロ「8」、ノブオ「9」、セイゴ「10」です。
「11」の数字を取ったのは、茶髪でいかにもギャルな女子高生マイ。
最後にやってきたのは、ユキです。「12」の数字を手に地下の集いの場へ向かいます。
時刻は12時。集合時間となりました。
集いの場には、病院のベッドが12個、輪になってセットしてあります。中央には話し合いのテーブルが。それぞれに12番までの数字が書かれています。
集いの場には確かに12人揃っていました。
ただし、1番のベッドにはすでに誰かが横たわっていました。
集まった子どもたちは1番の子が先に逝ったのだと思っていました。ルールでは、決を取り、その場の全員が一致したら実行するというルールのはずなのに。
その場を仕切り出したのは、長い黒髪に全身黒づくめの知的少女アンリです。
「この状況だけど、12人揃ったのだから決を取りましょう」
皆の意見が一致するかに見えたその時、ひとりの少年が入ってきました。「この会の主催者、1番のサトシです」
「あなたのベッドで、すでに人が死んでいるわ」困惑する子どもたち。
謎の少年の死体。いるはずのない13人目の子ども。ゼロバンとします。ベッドの横には車いすが置いてありました。
すっきりしない空気の中、1回目の決を取ることに。それでも死を望む気持ちは止められません。しかし、1人だけ話し合いを求めた人物がいました。
空気の読めない少年、ケンイチです。誰もががっかりする中、ケンイチはゼロバンの正体がわからないまま死ぬなんておかしいと言い出します。
シンジロウが動き出します。彼は医療機器や薬に詳しいうえに、推理が得意な賢い少年です。
ゼロバンの体を観察し、置かれていた睡眠薬の量、車いすでの参加が可能かどうか検証していきます。
これは、自殺ではなく他殺。つまりこの中に殺人者がいるということになりました。そして、彼の意志がわからない状態で死ぬということは、誰もが殺人者にされてしまう可能性があるということです。
参加者の中には、自殺じゃないと意味がない者。殺人者になりたくない者。一刻も早く死にたい者もいます。ゼロバンの存在は、思いがけないトラブルとなりました。
12人の子どもたちは、お互いを疑いながらもこの謎の解明に協力し合います。
その過程で、徐々に明かされていく12人の子どもたちの死にたい理由。
『十二人の死にたい子どもたち』映画と原作の違い
冲方丁の原作と映画化された『十二人の死にたい子どもたち』の違いに注目します。
集団安楽死に賛同し選ばれた12人だけが集うはずの会に、招かざる13人目の死体が置かれていました。思わぬトラブルがこの集いを揺るがします。
12人の子どもたちには番号があり、それぞれが到着した順番と手にした番号の順番の違いが、謎を解くカギとなります。
12人の子どもたちを演じる俳優陣は、原作から飛び出したような、みごとなキャスティングです。それぞれのキャラを存分に発揮しているかのような演技バトルに注目です。
実写化によって、それぞれのキャラが引き立ち、どんな人物なのか、気持ちの揺れる様子まで感じることができます。
また、ミステリーの謎解きが映像化することで分かり易く、パズルがはまっていく感覚になります。
原作を丁寧になぞりながらも、大胆な演出でメッセージ性がより濃くなった映画化。原作を読むとさらに面白さが増します。
12人が選ばれた理由
映画では12人が何によって選ばれたのか詳しく触れていません。
原作では、集団安楽死のネットサイトで何百もの質問に答え、サトシによって選ばれた者だけが参加する権利を得ます。
真剣に時間を費やし答えたシンジロウもいれば、反対に全部1と適当に回答したマイもいました。
選出方法を問われたサトシは、質問は何らかのカウンセリングの質問ではあるが、全部の質問に答えたかどうかが基準で、自分はその内容で判断できるような人ではありませんと回答しています。
死にたい理由に軽い重いという物差しはありません。自分がどう思うかなのです。
グループ分け
原作では、それぞれの死にたい理由をセイゴが聞き出す展開になります。1人1人がみんなの前で告白していきます。
映画では、謎解きの過程で何度かグループ分けされ、それぞれが話をしていきます。
同じ境遇の者、気の合う者同士、また反発し合う者同士とうまく分けられており、心を開いていく様子が見事に表現されています。
携帯電話の回収
練炭を用意し、ガムテープで窓の隙間を塞ぎ、死ぬ準備を進める子どもたち。
原作では、それぞれの携帯電話も回収します。自分の携帯電話を整理し、箱に入れていく子どもたち。
ノブオが消えた集いの場で、1階の受付の電話が鳴ります。ノブオが外部に漏らしたのではと、焦る子どもたち。
そこへ現れたノブオは、受付にかかってきた電話の履歴を見て、リダイヤルします。
集めたはずの携帯電話のほかに、メイコから電話の着信音が聞こえます。それで、ノブオを突き落とした犯人が特定されるのですが、映画ではありません。
しかし、鍵をかけたドアの向こうから聞こえるノックの音に、さらなる恐怖感が押し寄せる見事なシーンになっています。
ゼロバンの名前
ゼロバンは、ユキの兄でした。映画では名前までは登場しませんが、原作では名前が明かされています。
「0」は、ユウキです。
ユキと一文字違いの兄。仲良しだった姿が浮かびます。
アンリの死にたい理由
「7」番のアンリは、親が勝手に産んで苦しむだけの自分の命に価値がないと思っています。
自ら死を選ぶことで社会に自分のような命を増やしたくないと強い信念のもと集いに参加しました。
映画では、親の不始末で火事になり弟を失くし、自らも大きな火傷を負ったことが死にたい理由になっていました。
原作では、親のせいで産まれたころから梅毒に冒され薬物中毒の体で産まれたことが原因となっています。
理由はどちらにしろ、アンリや他の子どもたちの死にたい理由が、身近な親や大人のせいで被害を被った子どもたちが多いという実態が浮き彫りになっています。
集いのあと
映画では、最後の決を取る際、シンジロウが皆に生きて欲しいと言います。原作では、さらに何人かに提案をしています。
「主にケンイチ君、セイゴ君、ノブオ君、あとはタカヒロ君かな。もちろん他に誰か必要な人がいたら、僕の携帯の番号を教えるよ。頼むのは親にだけどね」
「初めまして。僕はシンジロウ君の友達で、実は人殺しで自主したいんです。っていう自己紹介になるよ」笑って話すノブオに、「いいんじゃないかな」と返すシンジロウ。
解決はできないかもしれないけど、相談することは出来る。これから生きていくために。
それを聞いていたリョウコまでも、シンジロウの番号を聞いてきます。うらやましがる面々。
また、セイゴはケンイチに言っていたことがありました。「ここに来る前なら俺がなしつけに行ってやるのに」
ケンイチが最初に手を挙げてくれたからこそ、今の自分が存在する。その言葉通りセイゴは、ケンイチの味方になってくれることでしょう。
まとめ
大人気作家・冲方丁の初の現代ミステリー小説を、堤幸彦監督が映画化した『十二人の死にたい子どもたち』。原作と映画の違いを紹介しました。
映画化にともない、複雑に絡まるミステリーを映像で分かり易く、そしてなぜ死にたいのかという子どもたちのメッセージが鮮明に明かされています。
悩みは人それぞれ。どう受け止めるかは自分次第です。悩みに軽い重いはありません。
しかし身近な大人、親の影響、また環境によって大きく作用される子どもたち。
自分の命の価値を知り、どう生かすのか。それを教えるのは大人の役目なのではないでしょうか。
また、命が産まれる場所、病院が舞台なのも考え深いです。この世に授けられた命に個人差はなく、皆尊い命なのだと改めて気付かされます。
最後の決議で、生きるために手を挙げていく12人の子どもたちの姿に感動することでしょう。