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Entry 2020/03/29
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【角田龍一監督インタビュー】映画『血筋』父子の人生或いは処女作にヒロインとして観客として対峙する

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  • Cinemarche編集部

映画『血筋』は2020年3月30日(月)よりポレポレ東中野ほかにて全国順次公開。

韓国・北朝鮮の他にもう一つ存在する「中国朝鮮民族」。映画『血筋』はこれまで注目されてこなかった中国朝鮮民族を「父と子」という個人的な物語を通じて描こうとした、世界初のドキュメンタリー作品です。


(C)Cinemarche

このたび映画『血筋』の劇場公開を記念して、本作を手がけられた角田龍一監督にインタビュー。自分の人生に失敗ばかりしている人達の物語をどのようにして作ろうと思われたのか、お話を伺いました。

山賀博之──師にしてライバル


(C)Ryuichi

──映画『血筋』の制作経緯を改めてお聞かせください。

角田龍一監督(以下、角田):本質的なきっかけは山賀博之さんです。僕は実写映画が好きでよく観ていたのですが、アニメには疎かったんです。勉強がてら『エヴァンゲリオン』を観たところ、とても中毒性の高い作品で驚きました。ヲタクっぽいなあと思って何となく偏見で敬遠してたのですが、すっかりハマってしまいました。全作品を観て、なおかつWikipediaでどんな人が作ったのか調べたところ、山賀さんの名前を見つけました。そしたらなんと偶然翌日バイト先に山賀さんが本人がいらしたんです。

「これは運命だ!」と思って、バイト中だったのにも関わらず思わず声をかけてしまいました。高校時代に見よう見まねで小説を書いていたこともあって、色々アドバイスを求めました。でも今振り返って考えると、当時はクリエイターという職業に携わる人に憧れていて、単に近づきたかっただけだったと思います。

それから山賀さんと「大衆酒場 ソクラテス」でよくお酒を飲むようになりました。お邪魔しておきながら、会計は全て山賀さん持ちでした(笑)。「大衆酒場 ソクラテス」という酒場もまた独特な場所で、‟大衆”と名を打っていながら全然‟大衆”じゃないんです(笑)。まず一見さんは基本的にお断りで、既存のお客さんもマスターの一存で簡単に出禁になります。フランスのサロンのような場所で、小説家や実業家、有名音楽プロデューサーなどもいる一方、ほとんど人生を諦めた廃人のような人もいて……。お金のない学生や作家はかなり安く飲めることもあって、当時大学生だった僕は「ソクラテス」に入り浸るようになりました。さまざまな遍歴の人生を背負った人々が渦巻く「ソクラテス」は常に一定の緊張感がありました。お客さんに対して、歓迎というより排除の意識があって、‟面白く”なければふるい落とされる危うさがありました。

今考えると、面白くなければふるい落とされるというのは、エンタメの鉄則で本質ですね。社会的地位に関係なく、マスターによってまっすぐ突きつけられる評価基準によって、作りだされる緊張感が、一種中毒性を生み出しているんです。「もう二度と行かない!」と半ギレしながら店を出ても、また数日するとリベンジしたくなるんです(笑)。

映画を作ると宣言した夜も「ソクラテス」でした。そのときの光景ははっきり覚えています。夜中2時くらいに僕は座って日本酒を飲みながら、両隣に山賀さんと某有名音楽プロデューサーが立っていて、「僕はいま人生における岐路に立ってるんですよね……」って偉そうな呟きを言い残して、翌朝、中国行きに飛行機を乗ったのを覚えています。

山賀さんは出会って以来ずっと僕にとって良き‟先導役”でした。6年前映画を作ると決めたころ、僕の話をまともに受け取ってくれる人は殆どいませんでした。山賀さんだけ唯一まともに取り合ってくれ、真面目に作家扱いしてくれたのを覚えています。国公立四年制の大学を卒業したのに、定職に就かない僕に両親はかなり失望していました。半ば勘当される形で家を出たのですが、行く当ても無く公園で寝てたとき拾ってくれたのも山賀さんでした。山賀さんの自宅に居候しながらアルバイトで生活費を稼ぐ傍ら、『血筋』の編集に関してアドバイスを貰いました。師であり、友人であり、良き飲み友達です。

「師」としての山賀さんはやはり強烈で、その渦に巻き込まれそうになるんです。僕の中に疑似「山賀博之」はできるけど、山賀博之さんそのものには当然遠く及ばない。『血筋』もしくは映画監督・角田龍一を作り上げたのは山賀さんに他ならないのですが、彼の真似事だけでは、いずれ僕は‟面白く”ない存在としてエンタメ界からふるい落とされることなります。映画を作る道を選び続けるうちは、僕らはライバルなわけですから、僕独自の全く別なアプローチで映画というものと向き合いたいなと思っています。

「ヒロイン」と「観客」が一致する瞬間


(C)Ryuichi

──作中の少年と父は「子」という役、「父」という役を互いに演じながら「親子」としての距離を測り続けていました。「役」という観点からみえてくる「親子」の在り方についてお聞かせ願えませんか?

角田:『血筋』は最も胡散臭いドキュメンタリー映画を目指しています。最高峰の俳優が演じているような劇映画(フィクション)になれば良いなあと思っています。‟事実を記録する”という意味のドキュメンタリー映画(ノンフィクション)というカテゴリーそのものが、前振りに感じてしまうくらいに、演技くさい現実が魅力です。

もしも人生を一本の「映画」に例えるなら、生きるというのは僕らが自らを「ヒロイン」に設定した、一本の‟劇”映画を作り上げるようなものだと思っています。それは一度きりの芝居であって不可逆的です。すべてがテイク1で完成されなくてはならない映画です。

絶対に失敗できない一度きりの「芝居」を人たちはどう生きるのかが、僕にとっての興味です。

ある人は高学歴を得ることで、高収入を得ることで安心感を得たり、あるいは恋人や家族を築くことで幸せを感じたりします。でも会社が倒産することもあれば、家族や恋人に裏切られることだってありうる。3.11にしたって、今回のコロナウイルスにしたって、突然訪れる不確定要素によって人生は簡単に左右されます。よく言われてるように、人生において失敗はつきものなのです。

でも現実には「絶対に失敗できない」という幻想が、並々ならぬ緊張感を生み出しているんです。危うい現実を生きる僕たちは間違いなく日々をスリリングに感じています。もしも俳優がそんな危機感を持って全ての演技をしたら、誰にも勝る一生に一度の演技になるでしょう。

『血筋』は自分の人生に失敗できないと思いながら、失敗ばかりしている「ヒロイン」達の物語なんです。自分がイメージする理想と大きくかけ離れたところで、ギャップを埋められずにいる悶々としているキャラクター達です。

僕は自分の人生を本気で生きるヒロインたちが好きなのです。人生という一本の映画は主観的には失敗が許されないですが、観客からすればハッピーエンドでもバッドエンドでもどちらでもいいんです。むしろ物語全体としてどのような起承転結があって、どのように心が揺さぶられるのかに興味があります。そういう意味で僕は人生を歪に、でも本気で生きる「ヒロイン」たちの最高の‟観客”でいたいと思っています。

やっと質問への返答になるのですが、『血筋』におけるユニークな点は、「ヒロイン」と「観客」が一致している点にあります。子であることが父へ「父」という役柄を強制させます。観客の視点を介在させた子は、カメラでずかずか切り込ことで父が演じる最高の「父」をカメラに収めていくわけです。ただ子は自らを「ヒロイン」として向き合っているので、子にももちろん痛みを伴います。痛みを嘆くのではなく、観客としての視点で楽しもうとする「狂気」が、この作品を胡散臭いエンタメに変えていると思っています。

──ちなみに、少年と父の「親子」としての距離について、本作の撮影開始時期と終了時期の間に変化はありましたか?

角田:特には変わりません。多分普通の家族や人間関係と同じで近づいたり、離れたりの繰り返しです。

危うさと怪しさとしての「表現」


(C)Ryuichi

──フィクションとドキュメンタリーが絶妙に混ざり合っている本作ですが、それは表現としての境界を意識した上での演出なのか、或いは境界を意識していないが故の演出なのでしょうか?

角田:意識と無意識のすれすれです。意識的に無意識が触発される場所にいることを維持しようとしています。もちろんかなり精神的な消耗はあるので多少ブレたりもしますが、そのブレこそが演技以上のものを観客へ提供していると僕は思っています。

僕にとっての「表現」とは危うさと怪しさです。本物以上に本物は無い。でも本物はいつも胡散臭いです。

現実と真正面で対峙できた作品


(C)Ryuichi

──完成を経て改めて感じられた『血筋』という作品の意味についてお聞かせください。

角田:『血筋』は僕にとって処女作です。処女作というのは初めての作品以上の意味を持っていると思います。様々な制約の中で作品の制作することと向き合ってきて、無駄を削ぎ落されたような真剣さがあります。

それまで何となくあらゆることにシニカルに、斜に構えて向き合っていた現実に、映画を通して真っ正面で対峙できたのが『血筋』です。でもファインダーを借りた向き合い方という矛盾もはらんでいて、そこが観客にとっての見どころのような気もします。

「父」と向き合うために「映画」を作っているのか、「映画」を作るために「父」と向き合っているのか。矛盾した二つの事象は相反する要素でありながら、同じ意味を持っていると思います。自分の人生におけるヒロインでありながら、最高の観客でいようとしているということです。

映画──インチキにして奇跡の夢


(C)Ryuichi

──角田監督は今後どのような表現や活動、そして映画制作を続けられるのでしょうか?

角田:まずは借金返済です。興行収入の配分はだいたい劇場:配給:監督=5:2:3です。しかも諸経費全額を僕個人で支払った上での3割の取り分なので、マイナススタートです。1万人の動員でやっと「とんとん」になる計算です。ドキュメンタリー映画で1万人の動員だとそれは「大ヒット」と言われる数字らしいですね。ただコロナウイルスにより興行収入を黒字にすることはほぼ不可能でしょう。したがって負債を返済するためにアルバイトするしかありません。作家としての表現や活動を語る前に、毎日の食事にありつけるかどうかに必死なのが現状です。

劇場公開というのは興行として成立するか否かというのが、大事なポイントです。今回でわかったのは、自己資金でドキュメンタリー映画を制作するということは趣味性以上の意味を持っていないということ、そして映画提供側(映画祭、劇場、映画メディア)がむしろ創作物をぞんざいに扱っていることです。有名監督作品だともう少し現状が変わるでしょうけれど、やっぱり頭にきますね。入場料を支払ったお客さんが「この映画つまらない」と言うのは自由です。でも作品が「店頭」に並ぶ前に傷をつけられるのは間違っています。そういう意味でも劇場公開によって得た学びはとても大きいです。

これからも映画を作っていくにはパトロンを見つけるか、もっと規模の大きい映画制作するか、どちらかしか道はありません。そして僕はもっとパトロン文化が広がるべきだと思っています。以前、「大衆酒場 ソクラテス」きっかけで、新潟で飲食店を営む社長さんに突然、無条件で100万円支援してもらったことがあります。ものの5分間、会話しただけでした。預金口座に連ねられた0の数の多さに何度も目をこすりながら数えたのを覚えています。支援によって『血筋』の制作が一気に加速化しました。

お金を貰ってまず思ったのは「カッコイイ!」です(笑)。普通お金を出すというのは何かしら制約をつけたがりますから。どんなリターンがあるのか、自分は何を得られるのか、どうしても出資側主体での条件を提示しがちです。結果的にそれは作り手の自由を制約します。制約された作家なんてアルバイトと同じです。条件1つ提示せず自由に使えるお金こそ、まさに作家が求めていることです。「稼ぐ」能力に長けた方は世の中に沢山いますが、私利私欲を越えて鮮やかにお金を「使う」人はほとんどいません。

僕は映画をインチキ商売だと思っています。何一つ形にできていないのに、あたかもできるかのように喋ってお金を集めます。そのインチキに付き合える人がいてこそ、映画という奇跡の夢を見れるのです。

角田龍一監督のプロフィール

1993年生まれ、中国朝鮮民族自治州・吉林省延吉市出身。新潟県立大学卒業。ベルリン国際映画祭正式招待作品『Blue Wind Blows』で助監督を務める。

在学中から、新潟・市民映画館 シネ・ウインドが刊行する映画雑誌で映画紹介文を書く傍ら、長期休暇を利用しては映画『血筋』の撮影・制作を行う。途中、資金難に陥るがクラウドファンディングに挑戦し成功。2018年3月から京都・大徳寺で書生として半年間居候しながら同作を編集し完成させた。その結果、2019年「カナザワ映画祭」にてグランプリ受賞を果たした。

映画『血筋』の作品情報

【公開】
2020年(日本映画)

【外国語題】
핏줄(英題:Indelible)

【監督・製作・撮影・編集】
角田龍一

【製作】
山賀博之

【音楽】
郷古廉

【作品概要】
韓国・北朝鮮の他に、もう一つ存在する「中国朝鮮民族」に密着したドキュメンタリー映画。彼らの多くが韓国へ憧れ、出稼ぎに行ったという、これまで注目されてこなかった中国朝鮮民族を、とある一組の家族の父子を通じて追っていきます。

監督兼プロデューサーの角田龍一は資金難による幾度の製作中断に陥るも、クラウドファンディングを活用したのち、5年の歳月をかけて完成にこぎつけました。国内外での映画祭に出品された本作は、カナザワ映画祭2019「期待の新人監督」部門において、グランプリを受賞しています。

映画『血筋』のあらすじ


(C)Ryuichi

青年のソンウは、中国朝鮮族自治州・延吉で生まれ、10歳のときに日本へ移住。20歳を迎えた時、自らのルーツを探るために画家だったという父を探すことを決意します。

中国の親戚に父の行方を尋ねるも、誰も消息を知らないばかりか、父の話題にすら触れたがりません。それでも、叔父の助けにより再会を果たした父は、韓国で不法滞在者として日雇い労働をしながら、借金取りに追われる日々を送っていました。

そんな父親と、数日間行動を共にすることにしたソンウは……。

映画『血筋』は2020年3月30日(月)よりポレポレ東中野ほかにて全国順次公開。

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