子どもを求め彷徨う女性を描く、映画『三度目の、正直』。
ヴェネツィア映画祭で銀獅子賞を受賞した黒沢清監督の『スパイの妻』、『ドライブ・マイ・カー』で世界から高く評価される濱口竜介監督の『ハッピーアワー』で共同脚本を務めた野原位の劇場監督デビュー作。
『ハッピーアワー』でも舞台となった神戸で撮影され、『ハッピーアワー』でロカルノ国際映画祭の最優秀女優賞を受賞した川村りらが春役を演じています。
神戸出身のラッパー・小林勝行が俳優に初挑戦しました。
寂しさを心に抱える女性が、行き倒れていた記憶喪失の青年を守ることで自身を再生させようともがく姿が切なく描かれます。
虚ろながら強い光を持つ主人公の瞳が印象的な『三度目の、正直』の魅力を、ネタバレありでご紹介します。
映画『三度目の、正直』の作品情報
【公開】
2022年(日本映画)
【脚本】
野原位、川村りら
【監督・編集】
野原位
【出演】
川村りら、小林勝行、出村弘美、川村知、田辺泰信、謝花喜天
【作品概要】
黒沢清監督の『スパイの妻』、濱口竜介監督の『ハッピーアワー』で共同脚本を務めた野原位の監督デビュー作。当たり前の日常を生きるすべての人々に贈る人生賛歌。
パートナーの連れ子がカナダ留学したことで寂しさを募らせた主人公・春が、パートナーに別れを言われてひとりになった後に行き倒れの記憶喪失の青年を拾い、彼への愛情で寂しさを埋めようとする姿を切なく描きます。
春の弟とその妻との心のすれ違いや不安も丁寧に描かれています。
正常と狂気の間で心が崩れていくさまを、どこかおかしみを感じさせるタッチで描き出した作品です。
主演を務めるのは、『ハッピーアワー』で物語を牽引する「純」を演じ、第68回ロカルノ国際映画祭最優秀女優賞受賞を受賞した川村りら。子どもを育てたいと切に願いながら、どこか狂気を宿した女性を鮮烈に演じました。
神戸出身の孤高のラッパー・小林勝行が俳優に初挑戦し、自身を投影した役柄で劇中でもライブを披露。無骨ながら生々しい存在感を見せています。
映画『三度目の、正直』のあらすじとネタバレ
海辺に佇む車いすの女性とその息子。何かほしいものはあるかと聞く息子に、母親は答えます。
「ほしいもの…もう一度3人で暮らしたかったな。明とお父さんと」
父を嫌いじゃなかったのかと、驚く青年。
「嫌いとかじゃないよ。ただ一緒に暮らせなかっただけ。ごめんね」と母親が答えます。
「お父さん連れてきたら元気になる?母さん」
月島春が自宅に戻ると、パートナーの宗一朗の娘・蘭が料理をしていました。もうすぐ海外留学する娘を見つめる宗一朗と春。心配そうに見ないでという娘に、春は「心配やなくてさみしいねん」と答えます。一緒に暮らし始めて8年になる春と総一朗は籍を入れないままでした。
春は、ラッパーをしている弟・毅の妻・美香子を、蘭の送別会に呼びます。宗一朗と春は美香子たち夫婦を心配していました。
黙り込む蘭の態度に怒る宗一朗。留学前夜の蘭の気持ちを思ってかばう蘭と宗一朗との会話は、次第に険悪になっていきます。たまりかねて席を立った蘭を春が追いかけます。
「別れてもいいよ」と春に言う蘭。
「がまんしてたやろ。パパと暮らしてプラスのことあった?」「あったよ。蘭がいた」
やっとひとりになれる、と蘭は本音を言った後、「ママもしんどかったと思う。なんで人の気持ちがわからへんねん」と蘭は言うのでした。春は「ありがとう」と返します。
翌日、カナダへ旅立つ蘭を見送る総一朗と春。春は家で蘭の服を抱きしめて悲しみに耐えるのでした。
めまいがして休む美香子を気にかけ、代わりに4歳の息子の弁当を作る毅。精神的に不安を抱えながらも、美香子は子育てと、毅のラッパー活動のサポート、撮影までこなしていました。彼の頼みを断ることができない彼女の心は、ストレスでパンパンに膨れ上がっていました。
心療内科医の宗一朗の診察を受けて睡眠薬をもらおうとする美香子に、総一朗は毅にも受診してほしいと言います。
元夫の大藪賢治から、授かり婚をすることを報告された春。春といた頃に浮気していたことを告白する夫に、春は知っていたと答えます。彼女から別れを切り出された理由がわからずに悩んでいた賢治は、そう聞いて安堵しました。
「生まれてこなかった子どもが原因かと思った」という夫の言葉にうつむく春。彼女は祖父から性的虐待を受けていたことをぽろりと話します。
里親になって二人で子供を育てたいと言う春に総一朗は猛反対します。春に向かい、「蘭が行ってから変だ」と言う総一朗。あげくに、ほかに好きな人がいるから別れてほしいと春に告げます。
荷物を抱えて家を出た春は、行き倒れた記憶障害の青年を見つけます。母・しまの家に彼を連れて行き、「生人(なると)」と名付けて記憶が戻るまで側に置いておきたいと言う春。母と毅に反対されますが全く耳を貸そうとしません。
春は生人から好きな場所を聞かれて「海」と答えます。辛い記憶を吸い取ってくれそうな気がするから、と。「辛くても記憶がないよりましだと思う」と言う生人。
なぜ身元不明の男を引き取ろうと思ったのかと聞かれた春は「ずっと子どもがほしかった…」と答えますが、生人は「気持ち悪い」とはねつけます。
「出て行きたかったいいよぜんぜん。おりたかったらおってもいい」そう淡々と春は言うのでした。
しかし翌朝、生人が部屋のドアを開けようとすると、春が外側から鍵をかけて彼を閉じ込めていました。「ずっとここにおってくれるなら開けるよ」そう言う春。
母・しまが驚いて春から鍵をとりあげ、生人を出してやりましたが、その瞬間、春は裁ちバサミを自分の喉元に突き付けて静かに言います。
「出て行くんやったら死ぬで」
映画『三度目の、正直』の感想と評価
主演の川村りらの圧倒的存在感
子どもを失ったヒロインが、心の空白を埋めるために代わりの存在を探して愛を注ぎ再生していくさまを描く『三度目の、正直』。
本作で監督デビューを果たした野原位は、ヴェネツィア映画祭で銀獅子賞を受賞した黒沢清監督の『スパイの妻』、『ドライブ・マイ・カー』がカンヌ映画祭脚本賞や米アカデミー賞ノミネートなど世界中で高く評価されている濱口竜介監督による『ハッピーアワー』で共同脚本を務めた実力の持ち主です。
主演を務める川村りらは、本作の野原位監督と、濱口竜介が共同脚本を担当した『ハッピーアワー』に出演し、共演した女優陣たちと共に第68回ロカルノ国際映画祭最優秀女優賞を受賞しました。
野原監督は、川村を「カメラを通してみると、溢れ出る力強さがあり、発する声に誠実さを感じる」と評し、絶対的な信頼感のもと作品を生み出しました。
主人公の春は気が強く、自分の意見をはっきり言う女性です。その反面、子どもを流産した過去を乗り越えることができず、喪失感と寂しさにとらわれているもろく繊細な心を持っています。
彼女の目はいつも虚ろで、自分の産めなかった息子「生人(なると)」をいつも追っていました。
パートナーの宗一朗の連れ子の蘭は、彼女の寂しさを一時埋めてくれましたが、彼女がカナダに留学してしまったことでまた春の心は空洞となってしまいます。
蘭がいなくなったことでパートナーの関係はあっさりと破綻し、里子をもらうことまで考えた春は、偶然みつけた記憶喪失の青年にしがみつきます。
そんな春を演じる川村の狂気の演技は圧巻です。新たな生人をじっとみつめる瞳、出て行こうとする彼を留めるために自分の喉元に裁ちバサミを突き付けたときの凄み。彼女の醸し出す「必死さ」に誰もが心奪われます。
周囲から「おかしい」「狂ってる」と言われ続けながらも自分を曲げない春。
一方で、「自分が狂っている」ことを本当は誰より理解している春の心の深層心理まで、川村が余すことなく映し出しています。
言葉が通じない悲しみ
本作には春のほかに、もうひとり心が不安定で狂気との間で苦しんでいる女性・美香子が登場します。
美香子は、ラッパーで昼間は肉屋で働く春の弟・毅の妻で、4歳の光太郎を育てています。
毅は精神的に弱っている妻を労り、家事を手伝ったりする一方で、疲れている彼女にラップの書き起こしをさせたりライブの撮影を手伝わせたりと酷使し続けます。
頼んだ後は「ありがとう」と礼を言い、愛情表現も豊かな夫の願いを美香子は何一つ断ることができず、ストレスと疲労で心が膨れ上がっていました。
春の元パートナーで、心療内科医の宗一朗との不倫によって、それまでどうにか保っていた心のバランスは崩れて異常をきたしていきます。
毅と美香子が車で語り合うシーン。毅は妻を繋ぎ止めようとラップで語り掛けますが、完全に空回りしてしまいます。
美香子は美香子で彼に気持ちを言おうとしますが、彼女の言葉は空中分解して何一つ夫に届きません。
正直に話し合おうと努力したふたりは、皮肉なことにここで初めて「自分の言葉が相手に決して通じない」ことにやっと気づくのです。
春と元夫の賢治との間にも、会話が通じ合わない印象的なシーンがあります。
青年に生人と名付けて一緒に暮らすようになっても「生人は世界にひとりや」と言った春が、賢治から「矛盾している」となじられる場面です。
自分が生むことができなかった子どもの生人は、ずっと春の中で現在形で存在します。新たに現れた青年の生人もいわば地続きの場所に存在しているのですが、賢治にとっては亡くなった生人は過去の存在でしかなかったのです。
子どもに対する時間軸も心に占める面積も全く違う二人。だからこそ、春は賢治から離れるしかありませんでした。
美香子もまた、「離れたい」と毅に告げるよりほかなかったのです。
目の前に見える現実の世界だけに生きる男性と、心の空白から狂気の世界に陥っていく女性との深い溝が浮き彫りになる一作です。
まとめ
黒沢清監督の『スパイの妻』、濱口竜介監督の『ハッピーアワー』で共同脚本を務めた野原位の監督デビュー作『三度目の、正直』。
心の襞まで丁寧に描き出した本作は、『ドライブ・マイ・カー』でカンヌ国際映画祭脚本賞など受賞しアカデミー賞作品賞はじめ4部門にノミネートされた濱口竜介監督に「嫉妬を禁じ得ない」と言わせた傑作です。
壮絶な苦悩を抱くヒロイン・春を演じ切る主演の川村りらから目が離せません。
偶然みつけた記憶喪失の青年との出会いを「三度目の正直」だと喜ぶヒロインは、もしかしたら私たちの誰もがいつ陥ってもおかしくない狂気の中にいるのかもしれません。