オーストリアの作家シュテファン・ツバイクが1942年に発表した小説『チェスの話』を映画化
オーストリアの作家シュテファン・ツバイクの小説『チェスの話』を『ゲーテの恋~君に捧ぐ「若きウェルテルの悩み」~』(2010)のフィリップ・シュテルツェル監督が映画化した『ナチスに仕掛けたチェスゲーム』。
ヨーゼフ役を『帰ってきたヒトラー』(2016)でアドルフ・ヒトラー役を演じたオリバー・マスッチが務めました。
ヨーゼフは久々に再会した妻と共に、ロッテルダム港でアメリカに向かう船に乗ります。
かつてウィーンで公証人の仕事をしていたヨーゼフは、オーストリアを併合したナチスドイツによってホテルに監禁されていました。
その出来事により手が震え、やつれ果てたヨーゼフは、船で行われていたチェス大会で世界チャンピオンを引き分けに持ち込みます。
初めてチェスの駒を触ったというヨーゼフですが、ヨーゼフのチェスの強さには悲しき理由があったのでした。
映画『ナチスに仕掛けたチェスゲーム』の作品情報
【日本公開】
2023年(ドイツ映画)
【監督】
フィリップ・シュテルツェル
【原案】
シュテファン・ツヴァイク(「チェスの話」)
【キャスト】
オリバー・マスッチ、アルブレヒト・シュッフ、ビルギット・ミニヒマイアー、アンドレアス・ルスト、ザムエル・フィンツィ、ロルフ・ラスゴード
【作品概要】
ウィーン出身の小説家・劇作家・詩人であるシュテファン・ツヴァイクは、1881年に事業家のユダヤ人の裕福な家庭に生まれます。
第一次世界大戦下で反戦運動を行っていたシュテファン・ツヴァイクは、ナチスが台頭するなか、イギリス、アメリカ、最後はブラジルに亡命します。ヨーゼフがアメリカに向かう船に乗る様子などは、シュテファン・ツヴァイクの実体験に基づいているのでしょう。
シュテファン・ツヴァイクは、1942年に『チェスの話』の原稿を各所に送った後、妻と睡眠薬の過剰摂取でこの世を去ります。第一次世界大戦で破壊されたヨーロッパを目にしてきたシュテファン・ツヴァイクは繰り返す惨状に絶望したのかもしれません。
そのような『チェスの話』をもとに、フィリップ・シュテルツェル監督が、チェスを武器に命をかけてナチス親衛隊と心理戦を繰り広げる姿を描き出しました。
映画『ナチスに仕掛けたチェスゲーム』のあらすじとネタバレ
ヨーゼフはアメリカに亡命するためロッテルダム港に向かうと、離れ離れになっていた妻のアンナと再会します。2人は強く抱き合い、船に乗ります。
頬はこけ、やつれはて手の震えが止まらないヨーゼフは、船の客室で今まで自分が置かれていた状況がフラッシュバックします。
それは1938年ナチスドイツによるオーストリア併合前夜のことでした。公証人で裕福な暮らしをしていたヨーゼフは、いつものようにアンナとパーティに出かけます。
「ウィーンが踊るかぎり、大丈夫」とナチスドイツの不穏な動きに対し危機感を覚えていなかったヨーゼフでしたが、パーティの最中に友人のゲオルグに呼び出されます。
ゲオルグは、「今日のうちにオーストリアにナチスドイツが侵攻する、今のうちにオーストリアから逃げるんだ」とヨーゼフに忠告しますが、ヨーゼフは「今日はアンナと踊ってシャンパンを飲んで終えたい」とゲオルグの忠告を聞こうとしません。
ゲオルグは、リストにヨーゼフの名前があること、動向は全て知られていることを伝え一刻の猶予もないことを訴えます。やっとヨーゼフは逃げる決意をし、アンナに先に逃げるように言います。
ヨーゼフは1人事務所に戻り金庫内の書類など重要な書類を燃やしていました。急いで父と管理している貴族の資金がある金庫の暗証番号を暗記していると、追っ手がやってきてしまいます。
咄嗟にベランダに逃げますが捕まってしまい、ホテル・メトロポールに連行されます。余裕の素振りで口を割ろうとしないヨーゼフに、ゲシュタポのフランツはヨーゼフを“特別処理”にするように言います。
“特別処理”とは、家具しかない部屋に監禁し、精神的に追い込むことでした。話し相手もなく、無言でスープとパンを時間がくれば運んでくるだけ、ヨーゼフにとってなくてはならない書物もありません。
何日も監禁され時間の感覚が狂っていく日々で、ヨーゼフは肉体的にもやつれ、精神面でも崩壊し始めます。
その頃の後遺症を抱えるヨーゼフは、船の中でも時折錯乱してしまいます。そんなヨーゼフをアンナがなだめていましたが、ある時目を覚ますとアンナの姿がありません。
船員に聞いても最初から1人部屋だった、レストランにも1人で来たと言われます。ヨーゼフが見たはずのアンナの姿は、どこにもないのです。
動揺したまま船内をうろついていたヨーゼフは、世界チャンピオン相手にチェス大会をしているところを見かけます。船のオーナーが次の手を打とうとしているところを見たヨーゼフは、「その手は駄目だ、相手は罠を仕掛けた。そこに駒を置くと負ける」と言います。
当然の乱入に最初は誰もがヨーゼフの言うことを相手にしませんでしたが、ヨーゼフがいつかの試合と同じ手だと呟き続けているのを聞いたオーナーは、「この人はチェスに詳しいようだ、ならば次の手を教えてくれ」と言います。
ヨーゼフは次の手を打ちます。するとその手を見た世界チャンピオンが驚いた顔をします。そして次の手を打ちます。するとすかさずヨーゼフが次の手を打つ…しまいにチャンピオンは引き分けと認め、ヨーゼフに握手を求めます。
世界チャンピオン相手に引き分けに持っていったヨーゼフに、会場はどよめきオーナーは皆にシャンパンをふるまいます。
部屋に戻ろうとしたヨーゼフをオーナーは引き留め、「どの大会に出ていたのだ?」と質問します。するとヨーゼフは「大会に出たことはない、駒に触れたのも初めてだ」と返します。
ヨーゼフのチェスの強さには悲しき過去があったのです。
映画『ナチスに仕掛けたチェスゲーム』の感想と評価
ナチスドイツに対し、屈することなくチェスを武器に対抗した男を描いた映画『ナチスに仕掛けたチェスゲーム』。
主人公の抱えているトラウマの正体について観客は徐々に知っていくと同時に、本作の時間軸がどのように動いているのかも分からぬまま物語が展開してきます。
戦争を題材にしたドラマでありながら、サスペンスフルに展開していき、最後に知る真実の残酷さに、戦争の持つ傷跡の大きさを改めて知らされるのです。
しかし、よく見てみると冒頭から伏線は散りばめられており、徐々にそのピースがはまっていく、見事な構成になっていることが分かります。冒頭、船に向かうヨーゼフがサインした名前にはヨーゼフの文字が入っていません。
船に乗った男の名前はヨーゼフではなく、船の上でチェスの大会を繰り広げた男の名前であり、その男はヨーゼフが読んだチェスの本にのっていました。そのことから船での出来事はヨーゼフの想像上のことであり、時間軸は過去でも未来でもないのかもしれません。
自分自身をチェスプレイヤーに重ねチェスの手を書き連ねたヨーゼフは、結果的にフランツ及び彼が属するナチスドイツに勝ったと言えるのかもしれませんが、勝利に対して払った代償は大きすぎるものでした。
ヨーゼフは監禁され精神的な拷問の果てに自分自身を失ってしまったのです。この絶望的な結果は、『チェスの話』の原稿を書き、死を選んだシュテファン・ツヴァイクにつながるものがあるのかもしれません。
生き残って後世に伝えようとした人が多くいるなかで、自死を選ぶことは必ずしも良いこととは言ませんが、『チェスの話』を通してシュテファン・ツヴァイクが伝えたかったこと、それを映像化することでフィリップ・シュテルツェル監督が伝えようとしたことは、今を生きる私たちが改めて考えるべきことであります。
「ウィーンが踊るかぎり、大丈夫」と言っていたヨーゼフの身に起きたことは、残酷であってはならないことですが、戦争は突然起こり、当たり前の日常を奪ってしまいます。それこそが戦争なのです。
しかし、パーティに向かう車に対し、ナチスドイツを称える労働者たちは「金持ちめ」と罵声を浴びせ車を倒そうとしています。そのような世情から戦争へと向かう気運があることは、ヨーゼフにも分かっていたと思います。
実際シュテファン・ツヴァイクは、ナチスが台頭し始めるザルツブルクから亡命し、ニューヨークへと渡っています。第一次世界大戦を経験したシュテファン・ツヴァイクは、繰り返してはならないと反戦活動をし続けていました。
それでも世界は戦争に向かい、第一次世界大戦、第二次世界大戦を経験した現代でも戦争というものはなくならず、繰り返し続けています。
戦争を繰り返してしまう絶望、屈することなく戦い続けること、そして戦争による傷跡の深さ…全て様々な映画や書物で繰り返した語られてきたことですが、それでも繰り返してしまうことこそが、現代の私たちが考えるべきことなのでしょう。
まとめ
劇中でもチェスは心理戦であるという発言があります。チェスは、相手がうった一手を見て次の手、更にその次の手と先を読んで、自分の手が相手に勘付かれないように守りながらも攻撃していかねばなりません。
そのような究極の心理戦を監禁下でフランツと繰り広げヨーゼフは勝利します。
戦争というものの残酷さを描く一方で本作は究極の心理戦と、錯乱した精神状態をフラッシュバック等を用いてサスペンスフルに描き上げます。
主人公であるヨーゼフの視点で物語は展開されていきますが、妻のアンナが自分にしか見えていなかったり、手の震えが止まらなかったりと、観客はヨーゼフ自身も信用できるわけではないと気づかされます。
数々のピースがはまっていくことでラストの真実に驚かされる、サスペンス映画としても非常に見せ方の上手な映画になっています。