美しくも心さみしいモノクロの世界。
幸せとはどんな色なのでしょうか。
アルフォンソ・キュアロン監督が、脚本・製作も手掛け、自身の幼少期の記憶を蘇らせた自叙伝的映画『ROMA ローマ』。
1970年のメキシコシティ、コロニア・ローマ地区で暮らす中産階級の家族と、そこに住込みで働く家政婦の日常を描いています。
家政婦クレオの目線で綴られた日々の記憶は、当時のメキシコの情勢や格差社会の現状までも映し出しています。そして、強くならざるを得ない女性たちの物語でもありました。
ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞、第91回アカデミー賞では10部門にノミネートのすえ、外国語映画賞、監督賞、撮影賞を受賞した話題作『ROMA ローマ』を紹介します。
映画『ROMA ローマ』の作品情報
【日本公開】
2019年(メキシコ・アメリカ映画)
【監督・脚本・撮影】
アルフォンソ・キュアロン
【キャスト】
ヤリッツァ・アパリシオ、マリーナ・デ・タビラ、マルコ・グラフ、ダニエラ・デメサ、カルロス・ペラルタ、ナンシー・ガルシア、ディエゴ・コルティナ・アウトレイ
【作品概要】
『ゼロ・グラビティ』のアルフォンソ・キュアロン監督が、自ら脚本・撮影も手掛け、自身の幼少期過ごしたメキシコでの記憶を映像化した自叙伝的映画『ROMA ローマ』。
リアリティの追求のため出演者は無名の俳優を起用。エキストラにも、実際にその職業で働いている人々を起用する徹底ぶりです。
主役のクレオを演じたヤリャッツァ・アパリシオは、これまで演技の経験もなく、保育士の勉強をしていた一般女性、本作がデビュー作となりました。
映画『ROMA ローマ』のあらすじとネタバレ
タイルの敷かれた床に、水が流れます。ゴシゴシ、ブラシを擦る音。何度も流される水は、泡交じりとなっていきます。
泡を含んだ水たまりが鏡のように、空を飛ぶ飛行機を映しています。
ここは、1970年メキシコシティ、コロニア・ローマ地区。この地区には中産階級の邸宅が並んでいます。
クレオは、アントニオ医師家族が暮らす邸宅で住込みの家政婦として働いています。彼女ともう一人の家政婦アデラは先住民であり、この地区では人種差別のもと先住民の家政婦はめずらしくありません。
タイルの敷かれた通路では、犬のボラスがフンをし放題です。それを洗い流すのも仕事。掃除、洗濯、食事の他にも子供たちの世話に追われる毎日です。
アントニオの家族は、妻のソフィアに子供4人、ソフィアの母親テレサの7人家族です。子供たちはそれぞれ、長男のトーニョ、次男のパコ、三男のペペ、長女のソフィ。
子供たちはクレオにとても懐いています。家族のように接する子供たち。それでも立場はわきまえています。クレオはこの家で良き家政婦でした。
クレオが屋上で洗濯をしていると、まわりで兄弟は喧嘩を始めます。これも日常です。ペペの死体ごっこに付き合うクレオ。「死ぬのも悪くないね」。と一緒に寝そべります。
父親のアントニオは運転が下手。なのに、キャデラックに乗ったアントニオは毎回、家のパティオに車を入れるのに一苦労。それでもパパの帰りを喜んで待つ子ども達。家族は一見幸せそうに見えます。
しかし、アントニオは浮気をしていました。子供たちには出張と嘘をつき家を出ます。妻のソフィアは引き留めることも、怒ることも出来ませんでした。
クレオは、同じ家政婦のアデルの紹介でフェルミンという男と付き合っていました。
ある日、クレオはアデルとダブルデートに出かけます。嬉しさを隠しきれず、街の中を駆け出すクレオとアデル。彼女たちのつかの間の休息です。
フェルミンと会ったクレオは、アデルたちと別れ、ホテルの部屋へ。フェルミンは、自分のことを語ります。スラム街の出身で母親と2人暮らし。これまで悪事をやってきたが、武術に出会い心を入れ替えたと。
その武術の素晴らしさを伝えるため、全裸で棒を振り回してみせるフェルミン。若い2人は燃え上がる情熱を持て余しているかのようです。
そしてシャワーを浴びるといつもの朝がやってきます。子供たちを起こし、朝食の準備、皆を送り出して、犬のフン掃除、洗濯。
そんなクレオの日常に変化が訪れます。
今日もフェルミンとデートです。映画館に行く2人は、映画そっちのけで2人の世界です。クレオはフェルミンに告白します。「生理がこないの」。返事がこないフェルミンにもう一度伝えるクレオ。
「それは良いことだろ」。フェルミンも喜んでくれているのでしょうか。
しかし、映画の途中でトイレに立ったフェルミンは、その後戻ってきませんでした。氷が降る天気の日でした。
クレオは、奥様のソフィアに妊娠のことを打ち明けることにします。なかなか言い出せないクレオでしたが、ソフィアは事情を聞くと優しく抱きしめ病院へ連れて行きます。
ソフィアは旦那に負けず劣らず運転が下手でした。病院までの間でキャデラックはボロボロです。
無事、病院で診断を受けたクレオは、やはり妊娠していました。ソフィアの提案でクレオは新生児室を覗きに行くも、そこで突然大きな地震が起こります。
激しい揺れが落ち着き、部屋の向こうの保育器を見ると、上には瓦礫が落ちていました。
十字架が並ぶ墓では風で布が揺れています。どうしても拭えない不吉さが漂います。
その年のクリスマス。家族は帰って来ない父親を置いて、親戚の家族たちと過ごすことに。お腹が目立ってきたクレオも同行します。
親戚が集まった邸宅では、クリスマスから年末年始にかけて盛大なパーティーが行われます。酒を飲み、大人たちは拳銃の試し打ち、夜は子供たちも夜更かしし、ゲームにダンスパーティに好き勝手過ごします。
それぞれの家族の使用人たちも地下で別のパーティーを開いていました。クレオも誘われ参加します。乾杯をするも人にぶつかられコップを割ってしまうクレオ。
外では森が火事になっていました。親戚たちは総勢で火消しに当たるも燃え上がるばかり。それもまた運命の流れには逆らえない虚しさなのでしょうか。
次の朝、あたり一面焼け焦げになるも火事は収まります。山岳地帯を散歩する子供たち。田畑には砂埃が舞い、羊たちが群れ、遠くに山裾が広がります。クレオは、その景色に自分の故郷を思い出します。
時代はうごめいていました。そのうねりは、ソフィアの家族やクレオにも押し寄せます。
映画『ROMA ローマ』の感想と評価
映画『ROMA ローマ』はモノクロ映画です。
モノクロの世界は、アルフォンソ・キュアロン監督の幼少期の記憶に、まるで自分も入り込んでしまったような感覚に陥ります。
家政婦クレオの目線で綴られた日々の記憶は、当時のメキシコの情勢や格差社会の現状までも映しています。それは子供の目線のままでは描けなかったからではないでしょうか。
しかし、横ロールで流れるような映像は、街を走り抜けたり、パーティーで踊る大人たちのおしりが見えたり、飛行機が横切る空、そして横からやってくる激しい波など、子供の目線も感じられます。
そして、モノクロの中にも数々のシーンに色が付いて見えてきます。空の色や、料理の色、火事の燃え盛る色、海の色、悲しみの色。
これは自分が経験し記憶してきた色が勝手に映り込んだ結果なのでしょう。自分の幼い頃の記憶の回想と繋がるのです。
記憶とは可笑しな部分だけやけに鮮明に残っていたりします。その切り取られたシーンは、何かの暗示のようにも感じられるし、意味のないものでもあったりします。
その記憶という曖昧な面影をそのままに、印象に残っているシーンを繋ぎ合わせ、しかも自分の目線ではなく、家政婦の目線で描いたところが興味深いです。
終わりに「リボへ」というメッセージがあります。これはクレオのモデルとなったアルフォンソ・キュアロン監督が幼少期にお世話になった家政婦で乳母のリボのことです。
アルフォンソ・キュアロン監督のリボへの愛が込められた作品でした。
また映画『ROMAローマ』ではBGMがありません。日常の音がまるで近くで聞こえてくるような立体的な演出です。
水の流れる音、洗濯の音、車の音、犬の鳴き声、子供の笑い声、テレビから聞こえる流行の音楽、軍楽隊のパレード、電話の鳴る音、街の雑踏、デモの音、波の音。
音にも、悲しい音、幸せな音、恐怖の音と色が着いているものだと改めて感じます。
映画『ROMA ローマ』は、メキシコの歴史やスピリッツが分からない日本人には難しいと感じる映画かもしれません。
しかし、この物語は強く生きる女性たちの物語でもあります。そこには共感するものがあります。
クレオは寡黙で真面目な女性です。身分をわきまえつつも、愛情をもって子供たちに接します。なぜ彼女が、苦しまなければならなかったのか。
時代のせい、環境のせい、無知のせい、ダメ男のせい。それだけが原因ではない人生の不運に憤りを感じます。
動かぬ我が子を抱きしめ泣き続けるクレオ。その後、後悔の念を告白するクレオ。彼女も普通の女性なのです。
また子供たちの母親でもあるソフィアも主人公のひとりと言っても過言ではありません。
夫の浮気と離婚、そこから自分だけで子供たちを育てていこうと決意する母親の姿。クレオとは別の強さが彼女にも見えます。
苛立ちを見せながらも、日々片付けていかなければならない事柄に奮闘し、一家の主として家族を守ろう変わっていく姿。本当は幸せな妻として、華やかに暮らしたいのに。
彼女たちの悲しみは、黒い大きな波となって家族を襲ってきます。家族が抱き合い、悲しみと安堵の交じり合う海辺のシーンは、まるで神に祈りを捧げているかのような美しい光景です。
その波を乗り切った彼女たちの今後の人生には、色のついた幸せな人生があったと願いたいです。
ラストシーンは、横ロールだったカメラワークが、屋上への階段を昇って行くクレオを捉える縦ロールへと変わります。空には飛行機が飛んでいました。
空へと向かう、天国へと向かう視線。そこには悲しみもあるけれど一歩づつ成長していく前向きな姿がありました。
まとめ
アルフォンソ・キュアロン監督が、脚本・製作も手掛け、自身の幼少期の記憶を蘇らせた自叙伝的モノクロ映画『ROMA ローマ』を紹介しました。
格差・人種問題と政治的混乱に揺れる1970年代初期のメキシコ。そこで暮らす中産階級の家族と、そこに住込みで働く家政婦の関係を描いた作品です。
タイトルの『ROMA ローマ』には2つの意味が込められていると言われています。ひとつは、舞台となったメキシコのローマ地区の意味。
そしてもうひとつの意味。『ROMA』を逆にすると『AMOR』、スペイン語で「愛」という意味になるということです。
時代の波には逆らえず、悲しみから逃れられなくても、「愛」を持って生きることが何より美しいと気付かされます。