今回は1968年のアメリカのイリノイ州シカゴの民主党全国大会で、民間団体による“ベトナム戦争反対のデモンストレーション”から端を発した“流血の惨事”に関する裁判の映画『シカゴ7裁判』についてご紹介します。
2018年10月に脚本を手掛けていたアーロン・ソーキンが監督に決定。2020年10月に一部の劇場にて先行公開され、10月16日よりNetflixにて配信が開始されました。
トム・ヘイドン役は『リリーのすべて』で第88回アカデミー賞・主演男優賞ノミネートされ、注目を集め『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』で人気を高めた、エディー・レッドメインが務めます。
ミッチェル長官はクラークが提訴しなかった、シカゴの民主党大会での暴動を持ち出し、過去に前例のない連邦法を無理矢理こじつけ、扇動した中心者を提訴し、最高懲役に貶めようと画策したのです。
1969年9月26日、イリノイ州北部地区法廷にて、アビー・ホフマン、ジェリー・ルービン、トム・ヘイドン、レニー・デイビス、デイビット・デリンジャー、リー・ウィンナー、ジョン・フローイネスそして、ボビー・シールの計8名が起訴され、共謀罪による裁判が開廷されました。
Netflix『シカゴ7裁判』
ジュリアス判事よる裁判は公平なものとはいえませんでした。
検察に有益な発言をさせて、弁護団による証言や発言が量刑に影響するものは、記録から削除されるといったことが横行されました。
また、被告人たちによる発言にも制限がかかり、特に弁護士のついていないボビー・シールに関しては、ことごとく発言を却下し、反対尋問の機会すら与えません。
ボビーは当初からジュリアス判事に対して、黒人差別があると見て、反抗的かつ侮辱的な態度で出廷していました。それでも弁護士がいないことを主張し、自らの発言の機会を求めます。
裁判にかけられた3つのグループには、そもそもシカゴに赴いた意義や趣旨が違い、裁判に対する向きあい方も違っていました。
アビー・ホフマン率いる「青年国際党」は反戦を訴えるための思想、トム・ヘイデン率いる「民主社会学生同盟」はベトナム戦争の早期終結でした。
アビーには裁判を通じて、政府に“反戦思想”を訴えられる好機だと捉えている面があり、逆にヘイデンは裁判で実刑を被らないことを優先に、対策を講じようとします。
アビーは「この裁判は仕組まれた、“政治裁判”だ」と言いますが、ウィリアム・クンスラー弁護士は「政治裁判などない。民事と刑事に関わる裁判だけだ」と、いましめます。
クンスラー弁護士は、市の行政職員スタールに対して反対尋問をします。
アビー・ホフマン率いる“青年国際党”と、トム・ヘイデン率いる“民主社会学生同盟”が、集会をするための許可申請したのに、なぜ許可しなかったかということです。
アビーの主張は「戦場への派兵を中止」を求め、音楽演奏を中心としたフェスティバル方式と説明するが、公然わいせつや10000人規模になるという理由で、許可されません。
アビーは許可がおりなくても強行すると食い下がり、「10万ドルくれれば中止してもいい」と言います。
その後に申請に来たヘイデン達に関しては、「そもそも集会をすることを許可できない」の一点張りでした。
ヘイデンは「集会を禁止すれば、好き勝手にデモが決行され、危険対策を講じない、無責任な市だと言われる」と、助言します。
さらに、「人が集まれば警備や救護所、衛生設備が必要になるから申請している」と、5回にわたり行政を訪れ、指摘していました。
行政職員のスタールは、集会デモの規模やその内容に難色を示し、建前上“決定権は市長にある”しかし事が起きれば、責任を取らされるのは自分だと許可できなかったのです。
クンスラー弁護士は「アビーが10万ドル渡せば、中止する」と言ったことを、信じたか、冗談だと思ったかを訊ねます。
「真に受けない理由はない……」と、返答をあいまいにしました。
クンスラーはともすれば、“恐喝”ともとれるアビーの言動に対し、なぜ、FBI、連邦検事、警察等に告発しなかったのかと、疑問をぶつけます。
そして、「冗談だと思ったから告発しなかったのでは? これは証人としての発言に対する“偽証”という重罪だ」と、攻め込みます。
この反対尋問は陪審員たちへの誤解を解くのに有効と思われましたが、ジュリアス判事は、このやりとりに関する記録を全て削除させるのでした。
こうしてこのあともジュリアス判事は、あからさまな対応を繰り返し、検察側の意見を有効に仕向けていったのです。
アビーとルービンは、メディアの記者会見に積極的に対応しました。記者の一人が「共謀罪ですか?」と質問すると、無実であり本当の共謀罪は、自分達を訴えた彼ら(検察)の方だと訴えます。
さらに、ボビー・シールが弁護士を付けることを、“拒否している”と世間に伝わっていることに、嘘を広めるな「病気で入院中のため延期を求めたが、却下された」と反論しました。
ワイングラス弁護士は法廷中の様子から、9人の陪審員のうち、6番と11番は味方になりそうだと見込んでいました。
クンスラーはもう記者会見は控えろと言いますが、テレビから流れてくるアビーの記者会見を観て、彼らの心にある本気を垣間見るのです。
「10万ドルもらったら中止したのか?あのデモ集会にどのくらいの代価が?」という質問に、アビーは「俺の命だ」と、神妙な面持ちで応えます。
次の公判で再び事態が不利に動き始めます。味方になりうる陪審員2人の家族あてに、ブラックパンサー党を名乗る者から、脅迫状が届いたからです。
クンスラー弁護士は出所の調査を求めますが、ジュリアス判事は発言を阻止し、該当する陪審員を辞退へと誘導してしまいました。
クンスラーは、こんな下劣なことをするのは検察当局であり、それを暴いて司法のあり方を示すと、息巻きます。
そしてさらに判事は、弁護団たちが陪審員たちに接触しないよう、隔離処置をするのでした。
アビーは言います。「これのどこが、“政治裁判”じゃないと?」
ボビー・シールは過去の判例を用いり、代理人なしの“自己弁護”にて法廷に望むことを申し立て、憲法で補償されている権利が無視されていると訴えます。
クンスラー弁護士もその意見に賛同して平等を求めますが、ジュリアス判事はそれを却下し、クンスラーを2度目の法廷侮辱罪で、召喚状を送ると言い放ちました。
アビーはバーで裁判の経過を演説しています。ヘイデンが夜間の公園で、警官車両のタイヤ圧力を抜き、留置場行きになったことで、シカゴ中が騒ぎになったことをふりかえります。
これには37名あまりの政府職員が、デモの参加者になりすまし、監視や情報収集などをしていました。
グランド・パークではヘイデン奪還という名目で、抗議デモが動き出ていました。アビー達は800人の群衆を率いて、州警察へと向かったのです。
州警察前に到着すると、警察隊が弾を装着した待ち構えていました。
ルービンの怒りは頂点にきていましたが、アビーは襲撃しないと言い、他のメンバーも事を荒立てないで戻ることを提案します。
この時、ルービンに近づき仲間に潜入した、FBI防護部のダフネ・オコナーも戻った方がいいと助言し、グランド・パークに引き返しました。
ところが公園に戻るとそこには、警官の応援部隊が集結して待ち構えており、それを見た群衆は行き場をなくし、興奮と苛立ちで一触即発な状態になってしまいます。
ダフネは再びルービンに「落ち着くよう、皆に言って。あなたの言うことなら皆聞くわ」と、助言をしました。
しかし、群衆の誰かが「丘を奪え!」と叫び、瞬く間に群衆は警官隊の中に向かって行きました。
こうダフネは法廷で証言をしました。
警官隊は無防備な群衆に警棒で殴ったり、催涙ガス弾を撃ってきました。アビーやルービンは暴動を扇動したのではなく、制止できなかったのです。
クンスラー弁護士はダフネに尋問します。
ルービンは“戦闘部隊を作って、銃を持て”と、言ったようですが、実際に持っていたか? ルービンは群衆に“突撃しろ”と、指示しましたか? 他のメンバーはどうですか?
ダフネの答えは全て「いいえ」でした。
クンスラーは「もう一度、ルービンとレニーの2人は、群衆を丘から群衆を呼び戻そうとしていたと、証言してください」と言います。
ダフネはデモ隊が先に警官隊に攻撃をしたため、対抗しただけと証言しますが、7人の中に扇動する者はいなかったと認めました。
ボビー・シールは閉廷する寸前に、「俺もそこにはいなかった」と発言します。
すると傍聴席にいた、ブラックパンサー党イリノイ州リーダーのフレッド・ハンプソンが、「ボビーのシカゴ滞在時間は4時間だ!」と、傍聴人に呼びかけます。
しかし、そのハンプソンも警察の抜き打ち捜査の中で、凶弾に倒れました。
Netflixオリジナル映画『シカゴ7裁判』
公判89日目、検察側の証人喚問中もボビー・シールは、判事の命令を無視して、抗議の言葉を延々と言い続けます。
そして、閉廷しようとしたその瞬間、フレッド・ハンプソンが暗殺されたと、傍聴席に訴えました。
さらに判事を罵倒したため、ボビーは一度連れ出されます。レニーは“ジュリアス判事の前では起立を拒否しろ!”と、いうメモを仲間の中に回します。
するとボビーは、拘束と猿ぐつわをされた状態で戻ってきます。法廷内にざわめきが起こりました。さすがのシュルツ検事も、正気の沙汰でない状況に、ボビーシールを本件からの除外を要求しました。
そして、クンスラー弁護士も「あなたのしたことで、シュルツ検事は黒人に同情したのですよ」。事実上、ジュリアス判事に対して黒人差別主義者と示唆したのです。
ジュリアスはボビー・シールをこの審議から除外し、無効とするのでした。法廷内に拍手が起こり、閉廷の起立号令がかかると、ヘイドンだけが反射的に立ってしまいます。
レニーと他のメンバーは、そんなヘイドンを冷ややかな目で見ます。ヘイドンは量刑を気にするあまりに、公然と判事に対して侮辱することに抵抗を感じていたのです。
アビーは他の被告6名にここにいる理由を述べます。陪審員達を傷つけないように、無罪確実な人物を入れておく(ジョン・フロイネス、リー・ウェイナー)、他の5人を有罪にできるようにと。
レニーは、あることに気がつき言います。
「けど、皮肉だよね。そもそもこの裁判はミッチェル(司法長官)のクラーク(前司法長官)へのあてつけだよね」
そして、被告人側の証人としてクラーク元司法長官が、最重要人物だったことに、クンスラー弁護士も気がつき、これが政治裁判なら召喚も可能だと、動き出します。
クンスラーとワイングラスの弁護団とヘイデンが、ラムゼイ・クラークの家に出向くと、そこには1台の公用車が停まっていました。
司法省高官のケリー氏とアッカーマン氏が、クラークに呼ばれて来ていたのです。不正取引でないことへの証人だと言います。クラークはすでに検察側へも報告をしていました。
ケリーとアッカーマンは、前司法長官が証人として出廷するのは違法だと言います。
クラークは証人に立つことは、自分にとってリスクが高いと言い、クンスラーは「被告人たちは見えない権力の中で、さらに高いリスクを背負っている」と説得します。
「気づくのが遅い、私が重要参考人だと……。今は一介の弁護士だ。今のジョン・ミッチェルは簡単に私を潰せる」と、クラークは言います。
ヘイデンは、「勇気を出すべきでは?」と、口をはさみます。
クラークは「あの2人が言いに来た。“ジョン・ミッチェルは簡単に私を潰せる”と」そして、彼らのいるところで、出廷の約束をしました。
ところがここでもまた、ジュリアス判事が陪審員を隔離し、審議の参考にさせないよう仕向けます。
クラーク前司法長官は予備審査という扱いとなり、陪審員のいないところで、ジョンソン前大統領との会話について証言をします。
1968年9月10日、ジョンソン大統領からの電話は「シカゴ暴動の起訴を考えているか?」でした。
「誰も考えていません。刑事局の調査で暴動の原因が、シカゴ市警にあったと判明したからです。そして、司法局の諜報部も同じ報告だった」
被告側、傍聴人が歓喜にわき返ります。しかし、喜びもつかの間、ジュリアス判事は陪審員を入廷させることなく、クラークを退廷させました。
クラークはクンスラーに「控訴の準備をしておけ」と一言残し、法廷を後にし、予備審議での証言を陪審員に話すつもりもないと、却下するのでした。
その晩、被告人側の証言台で、所信表明をトム・ヘイドンがするということから、アビーとヘイドンの価値観の違いで口論となります。
ヘイドンはアビーの反戦(戦争終結)目的には、選挙に勝ってからでないと実現ができない机上の空論だといい、アビーはマスコミを使って政治を動かすという論調です。
そこにクンスラーが事務所に帰ってきます。彼は党大会の晩に行われた、抗議演説の様子を録ったテープが証拠として開示されたのです。
それにはヘイデンが暴動を扇動した様子が、録られていました。講演中に会場にいた少年がポールによじ登り、それを引きずり降ろした警官は少年を暴行をします。
レニーはそれを止めさせるために、警察に抵抗し警棒で後頭部を殴られて流血する怪我を負い、それを目撃した他のメンバーは、警官にやめるよう訴えます。
デビッドはヘイデンに「先に聴衆を安全な場所に移動させよう!“冷静になれ”と言ってくれ」といいますが、冷静さを失い逆上し「断る!」と言ってマイクをとって叫びます。
「血が流れるなら、このシカゴの街中で血を流させろ! 党大会会場へ向かえ! 街へ出ろ!」
公園内は警官による暴行と、ケガをする聴衆者で混乱しました。そして、難を逃れた残りの聴衆とヘイデン達は党大会会場近くのバーで、警官隊や州兵と衝突。
夜間外出禁止令が出され、会場周辺には戒厳令が出ていたが、ヘイデンは聴衆を扇動してしまったのです。
ヘイデンはクンスラーと答弁のロールプレイングをしますが、検察を覆せる弁明は何一つありませんでした。
「暴動を扇動したのは誰だ?」クンスラーに問われると、「我らの血」。
アビーは「“我らの血が流れるなら、街中で流させろ、警官の血ではない。警官の横暴を知らしめろ”ってことだな」。証言台へはアビーが立つこととなります。
クンスラーは法廷にいる理由を聞きます。アビーは州を越えて思想を持ち込んだからと応え、リンカーン大統領の就任演説の一部を引用します。
「人民は政府を改める、憲法上の権限を持ち。政府を解散させ、転覆させられる」あの演説台にリンカーンがいたら、一緒にここで裁かれている」
アビーはアメリカでは、平和的に政府を転覆させることを、4年ごとにやっているといいます(大統領選挙)。
アビーはシュルツ検事から、ヘイデンの発言を聞いてどう思ったか聞かれ、聖書を引用し言葉の文脈は、その前後を知らないと意味を捻じ曲げられると訴えます。
そして、「警察との衝突を望んだ集会だったか」と問われると、長い沈黙のあと「望んだだけで裁かれるなんて」そう答えました。
フローイネスとウィンナーは完全無罪となり、残りの5人に判決がでる日が来ました。アメリカの法に基づくと、量刑を言い渡させる前に、被告人に法廷への陳述が許されています。
ジュリアス判事は代表のヘイデンに「意見陳述は簡潔に政治のことは絡めぬよう」と念を押し、内容によっては、量刑を軽くすると圧をかけました。
ヘイデンが行った意見陳述とは、レニーが毎日書き留めていた、ベトナム戦争戦没者の氏名と年齢、4752名分の読み上げでした。
ヘイデンと他の4人は暴動を扇動するために、州の境界線を越えたとして、禁固5年の有罪判決を受けますが、上告裁判所にて1972年11月逆転無罪となりました。