家具デザイナーとしても活躍した建築家アイリーン・グレイの波乱万丈の生涯と、設計を手がけた建築群が世界文化遺産登録された近代建築の巨匠ル・コルビュジエとの確執を描いた映画『ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラ』をご紹介します。
CONTENTS
1.映画『ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラ』作品情報
【公開】
2017年(ベルギー・アイルランド映画)
【原題】
The Price of Desire
【監督】
メアリー・マクガキアン
【キャスト】
オーラ・ブラディ、ヴァンサン・ペレーズ、フランチェスコ・シャンナ、アラニス・モリセット、ドミニク・ピノン、アドリアーナ・L・ランドール
【作品概要】
家具デザイナーとして高い評価を受けていたアイリーン・グレイは建築評論家であり建築家の恋人に導かれ、建築の世界へ足を踏み出します。
彼女が設計した別荘は、今では傑作と称されていますが、当時は近代建築の巨匠コルビュジェの作と誤解され、コルビュジェ自身もそれを否定しませんでした。二人の間にはどのようなドラマがあったのでしょうか!?
2.映画『ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラ』あらすじ
2009年に行われた「イヴ・サンローラン&ピエール・ベルジェ・コレクション 世紀のオークション」で、アイリーン・グレイがデザインした木製の椅子「ドラゴンチェア」が、予想の10倍となる約28億円で落札され世間を驚かせました。
1920年代。ル・コルビュジェがまだ駆け出しの頃、アイリーンは既に家具のデザイナーとして成功していました。
二人が知り合ったのは、ルーマニア出身の建築評論家、建築家・ジャン・バドヴィッチを介してでした。ジャン・バドヴィッチは、「君は家具だけじゃもったいない。家を建てるべきだ」と言って、彼女に建築を教えた人物です。
バドヴィッチとアイリーンは恋仲となり、アイリーンは、南フランスのコードダジュール、カップ・マルタンに理想的な場所をみつけ、自分たちのための家を設計しようとしていました。
バドヴィッチはコルビュジェからアドバイスを得たいと考え、二人を引き合わせたのです。
ですが、コルビュジェは何かとアイリーンの言説を否定します。彼女は屋外と室内を区別せず調和する家というものをコンセプトにし、それはこの地だからこそ出来ることだと語りますが、コルビュジェは優れた建築は場所に左右されないと主張します。
また、形式を重んじるコルビュジェに対してアイリーンは「形式なんて無意味。生き方が全て」と主張するという具合です。
しかしアイリーン自身はコルビュジェを尊敬していました。
バドヴィッチがコルビュジェの提唱する「近代建築の5原則」に倣うアイデア(ピロティ、屋上庭園etc…)を提案し、バドヴィッチとアイリーンの共同作として鉄筋コンクリート造2階建ての住宅が作られました。
その住宅は「E.1027」と名付けられました。アイリーンとバドヴィッチの名前の頭文字と、アルファベットの順番を組み合わせたものです。
画家のフェルナン・レジェは、「E.1027」にいたく感心し、美術雑誌『カイエ・ダール』を紹介してもよいと提案しますが、バドヴィッチは自分が主宰する『ラルシティクチュール・ヴィヴァント』で特集するからと、それを断ります。
しかし出来上がった雑誌は、発行人としてバドヴィッチの名前は入っているものの、アイリーンの名前は記載されていませんでした。
そのため、世間からはコルビュジェが作ったものとみなされ、コルビュジェ自身もそのことを明確に否定しませんでした。
アイリーンとバドヴィッチの関係は徐々に冷えていきました。男たちはあからさまにアイリーンを建築界から遠のけようとしているようでした。
1932年、アイリーンは仕事に専念するための自邸を設計します。住宅の名前は「テンペ・ア・パイア」といい、「時と藁があればいちじくは実る」という意味を持ちます。
一方、「E.1027」にはコルビュジェがいりびたり、壁に絵を描いていました。アイリーンにとってその行為は家の個性を否定されたも同然で、到底許容できるものではありませんでした…。
3.映画『ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラ』の感想と評価
正直、コルビュジェとアイリーンの確執がどのようなものだったのか、少々下世話な興味で映画に臨んだ部分もあったのですが、そこには一口では言い表せない、複雑な感情が存在していました。
白い屋敷、白い洋服、白い設計図と、「白さ」が際立つ画面は静謐で、オーラ・ブラディ扮するアイリーン・グレイは、いつもどこかに哀しみをたたえたような孤独な佇まいをみせています。
オーラ・ブラディのちょっとした仕草や表情が彼女の揺れる感情を見事に表現していますが、彼女はコルビュジェや当時の男性優位社会について声を荒げたり、誰かを罵倒するようなことは一度もありません。
ところが、コルビュジェは、いきなりこちら(カメラ)を向いて独白を始めるのです。これは演劇や映画において「第四の壁を破る」と言われる表現方法で、最近では『ジャージー・ボーイズ』や『デッド・プール』などで同様の表現が使われていました。
近代建築の巨匠として名高いコルビュジェがここでは本音をむき出しにし、実に「いやな男」として描かれています。
コルビュジェだけでなく、バドヴィッチも、自身がアイリーンを建築の道に誘っておきながら、彼女が建築家として一流になることを望んでいなかった節があります。彼女の名前を自身の雑誌に掲載しなかったのはうっかりだったのか、わざとだったのか(おそらく後者では?)。
当時の男性優位社会において、彼らはデザイナーとしてのアイリーン・グレイを賞賛することは出来ても(当時、パリではデザイナーは女性が活躍できる稀有な職業の一つでした)、建築家として、女性が自分たちと同等、あるいはそれ以上の才能があるなどとは決して認めることができなかったのでしょう。
その中で、画家のフェルナン・レジェだけは本当に素直に彼女の才能を認めていたように思われます。ジャン=ピエール・ジュネ作品でおなじみのドミニク・ピノンが、暖かな雰囲気を醸し出しており、その存在がひとつの救いになっています。
アイリーン・グレイの立場になって観ていると、憤懣遣る方無いエピソードが多々あるのですが、しかし、物事はそれほど単純なものではありません。悪役に見えるコルビュジェが実は彼女を一番評価していたのではないかと思われるからです。
他人の家にあたかも自身が設計したかのように居座って、勝手に白い壁に絵を描いたコルビュジェの行動は、自分のものではないけれど、これが欲しくて欲しくてたまらず、悪態をつく駄々っ子の趣があります。
コルビュジェに扮したヴァンサン・ペレーズの風貌はどこかコミカルで、裸でいる場面も多いのもあいまって大きな赤ちゃんのようです。天才でも、いや天才だからこそ、そのような稚気に溢れる面があったのかもしれません。
メアリー・マクガキアン監督は彼を傲慢な天才だが、人間性に富んだユニークな男であったと読み解いたのでしょう。
戦後、「E.1027」がひっそり競売にかけられるシーンもどこか笑いを誘う描写がなされていますが、そこからはこの家を守ったのがコルビュジェであるという事実が浮かび上がってきます。彼はこの家の最大の破壊者であると共に最大の理解者であったのです。
「それは嫉妬か、愛憎か?」というのは、この映画の惹句ですが、コルビュジェの心情を別の言葉で言い換えれば、それは複雑にねじれまくった、建築物への「愛」、才能への「畏怖」だったのではないでしょうか、
4.まとめ
多少なりとも近代建築に興味のある方には、たまらなく贅沢な作品となっています。「E.1027」や「テンペ・ア・パイア」という、アイリーン・グレイの設計による名建築が実際登場し、建物だけでなく、その土地の雰囲気ごと味わうことが出来るのですから。
また、ビベンダムチェアなど彼女がデザインした家具や、部屋の内装なども興味深く、どの場面も見逃せません。
非常にモダンで革新的なデザインですが、それが今でも多くの人に指示されるのは、アイリーン・グレイが最初から、「それを使う人」を想定していたからなのでしょう。映画の中の「形式ではなく、生き方が全て」という言葉が印象的です。
また、男性優位社会の中で奮闘した彼女の姿は、現在にも通じる問題であり、メアリー・マクガキアン監督の熱い思いが伝わってきます。