大正時代の福田村で実際に起った虐殺事件を映画化
数々の社会派ドキュメンタリーを手がけてきた森達也監督が、関東大震災直後の混乱の中、福田村で実際に起こった虐殺事件を題材に手がけた映画『福田村事件』。
福田村事件とは、関東大震災後に流れた「朝鮮人が襲ってくる」などというデマを信じた福田村の人々によって、香川県からの行商団一行が朝鮮人と間違われて9人が虐殺された事件のことです。
加害者たちは実刑を言い渡されますが、大正天皇崩御後昭和天皇が即位し、その恩赦で放免になりました。事件は解決したとはいえ、加害者側は口をつぐみ、生き残って香川へ帰った行商団員たちも以後事件について口を閉ざします。
関係者が黙秘を続け、真実が語られることのない福田村事件。いかにしてこの虐殺事件の悲劇が起ったのでしょう。
森達也監督がその事実を映像化。人種や職業差別、社会主義者への弾圧なども織り込み、デマに踊らさせる愚かさ、暴徒化する群集心理の怖さ、事件を闇に葬り去ろうとする身勝手さなどを描き出します。
映画『福田村事件』の作品情報
【公開】
2023年(日本映画)
【監督】
森達也
【企画】
荒井晴彦
【脚本】
佐伯俊道、井上淳一、荒井晴彦
【キャスト】
井浦新、田中麗奈、永山瑛太、東出昌大、コムアイ、松浦祐也、向里祐香、杉田雷麟、カトウシンスケ、木竜麻生、ピエール瀧、水道橋博士、豊原功補、柄本明
【作品概要】
『A』(1997)『A2』(2001)『i 新聞記者ドキュメント』(2019)など、数々の社会派ドキュメンタリーを手がけてきた森達也監督が、実際に起こった福田村事件を題材に手がけたドラマ。
千葉県福田村を香川県から行商で訪れていた15人の一行が、朝鮮人が襲ってくるというデマに脅かされた村人たちから朝鮮人と疑われ、女子供を含む9人が虐殺されます。
物語の語り部的な役を担う澤田夫妻を井浦新、田中麗奈。香川の行商団の親方を永山瑛太が演じています。
映画『福田村事件』のあらすじとネタバレ
1923年、千葉県福田村へ向かう列車で、朝鮮半島から帰国した澤田智一(井浦新)とその妻・静子(田中麗奈)は、未亡人・島村咲江(コムアイ)と出会います。
咲江はシベリア出兵で夫を亡くし、骨箱を受け取っての帰りでした。福田村は咲江の夫を英霊だ何だと、褒め称えていました。
ですが、夫が戦地へ行っている間に渡し守の田中倉蔵(東出昌大)と関係を持っていた咲江は、夫が帰って来なくて良かったなどと、陰口を叩かれています。
村では、新・村長に智一の親友・田向龍一(豊原功補)が選ばれていましたが、在郷軍人会が勢力を強めていて、思うような政策はできていませんでした。
智一は日本統治下の京城で教師をしていましたが、日本軍による虐殺事件を目撃したため、京城を離れて故郷へ戻って来たのです。智一は朝鮮で目撃した出来事を妻にも秘密にしています。
その頃四国の香川県では、沼部新助(永山瑛太)率いる15人の薬売りの行商団が、関東地方へ向かうため故郷を出発。行く先々で口八丁で薬を売り歩き、8月の終わり頃には関東圏に近づいていました。
長閑な日々を打ち破るかのように、9月1日、空前絶後の揺れが関東地方を襲いました。関東大地震です。木々は倒れ、家は倒壊し、そして大火災が発生して罪のない多くの人々が命を失いました。
地震の恐怖も冷めやらぬ中、福田村では智一は初めて静子に朝鮮での出来事を話し、静子は離婚を申し出ます。荷物を持った静子は倉蔵の渡し船に乘り、船の中で倉蔵と身体を重ねます。それを岸辺から智一が見ていました。
その後、地震のせいもあって離婚を申し出ても行く所のない静子を、智一は再び迎え入れます。
一方、関東大震災のドタバタした状況は人々の日常を狂わせます。「富士山噴火」や「朝鮮人が井戸に毒を入れた」など、流言飛語が飛び交い、瞬く間にそれは関東近縁の町や村に伝わっていきました。
2日には東京府下に戒厳令が施行され、3日には神奈川に、4日には福田村がある千葉にも拡大され、多くの人々は大混乱に陥りました。
映画『福田村事件』の感想と評価
福田村事件の原因
本作は、1923年に起こった実際の虐殺事件が基になっています。9月1日の関東大震災直後、朝鮮人による暴動などのデマが飛び交い、香川県から来た薬売りの行商団が、200人あまりの自警団に取り囲まれ、9人もの行商団員が惨殺されました。
肉親を朝鮮人に殺された、またはこれから殺されるかも知れないという恐怖が、朝鮮人への憎しみを募らせ、無抵抗な行商団員たちをなぶり殺しにしたと言えます。
映画での惨殺事件は、「朝鮮人だから殺してもええのか」と叫んだ新助の頭上へ女性が一撃を振り下ろしたことから始まります。この女性は、夫を朝鮮人に殺されたと思い込んでいました。無表情のまま新助をにらみつけると、無言で隠し持った鎌を振り下ろしたのです。
人を人とも思わず、野菜を切るようにためらいなく惨殺した行為に、人間はここまで冷酷になれるのかと心底怖くなります。
個では弱くても集団となれば、人は思いも寄らぬ強さを発揮します。事件の背景には、朝鮮人撲滅のため、群集心理を利用してデマを拡散させる政府の企みもあったと考えられます。
香川の行商団一行の不幸は、関東大震災前後に関東入りをしていたこと、デマを信じた人々が「朝鮮人は殺せ」ムードを高めていたこと、香川の方言が理解されずに日本語が不自由だと思われたことにあるのに違いありません。
3つの問題点
この事件の背景を考えると、幾つかの問題点があるのに気が付きます。
まず、人種・思想差別からの虐待。見かけは日本人と変わらない朝鮮人が、日本人を殺そうとしているというデマが飛び交い、人々は疑心暗鬼に陥りました。朝鮮人をはじめ、朝鮮人と間違われた中国人、内地人であるところの日本人も方言を話す地方出身者などは疑われて殺傷されています。
また、社会情勢が不安定な時に乗じて、政府は社会主義者も排斥しようとしました。現政府の体制を保つため、邪魔者は除くといった体制が見て取れます。
それから、賤民部落民の願い。香川の行商団はエタと呼ばれる賤民部落の村民でした。部落差別を受け、貧乏な暮らしを余儀なくされる毎日でいつかは幸せになれると信じ、部落解放運動を掲げる水平社にも関わっていました。
「朝鮮人なら殺してもいいのか」と差別的な言葉に新助が怒りを爆発させたのは、自分たちも差別を受けていたからにほかなりません。日本の歴史の裏側に、差別を受け虐げられる人々がいることを思い知らされます。
そして、報道のあり方。映画ではマスコミは真実を報道すべきと主張する女性記者も登場します。女性記者は、福田村で朝鮮人の少女を救出しようとしますが失敗し、少女は殺されてしまいます。この一件もあり、残酷な事実でも真実を伝えなければならないと記者の信念を強めます。
真実を伝えるのが報道の役目なのですが、政府の政策に沿った内容の報道がしばしばなされます。それが、デマを拡張させることになり、世間の混乱を一層大きなものにしました。
一般人が必要とし頼りとする情報源の報道すら、意のままに操作しようとする政府。これは大正時代の話だけでなく、現代でも起こりうることではないでしょうか。
本作は、人間として社会生活を送るうえでの重要な問題点を含んだ作品です。事件から100年たっても差別問題などはまだ存在し、作中で行商団が望んだ‟幸せな日々”にはほど遠いと言えます。
まとめ
大正時代における実際の虐殺事件を基にした映画『福田村事件』。
朝鮮人と疑われた香川の行商団一行が千葉県福田村で虐殺にあった事件ですが、そこには不安定な社会情勢に脅え、デマに踊らされる人間の愚かさが見え隠れします。
また、被害者の一人である行商団の親方沢部新助が放った「朝鮮人だから殺してもいいのか」という言葉も、事件の核心に触れていました。
実はこの行商団は、賤民とされた人が居住する地域の出身者たちでした。自らも部落差別を受け続けてきた彼らは、理不尽な差別を受ける苦しみも知っていたのです。
そして、映画では社会主義者の平澤計七の処刑も映し出し、人種差別ばかりか政府の思想的な弾圧まであったことを伝えます。
皆が見て見ぬふりをして闇に葬り去ろうとしていた虐殺事件には、人間社会における醜い差別問題が二重、三重に潜んでいました。
これはデマに振り回された愚かな人間たちが犯したとんでもない悲劇です。この話を知った森達也監督が、明確な原因を探りもせず、放置されたままで闇に葬られようとした福田村事件のことを知ってほしいと、立ち上がりました。
考えさせられる問題の多い作品であり、鑑賞後は後味の悪さが残ります。騒動のきっかけが誰かなどフィクション部分もあるでしょうが、森達也監督の‟観たことを、伝えたい”というメッセージを強く感じます。