炭坑画家・山本作兵衛さんの残した画集を軸に、日本の近現代史を描く作品
明治・大正・昭和と、日本の発展を支えてきた石炭産業。その中心である、福岡県の筑豊炭田で幼い頃から炭坑夫として働いた人物である、故・山本作兵衛さん。
石炭産業の栄枯盛衰を見つめてきた作兵衛さんは、その体験を一坑夫の視点からつづった、膨大な絵や日記などの記録を残しました。
2011年5月25日、名もない炭坑夫であった、作兵衛さんの描いた記録画と日記697点が、日本初のユネスコ世界記憶遺産になりました。
その貴重な記録画を軸に、炭鉱労働に携わった人々と、国策によって揺れ動いた日本の石炭産業の姿を描いたドキュメンタリー映画が、『作兵衛さんと日本を掘る』です。
CONTENTS
映画『作兵衛さんと日本を掘る』の作品情報
【公開】
2019年5月25日(土)公開(日本映画)
【監督】
熊谷博子
【キャスト】
井上冨美、井上忠俊、緒方惠美、菊畑茂久馬、森崎和江、上野朱、橋上カヤノ、渡辺為雄
朗読:青木裕子(軽井沢朗読館)
ナレーション:山川建夫
【作品概要】
フリーの映像ジャーナリストとして、TVのドキュメンタリー番組や映画製作の現場で活躍している、熊谷博子監督。
彼女が7年ががりで完成させた、三井三池炭鉱の記録映画『三池 終わらない炭鉱の物語』は、東京のミニシアター、ポレポレ東中野で2006年に公開された際ロングランを記録し、1館で1万人以上の来場者を記録する大ヒットを記録しました。
また2013年、NHKで放送された『三池を抱きしめる女たち 戦後最大の炭鉱事故から50年』は、2014年の放送文化基金賞のドキュメンタリー部門で最優秀賞を、番組部門で熊谷博子自身が製作賞を受賞しています。
日本の炭鉱産業を炭坑夫の視点から描き、それを通じて日本という国を描いた、彼女のライフワークと言うべきドキュメンタリー映画です。
映画『作兵衛さんと日本を掘る』のあらすじ
深く、暗く、暑い地の底。そんな場所で石炭を掘り、この国と私たちと生活を支えた人々がいました。
天井が落ちてくれば、逃げ場も無い穴の中。力を合わせ、石炭を掘り出す男と女。互いの命を預け合った、地の底の労働。多くは夫婦でしたが、父と娘、兄と妹、そして生きる為に他人同士が組む事もありました。
1892年に生まれ、1984年に亡くなった山本作兵衛さんは、筑豊炭田に生きた生粋の炭坑夫でした。幼い頃から炭鉱で働き、21もの炭鉱を転々としました。
専門的な絵の教育を受けた事はありませんが、明治から昭和初期の炭鉱、庶民には記録する術の無かった姿を、2000枚とも言われる絵に描いて記録した作兵衛さん。
その絵や日記など697点が2011年、日本初のユネスコ世界記憶遺産に登録されました。公的な記録に残されない、地の底で働いた人々の生の姿があると評価されたのです。
作兵衛さんが一生を過ごした筑豊炭田。ここだけで日本の石炭の半分を掘り出していた時代もあり、もっとも多い時である1950年代、“ヤマ”と呼ばれる炭鉱が大小合わせて280もありました。
しかし国のエネルギー政策の転換で、筑豊の炭鉱は次々と閉山していきます。炭鉱町の象徴であった、掘りだした石炭以外の石やガレキを積んで出来たボタ山。筑豊には500以上のボタ山があった、と作兵衛さんは語っています。
しかし炭鉱が閉山されるとボタ山も整地され、今は数か所を残すのみとなっています。作兵衛さんはそんなボタ山の移り変わりを、人生の盛衰に例えています。
作兵衛さんは60代半ばを過ぎて、本格的に炭坑夫の記録を描き始めます。
作兵衛さんの父親は、掘り出された石炭を船に積んで港まで運び出す、遠賀川の川船の船頭を務めていました。最盛期は8000もの川船があったと言われています。
しかし鉄道が完成し石炭の輸送に使用されると、川船の仕事は奪われ作兵衛さんの一家は皆、炭坑夫として働く事になります。
作兵衛さんは12歳で炭鉱の鍛冶工見習いとして働き、14歳で石炭を運び出す炭坑夫“後山”として、16歳で石炭を掘り出す炭坑夫“先山”として、地下で働き始めます。
結婚し6人の子供と12人の孫に恵まれた作兵衛さん。消えゆく炭鉱の暮らしを子や孫に伝えようと、炭坑夫の姿を描くようになりました。
妻のタツノさんも、結婚当初は作兵衛さんの働く炭鉱で、選炭夫として働いていました。作兵衛さん夫婦の姿を、孫や子供が語ります…。
映画『作兵衛さんと日本を掘る』の感想と評価
作兵衛さんと筑豊炭田に生きる人々を紹介
酒を愛し、酒に愛された人物、山本作兵衛さん。そのユニークかつ真摯な生き様を、周囲の人々が語ります。
その姿を描く事で、このドキュメンタリー映画は作兵衛さんだけで無く、彼を評価した人々や筑豊に生きた人々の姿を、次々と紹介してくれます。
元女炭坑夫、橋上カヤノさんはこの映画の中で105歳を迎えます。辛苦を味わってなお健在な彼女の姿。この人物の発見こそ熊谷博子監督の成果であり、カヤノさんの存在が作兵衛さんの女炭坑夫の姿を、より生き生きと見せてくれます。
炭鉱に、炭鉱の町に住む人々に関わった人々の姿を紹介し、作兵衛さんの画に込めた思いが何であったのを伝えるこの作品。炭坑画を通して、様々な人間の姿を描いた映画です。
炭鉱を通して日本を見つめる映画
かつて日本の経済を支え、「黒いダイヤ」と呼ばれた石炭。それに関わる人々は国から産業戦士と称賛されながらも、同時に過酷で虐げられた環境で生きてきました。
女性や子供の労働、頻発する事故、そして戦時中の強制労働。それでも終戦直後は日本の復興を支える為、石炭産業は国によって奨励されました。
ところが石炭から石油へのエネルギー転換が図られると、石炭産業は切り捨てられます。その中で負の側面が強調され、筑豊は地名やそこに住む人々にまで、他者から悪いイメージを与えられます。
炭鉱は、そのまま日本という国の縮図だと語った作兵衛さん。現在社会構造が激変する中、様々な分野で働く人々が、インフラの維持や、社会貢献に必要と讃えられながら、過酷な労働を強いられている現状に重なってきます。
必要とされる労働に生きる人々に、過酷な環境と悪いイメージを与える日本という社会。作兵衛さんの語った言葉は、実に真理を突いていました。
石炭産業の衰退は、その労働者救済の建設事業を生み、それが原子力発電所の建設という、新たな国の方針転換に利用された経緯も、このドキュメンタリー映画は紹介しています。
作兵衛さん記録画と日記697点が、日本初のユネスコ世界記憶遺産のは東日本大震災と同じ年。石炭を捨て、原子力に転換した国の姿勢。石炭産業に関わる人々を切り捨てた上で、この国が得たものは何だったのでしょうか。
そして同じような働く人々への過酷な扱いが、今も繰り返されているのではないでしょうか。
まとめ
『作兵衛さんと日本を掘る』は、山本作兵衛さんの炭坑記録画や、その功績を紹介して止まる作品ではありません。
熊谷博子監督の長い年月をかけた取材が、炭坑記録画を通して炭鉱に、筑豊に生きる人々を描き、その姿を通じて日本という国を描いたドキュメンタリー映画です。将にタイトル通り、「日本を掘る」映画です。
しかし主義主張や告発に偏った作品ではありません。映画の中心には、炭鉱町に生きた人々への温かい視線と、丁寧な取材で描かれたそれぞれの人生が描かれています。
この作品に登場した人物の温もりを味わうには、実際に映画をご覧頂くしかありません。様々な興味からこの映画を多くの方がご覧になるでしょうが、誰もが映画が映し出す様々な人物の姿に、心魅かれることでしょう。