映画『シライサン』は全国公開中
「その名を知ってはいけない」「そして決して目をそらしてはいけない」……新たなるホラーアイコン“シライサン”を巡る恐怖の物語にして、数々の作品が映画化されてきた人気小説家“乙一”こと安達寛高監督の長編デビュー作。
それが、長編ホラー映画『シライサン』です。
本作の劇場公開を記念して、このたび安達寛高監督にインタビューを行いました。
映画とSNSという2つのメディアが対峙したことで生まれた本作の物語、シライサンのデザイン・設定に込められた意味、想像力と恐怖の関係性など、貴重なお話を伺いました。
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映画とSNSをつなぐ“シライサン”
──本作で何よりも気になった点が一つあります。それは、本作の劇中にて主人公・瑞紀が幻視した洞窟内で聞こえてくる「カタカタカタ」という音です。あの音の正体とは何でしょう。
安達寛高(乙一)監督(以下、安達):映画が好きな方ならお気づきになるかもしれませんが、あの音は映画のフィルムが回る音なんです。
その名前通り、この映画自体が“シライサン”であり、“シライサン”もまた映画なのかもしれないということを示唆するために、瑞紀が幻視した洞窟自体も映写室のような雰囲気を持たせた上で、あの音を重ねたんです。また洞窟という場所は、映画というメディアの起源の一つでもある、カメラ・オブスキューラにも深く関わっていますしね。
──もし“シライサン”という呪いが映画というメディアが持つ異貌の一つなのだとしたら、本作は「映画対SNS」の物語としてもみえてきますね。
安達:脚本の初稿を書き終え、何度か修正を続けていくうちに、そのような側面が自然と出てきましたね。
初稿の段階では「それが自然な展開だろう」と思いながら書いていたんですが、修正を続けていく中で「情報収集をするにあたって、登場人物たちは何よりも先に、SNSというメディアを利用している」「むしろ、SNSばっかり利用しているな」と思い始めました。
いわゆる「Jホラー」と呼ばれる作品の多くは、その時々における新たなメディアと共にあったといえます。だからこそ、SNSというメディアにおける人々のつながりと、“呪い”と呼ばれることもある情念の悪しき連鎖を重ねられないかと次第に意識するようになったんです。
──洞窟内で聞こえる音のみならず、“シライサン”に関する描写の中で映画というメディアを意識させる演出や設定は他にもあるのでしょうか。
安達:例えば「“シライサン”が出現した際、どれ程の時間見つめ続けたら消えるのか?」に関するセリフが劇中で描かれていますが、その時間を「映画一本分」と表現していますよね。
また“シライサン”が出現する前には必ず鈴の音が鳴りますが、「音が鳴った瞬間に始まる」という性質は、映画撮影に用いられるカチンコも意識しているんです。
呪術的・宗教的イメージが込められたデザイン
──“シライサン”について更にお尋ねしたいのですが、姿を現した“シライサン”が歩く際に必ず足を引きずっているのは何故でしょうか。
安達:あの動きは、先ほども触れた洞窟で長い間幽閉され続けていたことにも関係しているんですが、映像的な要因を言うと、“シライサン”の歩く姿はその設定もあってどうしても映せる回数が限られてくるじゃないですか。静止している描写が多いからこそ、“シライサン”が動く瞬間をより印象的に描きたかったんです。
──引きずる足もそうですが、両手も、掌の穴に通された赤い紐によってつながれていて、いわゆる“不自由”な状態にされていますね。
安達:“不自由さ”は不気味さを強調するためでもあるんですが、“逃れられないもの”の姿として描くことで、“シライサン”が象徴する逃れられないものとしての死、死があって初めて成り立つ映画というメディアを描きたいと考えていました。
ただあの赤い紐は、それに付いている鈴から生まれたデザインだったんですよ。“シライサン”の出現を知らせる装置として鈴を思いついてから「鈴を“シライサン”のどこに身に付けさせるか?」という話になったんですが、当初は手の小指に結ばれているだけだったんです。そこから、「よりグロいデザインにしたい」という意向もあってデザイン案を話し合い、最終的に現在の姿が採用されたんです。
また掌に開けられた穴は、キリストの聖痕をイメージしています。くわえて穴同士を赤い紐でつなげることで、“シライサン”はいわゆる合掌をしているような状態にもなっている。現在のデザインは、そういった呪術的・宗教的なイメージを連想させるものでもあるんです。
メディアに共通する“想像力の恐怖”
──安達監督は“乙一”という名前を介し、小説というメディアでも創作活動を続けられてきました。“映画監督・安達寛高”であり“小説家・乙一”でもある監督にとっての、小説における恐怖と映画における恐怖の違いをお聞かせ願えませんか。
安達:小説は文字或いは言葉のみで構成されているからこそ、より想像力が掻き立てられ、イメージもそれに伴う恐怖も増大していくのだとは感じています。
映画または映像に関する恐怖は、今も勉強中なので何とも言えないですね。本作に関しては、「どうすれば映画としての恐怖を描けるだろうか?」と模索しながら制作を続けていました。
──その模索の中で見出されたものはありましたか?
安達:これは当然のことなのかもしれませんが、「対象物が明確に映し出されない方が、人間は恐怖を抱く」と改めて気付かされましたね。
小説が言葉や文字から掻き立てられる想像力によって恐怖を生み出すように、映画や映像も“不可視の領域”があるからこそ想像力を掻き立てられ、恐怖を抱いてしまう。想像力と恐怖の深いつながりを思い知らされました。それは、人間がまだ自我を持たない動物だった頃から刻まれている、本能的なものと密接に関係しているのかもと想像してしまいますね。
映像におけるオマージュとアプローチ
──本作では小津安二郎監督やアンドレイ・タルコフスキー監督など、映画監督たちへのオマージュも垣間見られます。
安達:物語としても映画としても必要だと感じたからではあるんですが、特に小津監督へのオマージュとして描いた中盤の場面は、映画ファンから怒られるんじゃないかとビクビクしながらやりました(笑)。また僕はアキ・カウリスマキ監督の映画が好きということもあり、本作の映像についても彼の作品からの影響を少なからず受けています。
──オマージュの他に、本作の映像において安達監督が意識して行われた演出はありますか。
安達:本作の撮影監督である金子雅和さんに「手持ち撮影は控えめにし、フィックスでの画を多くしたい」と相談したことは覚えていますね。また先程も触れた通り、見え過ぎないようにするためにも、映像には出来うる限り暗部を残してほしいともリクエストしました。
──フィックスの画にこだわられたその理由とは何でしょう。
安達:“シライサン”が出現した際のジットリとした重みのある空気感はもちろん、静止した構図の中でそれだけがヌルッと浮き出てくる気持ち悪さを描きたかったんです。
そして「一方向を凝視し続けなくてはならない」という“シライサン”の性質、ひいては“映画”というメディアの性質を強調するためにも、敢えてフィックスの構図の中で“シライサン”を映し出すことで、観客もまた劇中の登場人物たちのように「凝視し続けなくてはならない」という恐怖を体験してほしかったんです。
“映画監督”としての創作
──安達監督が映画に惹かれる一番の理由とは何でしょうか。
安達:映画を観ていると、言葉で言い表せないような感覚に陥ることがあるんです。トリップ感と言えばいいんでしょうか。時間がグニャアと引き伸ばされてゆくような感覚を映画では体験することができる。そこに一番惹かれていますね。
自身で映画を制作する際にも、どうすればその感覚をもたらす効果を引き出せるんだろうといつも悩んでいます。
──長編監督デビューを果たした本作において、ご自身が映画監督として成功したこと、或いはやり切れなかったことをお聞かせ願えませんか。
安達:最低限のラインではあるものの、映画というメディアでも物語を紡ぐことができたのはよかったと感じています。先の展開へ常に興味を惹かせる構成、後半部の緊張感に至るまでの感情の波をしっかりと描くことができました。
一方で、初の長編監督作ゆえに至らなかった点も多々あり、特に“シライサン”の貌を作中で見せ過ぎてしまったことは、“見せない恐怖”すなわち“想像力の恐怖”を追求し切れなかったと感じています。また編集におけるタイミングなど、もう少し冷静になって作品を観直せる時間が作れたら、「ここはこうすべきだった」「今度はこうしたい」と改めて考えたいですね。
映画『シライサン』という“呪い”
──「映画対SNS」というメディア同士の対決の物語とも受け取れる映画『シライサン』ですが、エンドロールで流れる“ある仕掛け”からは、「映画とSNSという2つメディアが融合し誕生した、新たなる恐怖」を想像させられました。
安達:本作を最後まで観てくださった観客のみなさんは、「“シライサン”という映画はこのために作られたのかもしれない」と気付かされます。
仰った通り、仕掛けである“その一言”で人々の想像力を掻き立てるという点においては、SNSというメディアの性質も持った恐怖といえますね。
最初にも触れましたが、本作自体が“シライサン”という呪いであり、“シライサン”もまた映画なのかもしれない。その想像を確信へと変化させるためにも、あの仕掛けを加えました。
インタビュー/河合のび
安達寛高(乙一)プロフィール
1978年生まれ、福岡県出身。1996年に「夏と花火と私の死体」で第6回ジャンプ小説大賞を受賞し小説家デビュー。その後、「きみにしか聞こえない」「死にぞこないの青」「暗いところで待ち合わせ」「GOTH リストカット事件」「くちびるに歌を」など、様々なジャンルの小説を発表。数多くの作品が映画/映像化され、注目を浴びてきました。
またアニメーション映画『ホッタラケの島 ~遥と魔法の鏡~』(09/佐藤信介監督)に共同脚本家として参加。大学時代に自主映画を撮り始め、07年以降、『立体東京』『一周忌物語』『Good Night Caf feine』『リビング・オブ・ザ・リビングデッド』を監督・製作。
『シライサン』は安達監督にとって初の長編監督作であり、原作小説「小説 シライサン」も“乙一”名義で執筆しています。
映画『シライサン』の作品情報
【公開】
2020年(日本映画)
【監督】
安達寛高(乙一)
【キャスト】
飯豊まりえ、稲葉友、忍成修吾、谷村美月、染谷将太、江野沢愛美ほか
【作品概要】
数多くの作品が映画/映像化された人気小説家“乙一”として知られる安達寛高の長編監督デビュー作。安達監督自身が脚本も手がけ、新たなるホラーキャラクター“シライサン”にまつわる恐怖をオリジナルストーリーで描きます。
主人公・瑞紀を演じたのは、初の映画単独主演となった飯豊まりえ。また瑞紀とともに“シライサン”の謎に迫る青年・春男役を稲葉友が務めたほか、忍成修吾、谷村美月、染谷将太ら日本映画界を支える実力派が脇を固めています。
映画『シライサン』のあらすじ
眼球が破裂した死体が連続して発見された。直接の死因は心不全であるものの、亡くなった人々には「死の直前、“何か”に怯え取り憑かれていたような奇妙な共通点」があった。
親友・香奈を目の前で亡くした大学生の瑞紀、弟を失った春男はともに一連の事件を調べ始め、真相の鍵を握る人物・詠子を探し出す。だが程なくして、彼女は「シライサン…」という謎の言葉を残したのち、同じく眼球を破裂させ心不全で死亡した。
事件に目を付けた雑誌記者の間宮も加わり、徐々に明かされてゆく“シライサン”の呪い。核心に近づく三人の前へ、やがて理解を超えた、戦慄の事実が姿を現す…。
編集長:河合のびプロフィール
1995年生まれ、静岡県出身の詩人。2019年に日本映画大学・理論コースを卒業後、2020年6月に映画情報Webサイト「Cinemarche」編集長へ就任。主にレビュー記事を執筆する一方で、草彅剛など多数の映画人へのインタビューも手がける。
2021年にはポッドキャスト番組「こんじゅりのシネマストリーマー」にサブMCとして出演(@youzo_kawai)。