高速道路で暮らす貧困家族が引き起こす事件ととある一家との交流
貧困家族と中古家具屋を営む一家の交流を通して、韓国社会が抱える問題、共に生きるということを描くサスペンスドラマ『高速道路家族』。
高速道路を転々としながら、2度と会うことのない客に2万ウォンを借りて食いつないでいたギウとその家族の物語です。
以前一家にお金を貸したヨンソンは別のサービスエリアで一家に遭遇し、不審に思い警察に通報してしまいます。しかし、ギウと引き離され途方にくれる一家を放っておけないヨンソンは自分の家に来ないかと声をかけます。
『太陽を抱く月』など大ヒットドラマに出演したチョン・イルが7年ぶりにスクリーンに復帰し、一家を支えようとする父親・ギウを熱演。また中古家具屋を営むヨンソンを、『正直政治家 チュ・サンスク』(2023)で青龍映画賞主演女優賞を受賞したラ・ミランが演じます。
監督は、『スキャンダル』(2018)のイ・ジェヨン監督などの元で助監督として経験を積み、本作が長編監督デビュー作となったイ・サンムンが務めました。
映画『高速道路家族』の作品情報
【日本公開】
2023年(韓国映画)
【原題】
Highway Family
【監督・脚本】
イ・サンムン
【キャスト】
チョン・イル、ラ・ミラン、キム・スルギ、ペク・ヒョンジン
【作品概要】
数多くの新人監督を発掘してきた釜山国際映画祭で上映され、話題を集めた映画『高速道路家族』の監督を務めたのは、イ・ジェヨン監督の『スキャンダル』(2018)、『バッカス・レディ』(2017)などで助監督を務め、本作が監督デビュー作となるイ・サンムン。
ラ・ミラン演じるヨンソンとペク・ヒョンジン演じるドファンの夫婦は、実際に中古家具屋を営んでいるサンムン監督の義両親から着想を得たと言います。
様々なホームレスの資料で調査をし、サービスエリアが人々が暮らすために必要なものが揃っていることに気がついたサンムン監督は、産業の発展や資本主義の発展を象徴するかのようなサービスエリアで、人々にお金を借りてその日を食いつなぐホームレス一家を描き出しました。
映画『高速道路家族』のあらすじとネタバレ
「妻の実家に行った帰りなのですが、財布をなくしたようで……すみません。2万ウォン貸していただけませんか」「ありがとうございます。家に帰ってたら返しますので、口座番号を教えてくれますか」
ギウ(チョン・イル)と妊婦のジスク(キム・スルギ)と2人の子ウニとテクの一家は、サービスエリアにやってくる客に2万ウォンを借りては食いつないでいました。
夜になるとテントをはり、一家で眠ります。朝、テントを見つけた警備員に片付けるように言われても口では「片付ける」と答えますが、無論そんな気はありません。
中古家具屋を夫婦で営むヨンソン(ラ・ミラン)は、サービスエリアのトイレで水道の水を飲むウニを見て「飲んじゃダメよ」と思わず声をかけます。ウニは驚いた顔をして何も言わず逃げていってしまいます。
その後、ヨンソンが車に乗ろうとすると、ギウが近づきお金を貸してほしいと言います。どこまで帰る予定なのかとヨンソンが尋ねると馬山とギウは答えます。
子どもの頃に馬山に住んでいたとヨンソンは懐かしそうに言い、ギウに2万ウォン貸します。そして食堂で客の様子をのぞき見していたウニとテクを見かけていたヨンソンは、可哀想に思ってさらに5万ウォンをウニに渡します。
金を借りることのできた一家は食堂で楽しそうに食事をします。楽しそうな一家ですが、先の見えない生活に不安を感じていました。
空き家に寝泊まりしながらサービスエリアからサービスエリアへと移動し、その日暮らしを続けていた家族ですが、以前とは別のサービスエリアで再びヨンソンと遭遇してしまいます。
詐欺をしていることを認めないギウにヨンソンは警察に通報し、逃げ出す一家を追いかけます。妊婦のジスクは早く走れずヨンソンに追いつかれてしまいます。
するとジスクは膝をついてヨンソンに二度としないから見逃してくれと懇願します。ジスクの必死さにヨンソんは言葉を失います。そのままジスクは逃げ出し、何とかギウと子どもたちと合流することが出来ました。
しかし、ギウは通報さえしなかったらと壊れたように錯乱し始めます。子供たちは父親の姿に怯えて泣き出し、ジスクは必死にジウを押さえつけて落ち着かせようとします。
映画『高速道路家族』の感想と評価
差し伸べられた手
高速道路で客から2万ウォン借りて何とか食いつないでいるギウ一家。
一家は社会から見放され、周りの人々も、公共福祉からも手を差し伸べられていない人々だと言えます。そんな家族に手を差し伸べたのは、中古家具屋を営むヨンソンでした。
ヨンソンとドファン夫婦は、ギウ一家よりお金はあるものの『パラサイト 半地下の家族』(2020)に登場した富裕層の家庭ほど、裕福なわけではありません。一般的な家庭に近いのではないでしょうか。
ヨンソンがギウ一家を放っておけなかったのには、自身の息子を失っている喪失感などもあると思いますが、ヨンソンは家族でなくても誰にし対しても招き入れてしまう性格なのでしょう。
中古家具屋で働く従業員も、作中で「チベットからやってきた」と語っています。彼がなぜ韓国に来てここで働いているのかは詳しく説明されませんが、ヨンソンは偏見なく人々を迎え入れてくれる雇い主であると思われます。
また「家賃が上がったため、賃金を上げてしい」と従業員が言っていたことをドファンがヨンソンに告げた場面にて、ヨンソンは「家賃が高いならここに住めばいいのに」と口にしますが、ドファンは「仲間と住んでいる今の家が居心地良いのだろう。賃金を上げてやれないか」と答えます。
ギウ一家に出会う前の夫婦の会話ですが、この会話には、夫婦それぞれの人柄が表れています。ドファンは気にかけつつも、向こうの事情を気にして自分から介入しようとはしません。しかし、その一線を超えて手を差し伸べようとするのがヨンソンなのです。
そのような夫婦の違いが、いいバランスとなり、救いを求める人にとって居心地の良い場所となっているのかもしれません。
その後の作中、距離をとっていたように見えたドファンが、ジスクに「君がどのように生きてきたのか知りたい。けれど無理して話す必要はない」と言う場面があります。
その言葉を聞いてゆっくりですが、ジスクは自分のことを話し始めます。ジスクは施設で育ち、まともに教育は受けていないと言います。
働いていた食堂で当時学生であったギウに出会い、間もなくして娘を授かるもギウは中退して仕事を転々としていました。そんな時、投資の話に誘われ言われるまま投資したところ詐欺に遭い、罪をなすりつけられたのです。
ジスクにとってギウは「初めて差し伸べられた手」だったかもしれません。ジスクは夫を信じ、支えてきました。そんなジスクに再び手を差し伸べたのは、ヨンソン夫婦でした。
温かい食事と寝床を得たジスクは、身を切るような思いでギウと離れる決断をしました。子供たちに父親が必要なことも、家族で共に生きていきたい気持ちもあったはずです。
それでも、高速道路で先の見えない生活に戻るわけにはいかなかった、それは子供の将来のためでした。自分がまともな教育を受けられずに育ったジスクは自分の子供たちから教育の機会を奪いたくなかったのでしょう。
精神の安定しないギウは弱さもある人間ですが、子供のため、家族のために考える人でした。だからこそ、最後に火の手からジスクを救ったのでしょう。
ギウが家族と共にいられなくなったのは、果たしてギウだけの責任なのでしょうか。選択肢を奪われ、差し伸べられる手もなく生きていくしかなかったギウ一家。
誰かのせいにしても変わらないかもしれません。それでも、手を差し伸べることは、誰にでもできるはずです。
まとめ
高速道路で暮らす家族と、中古家具屋を営む夫婦。二つの境遇も全く違う家族の交流を通して、韓国社会が抱える問題を浮き彫りにした『高速道路家族』。
この映画で描かれている問題は韓国だけでなく、日本、そして世界中の国々にとって無関係ではないでしょう。日本も韓国同様経済成長によって生活は豊かになっていきました。
その一方で経済格差も広まっています。産業の発達の象徴とも言うべき、高速道路、何でも揃うサービスエリア、そこで暮らす何も持たざるギウ一家の対比が何とも皮肉です。
サービスエリアにいる人の良さそうな客を見つけては財布をなくしたので2万ウォン貸してほしいとギウは頼みます。なお2万ウォンは、日本円にすると約2000円程度の金額です。
恐らく貸した側も返ってこなくてもいいという気持ちで貸しているのでしょう。返ってこないからといって警察に訴えて何としても捕まえてほしいとは思わない金額なのです。
貸した側にとってはそれほど気にすることのない金額が、ギウ一家にとっては毎日の頼みの綱であるという違いが、一家が抱える問題の残酷さを浮き彫りにしています。
ヨンソンが警察に訴えたのは、平然と詐欺をするギウや、お腹を空かせているウニとテクの姿を見て放っておけなかったからなのでしょう。なぜこのような生活をしているかという思いで通報したのであり、お金の問題ではなかったのでしょう。
一家にお金を奪われても誰もが無関心で、警備員もただ追い出すだけで一家に対して心配などしていません。それは警察もそうでした。
いざ捕まえようとしたらすぐ捕まったということは、それまで通報があっても真剣に取り合っていなかったことの表れなのではないでしょうか。その上、ギウが逃げ出したというのに必死になって探している様子もありません。
ヨンソン以外は誰もがギウ一家を見ても見て見ぬふりをしていたのです。現代を生きている私たちも面倒に巻き込まれたくないと見て見ぬふりを思わずしてしまいます。そんな無関心が生み出す問題について改めて考えさせられる映画でした。