映画『葡萄畑に帰ろう』は、官僚主義を痛烈に笑い飛ばした『青い山 本当らしくない本当の話』(1983)などで知られるジョージア映画界の最長老監督エルダル・シェンゲラヤのヒューマンコメディ映画です。
ジョージア国会副議長を務めるなど、政界で活躍した監督自身の経験をベースにした権力社会への風刺を、大らかなユーモアで包みこみ描いています。
またジョージアの魂ともいえる葡萄畑が広がるなど、“故郷への愛”も込められた作品です。
映画『葡萄畑に帰ろう』の作品情報
【公開】
2018年(ジョージア映画)
【原題】
The Chair
【脚本・監督】
エルダル・シェンゲラヤ
【キャスト】
ニカ・タバゼ、ニネリ・チャンクベタゼ、ケティ・アサティアニ、ナタリア・ジュゲリ、ズカ・ダルジャニア、バノ・ゴギティゼ、メラブ・ゲゲチコリ、ビタリ・ハザラゼ、アーロン・チャールズ、トリスタン・サラリゼ
【作品概要】
寓話的でありながら辛口の風刺精神とユーモアに満ち、同時に人間愛や優しさを失わない、名匠シェンゲラヤ監督の作風が溢れる本作のような作品は、近年にはなかなか出会うことができない作品。
90年代の内戦や紛争を経て、長い冬をやっと越え草花が萌える春のように、人間的なユーモアを感じさせるジョージア映画が今ここに誕生しました。
映画『葡萄畑に帰ろう』のあらすじとネタバレ
大空の雲の隙間から俯瞰した地上が見えると、大きな木箱がゆっくりと地上に落下していきます。
その後、ジョージア郵便局の配送車が、歴史のある大きな建物の前に着きました。
そこには「国内避難民追い出し省」と書かれた表示があり、国内の紛争地域から逃げてきた人々を追い出す省庁でした。
中では、ローラースケートを履いた職員たちが、忙しそうに書類を持って動いていました。
大臣ギオルギの執務室にその木箱が運ばれます。
郵便局職員に荷物を出すようにギオルギが指示をし、木箱が開けられました。
その中からは丁寧に包装された高級椅子。しかも肘掛についているボタン一つであらゆる操作ができるという椅子でした。
補佐官ダトを横にして、自慢気に椅子の座り心地を満喫していると、大きな画面のテレビ電話に首相が映ります。
ギオルギに、大臣として避難民を追い出すために思い切った手を打てとの命令が下りました。
ギオルギは渋々ダトとともに首都トビリシの避難民が暮らす地域に車を走らせ、機動隊とともに力づくで彼らを追い出そうとします。
大混乱になった様子を見ながら、「選挙前にやるんじゃなかった」とギオルギは後悔しつつ、情勢を近くで見ています。
追い立てられ暴力を降るわれそうになった女性を助けようとして、ギオルギは機動隊との間に入りますが、不意に機動隊に殴られ救急車で運ばれます。
ギオルギが気がつくと、横には自分が助けた女性ドナラが、ギオルギの手を取って座っていました。
ドナラに一目惚れしたギオルギは、帰る場所のない彼女を息子の英語の家庭教師として、住み込みで雇います。
部屋には亡き妻の絵が掛けられていますが、同居する義妹マグダはドナラに対して、冷ややかな視線を送っていました。
ある日、息子のニカにドナラが英語を教えていると、ニカが冷たい視線を向けドナラを罵倒します。
部屋を出て行ったニカはマグダの元へ走り、2人でドナラを睨みつけました。
ドナラは逃げるように家を出て行きました。
ギオルギがドナラを探す中、補佐官のダトが彼女の居場所を突き止めます。
ギオルギは、郊外の施設で畑仕事をしているドナラを見つけ家に連れて帰ります。
ニカはドナラに素直に謝り、2人は抱き合います。
落ち着いたのもつかの間、ギオルギは朝のテレビニュースでギオルギの与党が野党に選挙で大敗したと、使用人たちと共に知り愕然とします。
仕事に行くと、ローラースケートを履いた女性職員が一通の書類を持って執務室に入ってきました。
そこには「大臣解任」の文言が書かれていました。
映画『葡萄畑に帰ろう』の感想と評価
本作冒頭の空中を落下する木箱の場面から、映画の持つ不思議な世界観に引き込まれて行きます。
宇宙空間を宇宙ロケットが地球を目指すが如く、しっかりと梱包された木箱が吸い込まれるように雲の上から地上に落ちていきます。
着地点は「国内避難民追い出し省」という看板を掲げる国の機関である省庁前。
運び込まれる省内では、ローラースケートを履いた職員が行ったり来たり、しかもほとんどの人が無表情です。
どこが不気味で奇想天外なこの冒頭が、本作の全てを語っていることをじわじわと漂わせています。
名匠エルダル・シェンゲラヤとはどんな監督なのか、その人物像を紐解いていきます。
エルダル・シェンゲラヤ監督とは
1933年1月ジョージアのトビリシで生まれ、現在85歳のジョージア映画人に尊敬される最長老の現役映画監督。
弟は『放浪の画家 ピロスマ二』(1969)で監督を務めたギオルギ・シェンゲラヤです。
映画界でも人望が厚く、1976年から2012年までの36年間ジョージア映画人同盟の代表を務めます。
またソビエト連邦離脱後には政界にも求められ、ジョージア国会副議長をも務めますが、2006年に愛娘の死をきっかけに一切政治活動から離れます。
長く政治家だった経験が本作に生きています。
多くの政治家が地位=椅子を欲し、それも国民のためではなく自分の物欲やいい暮らしをするために争うのを延々と見てきたことが、あるときはユーモラスに、あるときは痛烈な皮肉として映し出されています。
1992年にジョージアがソヴィエト連邦から独立宣言をした時も、次期大統領をめぐり内戦が起こり、汚職が広がったという歴史があります。
腐敗した政治界を潜り抜け、そして愛する娘を失った時、エルダル・シェンゲラヤは再び映画界に帰ってきます。
次に、エルダル・シェンゲラヤ監督がこだわった「国内避難民追い出し省」を紐解いていきます。
国内避難民とは
現在もジョージア国内には「難民省」が実在します。
ジョージアという国は、ジョージア人の他に、アジャール人、アルメニア人、アゼルバイジャン人、チェチェン人、トルコ人等が混在する多民族国家です。
さらにキリスト教徒とムスリムとの対立もあり、内乱や紛争が国内で起こる度に「国内避難民」が発生します。
しかしながら現在の状況は大幅に改善され、ジョージア人の民族的精神と自国への愛は普遍とされ、今や世界から「21世紀の理想郷」として多くの観光客が訪れています。
だからこそエルダル・シェンゲラヤ監督は、虚言だらけの政治家と権力への妄執を徹底的に風刺しながらも、その多様性を混在させてきた長い歴史に誇りを持ち、ジョージア的理想郷をラストシーンに込めたのでしょう。
まとめ
映画の後半に、ギオルギが「大臣の椅子」に乗ってパトカーから逃走するシーンがありますが、行き着く場所は、故郷の村の友人宅でした。
しかもワイン甕のワインの中に漬けこまれてしまいます。
ワインといえば、ワイナリーの横たわる大きな樽を想像しますが、ジョージアのワインは地下に大きなワイン甕を置いています。
実は日本の和食がユネスコの無形文化遺産に登録された2013年と同じ年に、ジョージア独特のワイン醸造法とその文化も登録されました。
その醸造法とは、マラ二という醸造蔵の地中に素焼きの甕を埋めて、そこに葡萄の果実や果皮だけでなく種も入れて自然発酵させる方法です。
世界に認められ、古代から継承する製法と農薬に依存しない自然派ワインは、まさに地位や名誉に、そして世界の動向に流されず、自然を敬い真摯に生きることの大切さを醸し出す本作そのものです。
ラストシーンの一面に広がる葡萄畑は、ジョージア的理想郷として見る者の心に残ります。
エルダル・シェンゲラヤ監督が本作の味に喩えた赤の辛口、オーク(楢の木、樽に使われる)が香る「ムクザニ」のような映画を味わいに行きませんか。