伝統と格式に逆らった皇后の映画『エリザベート1878』
美女と名高いオーストリア皇后エリザベート。数々の映画やドラマ、舞台に取り上げられた彼女の姿を、自由を求め奔放な行動も辞さない革新的な女性として新たな解釈で描いたのがこの『エリザベート1878』です。
監督はオーストリアの映画作家で脚本家、劇作家としても活躍するマリー・クロイツァーです。
エリザベートを演じたヴィッキー・クリープスからのアイディアを受け、監督自身が脚本を書き上げました。
CONTENTS
映画『エリザベート1878』の作品情報
【日本公開】
2023年(オーストリア、ルクセンブルグ、ドイツ、フランス映画)
【原題】
CORSAGE(フランス語で〝コルセット〟の意)
【監督・脚本】
マリー・クロイツァー
【キャスト】
ヴィッキー・クリープス、フロリアン・タイヒトマイスター、カタリーナ・ローレンツ、ジャンヌ・ヴェルナー、マヌエル・ルバイ、フィネガン・オールドフィールド、アーロン・フリース、コリン・モーガン、アルマ・ハスーン、リリー・マリー・チェルトナーほか
【作品概要】
バイエルン王家マクシミリアン公の次女エリザベートは、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世に見初められ、16歳で皇后となりました。
ヨーロッパ宮廷一とうたわれた美貌、ウエスト50センチというスタイルは常に国民の関心を集め、彼女の体重の増減が新聞記事になるほどです。
1877年12月24日、40歳を迎えたエリザベートは自身の美貌の衰えに苛立ち、また〝象徴〟として政治に口を挟まず黙って公務に取り組むことを強いる夫に不満を抱いていました。
父親や恩師の影響もあり自由を好むエリザベートは窮屈なウィーンを嫌い、常にどこかへ旅行しては大好きな乗馬などに明け暮れ、好きな人とだけ過ごしています。
そんなエリザベートを叱責する夫、意見する子供たち、そして彼女に振り回される男性や女官たち。この映画は周囲の人たちとエリザベートとの「1878年」を追い、彼女がどのような結論を出したのかを大胆に提示します。
映画『エリザベート1878』のあらすじとネタバレ
1877年12月、オーストリア・ウィーン。
記念式典に皇帝とともに参加した皇后エリザベートは、大臣たちの皮肉まじりの言葉にウンザリし、気絶したフリをして倒れます。
宮殿に戻った彼女は滞在中のいとこ、ルードヴィヒ2世に面白おかしくその様子を話します。親密なふたりの様子に夫であるフランツ・ヨーゼフ1世(以下フランツ)は気が気ではありません。
エリザベートはバイエルンに戻るルードヴィヒに、「望むとおりの自分を愛してくれる人を愛する」と気持ちを吐露します。
自分の誕生日まであと二日。乗馬の練習をしながらエリザベートは旅行に行きたいと言い出し、侍女にたしなめられます。
娘のヴァレリーがクリスマスツリーに目を輝かせて話しかけてきますが、エリザベートはハンガリー語で話すよう命じ、自分は体重を計って体型維持に余念がありません。
12月24日。皇后40歳の誕生日を祝う晩餐会が催され、エリザベートはあまり乗り気ではありませんが、仕方なくケーキのキャンドルを吹き消します。
自らの意志で続けている精神病院への慰問に訪れたエリザベートは、患者たちにスミレの砂糖漬け菓子を配り、院長には温浴療法を取り入れるよう勧めます。
夜、寝付けないエリザベートはヴァレリーを起こし、無理矢理服を着せて乗馬をさせます。暗さと寒さで嫌がるヴァレリーは体調を崩し、朝には高熱を出してしまいます。
エリザベートは、体の弱い子にきまぐれで無理をさせたとフランツに怒られ、かつて亡くしてしまった当時2歳の長女ゾフィーに思いを馳せます。
その日の夕食時、フランツの分が準備されていないことに気づいたエリザベートがそのことについてたずねると、別々に食べるとの指示だったこと、そしてフランツはもう寝てしまったと言われ、怒りをあらわにします。
エリザべートは例年よりも早めに旅行に行くことにし、息子のルドルフも同行すると言ってくれました。
1878年1月、イングランド・ノースハンプシャー。
スペンサー家のマナーハウスに滞在するエリザベートの一行。そこには2年前に知り合った馬術家のベイ・ミドルトンがおり、エリザベートは「会いたかった」と声をかけます。しかし彼にはシャーロットという恋人がおり、彼女と結婚しないのかと、エリザベートは気にしています。
そんなとき、エリザベートは妹マリー(両シチリア王妃)にフランスの発明家、ルイ・ル・プランスを紹介されます。彼は動く画を撮影する技術を開発し、エリザベートを撮りたいとやってきたのです。
翌日。快く撮影に応じたエリザベートは、音声までは記録されないと聞くと、飛んだり跳ねたり叫んだり、お茶目な様子で新しい技術を楽しみました。
滞在中はほとんど毎日乗馬をして過ごし、ベイとの競走を楽しむエリザベート。食事時には酔いも手伝いベイとの親密さが目に余るようになってきました。たまらず息子のルドルフが、「父さんに知られたくない」とエリザベートに忠告します。
エリザベートはベイを部屋に呼び、彼が自分に夢中であることを確認します。しかしそれを受け入れることはせず、ひとりバスタブで自分を慰めます。
ひとりで馬に乗って出かけたエリザベートは小川のほとりで落馬し倒れているところを発見されます。彼女は助け出されますが、愛馬は脚が折れておりその場で銃殺されてしまいます。
愛馬の死に悲しみと怒りが抑えられないエリザベートは、ルドルフからの苦言もあり「もう二度とベイとは会わない」と宣言して早々にマナーハウスから去ってしまいました。
1878年3月、オーストリア・ウィーン
戻ってきたエリザベートの部屋にフランツがやってきます。落馬事故について気遣うと、ベッドの中の彼女は全裸。エリザベートからフランツにキスをし股間に手を伸ばしますが、体を重ねるまでには至りませんでした。
その後、シェーンブルン宮殿でエリザベートはいやがる侍女イーダを無理矢理馬に乗せ、自分が手綱を握ってゆっくりと乗馬を楽しみます。すると遠くでフランツが若い女性とふたりきりで歩いているのが見えました。
フェンシングの練習をしたあと、エリザベートは侍女フィニに「服を貸して」と命令し、それを着てお忍びで市場へ出かけます。フランツと歩いていた女性アンナに近づいたエリザベートは、まさか皇后だとは思っていない彼女と会話をします。
宮殿で、新たな肖像画のためにポーズを取っているエリザベートですが、タバコを喫っているところをちょうどやってきたフランツに見とがめられてしまいます。
その後、肖像画家に動く画の話をしますが、そんなことに興味のない画家とは話が合わず、エリザベートは今までの自分の肖像画を模写して肌の色など若い頃のものを参考にするよう指示します。
ある晩、エリザベートは公務のためウィーンを離れることになったルドルフのベッドに忍び込みます。父である皇帝フランツとの考え方の違いに悩んでいたルドルフは、自分は母親似だと話し、エリザベートは離れるのが寂しいと訴えます。翌朝、旅立つ息子の姿を彼女は部屋の窓からこっそり見送っていました。
エリザべートの体型に対するこだわりはますますエスカレートし、コルセットをきつく締められないメイドを叱責しますが、その様子を見つめるヴァレリーの目は冷ややかです。
映画『エリザベート1878』の感想と評価
シシィの愛称で知られるオーストリア皇后エリザベート。美貌で知られ、長い髪に星型ダイヤモンドの髪飾りをたくさん付けた肖像画は有名ですが、この映画『エリザベート1878』では40歳を迎えた彼女の悩める姿が描かれています。
ヴィッキー・クリープスの好演
本作でヴィッキー・クリープスは第75回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門の最優秀演技賞を受賞しました。
そもそもエリザベートの映画を撮りたいと考えていたのはクリープス自身でした。10代のころにエリザベートの伝記を読み、ロミー・シュナイダー主演の映画『プリンセス・シシー』を観ていたクリープスは、なぜエリザベートは後年肖像画を嫌ったのか、なぜフィットネス器具を作らせ運動にいそしんだのか、など疑問に思ったのだといいます。
マリー・クロイツァー監督とまた仕事をしたいと思っていたクリープスは、映画『プリンセス・シシー』(1955)についてどう思うかたずねました。そのときはウィーンのおみやげ物の人、程度にしか考えていなかったというクロイツァーですが、その後気になって調べ始め、結局今回の脚本を書き上げクリープスに送ったそうです。
エリザベートを演じるにあたりクリープスは、もともと乗馬は得意でしたが、フェンシングや泳ぎ、そしてハンガリー語などを習う必要がありました。
スポーツが得意でスーパーモデルのような体型の美女、というとずいぶんハードルが高いですが、そんな皇后が40歳になって容貌に衰えが見え始め、人前に出る事を嫌いながらも日々もがいていく姿を見事に表現し、シンデレラストーリーのその後、そして様々な鎖に縛られたひとりの女性の魂の解放を演じきりました。
原題「コルセット」の意味するもの
原題のCORSAGEとはフランス語で「コルセット」を意味します。本作の中でコルセットはシンボリックに扱われ、ゆるやかにエリザベートを追いこんでいく拷問器具のようです。
それはヨーロッパでも特別厳しいハプスブルグ家に嫁いだ彼女を縛り付けるルールであり、民衆から常に美しくあるべきと望まれる呪いでもあります。
本人は「もっと、きつく!」と日々ウエストを締め上げさせますが、影武者がそれをするとたちまち吐き気を催してしまうような苛酷なものでした。
コルセットを着け、少しの果物やスープしかとらず、乗馬やフェンシング、体操で身体をいじめ、水の中にいるときが唯一自分らしくいられるというエリザベート。
自由でのびのび育った美少女がたどった皇后という道のりは、他人には想像もつかないつらい旅路だったのでしょう。
『エリザベート1878』トリビア
この映画は史実も基づいていますが、出来事の時系列や人物などには監督の改変が加えられています。本編登場順に解説と創作の部分についてご紹介します。
娘ヴァレリー
三女マリー・ヴァレリーはオーストリアハンガリー二重帝国発足後、エリザベートがブタペストで生んだ子です。ハンガリーびいきのエリザベートは「ハンガリーの子」として人気のあるヴァレリーに自分なりの教育を受けさせようとしています。
それまでの子どもはすべて義母(故ゾフィー大公妃)に取り上げられ、ハプスブルグ家の厳しい教育を受けさせられていました。それに反発したエリザベートは、幼かった長女ゾフィー(義母の名をつけられた!)と次女ギーゼラを連れて外遊に出ますが、流行病でゾフィーを亡くしてしまいます。
ベイ・ミドルトン
イギリスの著名な馬術家である彼とは1876年にスペンサー伯爵の紹介で出会い、乗馬大会でのエスコートをしてもらい意気投合。本格的な乗り手であるエリザベートとよく競走したのは事実で、熱愛がうわさされたのもこの1878年のことでした。
ルイ・ル・プランス
フランスの発明家ルイ・ル・プランスは、1888年に単レンズ型カメラを完成させ世界初の映画を撮ったといわれています。あのリュミエール兄弟やトーマス・エジソンよりも早く技術を発明していたことになりますが、この映画の設定である1878年ではまだ完成していなかったと思われます。ただ、映画の中に差し込まれるそのモノクロ映像は、エリザベートの本心を映しているようで効果的です。
肖像画
肖像画のシーンでは、普段よりも明るく露出の多いドレスを着ています。肌の色について画家とも会話をしていますが、あまりにも若いころの肖像画が美しく有名になってしまったため、それにとらわれているような感じがします。
息子ルドルフ
途中まで義母ゾフィーにスパルタ教育を受けていたルドルフ。繊細な性格の彼はその重圧や父親との確執で徐々に精神を病んでいきます。この映画本編では描かれていませんが、彼は1889年に心中してしまいます(暗殺説も有り)
ルードヴィヒ2世
ルキノ・ヴィスコンティの映画でも有名なルードヴィヒはエリザベートのいとこで気の合う親友のような存在でした。本編中の絡みやセリフは創作だと思われますが、彼自身が1886年にシュタルンベルク湖で男性医師と溺死しています。
アンドラーシ首相
ハンガリーびいきのエリザベートがオーストリア=ハンガリー二重帝国の発足に力を貸し、晴れてハンガリーの初代首相になったのがアンドラーシ・ジュラ伯爵です。エリザベートと恋仲がうわさされ、ヴァレリーの父親はアンドラーシではないかとささやかれることもあったそうです。
影武者
実際にエリザベートは侍女を影武者にしていました。ただしそれは髪結いのフィニの方だったようです。
またエリザベートは錨のタトゥーを入れていましたが、おそろいで侍女もしていたかどうかは定かではありません。
夫の愛人
エリザベートが夫フランツに愛人をあてがったというのも史実どおりです。ただし相手はカタリーナ・シュラットという女優で、生涯公認の関係だったそうです。アンナ・ナホフスキーとフランツとの出会いは本編にあるように、シェーンブルン宮殿の庭園散策中の出来事でした。
エリザベートの死
この映画で最も大きな創作はラストシーンです。
史実ではエリザベートは1898年、スイスにて暗殺されています。そこに至るまでには愛する息子ルドルフを亡くし、それ以降ずっと喪服で過ごしていました。
この映画のラストで、エリザベートは侍女たちと喪服姿で船に乗っています。1878年の設定ですから、まだルドルフは生きているはずなので、これは何を意味しているのでしょうか?
エリザベートと3人の侍女たちはまるで誰かを弔うかのようにブーケを持っています。最後、エリザベートが海へ飛び込むことを考えると、これはエリザベートの葬儀なのだと考えられます。
水(バスタブ)に入ることが好きだったエリザベート。一説によると、自分の遺体は海に投じてほしいと言っていたとか。
本編の中では「軽い王女」という童話を読むシーンもありました。(魔女の呪いによって軽くなってしまった王女が唯一重さを取り戻せるのが湖だった…)
すべての苦しみや悲しみから解き放たれるため、明るい海に飛び出していったエリザベート。
その後のエリザベート(と思われる女性)はずっとベールで顔をかくした影武者のままだったのか、ここでエリザベートの死が明らかになったのかはわかりません。
まとめ
厳格な王室に嫁いだ女性の話として、『スペンサー ダイアナの決意』(2022)が思い出されます。
ダイアナの方は離婚を決意した数日間、エリザベートは40歳以降の出来事を「1878年」という一年間にまとめたようなつくりで、どちらも主人公の女性の心情が大きく動いた時点にフォーカスした構成になっています。
「女性は太っていたり、歳を取っていると価値が低いとみなされるのです」とマリー・クロイツァー監督が語っているとおり、常に注目を浴びる王家の女性には相当なストレスがかかっていると思われます。さらに子どもの教育のこと、政治的なこと、それらに関わるなといわれ、美しくありさえすればいいという周囲の圧力。
現代を生きる私たちには計り知れない部分もありますが、美醜や加齢による(悪意のない)差別や周囲の人間からの押し付けなど、共感できる部分もたくさんありました。
かつて『テルマ&ルイーズ』(1991)でも描かれたように、虐げられた女性が最後に解放されるカタルシス……、それ自体は映画的に盛り上がるのですが、それが明るい太陽のもとでの自死というのはモヤモヤと考えさせられる展開ではあります。
このラストシーンの行動によって、エリザベートが救われたことを祈るばかりです。