映画『パラダイス・ネクスト』は2019年7月27日公開。
謎の多い男と、裏社会で生きてきた男。
2人の日本人の、台湾での逃避行を描いたノワール映画『パラダイス・ネクスト』。
「楽園」の存在を問いかける、本作の魅力をご紹介します。
映画『パラダイス・ネクスト』の作品情報
【公開】
2019年(日本・台湾合作映画)
【監督・脚本】
半野喜弘
【プロデューサー】
小坂史子
【キャスト】
妻夫木聡、豊川悦司、ニッキー・シエ、カイザー・チュアン、マイケル・ホアン、大鷹明良
【作品概要】
全編台湾ロケで撮影された、妻夫木聡と豊川悦司ダブル主演によるノワール・サスペンス。
数多くのアジアを代表する映画監督の音楽を担当してきた、半野喜弘が監督と脚本を務め、何度も企画中止の危機を乗り越え完成させた渾身の作品です。
本作のテーマ曲は坂本龍一が担当しています。
映画『パラダイス・ネクスト』のあらすじとネタバレ
台湾で静かに暮らす、無口な男の島。
島は地元を仕切る裏社会の男、ガオにかくまわれながら、ひっそりと生きていました。
しかし、島の前に牧野という若者が現れます。
馴れ馴れしく軽いノリの牧野を警戒し、当初は無視していた島ですが、牧野の「あのパーティー会場にいた」という言葉が、島は気になります。
1年前、島はシンルーという女性の警護を担当していましたが、シンルーがパーティー会場で不審な死を遂げてしまいます。
シンルーを守れなかった過去は、島にとって簡単に振り払える事ではなく、台湾に来るキッカケを作った事件でもありました。
しばらく牧野の面倒を見ることにした島でしたが、島をガオに紹介したヤクザの加藤に、牧野を殺すよう指示を出されます。
島は牧野に暴行を加え、知っている事を聞き出そうとしますが、牧野は「あのパーティー会場にいただけ」と、真相を話しません。
迷った島はガオの提案で、牧野を連れて田園地帯の花蓮に身を隠す事にします。
武器は、ガオから受け取った拳銃のみ。
映画『パラダイス・ネクスト』の感想と評価
『パラダイス・ネクスト』は台湾で静かな生活を送っていた男と、台湾へ逃げて来た男の逃避行を描いた作品です。
主要キャラクターとなる、2人の男のキャラクターや作品における役割が、はっきりと対照的である事が特徴となっています。
豊川悦司が演じる裏社会で生きてきた男、島は常に仏頂面の無口な男です。
そして、その島を頼って台湾に逃げてきた男、妻夫木聡が演じる牧野は、軽いノリでお喋りな性格。
ですが、牧野は「何故、島を頼ってきたのか?」「島が関わった事件の真相」など、本当に重要な事は何も語りません。
次第に観客は、牧野の明るさが不気味に感じてくる為、無口で仏頂面の島に感情移入するようになります。
そんな対象的な2人の男の逃避行は、シャオエンという女性に出会った事で新たな展開を迎えます。
シャオエンの住む、広大な屋敷に住むことになった2人ですが、積極的にシャオエンと交友し、親交を深める牧野と違い、島は相変わらず無口で、シャオエンとは必要以上に会話をしようとしません。
ですが、シャオエンがタバコを吸おうとした際に、島がタバコを取り上げて遠くに投げるなど、シャオエンの事を気遣っている部分も見せます。
シャオエンは、島が護衛できなかった女性、シンルーに似ており、島は戸惑いながら接していました。
また、牧野はシンルーの殺しに加担していた事が、ラストで明らかになります。
ここでも、1人の女性を巡る牧野と島の過去が、対照的である事が分かります。
牧野がシャオエンに優しく接していたのは、シンルーへの罪滅ぼしのように見えますし、シャオエンを陰ながら見守っていた島は、護衛できなかった過去を払拭しようとしている印象です。
牧野と島にとって、辛い過去であるシンルーに似た女性、シャオエンと出会ったのは楽園の入り口で、3人で過ごした時間は楽園での一時と言えます。
ただ、そんな楽園での時間は、346という死神のような男の出現で終わりを迎えます。
シャオエンを失い、牧野がシンルーの殺しに加担した事を知った島の絶望。
ラストに、島が牧野に撃った銃弾は決別の意味が込められているのではないでしょうか?
楽園での夢のような時間の後の、絶望と孤独を抱え込んだ島の姿から、『パラダイス・ネクスト』という本作のタイトルの深さを感じます。
まとめ
本作は、物語や人物の説明的な部分は語られていない点が多く、抽象的な空気を感じる作品となっています。
島や牧野、シャオエンが過ごす、ゆったりと流れる時間が作品の大半で描かれており、鑑賞時は正直「ここの場面、長いな」と感じました。
ですが、シャオエンが亡くなり、牧野の過去が明らかになった後半の展開で、ゆったりと流れていた3人の時間の大切さ、二度と戻らないという非常さが浮き彫りになり「楽園の存在と、その後」を感じる構成であると感じました。
本作は鑑賞した人によって、印象の変わる作品となっています。
「楽園での時間」を体感し「楽園の存在」の意味を、皆さんも考えてみてはいかがでしょうか?