映画『ある女優の不在』は2019年12月13日(金)より、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開
『白い風船』『チャドルと生きる』『オフサイド・ガールズ』『人生タクシー』など数々の作品が国際映画祭にて高く評価され、イランを代表する映画監督の一人であるジャファル・パナヒ監督。
監督作『これは映画ではない』でも描かれているように、作品における社会批判によって政府当局と対立、二度の不当な逮捕を経験し、20年間の映画製作の禁止を命じられていることでも知られています。
今回手がけた映画『ある女優の不在』では、過去・現在・未来の3つの時代を象徴する三人の女優の姿を通じて、イランにおける映画または芸術における表現の自由、「女優」そして「女性」の人生を描きました。
そして、2018年に第71回カンヌ国際映画祭コンペティション部門で脚本賞を受賞した本作にて、イランの「現在」を象徴する女優として出演したのが、ベーナズ・ジャファリさん。
イラン国内で舞台・テレビ・映画と幅広い分野で活躍する人気女優であり、本作も上映された東京フィルメックス2019では審査員も務めました。
このたび東京フィルメックス開催に向けての来日を記念し、ベーナズ・ジャファリさんにインタビューを行いました。
映画『ある女優の不在』への出演経緯やイラン映画界およびそこで生きる女優の実情、それでも絶やすことのない“希望”についてなど、貴重なお話を伺いました。
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「赤い髪」という運命性
──映画『ある女優の不在』へのご出演に至るまでの経緯を改めてお聞かせ願えませんか?
ベーナズ・ジャファリ(以下、ジャファリ):本作に撮影前に私は海外に行っていたのですが、イランへと無事帰国し、スーツケースを自宅へと運び終えたばかりの頃、一本の電話をいただいたんです。
電話の相手はエディターとしてお仕事をされている知人の女性でした。そして彼女に「今どうしてる?」と尋ねられ「今帰国したばかりだ」と答えると、「パナヒ監督から脚本が送られてきているので、そのまますぐに来てくれませんか?」と言われたんです。
実はその知人の女性は、パナヒ監督の親友でもあったんです。その言葉通り、私はすぐに彼女の元へと向かい、そこで初めて本作の脚本も読みました。脚本の面白さを噛みしめてからおよそ1時間後にはパナヒ監督もいらっしゃって、彼は「明日の朝、出発だよ」と私に伝えました。その翌日から本作の撮影が始まったんです。
また劇中の私は赤い髪をしていますが、実はあの髪は海外での旅行中に染めたものだったんです。ですからパナヒ監督にも「髪が赤いですよ」と伝えたんですが、彼は「そのままでいいです」と答えました。
それでも自分自身は髪の色を気にしていたんですが、イラン北西部での撮影ではやはり画面上に土や砂などの黄土色が描かれることが多く、「この髪色の方、が画面上の色彩構成としては非常に良かった」と彼は言ってくれました。そして赤い髪に合わせて、衣装も選んでくださったんです。
──あの赤い髪色は演出なのだと捉えていました。自然の風景の中に立ち現れるあの赤色には「女性の自立」といった象徴性を感じられました。
ジャファリ:自分自身でも、旅行中に偶然あの色へと髪を染め、そのおかげで『ある女優の不在』という映画の色彩が大きく変化したことには一種の運命的なものを感じています。
もしかしたら、パナヒ監督は自身のイメージの中で「赤髪がいい」と思っていたかもしれないですね。そうでなければ、私に対し「髪を赤色へ染めてくれないか?」と伝えていたかもしれません。
脚本から抱いた感動
──本作の脚本を初めて読まれた際の印象についてお聞かせ願えませんか?
ジャファリ:実は本作において、私が務めた「現在第一線で活躍する女優」という“役”は当初別の女優さんが演じられる予定だったんです。ですがその女優さんはとある事情により残念ながら出演が叶わなくなり、それゆえに私が初めて読んだ脚本には、その女優さんのお名前が載ったままだったんです。
それほどまでに本作への出演オファーは急な出来事だったんですが、手渡された脚本からはすぐに本作の面白さを感じとることができましたし、1時間かけて最初から最後まで読み終えた時、私は非常に大きな感動を抱いていました。
また、私は以前パナヒ監督が撮られた『チャドルと生きる』を観ていました。女性の、特に女性ゆえに被ることになる不平等や困難を描いた映画であり、私はその作品を通じてパナヒ監督の人物像をイメージしていました。そのイメージも相まって、『ある女優の不在』への出演を決めたんです。
「女優」と「芸人」の狭間で
──劇中では「女優」と「芸人」という呼称と、それらにこめられている意味が描かれています。ジャファリさんご自身はその二つの呼称をどう捉えられていますか?
ジャファリ:日本ではどうなのかは定かでないですが、「芸人」という呼称は昔の言葉なんです。自分の祖母或いは母の世代が幼かった頃、役者は「役者」ではなく、あくまで「芸人」と呼ばれていました。現在は「役者」または「女優」が多く用いられるようになりましたが、「芸人」という呼称はそうした古い言葉だったんです。
そして、かつての芸人たちはもちろん、「芸人」と呼称されてきた役者たちは決して品位ある存在として扱われてはいませんでした。そのため幼かった自分が「役者になりたい」と伝えた時には、母に「やめなさい」「芸人なんかになるな」とひどく怒られたこともありました。現在とは全く異なるイメージの中で、役者たちは扱われていたんです。
一方で、宗教劇を演じる役者たちに「芸人」という呼称を用いる者はいませんでした。役者たちは聖なる物語を演じるわけですから。ですがそういった劇に、女性が出演することはありませんでした。女性役も男性の役者が演じ、あくまで男性のみが「役者」として宗教劇を演じることができたんです。
ジョン・マッディン監督の『恋におちたシェイクスピア(原題:Shakespeare in Love)』(1998)を観た時にはかつてのイギリスでも同様の状況があったと知りましたし、フランスでもイランにおける「芸人」のように、役者という存在に対する差別的な呼称が存在していたことは知られています。そして女性が何かを演じるということも同様にタブー視され、男性が女装をして女性役を演じていたんです。
──日本もまた江戸期の1629年に女舞・女歌舞伎が禁止されて以降、明治期での演劇の近代化に伴う「女優」の誕生と発展に至るまでのあいだ、女性が演劇の表舞台に立つことはタブー視されていました。
ジャファリ:だから、男性が女性役を演じることになった。どこも同じですね。
「痛み」と表現
──本作において女優の「過去」を象徴し、かつて映画女優として活躍していたシャールザードさんは、イラン革命後の当局からの弾圧を経てもなお“表現”を続けています。その様からは「“アーティスト”とは何か?」という問いへの答えが垣間見えました。
ジャファリ:彼女はかつて多くの大衆映画に出演されていたスター女優でしたが、イラン革命を機に演じることを当局から禁じられ、その女優生命を絶たれました。ですが彼女はもともと詩人でもあったため、多くの詩集を出版しました。
彼女が書く詩の全てが女性の痛み、自身の暗い人生をモチーフにしています。演じることのできない苦しみを少しでも癒やそうとするために、彼女は詩を書き続けてきたんです。
劇中には詩の朗読CDが登場しますが、そこに収録されている詩は全て彼女の作品であり、詩を朗読する声もまた彼女自身の肉声です。その声からは、彼女が語る様々な“痛み”を感じとれるはずです。
平和と希望をまとって
──ジャファリさんご自身はイランという国で「女優」として生きる意味をどうお考えなのでしょうか?
ジャファリ:自分は舞台を中心に活躍し、それと並行してテレビ・映画作品にも出演している女優です。そしてイランという国は、文化的にも政治的にも様々な問題を抱えてきた国です。
人々はそういった問題たちによってもたらされた“痛み”を度々物語の主題にとり上げてきました。皮肉にも人々を苦しめる問題たちが、イランにおける物語の多様性を生み出してきたんです。そして多くの民族、多くの伝統・文化が存在するという歴史的・文化的環境も相まって、その多様性はより広がり、イランで創作される物語を支えてきたんです。
ですがイラン国内で作られる映画の多くは、首都テヘランなどの都会を舞台にし、「都会への憧れ」に基づいて制作された作品です。本作のように地方の村を描いた作品は少なく、そのこともまたイラン映画界における問題となりつつあります。
そのため地方に訪れると、そこで暮らす女の子の幾人かに「女優になりたい」と自身の夢を聞かされることが実際にあるんですが、決して「女優になりなさい」と答えることはありません。結局都市と映画の実情を知っているため、都市への憧れを植え付けられてしまっている地方の彼女たちに「あなたもがんばりなさい」とは言えないんです。
私は舞台の“埃”を吸いながらも女優の道を歩んできました。活動を始めたばかりの頃はティーパックで紅茶を淹れることすらやらせてもらえなかったほどでしたから。そうした苦労を経て現在女優になれたものの、夢を抱いて都市へと出てくる女の子たちが同様の苦労を乗り越え成長できるかどうかを、私が保証することはできない。それぐらいの苦労なんです。
当局による検閲も厳しいですし、それ以外の障も数多く存在します。自分は結果として女優になれましたが、自分と同じ苦労を経て女優になれるかというと、その自信はありません。ですから、「私には聞かないで」と答えることしかできないんです。
それでも、私たちはもちろん望みを捨てるわけはいかない。だからこそ、パナヒ監督は劇中で白いチャードル(※1)を映したんだと思います。
白という色には「平和」、何よりも「希望」という意味がこめられています。そして白いチャードルをまとった女性は、道を進んでゆく。つまりどんなことが待ち受けていたとしても、希望をまとった女性は進み続けなくてはならない、望みを決して捨ててはいけないということをパナヒ監督は伝えたくて、本作を撮られたんだと思います。
※1:チャードル……「ヒジャブ(イスラーム法によって女性の着用が規定されている、頭部または体を覆う布)」の一種。ヒジャブ着用の法的な規定はイスラーム圏国家によって様々だが、イランでは女性のヒジャブの着用を法律によって義務化している。
国内ではヒジャブ着用の強制に対する女性たちの抗議活動が行われているが、当局の「道徳警察」や政権支持派の自警団は彼女らへの弾圧を強め続いている。
インタビュー/くぼたなほこ
撮影/出町光識
構成/河合のび
ベーナズ・ジャファリのプロフィール
イラン国内で舞台、テレビ、映画など様々な分野で活躍する女優。
主な映画出演作では、日本でも劇場公開されたサミラ・マフマルバフ監督の『ブラックボード 背負う人』(2001)、イラン映画の世界的な評価を生み出した映画人の一人であるアッバス・キアロスタミ監督の『シーリーン』(2008)などがある。
映画『ある女優の不在』の作品情報
【公開】
2019年12月13日(イラン映画)
【原題】
3 Faces
【脚本・監督・製作】
ジャファル・パナヒ
【キャスト】
ベーナズ・ジャファリ、マルズィエ・レザイ、ナルゲス、デララム
【作品概要】
「過去・現在・未来」の3つの時代を象徴する三人の女優の姿を通じて、イランにおける映画または芸術における表現の自由、「女優」そして「女性」の人生を描いた作品。
本作を監督したのはジャファリ・パナヒ。『白い風船』(1995)でカンヌ国際映画祭カメラ・ドール、『チャドルと生きる』(2000)でヴェネチア国際映画祭金獅子賞、『オフサイド・ガールズ』(2006)でベルリン国際映画祭銀熊賞を獲得。10年余りで世界三大映画祭を制し、イランを代表する映画監督の一人となりましたが、作品における社会批判によって政府当局と対立、映画製作の禁じられています。
本作は2018年・第71回カンヌ国際映画祭コンペティション部門で脚本賞を受賞しました。
映画『ある女優の不在』のあらすじ
イランの人気女優ベーナズ・ジャファリのもとに、見知らぬ少女からの悲痛な動画メッセージが届きます。
そのメッセージの送り主であり、映画好きの少女マルズィエは、女優を志して芸術大学に合格したものの、家族の裏切りによって夢を砕かれて自殺を決意。動画はマルズィエが首にロープをかけ、カメラ代わりのスマートフォンが地面に落下したところで途切れていました。
動画のあまりにも深刻な内容に衝撃を受けたジャファリは、友人である映画監督ジャファル・パナヒが運転する車でマルズィエが住むイラン北西部の村を訪れます。
マルズィエは本当に命を絶ってしまったのか。やがて現地調査を行うジャファリとパナヒは、イラン革命後に演じることを禁じられた往年のスター女優シャールザードにまつわる悲劇的な真実をも探ることになります…。
映画『ある女優の不在』は2019年12月13日(金)より、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開