同じ顔をした二人の男と一人の女。人は人の何に惹かれるのでしょうか?
柴崎友香の珠玉の恋愛小説を映画化!
前作『ハッピーアワー』でロカルノ、ナントをはじめ数々の国際映画祭で主要賞を受賞し、その名を世界に轟かせた濱口竜介監督の商業映画デビュー作『寝ても覚めても』をご紹介します。
映画『寝ても覚めても』の作品情報
【公開】
2018年(日本映画)
【監督】
濱口竜介
【原作】
柴崎友香『寝ても覚めても』(河出書房新社刊)
【キャスト】
東出昌大、唐田えりか、瀬戸康史、山下リオ、伊藤沙莉、渡辺大知、仲本工事、田中美佐子
【作品概要】
同じ顔をした二人の男に惹かれる一人の女・・・。東出昌大が一人二役に挑戦し、新星・唐田えりかがヒロイン朝子とともに成長した姿を見せる瑞々しい恋愛映画の傑作。
柴崎友香の原作を『親密さ』(2012)、『ハッピーアワー』(2015)の濱口竜介が映画化。初の商業映画デビューを果たした。第71回カンヌ国際映画祭コンペティション部門正式出品作品。
映画『寝ても覚めても』のあらすじ
朝子は、大阪中之島にある国立国際美術館で開催されている牛腸茂雄の写真展にやってきました。彼女の後ろをぼさぼさの髪をした背の高い男性が鼻歌を歌いながら軽やかに通り過ぎていきました。
朝子は男性の後ろ姿をみながらエレベーターを登っていきますが、まだ二人はここでは互いを意識していません。
美術館を出て、男性が右手に、朝子が左手へ曲がろうとした瞬間、中学生(高校生?)たちが遊んでいた爆竹が炸裂して無邪気にはしゃぐ彼らに挟まれる形で二人は顔をあわせます。途端に二人は恋に落ち、キスを交わすのでした。
朝子の友人の島春代は、「あの男はあかん。確かに顔はいいけど、一番あかんやつやで。しばらくしたら泣くことになる」と忠告しますが、朝子は男性の麦(ばく)という名前の由来を楽しそうに語るばかり。
麦は朝子をバイクに乗せて、道路を滑走していましたが、気がつくと、二人は道路に投げ出されていました。やがて目を開けた二人は笑いながら、近づき、キスを始めるのでした。事故の相手が戸惑ったように二人を見下ろしていました。
朝子の大学の知人である岡崎伸行の家に麦は下宿していました。朝子と麦、島春代は岡崎の家に集まって、食事をしたり、花火をして楽しい時を過ごしました。
すっかり夜も更けた頃、麦は「パンを買いに行ってくる」と言って、フラっと出ていきました。「今食べたとこやん。意味がわからん」という春代に岡崎は「一人になりたい時だってあるのよ」となんでもお見通しというふうに言い、朝子はフフっと笑って、いつの間にか眠ってしまいました。
目を覚ますと、体にはタオルケットがかけられていました。もう夜が明けていました。岡崎は起きて、ベランダの花に水をやっていました。
「今何時?」「6時くらいかなぁ」
朝子は麦がいないことに気が付きます。あわてる朝子に、麦は時々ふらっといなくなって、気まぐれに戻ってくる、こんなことしょっちゅうだから気にすることはないと岡崎は告げます。
やがて麦が帰ってきました。朝子は駆け寄って不安だった気持ちをぶつけるかのように麦に抱きつきました。おじいさんに出会って、ほうっておけなかったんだと麦は言い、必ず朝子のところに戻ってくるからと彼女を抱きしめるのでした。
それからしばらくして「靴を買いに行く」と言って、麦は出て行ったきり、帰ってきませんでした。
二年とちょっとの月日が過ぎていきました。
サラリーマンの亮平は東京勤務になって初めての日を過ごしていました。会議室には隣の喫茶店から配達されてきたコーヒーの入ったポットが置かれていました。
そのポットを取りに来たのが朝子でした。彼女も東京に出てきていたのです。朝子は亮平の顔を観て、目を見張りました。なぜなら、亮平は麦に瓜二つだったからです。
自分を見て凍りついている朝子の様子を不思議に思いながら亮平はポットを手渡しました。
その日から亮平は朝子のことが気になって、毎朝、喫茶店の前を通っては中を覗くようになりました。
そんなある日、亮平は偶然、朝子とその友人、鈴木マヤにギャラリーの前で出逢います。彼女たちはそこで開かれている牛腸茂雄の写真展を観に来たのですが、時間を過ぎていると入場を拒否されていました。
「まだ観ている人、いますよね。それなら、事前にその旨を記載すべきですよね」とマヤは粘りますが、ギャラリーの方も簡単には引き下がりません。
亮平は咄嗟に「僕ら、この写真展を観るためにわざわざ京都から来たんどす。バスが遅れてこんな時間になってしまって、お願いします!」と割って入り、入場を許可させることに成功しました。
観終わった三人はカフェで会話したあと、朝子が先に帰り、マヤと二人になった亮平はマヤがあの雰囲気の中でたくさん気を使ってくれたことに礼を言うのでした。
朝子とマヤはルームシェアをしているらしく、マヤは今度うちに来てくださいよ、と亮平に声をかけました。「朝子、お好み焼きだけは上手なんですよ」と。
そして、「気遣ってただけじゃないですよ。本当に楽しかったです」と亮平に向かって言うのでした。マヤは劇団に所属し、舞台を中心に活動しつつ、再現フィルムなどに出演しているのだそうです。
亮平は、会社の同僚の串橋耕介を「テレビなんかに出ている女優さんと合コン」という言葉で誘い、マヤと朝子の部屋を訪ねました。
四人はマヤが出演したチェーホフ作品の演劇のDVDを見ていました。亮平はマヤに賛辞を送りますが、串橋は突然、「俺帰るわ」と言いだしました。
「腹が痛くなったんで」という串橋にマヤは「映像を見たいといったのはあなたよ。気に入らなかったってこと?」と詰め寄ります。
「中途半端なんだよ。なんのためにやってるの?」と串橋に聞かれ、マヤが「お客さん」と答えると、串橋は「お客さんが喜んでくれてるだなんてどうやって判断するの? チェーホフをやるならそいつを自分に引き寄せるなよ」とマヤを詰り始めました。
そして、栗橋は突然、チェーホフの台詞を叫び始めました。
「僕はうだつのあがらない男です。軍人をやめたってどうせ同じでしょうがね。僕は働くことにしました・・・」と。
どうやら串橋もかつては舞台をやっていたようなのです。そして、マヤの演技を「誰にも届かない」と再び攻撃し始めました。
その時、奥で食事の準備をしていた朝子が毅然とした態度で、「私には届いた」と声をあげました。
「マヤのずっと努力する姿をみてきた。努力は的外れじゃない。私には届いた。私はマヤを尊敬する。私にはできないといつも思う」
静まる室内。亮平は串橋に言うのでした。「今帰ったらずっと恥ずかしいままやで」。
串橋は項垂れて、自分がマヤに嫉妬したことなど複雑な胸中を明かし、謝罪するのでした。
「批判してくれる人が一番ありがたいの」とマヤも串橋を気遣い、凍りついた空間は徐々に和やかな空間に変わっていくのでした。
それから数日後、亮平の会社にポットをとりに来た朝子は亮平を見てあわてて逃げ出しました。「なんで逃げるの?」階段を降りていく朝子を追いかける亮平。
亮平は朝子に追いつくと、「ずっと君のことが気になってる。君のことが好きなんやと思う」と告白します。
「君が思っているような怖いやつでも悪いやつでもない。俺のこと、ちゃんと見てくれ」
そう言うと亮平は朝子を引き寄せ、二人は互いの頬に手を添え、キスをしました。
こうして朝子と亮平は恋人同士になりますが、ある日、突然、朝子から電話がかかってきます。「私のことは忘れて」といったきり、彼女は姿を消してしまいました。喫茶店にも彼女の姿はありませんでした。
亮平はマヤの劇団の公演にやってきました。この日の昼は朝子が来るはずです。会えるのではないかと期待していたのですが、開演前に出てきたマヤは、朝子は別の日に変更したのだと告げます。
客席に座り、もうすぐ開演という時、突然、会場が激しく揺れ始めました。停電になり真っ暗の中、人々は揺れの中で席についたまま身動きすることができませんでした。
電気がつくと、舞台に置かれていた置物が落ちて割れ、客席から悲鳴のようなものが上がりました。芝居は中止となり、亮平は会社に戻るため外へでました。
電車は全て運休となり、人々は帰宅難民となり、ただ黙々と道路を歩いています。亮平が目を上げると、目の先に朝子がいるのに気が付きました。二人は見つめ合い、朝子は亮平の胸に飛び込んできました。
5年後。二人は一緒に暮らしていました。家には猫も同居していました。
二人は東北の被災地に車を飛ばしてずっとボランティアを続けていました。東北の人々はいつも二人を暖かく迎えてくれるのでした。大復興祭での活動を終えたあと、二人は美味しい牡蠣をいただき、お土産までもらってしまいました。
一人で運転して疲れ切った亮平は、床の上で眠ってしまいました。朝子はそんな亮平を愛おしく思い、彼の背中に頬を寄せるのでした。
ある日、亮平と一緒にショッピングに来た朝子は偶然春代に出逢います。彼女はシンガポールで国際結婚し、夫が転職して、東京にやってきたのだそうです。
再会を喜ぶ二人でしたが、亮平を見て春代は驚きます。亮平が席を立った時、春代は「亮平さんは知ってるの?」とささやきました。「言おうと思う」と朝子は答えました。
麦は芸能活動を始めていて、ビルの屋上の広告や、テレビに姿を表すようになっていました。
そんな中、亮平は大阪の本社に戻るよう辞令を受けます。「朝子も一緒に来てほしい。俺と結婚せえへんか?」
亮平のプロポーズに朝子は「嬉しい。すごく。でも私、亮平に言ってないことがある」と答えました。
「なんやそのことか。今更ええんちゃうか? 前に人から似てるって言われてん。似てたから付き合えるようになったんやろ? メチャクチャラッキーやったと思うようになってん」
そう答える亮平に朝子はヒシっと抱きつきました。
春代と公園で休日を過ごしていた時、女子高生たちが麦が来ていると騒いで、走っていく姿が見えました。朝子はためらうことなく、その方向に歩を進めていました。
一台の車を囲むように人が集まっていましたが、結局、麦は姿を表しませんでした。発車した車に向かって朝子は何度も何度も手を振るのでした。
朝子と亮平は転勤後の家を探しに大阪に来ていました。不動産屋が案内してくれた物件は淀川のすぐそばにある一軒家でした。朝子は川を眺めながら「私、働きたい!」と目を輝かせました。
「なりたいものになんでもなったらいいやん」と亮平は言い、二人はキスをするのでした。
「私、ここが好き。きっともっと好きになる」と朝子は言い、亮平は「だといいな」と微笑みました。
東京に戻った朝子は、亮平が串橋とマヤを連れて帰ってくるのを待っていました。串橋とマヤは結婚し、マヤは妊娠していました。
その時インターフォンがなり、扉を開けた向こうに「朝ちゃん、迎えにきたよ」という麦の姿を見て、朝子はあわててドアを締めます。
猫を抱きしめながら彼女は震えていました。しばらくして亮平が二人を連れて帰ってきました。
映画『寝ても覚めても』の感想
映画の冒頭、朝子と麦が出逢う場面が素晴らしすぎて、そこで既に本作が大傑作であることを確信しました。
二人を中央にして画面の左右に分かれて爆竹とともにジャンプする中学生(高校生?)たち。
ジョニー・トーの『ターンレフト・ターン・ライト』(2003)の男女のように、それぞれ右へ左へと曲がり別の道を行こうとしていた出逢うはずのなかった二人が、彼らの間に挟まれ動きを封じられたことで、向かい合い、一瞬に恋に落ちる。
このスローモションのショットに完全にまいってしまったのです。
「そんな馴れ初め、こんな世の中にあるかーい!」と後に、岡崎に突っ込まれてしまうのですが、『ターンレフト・ターン・ライト』のように、とことんすれ違い続けるメロドラマがあるのだから、花火のように弾けて一瞬で成就する恋があるのも必然でしょう。
出逢いの話といえば、麦との出逢いと亮平との出逢いに共通するのが牛腸茂雄の写真展です。
彼の写真の中に双子の女の子が被写体のものがあります。なんだか『シャイニング』の双子の女の子を思わせたり、ダイアン・アーバスの作品を連想させますが、何しろ、麦と亮平は瓜二つで、この写真は物語の象徴とも受け取れます。
麦と亮平は顔はそっくりですが、性格はまるで違う。東出昌大が一人二役を演じているのですが、そういえば最近観たフランソワ・オゾンの『2重螺旋の恋人』がまさにそれでした。
性格のまったく違う双子の精神科医をジェレミー・レニエという俳優が一人二役で演じていました。
とはいえ、麦と亮平は顔が似ているだけで双子ではありません。むしろドッペルゲンガーや「ダブル」と呼ぶべき存在なのでしよう。
そして不思議なことにいくら顔が似ていても、彼らを牛腸茂雄の双子の女の子のように並べた絵面を思い浮かべることができないのです。
むしろ、双子というのなら、それは麦と朝子ではないでしょうか?
二人は精神的双子とも呼べるほど、よく似ているし、同じ種類の人間と言ってもいい。二人を全身モノクロにして牛腸茂雄の写真のように脳内で並べてみたら、ものすごくしっくりくるのです。
朝子というのは迷ってばかりで頼りなげな優柔不断のおとなしい女の子に一見見えるんだけど、彼女はずっとはっきりした考えを持ち、自分の意志を真っ直ぐ貫いていく人なのではないか。
マヤや亮平のように、意識して場を盛り上げたり、和ませたりという、バランスの取れた気配りの人とは対極の人間で、まったく麦と同じ種類の人間なのだと感じました。
数年ぶりに麦が彼女のドアの前に立っていた時、彼女は一旦彼を拒絶して震えていますが、彼女はそこでもう決心していたのでしょう。今度彼が手を差し伸べたらついていこうと。
公園での迷いのない歩み、全身を使って振られる手。その颯爽とした身体性が、麦といる時に生まれてくるのは、彼女と彼が双生児のような関係で引き合っているからではないでしょうか?
しかし、彼女は彼よりも長く付き合った人、「亮平」の大切さに遅まきながら気付くことになります。見知った仙台の風景がそうさせたのです。人間として彼女は漸く目覚めるのです。
本作は、朝子という女性が、人間性を獲得していく物語です。遅い、遅い目覚めの物語と読み取ることができるのではないでしょうか。
ラスト近く、走る亮平と追いかける朝子という素晴らしいロングショットのあと、亮平、朝子が走るそれぞれのバストショットが続きます。
朝子の迷いのない走りっぷりが観客に彼女の亮平に対する確実な意思を感じさせます。
このあとに、朝子が亮平にかける言葉は、かつて串橋に対してマヤの素晴らしさを言ってのけたきっぱりとした口調を思わせ、朝子の本質ともいえる姿が現れています。
実は彼女は自分の気持ちを明確に言葉にする能力を備えています。いざという時、その言語能力が発動するのです。これもまた、朝子という女性の個性でもあるわけです。
亮平は彼女を迎え入れないわけにはいかないでしょう。しかし、彼の気持ちを思うと、心が少し痛みます。これはハッピーエンドなのか、あるいは、悲劇の始まりなのか?
亮平には朝子の覚醒などまだわかるはずもなく、いつかまた、彼女がふいに消えてしまうのではないかという恐れをずっと抱えていくことになるかもしれません。
彼女を信じることができず苦しみ続けるかもしれません。そんなことばかり想像してしまいます。
しかし、完全に安心できる恋などあるのでしょうか? 永遠に続くものがあると考えるほうが不自然なのではないでしょうか。そうした不安を抱えながら生きていくのが、人間なのではないでしょうか?
エンディングに流れるtofubeatsの素晴らしい音楽に耳を傾けながら、こんな不穏で茫漠たるラストがあっていいのか、当惑しつつ、なぜか陶然とせずにはいられませんでした。
まとめ
掴みどころがないけれど、蠱惑的な魅力に溢れた麦と、誠実でどこまでも優しい亮平、どちらのキャラクターにも生き生きとした息吹を与えた東出昌大の功績が光ります。
本作が本格演技デビューの唐田えりかが朝子に扮し、初々しさの中に、凛とした佇まいを見せ、見るものを魅了します。
彼女の正面を捉えたアップ。私たちをまっすぐ見つめてくる眼差しの強さに驚きを隠せませんでした。
主役の二人以外のキャラクターも皆、生命が宿っているのが多くの群像劇を描いてきた濱口監督作品ならではで、串橋を演じた瀬戸康史、マヤ役の山下リオ、島春代役の伊藤沙莉らが、強烈な個性を発揮しています。
とりわけ、春代役の伊藤沙莉の大阪のおばちゃん風関西弁は完璧で、彼女が関西出身でないことに驚かされました。また、少しの出番ながら、平川さんを演じた仲本工事も忘れがたい味がありました。
上記の「感想」の中で、麦と朝子がむしろ双子であると書きましたが、それに対極するのが亮平とマヤです。
どちらも気配りの人。思考回路に共通点がある。そう、二人はよく似ているのです。
本来ならこの二人が恋人同士になっていたっておかしくない。しかしそうはならないところが男女の可笑しみです。
一人で大阪に旅立っていく亮平を身重であることを忘れて思わず追いかけるマヤ。あのシーンがたまらなく愛おしい。こうしたエピソードをきちんと残せるのが、濱口作品の素晴らしさの一つです。
そして、もう一つ大切なのは、この作品が「猫映画」であることです。朝子が亮平を愛おしいと思っている時に、そばに必ずじんたんという名の猫がいます。
東北から帰ってきて疲れて眠ってしまった亮平の背中に朝子が頬を寄せる時、じんたんは背後に座ってそれを観ています。
麦のことを初めて打ち明けた時の亮平の優しい反応に思わず朝子は抱きつきますが、画面の手前にじんたんがしっかり陣取っています。
ラストシーンでもしっかり近くにいるじんたん。二人の側にじんたんがいるとき(だけ?)、二人には安泰が約束されているのかもしれません。