無実にして極刑に処せられた男の悲しい運命
第二次世界大戦で過酷な任務に従事した兵士の悲劇を描き出す戦争ドラマ。
橋本忍が監督・脚本を務め、フランキー堺主演で1959年に映画化された同名作品を、福澤克雄監督が中居正広主演でリメイクしました。
仲間由紀恵、石坂浩二、笑福亭鶴瓶、上川隆也ら豪華キャストが出演します。
平凡な親子に降りかかった恐ろしい運命とはどんなものだったのでしょうか。
戦争の悲惨さ、愚かさ、悲しみをえぐり出す名作の魅力をご紹介します。
映画『私は貝になりたい』の作品情報
【公開】
2008年(日本映画)
【原作】
加藤哲太郎
【脚本】
橋本忍
【監督】
福澤克雄
【編集】
阿部亙英
【出演】
中居正広、仲間由紀恵、柴本幸、西村雅彦、平田満、武田鉄矢、伊武雅刀、片岡愛之助、泉ピン子、笑福亭鶴瓶、草彅剛、上川隆也、石坂浩二
【作品概要】
1959年に監督・脚本を橋本忍、主演をフランキー堺が務めて映画化された同名作品を、中居正広主演でリメイクした作品。監督は『七つの会議』(2019)の福澤克雄。
米兵処刑に従事した罪で死刑を言い渡された元兵士の悲劇が描かれます。
共演は『トリック』シリーズ、『武士の家計簿』(2010)の仲間由紀恵、石坂浩二、笑福亭鶴瓶、上川隆也ほか。
映画『私は貝になりたい』のあらすじとネタバレ
昭和19年。高知の漁港町で理髪店を営む清水豊松は、妻の房江と息子の健一と家族3人でつつましく暮らしていました。
しかし、戦争はさらに激しくなり、足の悪い豊松のもとにも召集令状が届きます。房江が夫の髪を刈ってやりました。
ふたりは以前は同じ理容室に勤めていました。恋に落ちて子どもができたことから店をクビになりましたが、流れ着いた高知の岬で自分たちの床屋を開いてがんばろうと誓い合います。ようやく軌道に乗った矢先の招集に、房江は涙をこらえられませんでした。
矢野中将率いる本土防衛の部隊に配属された豊松は厳しい訓練を受けます。戦況は日に日に悪くなっていきました。
ある日、撃墜されたB-29の搭乗員が裏山に降下し、処分をせよという命令が豊松の中隊に下ります。すでに虫の息だった搭乗員を銃剣で刺殺するよう隊長から命じられた豊松は、無理やり強制されて恐ろしさに絶叫しながら捕虜に向かって突進しました。
映画『私は貝になりたい』の感想と評価
狂気の世界に存在する確かな愛
戦争という愚かな行為の悲惨さをあぶり出す一作『私は貝になりたい』。観終えた後は、こんな恐ろしいことが本当におこなわれていたのかと驚愕せずにはいられません。
中居正広演じる床屋の豊松は貧しい生まれで、幼くして丁稚に出され、足が悪いこともあり貧困に苦しみながら生きてきました。房江と出会って自分の店を構え、親子3人でつつましく暮らしていましたが、突然届いた召集令状によって運命を狂わされます。
上官に強要されて捕虜を刺した豊松は、戦後の裁判で死刑の判決を受けます。実は恐怖のあまり豊松はうまく捕虜を刺すことができず、腕をケガさせただけでした。しかし、殺してもいないのに彼は絞首刑を言い渡されます。
印象的なのは、この時代の日本人にとっての天皇の存在です。彼らにとって天皇は神のような存在でした。捕虜を刺すように言われて躊躇した豊松は、上官の言うことは天皇の言うことと同じという言葉を聞いて、雷に打たれたかのようにもう一度捕虜に向かって突進します。
狂気の中にあった彼らにとって、天皇という存在は彼らの行動に正統性を持たせる魔法でした。天皇陛下万歳と言って命を散らしていった若者たちのことを思うと悲しみに胸がふさがれます。
戦後、目を覚ました人々は、戦争の愚かしさをいやというほど思い知らされることになります。
裁判で、自分たちは馬や牛と同じだと叫ぶ豊松の悲しみと怒りが胸に迫ります。
苦しむ豊松の胸の中で、確かなものとして存在し続けたのが愛する妻・房江でした。幼い子供をふたり連れて高知から上京し、必死で自分のために嘆願書への署名を集めてくれた妻のために、豊松は必死で生きようと心を奮い立たせます。
そんな願いが叶うことなく、極刑に処される豊松の姿に涙を流さずにはいられません。
獄中で出会った人たちとの絆
獄中で豊松はさまざまな人々と出会います。どの人物も強い印象を残す者ばかりです。
最初に独房で一緒になったのは草彅剛演じる大西です。彼は淡々と牢のしきたりについて説明し、翌朝すぐに処刑を言い渡されて去っていきます。ほんの短いシーンですが、草彅の迫力ある演技に圧倒される印象的な場面です。
その後、笑福亭鶴瓶演じる西沢と同室になり、再審請求をあきらめない彼から大きな希望を受け取ります。
石坂浩二演じる孤独を抱える元上官の矢野と、豊松は恨みを越えて深く心つながります。毅然として絞首台に上る矢野のシーンは大きなみどころのひとつです。
そして誰より豊松に大きな影響を与えたのは、教誨師・小宮の存在でした。彼は豊松が家族に状況を伝えていないことに気づき、房江に手紙を書いて夫婦を引き合わせます。
教誨師という厳しい仕事をまっとうできるのは、彼自身が来世を強く信じているからです。今苦しんでいる囚人も死後はきっと救われることを信じられるからこそ、小宮は人々を刑に送り出すことができました。
彼は最後の夜に豊松に葡萄酒をふるまい、彼の魂に寄り添います。来世にどんな風に生まれ変わりたい聞かれた豊松は、金持ちになりたいと言って号泣し、小宮は彼の肩を抱きます。
こうして小宮が寄り添ってくれたことで豊松は正気を取り戻し、家族に手紙を書くことができました。
豊松の遺書は絶望に満ちていました。生まれ変わって金持ちになりたいなどという思いは彼にはもうありません。
そこには、ただ残酷な人間の世から遠く離れ、静かに海の底で貝になりたいと書かれていました。
醜い人の世界には戻りたくないという強い思いに加え、遺していく家族を心配する深い悲しみに彼はもはや耐えられなかったのです。
この手紙を見た小宮はどう感じたことでしょうか。来世を待ち望むより、今生きている人を救うことに全力を尽くす大切さを、辛い思いで噛みしめたかもしれないと思えてなりません。
まとめ
大きな不条理の中で過酷な運命に命を散らしたひとりの平凡な男の姿を描く名作『私は貝になりたい』。
家族と暮らしたいというつつましやかな願いを叶えることなく、無念のうちに死にゆく豊松の悲しみが真正面から描かれます。
ストーリーはフィクションながら、恐らく現実に戦場や裁判で起こった真実が描かれていると言えるでしょう。
本当に罪を背負うべきだったのは誰なのかはわかりません。戦争という怪物に飲み込まれた市井の人々は、ただ自身が生きるために必死だったに違いないからです。
馬や牛のように好きにこき使われ、虫けらのように殺されるような、人間の尊厳を踏みにじる世に決してしてはならないと強く訴えかける一作です。