ジム・ジャームッシュが『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』以来4年ぶりに手がけた長編劇映画『パターソン』が公開中です!
バス運転手で詩人であるパターソンという男性をアダム・ドライバーが演じています。
1.映画『パターソン』の作品情報
【公開】
2017年(アメリカ映画)
【原題】
Paterson
【監督】
ジム・ジャームッシュ
【キャスト】
アダム・ドライバー、ゴルシフテ・ファラハニ、バリー・シャバカ・ヘンリー、クリフ・スミス、ウィリアム・ジャクソン・ハーパー、チャステン・ハーモン、永瀬正敏
【作品概要】
アダム・ドライバーが、アメリカ、ニュージャージー州パターソンに住むパターソンという名のバス運転手に扮しています。彼は一冊のノートに詩を書き留め、毎日規則正しい生活を送っています。
そんな彼の一週間を、ジャームッシュ独特のペーソスとユーモアを交えて描いています。
2.映画『パターソン』のあらすじとネタバレ
月曜日
パターソンは目を覚まし、棚に置いた腕時計に目をやりました。時間は朝の6時過ぎ。隣には妻のローラが眠っています。
キスをすると彼女は目を覚まし、「素敵な夢を見たわ」と話し始めました。それは「双子」の夢でした。
遠くで汽車の音が響いています。パターソンはシリアルを食べ、マッチを指で転がしました。
歩いて職場に向かうパターソン。彼はニュージャージー州パターソン市のバス運転手です。
バスに乗り込むと、歩きながら頭に浮かんだ詩を一冊の秘密のノートに書きつけていきます。今日の詩は、マッチに関するものです。
同僚のドニーが確認にやってきて、パターソンはバスを出発させました。小学生の二人連れが、かつて冤罪を受けた黒人ボクサーの話しをしています。
昼はパターソン市の名所である滝(グレートフォールズ)が見えるベンチで妻が作ってくれたランチを食べ、またまた詩作に励みます。
仕事を終え、家に戻り、郵便受けから手紙を取り出します。少し斜めに傾いている郵便受けをまっすぐに直してから玄関に向かいます。
夕食後、愛犬マーヴィンを連れて散歩に出かけます。途中、バーへ立ち寄り、マーヴィンを外に繋いで、少しだけお酒を飲んで、彼の一日が過ぎていくのでした。
火曜日
背中合わせに眠っているパターソンとローラ。
昨日とほぼ同じ時間に目が覚めたパターソンは腕時計を取ると腕にはめました。ローラは古代ペルシャにいる夢を見たそうです。
いつものシリアルを食べると、歩いて職場へ。運転席に座りノートに詩を書き付けているとドニーがやってきました。
調子はどうかいと聞くと、ドニーの口からは堰を切ったように愚痴がこぼれだしました。
帰宅したパターソンにローラが2つお願いがあるのだと言いました。一つは、詩のノートをコピーすること。
もう一つは、カントリー歌手の夢を叶えるためにギターが欲しいというものでした。
教本付きだというギターは、パターソンには少々高く思えましたが、真剣な妻の様子を見て注文することに同意しました。ローラは大喜びです。
いつものようにマーヴィンを散歩させていると、車に乗ったストリート・ギャングたちが声をかけてきました。
彼らはマーヴィンを見て、ブルドックだろ?と尋ねると、今、ブルドッグは人気があるから盗難されるかもしれないと忠告するのでした。
パターソンは「ジャックされるなよ」とマーヴィンに言いながら、いつもの店の前で彼を繋いで、中に入りました。隣に常連のマリーが座りました。
するとすぐにエヴェレットという男性が彼女を追いかけてやって来ました。二人は別れたばかりだといいます。
マリーは元の鞘に戻る気などまったくないようでした。
水曜日
いつものように目覚め、シリアルを食べていると、ローラが台所にやってきました。「起きているの?」とパターソンが尋ねると、彼女は首を振り、またベッドへ戻っていきました。
今日もドニーの愚痴が止まりません。動き出したバス。車窓からは黒人の双子の女の子が母親に手をひかれていく姿が見えました。
夕食は何?とローラに聞くと「キヌア」という言葉が帰ってきました。なんでも古代インカで栽培されたものだそうですが、果たしてどんな料理なのでしょう。
ローラは家中のものにペインティングを施していました。墨を使った大胆なデザインが彼女の特徴です。
夜、マーヴィンを散歩させていると、コインランドリーで一人の黒人男性が、ラップのリリックを作って歌っていました。
「ここは君のスタジオだね」とパターソンが声をかけると、「スタジオ? 詩が浮かんだところがスタジオさ」と男は笑って言いました。
バーではバーテンダーが盛んに女性を口説いていました。その横でパターソンは壁に貼られた新聞の切り抜きや写真を静かに見つめていました。
グラスの中身、カウンター近くに置かれたチェスの盤などを。
木曜日
朝、目覚めると時間は6時半。いつもよりやや遅めですが、大丈夫そうです。「夜、帰ってきた時の匂いが好きよ」とローラが囁きました。
バスを走らせながら、ローラへの想いがこみ上げてきました。
仕事を終え戻ってきたパターソンにドニーが愚痴を始めました。「気の毒に」とパターソンは応えました。
歩いて帰る途中、少女が一人で座っているのが見えました。一人だなんて不用心と心配したパターソンは彼女に声をかけました。
双子の姉と母を待っているという彼女は、ノートに詩を書いていました。「水が落ちる。 明るい宙から」。彼女は自作の詩を読んでくれました。
「エミリー・ディキンソンは好き?」 少女の質問に「好きだよ」と答えると彼女は「クールね」と微笑みました。母と姉が戻ってきて、彼女は車に乗って帰っていきました。
夕食はディナーパイでした。芽キャベツとチーズというパターソンの好物の入った、ローラの創作料理です。
ローラは詩を読んで欲しいと彼にせがみますが、他の人のなら、と彼は応え、今日あった少女の詩を紹介します。
あなたの詩に似ているとローラも感銘を受けたようです。ローラはパターソンの詩ももっと多くの人の目に触れるべきだと常々考えていて、必ず週末にコピーを取ってねと約束をとりつけました。
バーではバーテンダーがへそくりを盗んだだろうと押しかけてきた妻にののしられていました。隅のテーブルではマリーとエヴェレットが深刻そうな顔をして座っていました。
金曜日
今朝はローラが先に起きて、カップケーキを作っていました。週末のバザーに出品するのです。ケーキが売れたら商売ができるかもしれないわ、と彼女はとても張り切っています。
走行中、バスがエンストしてしまいました。電気系統のトラブルのようです。
パターソンは乗客を降ろして、状況を説明しました。乗客の小学生にスマホを借り(彼は携帯電話を所有していないのです)会社に連絡を入れ、代替バスを頼みました。
その頃、パターソンの家からマーヴィンが飛び出してきて、郵便受けに飛びつきました。郵便受けは斜めに傾きました。犯人はマーヴィンだったのです。
疲れて帰ってきた彼を出迎えたのは、ギターを抱いたローラでした。届いたばかりのギターで「線路の歌」を弾くローラ。まだ途中までですが、教本を見ながら、一生懸命練習したようです。
バーに到着すると、今日もエヴェレットがマリーを追いかけてやってきました。
エヴェレットはおもむろに銃を取り出すと「皆、動くな」と叫びました。自殺を企てようとする彼にパターソンは突進し、銃を奪いました。銃はおもちゃでした。
「バカモノめ。客を帰らせやがって」とバーテンダーは怒っていました。エヴェレットはパターソンを見て「愛を失って生きる意味があるか?」と呟きました。
バーテンダーに礼を言われたパターソンは「自分でもびっくりした」と正直に答えるのでした。
土曜日
妻が眠っているパターソンに覆いかぶさるようにして「おはよう」と告げました。
ローラは美味しそうに焼けたカップケーキを何箱にも詰め、車に積み込むと出かけていきました。
マーヴィンを散歩させ、戻って部屋で詩を書いていると、妻が大喜びで戻ってきました。カップケーキは完売し、286ドルも稼いだとのこと。
「お祝いしましょう」。二人は、外出し、古いホラー映画を観に行きました。
「また観に行こう」とご機嫌で帰ってくると、パターソンの秘密のノートがボロボロに引きちぎられていました。見事に修復不可能なくらい細かく。
犯人はマーヴィンでした。
日曜日
ベッドに座っているパターソンに「まだ早いわ。日曜よ」と声をかけるローラ。パターソンはショックから立ち直れずにいました。
気遣って、一人になりたいなら私が外へ行くわというローラに首を振り、「僕が出かける。散歩してくる」とパターソンは言いました。
街を歩いていると、向こうからエヴェレットが歩いてくるのが見えました。
「この前はすまなかった」とエヴェレットは謝罪し、パターソンが元気がないことに気付きました。「何があっても日は上り、日は沈む。毎日が新しい日」と彼は言い、パターソンは微笑みました。
グレートフォールズが見えるベンチに座っていると、隣に座ってもよいかと日本人の男が声をかけてきました。
彼の手にはパターソン市が生んだ詩人、ウィリアム・カーロス・ウィリアムズの日本語と英語の対訳本がありました。
ウィリアム・カーロス・ウィリアムズはパターソンが敬愛する詩人の一人です。男はウィリアム・カーロス・ウィリアムズの街を観にここまでやってきたのだと言います。
「あなたもパターソンの詩人ですか?」と聞かれ、パターソンは「僕はただのバスの運転手です」と応じました。すると男は「とても素敵です。詩的です」と言うのでした。
彼はひとしきり、好きな詩人の話しをし、パターソンが「詩がすきなんだね」と言うと「私の全てです」と応えました。
彼自身、詩を書いているそうです。日本語で書いていると言ったあと彼はこう付け加えました。「詩の翻訳はレインコートを着てシャワーを浴びているようなもの」。
彼はパターソンにギフトだといって、一冊のノートを手渡しました。「白紙のページに可能性が広がることもあります」と言って。
彼は去っていきましたが、一度振り返って「Excuse me. A- ha! 」と言いました。パターソンはペンを取り出しました。
月曜日
目覚めたパターソンは時計を見て、腕にはめました。新しい一週間が始まりました。
3.映画『パターソン』の感想と評価
パターソンが目覚めて、腕時計を見るところから映画は始まります。目覚まし時計ではなく、腕時計というのがミソ。
毎日の規則正しい生活から養われた体内時計に間違いはないのでしょう。
毎朝同じシリアルを食べ、歩いて職場に向かい、バスの運転席でノートに詩を書き、一人で昼食を取りまた詩を書き、仕事を終えると再び歩いて家に戻り、夕食後、犬を散歩させ、最後にバーに寄りほんの少しだけ飲んで帰宅する。
パターソン市に住むバス運転手パターソンの生活は実に規則正しく営まれています。
それは代わり映えのしない毎日に見えますが、決して同じ毎日はないと言うかのように、ジャームッシュは、細かに彼らの生活を描写します。
例えば、朝、ベッドで眠っているパターソンとローラの姿勢。バスの中の客の会話、犬の散歩中に出逢う人々、バーの喧騒など。どの日も一日として同じではありません。
そして、カメラも、同じ場所を違ったふうに捉えることによって、豊かな毎日の息吹を伝えてくれます。
歩いているパターソンの影だけをおさめる場面など、何気ないけれどとても美しいシーンとなっています。
また、動くバスの車体、バスからの車窓を豊富なバリエーションで描き、パターソンの街、市民生活の風景を鮮やかに切り取ってみせます。
パターソンという街はニュージャージー州の古い産業都市で、主人公が敬愛している詩人、ウィリアム・カーロス・ウィリアムズが生まれて過ごした街です。
ウィリアムズは、生涯、開業医として働きながら詩を書いたと言います。その点、少し、主人公の生活と重なるように思われます。
映画の中で、ローラが彼の名前を覚えられず、カーロス・ウィリアム・カーロスと2度も間違っているのが実に愉快です。
ビート・ジェネレーションの立役者の一人、アレン・キンズバーグもパターソン出身で、終盤、永瀬正敏扮する「日本の詩人」がそのことに触れています。
バーの壁に貼られているのはソウル・デュオ「サム&デイヴ」のブロマイド。デイヴことデイビッド・プレイタがパターソン出身だそうです。
コメディアンの「アボット&コステロ」のルー・コステロもこの街の出身で、パターソンが運転するバスがコステロの銅像の側を通っていく場面があります。
そんな街での、彼らの慎ましい静かな生活は、幸福感に溢れていて、微笑ましく、ゆっくりと心に染み込んできます。
街にはしばしば双子が現れます。おそらく、ローラが双子の夢の話しをしなければ、パターソンの目にはまた違った光景が映っていたのではないでしょうか。
人は潜在意識にあるものをそれとは知らず追ってしまうのでしょう。「双子が多すぎる!」と叫びたくなるユニークさで、ファンタスティックな味わいがあります。
パターソンがわずか一週間の期間に三人もの優秀な詩人と出逢うことに対しても「詩人が多すぎる」と指摘出来るでしょう。それらは全て偶然の出逢いです。
ただし、これに関しては、いや、それは彼が詩人だからこそ、詩人を呼ぶのだ!と説明できるようにも思われます。
『ジョン・ウィック:チャプター2』を観た時、「ニューヨークは殺し屋が多すぎる!」と思ったものでしたが、それと比べるのもどうかと思いつつ、そうしたことが映画の面白さでもあるのです。
まとめ
『ヤング・アダルト・ニューヨーク』(2015年 ノア・バームバック監督)でアダム・ドライバーが演じたのは、若くて才能のあるヒップなニューヨーカーでした。
そういえば、アマンダ・セイフライドが演じた彼の妻もお菓子作りが上手な女性でした。商業化にも熱心でした。
あの夫婦に比べて、今回のアダム・ドライバー扮するパターソンと、ゴルシフテ・ファラハニ扮する妻、ローラは、なんと欲や野心のないことでしょう。
ローラはカントリー歌手になりたかったり、カップケーキのお店を出したりという夢はあるようですし、夫の詩をもっと人の目に触れるようにしたいと思っていますが、日々のインテリアへのペインティングやデザイン、カーテンの制作などに絶えず熱中しており、商業化へのプロセスにあてる時間がなさそうです。
詩を書くこと、デザイン、ペインティングに熱中することを、彼らは自己表現や自己実現とは考えていないようです。
彼らはそうしないではいられない人たちなのです。毎日、生活の中で言葉を紡ぎ出し、詩を書くこと、インテリアに独自のデザインを施し、あらゆるものにペインティングを施すこと(カップケーキもその一貫。デザインも統一されています)。
それらは彼らにとって、衣食住と同じ種類の行為なのです。息をするのと同じといってもいいかもしれません。
商業的であるかないかはあまり関係ない(重要ではない)。自分のしたいことをやり、それを尊重し合うパートナーがいて、心が満たされているからこそ、彼らは幸せなのでしょう。
そこには少しばかり、ジム・ジャームッシュの生き方が見え隠れしているようにも思えます。
前作『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライブ』(2013)は、荒廃したデトロイトを舞台にした吸血鬼の物語でしたが、本作は、ジャームッシュの初期作品を彷彿させるという声もあるようです。
この作品の中で、最も初期作品を連想させるキャラクターはエヴェレット(ウィリアム・ジャクソン・ハーパー)ではないでしょうか。その存在、佇まいなどがそう思わせます。
そこはかとないユーモアという点では、パターソンのランチボックスを忘れてはいけません。
みかんには無数の目が描かれ、おにぎり(あれはおにぎりですよね!?)はカーテンと同じ模様がついています。それを見るパターソンの微妙な反応がまたいいのです。