復興進む被災地で落ちぶれた男は果たして再生できるのか。
今の香取真吾だからこそ演じられた役柄。そうか、香取真吾はこれをやりたかったのか。
縛られるもの無く体当たりで演じる姿に、彼の役者としての今後の覚悟が伝わってきます。
映画『凪待ち』の監督は、『凶悪』『彼女がその名を知らない鳥たち』『麻雀放浪記2020』と、人間の中に潜む善と悪を巧みに描き出す、白石和彌監督。
汚さの中にも純粋さが残る香取慎吾の佇まいが、白石監督が描き出す切なくも愛しい人間の心のどん底に希望の光りを灯します。
映画『凪待ち』に見るそれぞれの依存の形、また舞台となった東日本大震災の被災地という視点から、筆者の住まう岩手県三陸の現状も踏まえ、被災地の未来について考えます。
映画『凪待ち』に見る様々な依存の形
映画『凪待ち』は、主人公・郁男のギャンブル依存症が大きなテーマのひとつとなっています。
依存症とは、ストレス、心の痛み、むなしさ寂しさを、酔いや高揚感によって忘れようとする行為が習慣化するうちに、自分でもコントロール出来なくなる現象です。
「自分はダメな人間だ」「自分は意思が弱い、情けない」と自分を責める気持ちがさらに依存へと駆り立て、次第に自分を傷つけてしまいます。
依存傾向の強まりは、仕事や人間関係、家族間でのトラブルを起こし、時に犯罪にまで発展してしまうこともあります。
映画『凪待ち』は、人間は誰しも依存の気があることを、じわりじわりと伝えます。
郁男の依存
木野本郁男は、ギャンブル依存症です。止めたくても止められない。自分が嫌で、自分をろくでなしだと思っています。
恋人・亜弓の実家、石巻に引っ越すのを機に会心しようとする郁男でしたが、場所が変わっても、嫌な事から逃げるようにまたギャンブルに手をつけます。
郁男は、亜弓の娘の美波の良き理解者であり、同僚の濡れ衣を晴らそうとしたり、根は真っ直ぐで優しい一面もあります。
しかし郁男の良い面は、ギャンブル依存の陰に押しやられ、狭い田舎では悪いうわさばかり広がり、人間性まで疑われます。
そして起こった大切な人の死。郁男は身も心もボロボロに自分を追い込んでいきます。郁男の再生の道はあるのでしょうか。
亜弓と美波の依存
郁男と亜弓は長い付き合いですが、結婚はしていませんでした。亜弓は、ギャンブルを止められない郁男の面倒をみ、いつか交わした約束、一緒に海外の島を訪れることを夢見ています。
亜弓の娘・美波は、郁男には本音も言えるほど懐いています。母と郁男の結婚を望み、本当の父親になって欲しいと思っています。
亜弓と美波は、故郷に引っ越し新しい生活を始めることで、本物の家族になることを求めていました。これは過剰ではありますが、人や関係に対する依存、関係依存と言えるのではないでしょうか。
勝美の依存
亜弓の父・昆野勝美は、末期がんと宣告されてもなお、船で海にでることを止めません。これも精神的な一種の依存と言えるのはないでしょうか。
津波の被害で妻を亡くした勝美は今もなお苦しんでいます。「一緒に死んでたら、苦しまなくて良かった」。
それでも勝美は、何もかも奪った海を恨んではいません。「新しい海になったんだ」。それは人間の再生へも繋がる言葉でした。
依存していることに気付かないもの
依存には、アルコールや薬など「物質依存」と、ギャンブル、ゲーム、ネット、浮気など「プロセス依存」、そしてDV、ストーカー、男女関係など「関係依存」があります。
依存性が強くなると、ほとんどの者は、「自分は弱い人間だ」と自暴自棄に陥ります。
しかし、それすらも悪いことだと思わない人間も残念ながら世の中にはいます。極度の依存は社会問題を起こし、時には犯罪を招くこともあります。
自分の依存状態に気付いているのか、いないのか。依存することを悪びれず、快楽だけを求めてしまうモンスターが一番恐ろしい依存の形でした。
映画『凪待ち』に見る被災地の未来
映画の随所で映し出される宮城県・石巻の復興風景。それは、岩手の三陸地方でも見られる風景と重なります。
今なお続く、かさ上げ盛土工事。狭い海岸線の道を行き交うトラック。新しい施設のすぐ側にある重機。古い住宅地と新しい住宅地。そして、海と陸を隔てるコンクリートの護岸。
残った風景と新しい風景は対照的で、それらが共存する町の風景はどこか寂しい気持ちを連れてきます。
海沿いに続く高い防潮堤は、命を守る大切なものとして理解出来るも、やはり以前の美しい沿岸の景色を思い出させます。
映画の中で印象的なシーンのひとつに、美波と同級生のショウタが将来を語り合うシーンがあります。2人は小高い場所から町の復興の様子を見ています。
将来を決められない美波にショウタは、この町のために自分が出来る事をしたいと伝えます。「自分はここで生きていく」。そこには震災を経験したからこその決意がありました。
東日本大震災の時、中学生だつた子供たちは、成人を迎えています。ショウタのように、震災がきっかけで故郷のために何かをしたいと残り奮闘している若者がたくさんいます。
震災の経験を通し、これからの世代に防災の大切さを伝える活動をしている人たちもいます。
震災はどこでも起こり得る出来事です。2011年3月11日、未曽有の地震とそれに伴う津波が、東北地方沿岸を中心に東日本を襲い、2万人を超える死者および行方不明者を出した東日本大震災を、私たちは忘れてはなりません。
そして、復興続く東北がより住みやすく、より賑わいのある町になりますように。住んでいる者はもちろん、東北以外から多くの人が訪れ、たくさんの楽しい思い出を作れますように。
映画『凪待ち』に映し出される石巻の復興風景は、今後何年経っても震災の記憶として残される貴重な映像となることでしょう。
映画『凪待ち』の感想と評価
映画『凪待ち』、なんと言っても、落ちぶれた男を演じる香取慎吾の演技を見てもらいたいです。歌手、俳優以外にもアーティストとして才能に溢れ、優しい笑顔が魅力的な香取慎吾が、真逆の人間を演じています。
ギャンブル、酒、喧嘩、泥まみれ、血だらけの顔、嗚咽。人生のどん底を見た男の醜さが、背中にまで出ています。賭けに没頭するダメ男の背中は醜く、リアルなものでした。
それでもどこか輝きを放つ香取慎吾の佇まいは、主人公・郁男のダメ男だけど、根っこまで腐っていない役柄と重なり、見るものを惹きつけます。
また、郁男を取り巻く登場人物のキャスト陣にも注目です。
白石和彌監督作品『孤狼の血』『日本で一番悪い奴ら』など白石組常連の音尾琢真、『悪人』のリリー・フランキー、『止めらえるか、俺たちを』の吉澤健と、存在感ありありの俳優が勢揃いです。
「きぃーっ」となるぐらいの憎たらしい演技と、ほろっとくる熱の籠った演技、なによりもその人物の背負ってきた人生が見えるような説得力ある演技。
いったい誰が殺したのか?なぜ殺したのか?ラストまで分からない演技バトルに注目です。
そしてもうひとつ、映画『凪待ち』で外せない点は、物語の舞台が石巻ということです。映画では震災で消えない苦しみを抱えながらも、一歩ずつ前に進んでいる人たちが登場します。
実際の被災地にはそんな方々が大勢います。自然災害という怒りのぶつけ所がない状況で、大切な人を亡くした悲しみから立ち直る努力をし前を向いて生きている方々が大勢います。
郁男は弱い人間ですが、この土地だったからこそ救われたのかもしれません。
また同じ過ちを犯すことになっても、諦めず手を差し伸べてくれる強い絆がある限り、いつか必ず更生できると信じたいです。
郁男だけではなく、人間誰もが少なからず何かに依存して生きているのではないでしょうか。
それはまるで海のように、時には荒ぶり、大きな津波となって自分ではコントロールできない所まで行きつきます。
風が止み、波が収まり、海面が静まる「凪」。自分の中の荒波を沈め、静かに「凪」を待つ。自分と上手く付き合っていくしかないのです。
まとめ
東日本大震災の被災地・石巻を舞台に、落ちぶれた男の喪失と再生を描くヒューマンサスペンス『凪待ち』。
俳優・香取慎吾が見せる新境地と、復興進む石巻の風景に注目です。
震災の爪痕から復興に向けて歩んでいる町と、人生のどん底に落ちた男が再生にもがく姿が重なります。
町も人も互いが向かう未来が、「凪」のように穏やかであることを願います。
映画『凪待ち』は、2019年6月28日(金)よりTOHOシネマズ日比谷ほか全国ロードショー!