映画『窮鼠はチーズの夢を見る』は2020年9月11日(金)より全国にて絶賛ロードショー公開中!
水城せとなの人気漫画を元に『GO』『世界の中心で、愛をさけぶ』『ナタラージュ』など数々のラブストーリーを手がけてきた行定勲監督が映画化した『窮鼠はチーズの夢を見る』。
主人公・大伴恭一役を大倉忠義、恭一を想い続けてきた今ヶ瀬渉役を成田凌が演じ、二人の男が紡ぐ狂おしくも切ない恋の模様を繊細に、或いは大胆に描き出しました。
本作の劇場公開を記念し、行定勲監督にインタビュー。これまで男女の恋愛を映画によって表現し続けてきた行定監督の目から見つめた男同士の恋愛の姿、その先から感じとった人と人が求め合う姿など、貴重なお話を伺いました。
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人と人が生む「空間」と「距離」
──行定監督が今回の『窮鼠はチーズの夢を見る』を全編シネスコサイズで撮影されたのには、主人公・恭一と今ヶ瀬の関係性の変化を描くために不可欠だったからとお聞きしました。
行定勲監督(以下、行定):僕はゲイ同士のカップル、或いは本作における恭一と今ヶ瀬のようなゲイとストレートのカップルに会ったことがあるんですが、その際に一番感じたのが「二人は似ているな」「というよりも、二人が似てくるんだな」という印象だったんです。自身に似た人間を求めるからなのかは分からないんですが、お互いの雰囲気や佇まいがとても似ている。特に二人の並んだ後ろ姿を見ると「双子なの?」と思えるぐらいに似ているのが、凄く魅力的に感じられたんです。そして男女二人の組み合わせでは生まれることのないその後ろ姿を見つめる中で、もし一人がいなくなってしまったら、明らかな「空間」が、言いようのない物寂しさがそこに生まれるんじゃないか。そういうものを本作では描きたいと思いました。
ただ映画の撮るためには、世界を、或いはそれを構成する時間と空間を切り取らなきゃいけない。そうした映画の持つ制約の中で、恭一と今ヶ瀬の二人が並んでいる姿、その空間と存在をどう描くべきなのかを考えた時に、横に広いシネスコサイズであれば「喪失」の空間を一番明確に切り取ることができると感じられたんです。
また新型コロナウィルスが現れて以降、「ソーシャル・ディスタンス」という言葉が有名になりましたよね。そういった他者との「距離」には様々な形や分類があるわけですが、この映画に関していえば、その距離を「密」に描きたかった。
僕はシネスコを、クローズアップに最も適しているサイズだと思っているんです。もちろん一人の人間の顔だけをクローズアップで映し出せば、横に広いということもあって顔の周囲に空間が生まれてしまう。けれども、そこにもう一人の顔が入ってくると、画面の全てが二人の顔によって埋め尽くされる。横に広いからこそ、二人の顔と距離を限りなく「密」に映し出せる。恭一と今ヶ瀬の二人が並ぶことで生じる喪失の空間も描く一方で、そうして限りなく密になっていく二人の距離も描くためにも、シネスコサイズでの撮影へと思い至ったんです。
「相手の全てを受け入れる」という覚悟
──「二人の男」という関係性が生み出す空間と距離について、より詳しくお聞きしてもよろしいでしょうか。
行定:これまで多くの作品を通じて男女の恋愛を撮ってきたんですが、僕自身の感覚からすれば、撮るたびにその「空虚」を強く実感してしまうんです。二人の男女の心がお互いに相手へ近づこうと試みるのに、どうしても近づき切れない。今思えば、それは男女という関係性における「壁」があるからかもしれません。
その一方で、本作を通じて男同士の恋愛、そしてセックスを撮っていった際に一番感じたのが、自身の全てを洗いざらい剥き出しにしながらお互いを求め合う姿、「相手の全てを受け入れる」という覚悟の姿でした。それはもはや「壁」を超え、むしろ「人」と「人」が求め合う本来の姿とはこういうことなのではないかとさえ思えました。
主人公の恭一は元々は異性愛者だったけれど、同性愛者である今ヶ瀬と体を重ね、自身と同じ「男」の肉体、或いは形に触れ続けていくたびに「自分が相手のことを求めている」と気づいていく。お互いが持つ同じ「男」の形を重ねていくことでその距離も「密」になっていく様が垣間見えたことで、セックスという行為そのものに意味が生じていると思えたんです。もちろん男女のセックスに関しても、関係性の変化のプロセスを省略せず直接的に描く表現として必要だと捉えています。ただ本作で撮った男同士のセックスには、その必要性を超えた、別の意味が存在するように感じられたんです。
そもそも恭一は、「相手を受け入れる」ということ自体も今まで経験してこなかったんだろうなと思うんです。女性に求められるから、「優しさ」をもってそれに対応してきたに過ぎない。「あなたが求めたから、僕は受け入れたんだ」という逃げ道を作ってしまうズルさと共に生きてきた男だった。ところが今ヶ瀬との関係は、優しさで受け入れた「ふり」をするだけでは済ませられない、確実にお互いを傷つけいくことになるものでした。その結果、彼は「相手の全てを受け入れる」という覚悟とは、「求める」の究極とは何かを知るわけです。
最後に行き着くのは「人だから」
──そもそも行定監督にとって、他者の求め方の一つでもある「恋愛」の正体とは何でしょうか。
行定:本当は、煩わしいものなんですよね。『窮鼠はチーズの夢を見る』が面白いのは、多数の女性との関係によってその煩わしさを散々経験してきた主人公にとって、煩わしさから吹っ切れられる、自身が「人」へと立ち戻れる存在が「同性の男」だったと解釈できる点です。そして「男同士って楽なんじゃないか」と気づかされ、心もその居心地の良さに浸っていくわけですが、やがて「恋愛」という感情が生じ露わになっていくことで、ようやく見つけられた「男同士」という居心地の良さも失われていく。
結局、恋愛、或いは他者を求め深く関わろうとする感情がどうしても煩わしくなってしまうのは、相手が女だから男だからという問題ではなく、「人だから」なんです。だからこそ人は煩わしさと共に恋愛を自身から突き放そうとするけれど、いざ恋愛が自分の前から消え失せようとすると、手放すまいと真剣に向き合おうとする。本当に必要だったものほど、なくしてしまうまでその意味や価値が気づけないわけです。
それに他者を求め深く関わり続ける状態、その相手と共に在り続ける状態を成立させるために何かを失わなくてはならないと分かった時、最終的に先ほども触れた「覚悟」へと至ることもまた、セクシャルやジェンダーを問わず誰もが経験することだと感じています。僕が恋愛を描くにあたって一番重んじているのは、やはりそうした様々な覚悟なのかもしれません。
純然たるラブストーリー
──人と人が純粋に求め合う姿、その一方で存在する恋愛と覚悟という現実を、「二人の男」という関係性を通じて描き出そうとしたわけですね。
行定:僕は昔、温泉へ行った際にとある方と随分な長風呂をしたことがあるんです。その方とは知り合いではあったものの、決して深い間柄ではなかった。ところがその時にはお酒まで持ち込んで、二人で夜中から空が白む頃まで語り明かしてしまったんです。そしてそれが、自分たちでもなぜだろうと思うぐらい楽しかった。「じゃあ、明日も早いので」などの一言ですぐに終われたはずなのに、二人とも語り合うことに没頭し、純粋にその時間を楽しんでいたんです。
恭一と今ヶ瀬の同棲も、それに近いものだと感じています。一緒にテレビを観たり、屋上でぼんやりビールを飲んだり、バカバカしいことをして笑い合ったり。どこまでも嘘がないんです。これを言うと色々な方に怒られそうですが、僕は男女の関係を少なからず嘘が存在しなくては成り立たないものだと思っているんです。恋愛を描く際にも、その男と女の間に存在する嘘を重要な要素としていつも扱っている。ただ男同士の場合、嘘を吐いてもすぐにバレてしまう。だからこそ嘘の存在しない関係がそこに生まれるし、恭一と今ヶ瀬の関係にも嘘がなかったからこそ二人はとことん愛し合えていたんだと最終的に気づいちゃったんです。
それに恭一の場合は、今ヶ瀬とのそんな嘘のない関係にくわえて、「同じ形」としての肉体的な相性、これまで散々経験してきた恋愛における煩わしさからの解放が重なった。嘘のない関係が生まれるまでの物語としてのリアルさが、そこにあるんです。
僕はこの映画を原作漫画からのファンである女性はもちろん、「嘘のない関係」に近い体験に心当たりがある男性にも観ていただきたいと思っています。ある意味ではそれほどまでに『窮鼠はチーズの夢を見る』は日常の中に恋愛がちゃんと組み込まれているラブストーリー、純然たるラブストーリーなんです。
インタビュー/河合のび
撮影/田中舘裕介
行定勲監督プロフィール
1968年生まれ、熊本県出身。初の劇場公開作『ひまわり』(2000)にて釜山国際映画祭の国際批評家連盟賞を受賞。翌年2001年には金城一紀の直木賞受賞作を宮藤官九郎脚本・窪塚洋介主演で映画化した『GO』で日本アカデミー賞最優秀監督賞をはじめ数々の賞を獲得、一躍脚光を浴びた。さらに2004年の『世界の中心で、愛をさけぶ』は興行収入85億円の大ヒットを記録、社会現象を巻き起こした。
以降、2005年に『北の零年』『春の雪』、2007年に『クローズドノート』、2010年に『今度は愛妻家』『パレード』、2014年に『円卓』『真夜中の五分前』、2016年の『ピンクとグレー』『うつくしいひと』『ジムノペディに乱れる』、2017年の『ナラタージュ』、2018年の『リバース・エッジ』など多数の作品を発表。2020年には又吉直樹の小説を映画化した『劇場』、そして『窮鼠はチーズの夢を見る』が劇場公開を迎えた。
映画『窮鼠はチーズの夢を見る』の作品情報
【公開】
2020年(日本映画)
【原作】
水城せとな
【監督】
行定勲
【脚本
堀泉杏
【音楽】
半野喜弘
【キャスト】
大倉忠義、成田凌、吉田志織、さとうほなみ、咲妃みゆ、小原徳子
【作品概要】
水城せとなの人気漫画「窮鼠はチーズの夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」を原作に、『GO』『世界の中心で、愛をさけぶ』『ナタラージュ』など数々のラブストーリーを描き続けてきた行定勲監督が映画化。二人の男が紡ぐ狂おしくも切ない恋の模様を繊細に、或いは大胆に活写した。
主人公・大伴恭一役を大倉忠義、恭一を想い続けてきた今ヶ瀬渉役を成田凌が演じたほか、『チワワちゃん』のヒロインで注目を浴びた吉田志織、バンド「ゲスの極み乙女。」のドラマーさとうほなみ(ほな・いこか)、元宝塚雪組の咲妃みゆ、『ジムノペティに乱れる』の小原徳子と4名の個性派女優が共演しています。
映画『窮鼠はチーズの夢を見る』のあらすじ
学生時代から「自分を好きになってくれる女性」ばかりと受け身の恋愛を繰り返してきた恭一。それは結婚をしてからも不倫という形で続いていた。
ある日、広告代理店で働く恭一の前にかつての大学の後輩・今ヶ瀬渉が現れる。今ヶ瀬と7年ぶりの再会を果たした恭一だったが、現在は探偵として働く今ヶ瀬は、恭一の妻の依頼にされて彼の不倫を追っていた。
不倫の証拠を突きつけられた恭一に対し、今ヶ瀬は「体」と引き換えにその証拠を隠すことを提案する。恭一は拒絶しようとするものの、7年間一途に恭一を想い続けてきたという今ヶ瀬のペースに乗せられ、とある出来事をきっかけに二人は同棲することに。
今ヶ瀬と過ごす二人の時間、そこで感じ続けるただひたすらに真っ直ぐな今ヶ瀬の想いに、恭一も少しずつ心を開いていく。しかし恭一のかつての恋人である夏生が現れたことで、二人の関係はやがて変化していく……。