アメリカの闇そのものだった伝説のマフィア王の人生を描いたクライムサスペンス!
エタン・ロッカウェイが原案・脚本・監督を務めた、2021年製作のアメリカのR15+指定のクライムサスペンス映画『ギャング・オブ・アメリカ』。
禁酒法時代から戦後まで、全米最大の犯罪組織(シンジケート)を率い、アメリカの暗黒街を支配した伝説のマフィア王の人生とは、具体的にどんな人生を送ったのでしょうか。
ハーヴェイ・カイテルが老いた伝説のマフィア王マイヤー・ランスキーを、ジョン・マガロが若き日のランスキーをそれぞれ演じていくクライムサスペンス映画『ギャング・オブ・アメリカ』のネタバレあらすじと作品解説をご紹介いたします。
映画『ギャング・オブ・アメリカ』の作品情報
(C)2021 MLI HOLDINGS, LLC ALL RIGHTS RESERVED.
【公開】
2022年(アメリカ映画)
【脚本・原案】
エタン・ロッカウェイ、ロバート・ロッカウェイ(原案のみ)
【監督】
エタン・ロッカウェイ
【キャスト】
ハーヴェイ・カイテル、サム・ワーシントン、アナソフィア・ロブ、ミンカ・ケリー、デヴィッド・ジェームズ・エリオット、ジョン・マガロ、ジャッキー・クルス、デヴィッド・ケイド、アロン・アブトゥブール、シェーン・マクレー、ジェームズ・モーゼス・ブラック、クラウディオ・ベランテ
【作品概要】
『サモン・ザ・ダークネス』(2020)で製作総指揮を担当したエタン・ロッカウェイが原案・脚本・監督を務めた、アメリカのクライムサスペンス作品です。
本作はR15+指定されているため、15歳以上の方が鑑賞できる作品となっています。
主演を務めるのは『レザボア・ドッグス』(1992)のハーヴェイ・カイテル、共演は「アバター」シリーズのサム・ワーシントン、『オーヴァーロード』(2018)のジョン・マガロです。
映画『ギャング・オブ・アメリカ』のあらすじとネタバレ
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1981年、マイアミ。落ち目の作家デヴィッド・ストーンは、伝説のマフィア王マイヤー・ランスキーの伝記本を書こうと思い、彼に取材を申し込みました。
ランスキーは自分の伝記本を書くための条件を提示しました。それは長年の喫煙により肺がんを患い、余命宣告を受けたランスキーが死ぬまで、原稿は誰にも見せないこと。
ランスキーが許可するまで、ストーンに話したことは全てオフレコにすること、でした。
取材をする前に、ランスキーはなぜ自分の本を書きたいのか、ストーンに尋ねました。
ランスキーには3億ドルもの巨額の資産があるという噂が流れており、ストーンは誰も知らないその噂の真相を暴きたいからだと答えます。
ですが、ランスキーはそれは建前であると気づいていました。ストーンの本音は、別居中の妻子を養うための金が欲しいからでした。
ストーンの理由が分かったところで、ランスキーは自身の人生を赤裸々に語り始めます。
まずランスキーが話したのは少年時代のこと。彼は当時ロシア帝国領だったグロドノ(現在のベラルーシ、フロドナ)でポーランド系ユダヤ人の両親の間に生まれました。
ある日、ランスキーがおじと一緒にモスクワの道を歩いていると、武装したコサック隊が声をかけてきました。
コサック隊は「袋からイモを出して、投げ上げろ」と命じます。おじが素直に従うと、コサック隊は彼の手を剣で斬り捨てました。
最初からこれが狙いだったのかと察したランスキーは、強者が弱者を見下していたぶる姿を見て、もう二度とこんな惨めな思いはしまいと肝に銘じました。
その後、一家で渡米し、ニューヨークのブルックリンのブラウンズヴィル、次いでマンハッタンのロウアー・イースト・サイドのグランドストリートに住みました。
1912年。10歳になったランスキーは頭の切れる子供に成長し、特に数字が得意でした。
そんなランスキーが興味を持ったのはサイコロ賭博で、毎日賭けを観察していました。
そしていつの間にか、ランスキーは夕食代を賭けてサイコロ賭博をするようになりました。しかし結果は惨敗。
金を奪われ恥をかかされたことへの怒りは、ランスキーのその後の人生を変えます。
ランスキーはオッズと配当金を計算し、確率の変動を見守りました。その結果、ランスキーは1人の余所者がイカサマをして、ゲームを支配していることに気づきました。
その姿に憧れを抱いたランスキーは、自分もゲームを支配する側になろうと心に誓いました。
1916年頃、ランスキーはある男と出会います。ニューヨークのロウアー・イースト・サイド界隈にいたイタリア系のストリートギャングの一員、ラッキー・ルチアーノです。
ルチアーノは小遣い稼ぎでユダヤ人の用心棒をやっていた時、雪の中を歩いていたユダヤ人のランスキーに「アイルランドの連中から守ってやるから金を払いな」と言いました。
ところが、ルチアーノより頭1つ分小さいランスキーの返事は「くたばりやがれ、このイタ公」でした。
肝が据わっており、体格差にも屈しないランスキーの度胸にルチアーノは驚きました。この時から、ランスキーとルチアーノは生涯通じての友人となりました。
1918年。ランスキーはユダヤ人ギャング団「ゴールド・ダスト・ツインズ」で出会った男、ベンジャミン・シーゲルを相棒とし、ギャング団を組んで酒の密売と賭博で稼いでいました。
1929年9月、ランスキーは酒場で出会った女性アンナ・シトロンと結婚。彼女との間に3人の子供をもうけました。
しかし長男のバーナードは脳性マヒを患っており、一生自分の足で歩くことは出来ません。
この事実に、ランスキーは耐え難いほどのショックを受けたと、ストーンに語っていました。
以下、『ギャング・オブ・アメリカ』ネタバレ・結末の記載がございます。『ギャング・オブ・アメリカ』をまだご覧になっていない方、ストーリーのラストを知りたくない方はご注意ください。
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1930年。禁酒法時代、ニューヨーク市で起きたイタリア系マフィアの抗争事件「カステランマレーゼ戦争」で、ランスキーはニューヨーク組織犯罪最大のボスであるサラヴァトーレ・マランザーノに顔を知られていない無名のユダヤ系の殺し屋を集めました。
そしてルチアーノと、旧世代のシチリア系マフィアの構成員「口髭ピート」の抗争を手助けしました。
1931年。ルチアーノがニューヨーク・マフィアを制すると、ランスキーはシーゲルとイタリア系・ユダヤ系のギャングであるルイス・バカルターらと共に、冷血な殺人集団「殺人株式会社(マーダー・インク)」の設立に関わりました。
1937年、ニューヨークでナチズムが台頭。ルチアーノは殺人・酒の密造・密売・労働組合の恐喝・みかじめの取立てなどの数多くの容疑で逮捕され、刑務所に入れられてしまいました。
ランスキーは彼を助ける方法を考える一方で、ユダヤ系ギャングと共に、ニューヨークで集会をしていたナチス協会を襲撃。
この時ランスキーは、「自分がいる限り、二度とユダヤ人を迫害させない」と心に誓いました。
1942年、ニューヨーク州北部。ランスキーはアメリカ海軍情報局のハフェデン大尉から、アメリカ政府と港にいるマフィアの橋渡し役を命じられました。
実はこの時、ドイツ軍が北大西洋全域にある船を破壊。アメリカ国内にスパイ団を放ち、無数の攻撃作戦を実行しようとしていたのです。
また、アメリカ海軍は港や繁華街などで日本・イタリア・ドイツの諜報活動に対抗するために、マフィアの協力が必要でした。
ランスキーはこれを引き受ける代わりに、ニューヨーク・ダンネモラにあるクリントン刑務所で服役中のルチアーノの釈放を求めました。こうして通称「暗黒街計画」が始まったのです。
ルチアーノは刑務所の中から、ランスキーたちに自分たちの支配力を講じるよう命じた結果、彼らはスパイ団を暴き、ドイツの諜報網を一掃しました。
このことがなぜ報道されなかったかというと、アメリカ政府がマフィアによって国が救われたと認めたくなかったからです。
ランスキーは組織犯罪の元祖であるアーノルド・ロススタインが深く関わっていた賭博リゾート「サラトガスプリングス」で、アメリカのマフィアのフランク・コステロらと共に違法賭博のノウハウを学びました。
そして1933年の禁酒法の廃止と前後してニューヨークの外に進出。ケンタッキー、フロリダ、ニュージャージーなどに次々と闇賭博の拠点を作りました。
そんなランスキーに目をつけたマランザーノは、彼がゼロから築いたカジノ事業に投資したいと名乗り出ました。
ランスキー曰く、マランザーノは古代ローマで最大の野心家と言われるジュリアス・シーザーに憧れていたといいます。
それ故に、シチリアファミリーが世界を支配するという壮大な夢を持っていましたが、シチリア人以外の参加は認めませんでした。
国際的なシンジケートを目指すルチアーノのために、ランスキーたちはマランザーノと彼の手下たちを暗殺しました。
その見返りとして、ランスキーはルチアーノに、マフィアの委員会(コミッション)の会議の席を要求。ルチアーノは彼を推薦すると約束しました。
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マランザーノ殺害後、ランスキーはマーダー・インクを使って勢力を固めました。そしてついに、ランスキーはコミッションの会議の席を手に入れ、ジョゼフ・ボナンノやコステロ、アル・カポネら全米から集まった移民系のマフィアのボスと肩を並べる存在にまで上り詰めました。
一方シーゲルは、ランスキーからネバダ州ラスベガスにカジノホテル「フラミンゴ・ホテル」の建設プロジェクトに任命されました。
1946年。キューバの賭博業は規制がなく、やりたい放題でした。再び政府がカジノを運営するにあたり、キューバのフルヘンシオ・バティスタ大統領はランスキーをアドバイザーにと指名しました。
当然、キューバへの進出を考えていたランスキーはこれを快諾。合法的に政府の認可を受けてイカサマなしでカジノを運営した結果、あっという間に大金を稼いだランスキーは、キューバ最大のカジノ経営者となりました。
そしてランスキーのカジノ運営手腕により、キューバは国際的な賭博の聖地となったのです。
アメリカ国外に樹立した犯罪帝国に法の手は及ばず、シンジケートは世界最大の賭博会社を所有。ランスキーはそのCEOになりました。
ビジネスが成功する一方で、ランスキーは仕事に没頭するあまり家庭を蔑ろにしてしまい、アンナとの喧嘩が絶えず、1946年に離婚してしまいました。
ランスキーが元妻と3人の子供たちをフロリダ州のカジノホテル「ホテル・コロニアル」に家族を招待した日、イスラエルのゴルダ・メイア首相の代理人であるヤリーフが面会しにやって来ました。
ヤリーフ曰く、イスラエルの民がヨーロッパ中で虐殺され、パレスチナ入植が難航しているとのこと。
国の未来とユダヤ人の生き残りを賭けて戦うための支援をしてくれないかと、ランスキーに頼みにきたといいます。
ランスキーは同胞のためならばと、イスラエルに武器を購入するための金と、武器や兵器を寄付することにしました。
1947年。ランスキーはラスベガスにいるシーゲルに電話をかけました。その理由は、戦時中の資器材の高騰で材料費はオーバーし、工事が遅れていること。
挙句の果てに、シーゲル自身の放蕩などで経理がずさんとなり、数百万ドルの資金を溶かしたという噂を耳にしたからです。
これに対しシーゲルは、ランスキーに黙っていたことを素直に謝罪し、絶対プロジェクトを成功させると約束しました。
ランスキーはその言葉を信じて、シーゲルがやらかしたことにおかんむりだったルチアーノたちを説得し続けました。
しかしその説得もむなしく、シーゲルは責任を取らされ暗殺されてしまいました。
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ランスキーへのインタビューが終わりに近づいた頃、ストーンは宿泊先のホテルで出会い恋に落ちた女性モーリーンから、FBIが3億ドルともいわれるランスキーの巨額資産について捜査していることを聞かされます。
実は麻薬密売の容疑で逮捕されたモーリーンの元恋人が、FBIに仲間や共犯者について話しました。その共犯者の1人に、モーリーンの名前を挙げたのです。
そしてFBIはモーリーンに司法取引を持ち掛け、ランスキーにインタビューしているストーンに近づくよう命じました。
つまり、2人の出会いは最初からFBIに仕組まれたものだったのです。ですがモーリーンは、ストーンとの関係は本物だと訴えました。
モーリーンが姿を消した後、ランスキーの巨額資産について捜査しているFBIの特別捜査官フランク・リヴァーズとグレッグ・クンツが、ストーンに直接接触してきました。
フランクたちはストーンに捜査への協力を求めました。もしストーンがランスキーから巨額資産について聞きだしてくれれば、15万ドルの報奨金を支払う、と。
ですが捜査に協力しなければ、ランスキーにFBIに密告したとバラすと言うのです。もはやストーンに選択肢はありませんでした。
フランクたちはストーンの他に、ランスキーの元妻アンナにも接触し、彼の巨額資産について尋ねました。
これに対しアンナは、「マイヤーが初めて大金を稼いだ場所である、キューバを探ってみるといい」と答えました。
1959年のキューバ革命(アメリカからの支援と庇護を受け、事実上の傀儡政権であったバティスタ政権を打倒するに至った武装解放闘争)で失われたとFBIは思っていましたが、バティスタはランスキーだけを信用し、キューバをカジノなどのある歓楽街「モンテカルロ」へと変貌させたいという彼の望みを叶えたといいます。
その後の調べで、フランクたちはピンカスというランスキーの仲間の存在を突き止め、ストーンに探りを入れるよう命じました。
その結果、ピンカスとは、第二次世界大戦後スイスに移り、ランスキーの口座管理をしていたソール・ローゼンスタインのあだ名であることが判明。
しかしストーンがランスキーに彼のことを聞いた直後、ローゼンスタインはスイス・ジュネーブで交通事故で亡くなりました。
フランクはストーンにランスキーとはもう関わるなと警告し、単身ジュネーブへ。そこでイスラエルへの資金移動の記録があることを突き止めます。
そのイスラエルの銀行名は「メキーフ」。だからこそランスキーは、晩年を過ごす場所としてイスラエルを選んだのだとフランクは推測しました。
フランクはすぐさまイスラエルへ飛び、テルアビブにあるメキーフ銀行に足を運びましたが、金庫にあったのは金ではなく、「見つかるものか」と記されたランスキーからの手紙でした。
そう、FBIがランスキーの巨額資産を捜査していることも、ストーンがその捜査に協力したことも、彼は知っていたのです。
ですがランスキーは、ストーンの裏切りをあっさりと許しました。そして10年前、イスラエルであったことを話しました。
10年前、イスラエルのテレビインタビューに応じたランスキーは、ユダヤ人としてイスラエルに帰化したい、余生をイスラエルで過ごしたいと話しました。
ですが、ランスキーは知人の弁護士ヨラム・アロイからの情報で、アメリカとの戦闘機の供給を要請したメイア首相が、その交渉の交換条件として自分をアメリカへ強制送還しようとしていることを知ります。
イスラエルを支援してきたのに、ユダヤ人なのに祖国から追放され裏切られたことに激怒するランスキー。
ですが既にアメリカへの強制送還の手筈が整っており、ランスキーは法廷侮辱罪とフラミンゴ・ホテル絡みの共謀罪に問われ、ランスキーはアメリカに強制送還されました。
しかしその後、罪は取り下げられ、ランスキーは保釈されました。以来彼は、マイアミの閑静な隠れ家で質素な生活を送っていました。
インタビューの最後に、ストーンは巨額資産はどこにあるのか尋ねます。するとランスキーは、ある施設に案内しました。
そこには、病状が悪化し脳死状態となったバーナードの姿がありました。ランスキーは「話は終わりだ、家族の元へ帰れ」と言ってストーンを部屋から追い出すと、涙を流しながらバーナードを抱き締めました。
その後、帰路についたストーンはこう思いました。ゲームの支配に人生を捧げたランスキーは、人生というゲームこそ支配できないと悟ったのだと………。
1983年1月15日、ランスキーは肺がんで死去。疑惑の巨額資産はまだ見つかっていません。
ランスキーが開拓した賭博ビジネスは、年間2500億ドルをアメリカ経済に貢献し、200万人の雇用を生んでいます。
映画『ギャング・オブ・アメリカ』の感想と評価
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ベストセラーの本を出して一発逆転したい落ち目の作家ストーンと、伝説のマフィア王ランスキーには正反対な人生を歩んでいますが、彼らには共通点がありました。
それは「仕事に没頭するあまり家庭を蔑ろにしてしまったこと」です。ランスキーはアンナと離婚し、ストーンは妻と別居中でしたが、物語の後半で娘から妻が浮気していることを知らされます。
そしてもう1つ、ランスキーとストーンはとても家族思いの男で、特に子供に対する愛情は深く、「子供たちは自分のようになってほしくない」と願っていました。
互いに通じるものがあるからか、数日間にわたるインタビューを経て、ランスキーとストーンの間にまるで親子のような絆が生まれたのでしょう。
ランスキーがストーンのことをとても気に入っていること、そしてストーンもまたランスキーの不思議な魅力に惹かれていることが窺える描写が作中随所描かれていました。
そんな2人を見ていると、インタビューが終わってしまうのがとても寂しく感じます。ランスキーが死んでもなお、ストーンが彼のことを心の中で覚えていてくれたらいいなと願うほどに………。
一方で、ランスキーがストーンに語った半世紀以上に及ぶギャングたちの壮絶な抗争の記録は、とてもスリリングで迫力があり、登場するギャングたちはとても格好良いです。
ランスキー視点で見るアウトローの世界は、彼に感情移入すればするほど、自然とアウトローに魅了され、ドハマりしてしまいます。
まとめ
(C)2021 MLI HOLDINGS, LLC ALL RIGHTS RESERVED.
落ち目の作家の取材に応じた伝説のマフィア王マイヤー・ランスキーが、半世紀以上に及ぶギャングたちの壮絶な抗争を赤裸々に語っていく、アメリカのクライムサスペンス作品でした。
本作の見どころは、禁酒法時代のランスキーたちギャングの抗争や、ランスキーとその家族のドラマ、そしてランスキーの巨額資産について捜査するFBIとの駆け引きです。
貧しい幼少時代に得た教訓がランスキーの人格を形成し、ルチアーノとの出会いで裏社会の世界に入り、そしてマーダー・インクを組織し、ついにはアル・カポネやフランク・コステロと肩を並べる存在にまで上り詰めていったランスキー。
FBIですら見つけられなかったランスキーの巨額資産は、一体どこに隠されているのか、最後まで分からずじまいでした。
ですが、ランスキーがストーンに脳死状態となっている息子のバーナードの姿を見せたということは、彼の巨額資産はバーナードへの延命治療に充てられているのか、もしくはバーナード自身がランスキーにとっての資産なのではないかと考察できます。
また、サム・ワーシントン演じる作家デヴィッド・ストーンのモデルは、実際に生前のランスキーにインタビューを行った、本作の原案・脚本・監督を務めたエタン・ロッカウェイの父親であるロバート・ロッカウェイです。
落ち目の作家が暴いた、アメリカの暗黒街を支配した伝説のマフィア王の真実を描いたクライムサスペンス映画が観たい人に、とてもオススメな作品です。