1960年代のロードムービーの全ては、映画『イージー★ライダー』の中にあった
公開当時からおよそ50年の時を経た今もなお、映画ファンを魅了しつづける『イージー★ライダー』。
2人の若者が、ロサンゼルスからルイジアナ州をバイクで横断する95分の映像の、一体どこが革新的だったのでしょうか。果てしなく広がるアメリカの大地に、彼らは何を求め、そして何を見つけたのでしょうか。
デニス・ホッパーが監督・脚本・主演を務め、ピーター・フォンダが製作・脚本・主演を務めた本作は、1969年・第22回カンヌ国際映画祭で新人監督賞を受賞しました。
日本では1970年1月に劇場初公開し、2020年2月、公開50周年を記念してリバイバル上映されています。
映画『イージー★ライダー』の作品情報
【公開】
1969年(アメリカ映画)
【原題】
Easy Rider
【製作】
ピーター・フォンダ
【監督】
デニス・ホッパー
【キャスト】
デニス・ホッパー、ピーター・フォンダ、ジャック・ニコルソン、カレン・ブラック、トニー・バジル、フィル・スペクター
【作品概要】
1960年代後半から1970年代半ばごろにかけて生産された、いわゆる「アメリカン・ニューシネマ」の代表作。
本作が公開されるまでにも『俺たちに明日はない』(1967)『卒業』といった、同ジャンル映画が登場していましたが、それらの作品は、ある程度経験のある舞台演出家や映画監督(アーサー・ペン、マイク・ニコルズ等)のもとで作られた、プロフェッショナルなものでした。
それに対し、演出や制作のキャリアを持たない若手のホッパーやフォンダが、独自の経験と感性でハリウッド映画界に勝負を仕掛け、大手配給で大成功を掴んだのが『イージー★ライダー』です。
映画『イージー★ライダー』のあらすじとネタバレ
長髪に髭をたくわえたビリー。星条旗をバックに施した、黒のレザージャケットをまとったワイアット(キャプテン・アメリカ)。
2人はLA郊外の空港にやってきました。そこにロールス・ロイスに乗った男が現れると、ワイアットは彼にコカインを手渡し、大金を受け取ります。
取引を終えたワイアットとビリーは、7日後にニューオーリンズで開かれる謝肉祭(マルディグラ)を目指し、カスタムされたハーレイ・ダビッドソンで大陸横断の旅を始めました。
序盤、寝床を探していた2人は、モーテルの主人から拒絶されます。おそらく長髪とみすぼらしい服装が気に入らなかったのでしょう。気を取り直して、再び路上へ。
広大なアメリカの大自然を満喫しながら、野宿をしたり、立ち寄った先の牧場で手厚くもてなされたり、まさに順風満帆でした。
彼らは途中でヒッチハイカーの男を拾います。
ヒッピーの彼はなかなか気の合う人で、ジョイント(大麻を紙で包みタバコ状にしたもの)はさらに3人の距離を縮めました。
路上で一晩を明かし、再びバイクを発進させて半日ほどたった頃、ようやく男の住む場所に到着しました。
彼らヒッピーが共同生活を送っていたのは、独自に形成したコミューンと呼ばれる自治体。
そこには都会の物質主義的な考えに疲れた多くの若者が集まっており、自然に回帰した暮らしを実践していました。
そこで食事を楽しんだり、女の子をひっかけたりと、充実したひとときを味わったワイアットとビリーですが、あくまでも旅の目的地はニューオーリンズです。
別れ際に、ヒッチハイカーの男はワイアットにLSDを手渡し、こう告げました。
「気が置けない仲間と出会ったら、一緒にこれを試せ」
コミューンを後にした2人は、ニューメキシコ州へ入りました。
ちょうどその時、町はパレードの最中でしたが、彼らは楽しむ間もなく警察に捕らえられえしまいます。理由を尋ねると、「無許可で行進に参加したから」とのことでした。
また長髪とみすぼらしい身なりが気に障ったのでしょう。
留置所には彼らのほかに、もう1人、ジョージ・ハンセンという男が収容されていました。
映画『イージー★ライダー』の感想と解説
ワイアットとビリーという象徴
映画の冒頭、ワイアットとビリーは、バイクのメンテナンスのために質素な牧場を訪れます。広大な牧草地に、ぽつりと立った古い厩舎。リアタイヤを修理する彼らのうしろで、牧童は馬のひづめに蹄鉄を履かせていました。
この露骨なメタファーが表すように、『イージー★ライダー』は現代版西部劇と言えるでしょう。
牧場主は2人を歓迎し、食卓に招きました。田舎者の彼はバイクのことをメカと呼び、レッドネック(貧乏白人)と自嘲しましたが、慎ましくも妻子を養う姿を見て、ワイアットは言いました。「あなたは土地に根を張った。誰にだってできることじゃない。この暮らしを誇るべきだよ」。
彼らの名前は、西部開拓史の英雄ワイアット・アープと、ビリー・ザ・キッドに由来します。
ワイアット・アープは、OK牧場の決闘で有名な保安官で、悪徳漢がのさばるトゥームストーン(通称:墓標)という街を守った、強くて正しいアメリカの象徴。一方、ビリー・ザ・キッドといえば、21年という短い生涯の間に数々の悪行を尽くした伝説のアウトローです。
そんなヒーローたちを模した2人は、共に麻薬を嗜みながら旅をするわけですが、彼らはアメリカの大地に「あるもの」を求めていました。それは、“アメリカの誇り”です。フロンティア精神に溢れた古き良きアメリカには、正義と自由がありました。
ワイアットは、フロンティアスピリットを体現するにふさわしいキャラクターです。だからこそ混迷の1960年代に、あえて星条旗を背負ったのです。同じくビリーも、かつて自由に荒野を駆けまわった先人に思いを馳せたのでしょう。
型にはまらない彼の姿は、青春を燃やした孤高のガンマン、ビリー・ザ・キッドにぴったりです。
アメリカという国の“現実”
次に彼らが訪れたのは、ニューメキシコの小さな街。異形なバイクにまたがった見慣れない長髪の2人は、「何かしでかしそうな奴」という理由で留置所に捕らえられます。
そこで出会った弁護士のジョージが袖の下をつかませ、3人で仲良く出所しますが、その後に入ったダイナーで地元住民の反感を買い、ジョージが寝込みを襲われて絶命しました。理由は、「長髪とつるんでいた」から。
ジョージは典型的なアメリカ南部の酒浸りでした。地元住民は、酒浸りは許せても、クスリ漬けの長髪だけは許せなかったのです。
当時、『イージー★ライダー』が極めて異質であり画期的だったのは、たとえば「自由とはなにかを考えさせられる映画」だったり、「反体制的な若者の壮絶な死」であるとか。たしかにそれもありますが、最大の功績は「現実」を真正面から捉えたことです。
南部のレッドネックは、自分たちの領域が汚されることを恐れ、本来は同じ南部人として仲間のはずのジョージを不安分子とみなし、袋叩きにしたのです。
ダイナーで3人を罵った者の中には、レッドネックだけでなく、公職者や聖職者も含まれていました。
“They’re gonna get real busy in killin’ and maimn’ to prove to you that they are(free).(アメリカは自由の国だけど、自由な奴を見ると、怖くてしょうがない。そして自由を得るためには、他人の自由を踏みにじることも厭わないし、殺しだってする)”
ジョージが襲われる前に残した言葉は、ついに現実のものとなりました。ワイアットとビリーはどれほど失望したことでしょう。彼らは「自由の国アメリカ」、「正義の国アメリカ」を信じていたのですから。2人のアイデンティティーが揺らぎます。
アメリカが後生大事にしてきたフロンティアスピリットは、結局は独善的な正義が力で押し切っただけの自己保身ではなかったか。公開後のピーター・フォンダのインタビューが印象に残ります。
「ぶっ飛んだ発想だけど、当時俺は思った。ジョン・ウェインとワード・ボンド。彼らは捜索者というより、ただの臆病者だったんじゃないかって」
反戦運動もむなしく、敵味方に多くの死傷者を出したベトナム戦争。兵士が現地で見たものは、建前だけの正義と大量の虐殺でした。
ベトナムを救うという大義は、ほとんど忘れ去られていたのです。「いいベトナム人は、死んだベトナム人だけだ!」を合言葉に。
物語の最後、ワイアットの疑念は確信に変わります。“We blew it.(すべて台無しだ)”アメリカの神話は根底から覆されました。
もはや正義は存在しないという厳然たる事実だけが残り、個人の自由を育む余地は一切残されていなかったのです。
デニス・ホッパーとピーター・フォンダは、2人の若者の死を以て現実を突きつけました。
まとめ
1960年代に入り、ハリウッドは過渡期を迎えていました。歴史大作『クレオパオラ』が大コケし、20世紀フォックスは倒産寸前にまで追い込まれた上、それまで安定した興行収入を約束していたミュージカル映画さえも、芳しいものではありませんでした。
一方フランスではヌーヴェルヴァーグなるムーブメントが勃興し、それに呼応するように日本でも大島渚らによって、松竹ヌーヴェルヴァーグと呼ばれる一連の作品群が制作されました。
ヌーヴェルヴァーグの傑作『勝手にしやがれ』では、ゴダールの米B級映画愛が爆発し、ベルモンド演じるチンピラの無軌道な振る舞いや、作中のほとんどを占める意味不明なセリフ、ゲリラ的ロケ敢行は、伝統的なフランス映画からは完全に逸脱していましたが、熱狂的なファンを獲得し、新しい映画時代が到来しました。
大島渚監督の『青春残酷物語』でも、川津雄介演じる主人公の遣りどころのない怒りは、60年安保闘争時代を生きる若者のから圧倒的な共感を得たのです。
世相を反映した映画をつくることが急務だと理解したハリウッドの首脳陣は、スタジオ主導の映画製作から、作家主導へと大きくシフトチェンジしました。
アメリカン・ニューシネマの誕生です。反体制的なヒーローが登場し、彼らは時に神にさえも唾を吐きかけました。
キリスト教的価値観、反共産主義のもとで規制されてきたハリウッドに、革命の季節がやってきたのです。
アメリカン・ニューシネマの旬は長くありませんでしたが、『イージー★ライダー』は、1970年代のリアリズム映画の端緒となりました。