忘れてはいけない社会問題を描く最新映画『MINAMATA-ミナマタ-』
私たちが何気なく生きている今も、世界各地ではさまざまな社会問題が起きています。
その社会問題は被害を受けた人たちの訴えだけでは解決することはできないこともあり、時に多くの人の力が必要とされます。
今回は1956年に確認された公害病「水俣病」を世界に発信する功績を遂げたひとりの写真家を描いた映画『MINAMATA-ミナマタ-』(2021)を、ネタバレあらすじを含めご紹介させていただきます。
CONTENTS
映画『MINAMATA-ミナマタ-』の作品情報
【原題】
Minamata
【日本公開】
2021年(アメリカ・イギリス合作映画)
【監督】
アンドリュー・レヴィタス
【脚本】
デヴィッド・ケスラー
【キャスト】
ジョニー・デップ、真田広之、美波、國村隼、加瀬亮、浅野忠信、岩瀬晶子、ビル・ナイ
【作品概要】
俳優やプロデューサーとして活躍しながらも、監督として映画の製作も行うアンドリュー・レヴィタスが実在の写真家を題材として製作した作品。
主演を務めたのは『パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち』(2003)の演技でアカデミー主演男優賞にノミネートしたジョニー・デップ。
映画『MINAMATA-ミナマタ-』のあらすじとネタバレ
1971年、ニューヨーク。
ユージン・スミスは第二次世界大戦に戦争写真家として派遣され高い評価を受けたものの、酒浸りの毎日で離婚した妻との子供からも見離されていました。
自身の死期が迫っていることを感じるユージンは少しでも子供に遺産を残すために機材を全て売り払い、闇雲に身入りの良い仕事を受けており、「富士フィルム」の宣伝としてインタビューを受けることとなりました。
仕事の後、日本語通訳のアイリーンはユージンに日本で起きているある問題の写真を撮り世界に広めて欲しいと訴えますが、戦争時の沖縄にトラウマを持つユージンはにべもなく断ります。
夜、ユージンはアイリーンから渡された資料を読み衝撃を覚えると、絶縁状態となった雑誌「ライフ」の編集長ボブに日本で起きている公害事件のアメリカ初の特集記事を提案し、了承させることに成功。
通訳としてアイリーンを連れ来日したユージンは熊本県水俣市を訪れます。
住民は特異な神経症状に苦しんでいました。
原因は株式会社チッソが運営する工場が水俣湾へ排水している水に含まれた水銀なのではないかと疑われていましたが、チッソも国も関連を認定していませんでした。
ユージンはチッソで働くトラック運転手のマツムラタツオの家に泊まることになりますが、マツムラ家の長女アキコは生まれつきの脳神経障害でひとりで生きることができない状態でした。
ユージンはタツオにアキコの写真を撮らせて欲しいと頼みますが、ユージンに優しく接するタツオでしたが写真は拒否されます。
翌日以降、ユージンは住民の写真を撮ろうとしますが、「水俣病」と言う名前が生む差別を恐れる住民たちは非協力的でした。
自身も軽度の発症をし手の震えが収まらないキヨシや、チッソに対し過激な交渉を行うグループのリーダーヤマザキはユージンに協力しますが、当のユージンは手足が自由に動かない少年のシゲルにカメラを渡し取材を辞めようとしてしまいます。
しかし、キヨシが精力的に動き、たくさんのカメラや現像に必要な機材を揃えた空家をユージンのために用意したことでユージンは取材を続行。
チッソの経営する病院件研究施設に無断で潜入したユージンとアイリーン、そしてキヨシは神経症に苦しむ老婆を始めとした患者たちに親身に接し、取材を繰り返します。
さらに立ち入り禁止の研究部屋へと忍び込んだ3人は、チッソが15年以上前から工場の排水に有害な成分が含まれていることを知っていたとされる資料を見つけ憤慨。
ある日、ユージンはチッソの社長ノジマに呼び出されます。
ノジマはユージンに工場の排水と神経症に因果関係が認められていないことを話し、5万ドルでこの件から手を引くようにと交渉しますが、ユージンは彼の提案を拒否しました。
映画『MINAMATA-ミナマタ-』の感想と評価
多くの傷を負いながらも日本に寄り添った写真家
実在したアメリカの写真家ウィリアム・ユージン・スミスを題材とした映画『MINAMATA-ミナマタ-』。
作中でユージンは日本に対し激しいトラウマを抱えている様子を見せますが、実際に彼は26歳の時に第二次世界大戦で激しい上陸戦となった沖縄に戦争写真家として派遣されていました。
ユージンは沖縄で迫撃弾による爆風で口蓋を負傷し、その傷の後遺症に生涯苦しむことになります。
さらにユージンは本作の終盤でも描かれるように、水俣病の取材を進めるうちに日本人の手によって写真家としての命を絶たれるような傷を負わされます。
しかしそれでも、生涯日本人を恨むことなく、水俣病に苦しむ住民たちに寄り添い続けたユージン。
彼の生涯が垣間見える本作はその偉大な功績を知るきっかけとして多くの人に鑑賞して欲しい作品でした。
本作を機に動き出した「入浴する智子と母」
ユージンの撮影した写真が掲載された雑誌「ライフ」によって「水俣病」問題が広まり、ユージンとアイリーンによって1975年に写真集『MINAMATA』が発売。
彼の撮影した写真の中でも「入浴する智子と母」は特に世界中で高い評価を受け、この写真をきっかけに各国が動き出したともされています。
しかし、この写真はユージンの死後、21歳の若さで死去した智子さんの心を休ませるため「封印」が決定され、ユージンの生誕100年を祝う追悼展でも公開されることはありませんでした。
2021年9月、映画『MINAMATA-ミナマタ-』の公開が決まり、本作で「入浴する智子と母」が重要な意味を持つ写真としての再認識が行われ、遺族の了承のもとに写真集『MINAMATA』の復刻版に「入浴する智子と母」が掲載。
ユージンが何を考え「入浴する智子と母」を撮影したのか。
写真と本作の双方を観て、その写真の持つ意味を考える必要があります。
まとめ
ユージンはチッソの社員によって死に繋がる傷を負わされました。
しかし、その一方で「水俣病」に苦しめられた多くの人間は地元に住むチッソの労働者や関係者であったとも言われています。
仕事を守り家族を守るための行動と、公害を暴き人々を救うための行動。
工場災害としての死者数の多さが際立ち、「公害の原点」とも呼ばれた「水俣病」。
ユージンの撮影の日々から50年の月日が経過し、人々の心の中からは薄れつつあるこの公害を決して忘れないために、映画『MINAMATA-ミナマタ-』は多くの方に鑑賞して欲しい作品です。