第80回アカデミー賞にて作品、監督、脚色、助演男優の4部門で受賞した犯罪ドラマ
アメリカ映画の巨匠コーエン兄弟の最高傑作『ノーカントリー』。
兄弟監督としてすでに世界的名声を得ているジョエル&イーサン・コーエンのフィルモグラフィーをみると、どれも粒揃いの作品ばかりですが、中でも群を抜いた出来栄えで評価が高いのが『ノーカントリー』です。
演出だけでなく脚本も担当した作劇の巧さと、主演のハビエル・バルデムの怪演に目を見張る本作の“アメリカ映画らしさ”について解説していきます。
映画『ノーカントリー』の作品情報
【公開】
2008年(アメリカ映画)
【監督・脚本】
ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン
【キャスト】
トミー・リー・ジョーンズ、ハビエル・バルデム、ジョシュ・ブローリン、ウッディ・ハレルソン、ケリー・マクドナルド、ギャレット・ディラハント、テス・ハーパー、バリー・コービン、スティーブン・ルート、ロジャー・ボイス、ベス・グラント、アナ・リーダー
【作品概要】
1980年の米テキサスを舞台に、麻薬売買の大金の行方を巡って凄惨な殺戮が繰り広げられる犯罪ドラマ。
大金を盗んだベトナム帰還兵役のジョシュ・ブローリン、老保安官役のトミー・リー・ジョーンズの他、ハビエル・バルデム扮する殺し屋の怪演が大きな話題となりました。
監督は、「ファーゴ」(1996)、「ビッグ・リボウスキ」(1998)の巨匠ジョエル&イーサン・コーエンが担当。
2008年の第80回アカデミー賞では、作品、監督、脚色、助演男優の4部門で受賞しています。
映画『ノーカントリー』のあらすじとネタバレ
舞台は、1980年のアメリカ、テキサス。
殺し屋のアントン・シガー(ハビエル・バルデム)は、拘束を逃れるために保安官を無惨にも殺害。途中で車を強奪し、その場を去っていきます。
その頃、ベトナム帰還兵であるウェリン・モス(ジョシュ・ブローリン)は、狩りをしていました。すると偶然、殺人現場に遭遇してしまいます。
どうやら激しい銃撃戦の後のようで、そこらに死体が転がっています。そして残されていたトラックの中から大量のコカインを発見。少し離れた木陰では数百万ドルと思われる現金も見つけ、家へ持ち帰ります。
その夜、現場をもう一度確認しに来たモスは、ちょうどそこへ現れたギャングたちに出会し、追跡を受けます。
間一髪、逃げ切ったモスでしたが、現場に置き去りにした車から身元が割れ、今度は殺し屋のシガーに追われるはめになるのです。
危険を感じたモスは妻カーラ・ジーン(ケリー・マクドナルド)を一旦実家に帰し、自分はモーテルに潜伏します。
銃撃現場には、エド・トム・ベル保安官(トミー・リー・ジョーンズ)の調べも入り、危険が迫るモスの行方を追い始めます。
モスが強奪したブリーフケースには実は発信器が隠されており、シガーはそれを頼りにモスの滞在するモーテルを発見。
すぐに身の危険を察知したモスは、シガーが誤って別の滞在客に銃弾を浴びせている間にモーテルを脱出。何とか難を逃れます。
次に部屋を取ったホテルで、ブリーフケースに受信機が隠されていたことを発見するモスでしたが、すでにシガーの手は迫っており、モスは腹部に銃弾を受けます。しかしモスの撃った銃弾でシガーも負傷し、その隙をついて逃げ切ります。
シガーが傷の治療に時間を取られているうち、モスは国境を越えてメキシコに到達し、現地の病院に入院。
面会に来た賞金稼ぎのカーソン・ウェルズ(ウディ・ハレルソン)が、金と引き換えにモスの命を守るという交換条件を出しますが、モスはこれを拒絶。仕方なくカーソンはホテルの連絡先を伝えて帰っていきます。
しかしカーソンはホテルでシガーに殺害され、ちょうど電話をよこしてきたモスにシガーが取引を持ちかけます。
モスが金を持ってくれば、カーラに手出しはしないと約束するシガーでしたが、モスはこれも拒否してしまうのでした。
映画『ノーカントリー』の感想と評価
殺し屋“アントン・シガー”の人物像
うつろな表情と不気味なハニカミ。獲物と決めた相手の命は容赦なく必ず奪い取る殺し屋アントン・シガー。彼の後ろに築かれる死屍累々の山々。
まるで屠殺処理でもするように次々人間をしとめていきます。彼に出会ったが最後、死を覚悟する間もなくあの世へ直送。黒装束という出で立ちが死神をも思わせます。
たとえ相手が保安官であろうとも怯むことなく、両腕にはめられた手錠で首を一気に締め上げ、地団駄を踏む家畜の動きが止まると、悦に入ったような恍惚の表情を浮かべます。
彼にとって殺人は、殺し屋としての領分を超えた、性行為の一種でもあるようです。
その怪物的キャラクターの暴力性には公開当初から驚愕と震撼の感想が後をたちません。
なぜそこまでするのか。観客は畏怖する心にとらわれながらも、思わずそのキャラクターの特殊さに疑問を抱いてしまいます。
この役で第80回アカデミー賞助演男優賞を見事受賞したハビエル・バルデムですが、狙った獲物は逃さない執拗なキャラクター性に恵まれたことがいかにもアメリカ映画的と言えるでしょう。
アメリカ映画の脚本術
アメリカ映画は、その黄金期であった40年代ハリウッド映画にみられるように、説話としての無駄が一切削ぎ落とされた高度なストーリーテリングが特徴として挙げられますが、限られた時間の枠内で物語をうまく転ばせていくための作劇の基本となるのは、キャラクターの行動原理です。
ハリウッドの作劇上、キャラクター(登場人物)は、とにもかくにもキャラクター(性格付け)に忠実でなければなりません。
アントン・シガーというキャラクターは生まれついた殺人衝動に常に基づいた行動を取らなければならず、その一貫した行動原理が他のキャラクターと衝突することではじめてドラマが起きるのです。
ドラマをうまく生じさせるためには、主人公のライバルになるような存在をこしらえることも重要です。
本作の場合、シガーのライバルとなるのは、彼に傷を負わせた唯一の男であるウェリン・モスということになります。
モスはシガーとは違って、ライフルで狙った野生動物を撃ち損ねてしまう人間的なミスを犯す人物ですが、ここではキャラクター造形の違いがはっきりと提示されています。
しかしどんなキャラクターでも受け身のままでは作劇の役には立ちません。時には、果敢に攻撃していくポジティブな姿勢も設定としては必要で、それがキャラクターの内面に厚みをもたせるのです。
一瞬たりとも弛緩することなく追跡を逃れ続けていたモスが、負けじと攻撃に転じるとドラマは次の展開をみせ始めました。
シガーとモスという対照的な2人がいかに自分のキャラクターに忠実であるか。そして、それがどれだけアメリカ映画的であることか。
密売組織からシガー追跡を依頼されたカーソン・ウェルズという賞金稼ぎは、シガーには特別な“行動規範”があると語りますが、捕えられたカーソンとシガーとの会話も見事なものです。
“お前の従うルールのせいでこうなったのなら──、ルールは必要か?”
シガーやモスとは違い、自らの行動規範が保身に支配されているウェルズは、厳格なルールをもっていませんでした。
その場の状況に応じてころころと態度を翻していくような一本筋の通っていないキャラクターは、アメリカ映画という戦場からは退場する他ないのです。
『タクシードライバー』(1976)のトラヴィスも『テルマ&ルイーズ』(1991)のテルマとルイーズも、アメリカ映画に登場する魅力的な主人公たちはみな、まるで生まれつきのように自分に課せられた行動規範に忠実なキャラクターたちばかりです。
たとえそのルールを厳守することで崩壊と破滅の道を自ら辿ることになっても、彼らが後悔することは決してありません。
監督だけでなく脚本も担当したコーエン兄弟は、本作でこうしたアメリカ映画的なビジョンを明確に打ち出しているのです。
まとめ
これまでアメリカ映画に登場してきた悪役の中でも、最恐の印象を残しているアントン・シガー。
この怪物的キャラクターを造形したコーエン兄弟の作劇術はさすがの実力です。
得意とするサスペンスフルな雰囲気はさることながら、観客が息つく暇もなく炸裂するバイオレンス描写など、演出家としての工夫も随所にみることが出来ます。
本作『ノーカントリー』が、『バートン・フィンク』(1991)や『ファーゴ』(1996)などの他の代表作にまして傑作とされるのは、アメリカ映画の伝統としての“キャラクター中心主義”に忠実であるという極めてアナログな発想による映画作り故の成果であったのです。