映画『ラヂオの時間』は三谷幸喜監督による初の長編作品。
熱海で主婦と漁師が恋に落ちる内容のラジオドラマが、主演女優のわがままで設定が変わったことをきっかけに、アメリカを舞台にしたスケールの大きなシナリオへと変わっていくというドタバタ喜劇の『ラヂオの時間』。
鈴木京香、唐沢寿明、西村雅彦、戸田恵子をはじめ豪華俳優陣が大集結し、その年の日本アカデミー賞や他各方面で絶賛されました。
後の三谷幸喜監督作品の原点とも言える本作について、その魅力を解説していきます。
映画『ラヂオの時間』の作品情報
【公開】
1997年(日本映画)
【原作】
三谷幸喜と東京サンシャインボーイズ
【監督・原作・脚本】
三谷幸喜
【キャスト】
唐沢寿明、鈴木京香、西村まさ彦、戸田恵子、小野武彦、並樹史朗、梅野泰靖、藤村俊二、井上順、近藤芳正、奥貫薫、モロ師岡、布施明、細川俊之、渡辺謙、桃井かおり、松本幸四郎、梶原善、佐藤B作、宮本信子、田口浩正、遠藤久美子
【作品概要】
三谷幸喜が主催していた劇団「東京サンシャインボーイズ」で1993年に上演されていた同名舞台劇を元に映画化された作品で、三谷幸喜の映画監督デビュー作品です。
三谷幸喜が手がけたテレビドラマ『振り返れば奴がいる』の脚本が、本人の意図に反してシリアスに書き換えられてしまったことを題材にして作られた脚本です。
本作で、第21回日本アカデミー賞最優秀脚本賞、最優秀助演男優賞、最優秀録音賞、そして第71回キネマ旬報ベスト・テン第3位を獲得。また、第48回ベルリン国際映画祭において特別表彰を受けており、国外からも評価されている作品です。
唐沢寿明、西村雅彦、鈴木京香など主要キャストの豪華さが、今でも楽しめる魅力の一つ。清掃員役の宮本信子や、ラジオパーソナリティ役に桃井かおりなどのたった数分しかない出演シーンも見逃せないポイントになっています。
映画『ラヂオの時間』のあらすじとネタバレ
シナリオコンクールで選ばれた主婦の鈴木みやこ(鈴木京香)は、ラジオ局スタジオ「ラジオ弁天」で生放送収録のリハーサルに参加していました。
みやこが書いた脚本は熱海の田舎町で平凡な主婦と猟師が恋に落ちる物語です。初めて書いた脚本が選ばれ緊張しながらリハーサルの様子を見守っていました。
主演女優の千本のっこ(戸田恵子)はリハーサル直後に名前を変えたいと駄々をこねはじめ、「りつこ」という名前を「メアリージェーン」に変更することになりました。
ナレーション担当の保坂卓(並樹史朗)からは台本の細かな言い回しを指摘され、本番前に不安が募るみやことプロデューサーの牛島龍彦(西村雅彦)。
千本のっこが役名を洋名に変えたことで、場所の設定を熱海からニューヨークに変えることにならなければいけなくなりました。そして、さらにのっこは役をパチンコ屋の店員から弁護士に変えたいと言い張ります。
編成の堀ノ内修司(布施明)と保坂は、千本のっこを説得しに行くも聞き入れられずに女弁護士に変えることに。
ラジオ作家のバッキ―(モロ師岡)に頼み込み、全キャストの名前を洋名にして、のっこの役はニューヨークで働く女弁護士メアリージェーンになりました。
みやこは夫(近藤芳正)にお守りのバンダナを持ってきてもらいましたが、脚本は勝手に変えられ、役者のわがままに振り回されるスタッフたちにあきれてより不安が増すみやこ。てんやわんやしながら本番が始まりました。
効果音用のCDがある保管庫が閉まってしまい、効果音を用意できないという事態が判明します。
駐車場係の男性(藤村俊二)が昔に効果音係をしていたという噂から、ディレクターの工藤(唐沢寿明)と太田黒(梶原善)は、男からマシンガンの音をピスタチオを使って作る方法を教わります。
マシンガンと言えばニューヨークではなくシカゴだとスタッフの辰巳(田口浩正)が言い張り、急遽場所の設定がシカゴに変更になりました。
しかし、その後のシーンでシカゴには海がないのでメアリージェーンがその後遭難してしまうという筋書に無理が出ることが明らかになります。
びしょねれで結婚相手のハインリヒ(井上順)の元に帰ってきたメアリージェーンが、山で遭難してダムの決壊に巻き込まれたことにしようということになりました。
ダムの決壊の効果音の作り方を工藤と太田黒は駐車場係の男からどうにか聞き出します。その準備をする間はハインリヒ(井上順)がアドリブでつなぎました。
ダムの決壊後にマイケル・ピーターと再会するというシーンが撮られます。マイケル役の浜村錠(細川俊之)は放送中に名前をマイケル・マクドナルドに急遽変えてしまいました。そしてパイロットという設定まで設けてしまったのです。
元々は漁船が転覆して消息を絶つという筋書のはずがパイロットという設定に変わったので、プロデューサーや放送作家一同で案を出し合い、ハワイ上空で消息を立つという筋書に変えました。
メアリージェーンはマクドナルドへの想いを抑えられず、夫のハインリヒと別れることにします。
そのシーンを見ていたみやこの夫は、ハインリヒとメアリージェーンが自分たち夫婦をモデルにしていると気付きました。みやこを問い詰めるも、「仕事中だから」と言って夫の質問に答えません。
アシスタントプロデューサーの永井スミ子(奥貫薫)は、ラジオ局のスポンサーに航空会社があることに気付きました。編集の堀ノ内からもどうにかするよう電話を受けて焦る牛島。
そこで、急遽パイロットから宇宙飛行士という設定に変えることになりました。しかし、宇宙で消息を絶つということはマクドナルドは死んでしまって、メアリージェーンに再会できないということになります。
「メアリージェーンとマクドナルドは再会しなければいけない」それだけは譲れないと、反対するみやこ。
しかし、千本のっこはそのままマクドナルドが死んで自分ひとりでラストシーンを迎えればいいと提案します。
猛反対のみやこは収録室に立てこもりますが、牛島は千本のっこの言いなりになり、堀ノ内の圧力も感じてマクドナルドは帰ってこないという筋書で進むことになりました。
工藤(唐沢寿明)が牛島を説得しようとします。みやこのためでなく自分たちのためにこれ以上脚本を変えてはいけないと主張します。しかし、牛島は聞き入れず工藤に出ていくように言います。
そのまま宇宙船が事故に遭うシーンが放送されました。
映画『ラヂオの時間』の感想と評価
小さな仕掛けが爆発する緻密な笑い
本作は三谷幸喜の原点かつ、その真骨頂ともいえる大人数の登場人物によるドタバタ喜劇の傑作です。しかし、ただ笑えるだけでなく窮屈な社会の事情にもまれながら生きる大人たちの姿を描いています。
実に細かな笑いがちりばめられていて、そのすべてを最後まで余すところなく活かしきる脚本が見事です。
冒頭に登場した小野武彦演じるマルチン神父ですが、ひたすら演技にこだわりを見せ、ディレクターの工藤や、シナリオ原作者のみやこをはじめスタッフ全員に「自分のセリフをもっとトーンを抑えて言ってみたらどうか」と相談をしていましたが、放送中どんどん時間が押して出番がなくなってしまいます。
しかし、最後のシーンに無理やりセリフを話すシーンが用意されました。あれだけトーンを抑えると言っていたのに、ディレクター一同耳をふさぐほどの大声で、セリフを読む彼の姿には笑わずにいられません。
前半に張り巡らされた小さなしかけが少しづつ大きくなり、全てを回収したときにどっと大きな笑いと共に爽快感を得られる作りになっています。
一見コメディの愉快さだけのように見えて周到に仕掛けられた伏線は、三谷幸喜の「警部補 古畑任三郎」シリーズのサスペンスの緻密さにも通ずるところがあるでしょう。
しがらみの中で必死に生きる大人の姿
本作の中でもっとも板挟み状態で葛藤に暮れるのは、西村雅彦演じるプロデューサーの牛島です。彼のセリフには、ラジオプロデューサーとしての信念や志が垣間見えるシーンがふたつあります。
ひとつめは、生放送前にみやこに話をするシーンです。「人間に想像する力がある限りラジオドラマには無限の可能性がある。僕はラジオドラマが好きだ。」というセリフです。
ふたつめは、録音室に閉じこもったみやこを説得するために牛島が言ったセリフです。
「満足いくものなんてそう作れるもんじゃない。自分を殺して作品を作りあげる。でも我々は信じてる。いつかはその作品にかかわった全ての人と、それを聞いた全ての人が満足できるものが作れる。」というものです。
しかし、大女優や俳優、上司の意見に振り回され言いなりになる牛島は、自分の信念なんて顧みずに脚本をたびたび変更します。終いには、結末を変えてでもラジオ放送をどうにか成立させようとしました。
そこで救世主的役回りとして登場したのは、唐沢寿明演じるディレクターの工藤でした。脚本の結末を変えようとする牛島に、彼女(みやこ)のためじゃなく、自分たちのためにも脚本通りのラストにしようと反発しました。
この2人の対立は、「仕事へのポリシーVS組織での務め」という構造だと言えます。
社会で仕事をするというのは、組織の上下関係や様々なしがらみを持たずには成立しないことがほとんどです。
本作は、多くの大人が抱えているだろう葛藤を、ユーモアを交えながらもはっきりと提示した作品なのです。
そして放送が終わり、勝手に動いた工藤に対してきつく叱りながらも、次回作へのわくわく感を隠しきれない牛島の様子からは、ラジオドラマへの情熱が感じられます。
社会で葛藤を抱えて生きる大人たちに、大切なことを思い出させる作品だと言えるでしょう。
まとめ
ラストシーンまで笑いが絶えないこの映画ですが、エンドロールで流れる歌にも注目です。
布施明が演じていた堀ノ内修司名義の『no problem』という楽曲なのですが、三谷幸喜が作詞、布施明が歌唱しています。
「世界を敵に回したとしても 気にはしない そのわけは千本のっこが笑っていればそれで僕は満足だ」という歌詞から、堀ノ内の心境が表現されています。
そしてこの歌の最後のくだりでは「千本のっこが、あの○○○○が、僕を見つめて歌口ずさんでいる。それだけでぼくは満足さ。」とあります。とんでもない暴言とともにこの映画は終わるのです。
ブラックユーモアたっぷりの遊び心が最後の最後まで笑顔にさせてくれる、そんな秀逸な作品です。ぜひ、最後まで耳を傾けてご覧ください。