サルバドール・ダリらとの活動でも有名なシュールレアリスムの鬼才ルイス・ブニュエル。
彼の作品群の中で唯一オスカーを獲得したブラック・ユーモア溢れる『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』をご紹介します。
映画『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』の作品情報
【公開】
1972年(フランス)
【原題】
Le Charme discret de la bourgeoisie
【監督】
ルイス・ブニュエル
【キャスト】
ジャン=ピエール・カッセル、フェルナンド・レイ、ポール・フランクール、デルフィーヌ・セイリグ、ステファーヌ・オードラン、ビュル・オジェ、ミシェル・ピッコリ
【作品概要】
第45回アカデミー賞(1973年)外国語映画賞を受賞し、脚本賞(ルイス・ブニュエル、ジャン=クロード・カリエール)にもノミネートされたルイス・ブニュエルの後期を代表する傑作。
いびつな生活を送るブルジョワ階級を、ユーモアを交えつつ、痛烈でシニカルな目線でその虚像性を抉り出したブニュエルらしさが光る作品となっています。
映画『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』のあらすじとネタバレ
ラファエルは、友人のデブノとセネシャルと結託してコカインの密輸に手を染めていました。南米にあるミランダ共和国(架空の国)の駐仏大使であるラファエルの外交特権を利用していたのです。
ある日、夫アンリと妻アリスのセネシャル夫妻からディナーに招かれたラファエル、デブノ夫妻、それとデブノ夫人の妹でアル中でもあるフローランス。彼らがセネシャル邸を訪れると、アンリの姿が見えないばかりか、アリスは寝間着姿という始末。アリスが言うには約束の日は明日だとのこと。
一行は仕方なくデブノなじみのレストランへと向かいますが、運の悪いことに店主がその日死亡したばかりで、今まさに葬儀の真っ最中だそう。それでも食事を出すことは構わないと言っていたレストランの店員でしたが、それどころではないので一行は日を改めることに。
翌日、再びセネシャル邸を訪れたラファエルたち。しかし、またしてもセネシャル夫妻が2階から降りてきません。夫妻は、彼らを迎えようとしていた今まさにその時に突然湧き上がっていた性欲を抑えきれず、庭の茂みの中で睦み合っていたのです。
なかなか食事が始まらないことを不審に思ったラファエルとデブノは、彼らが手を染めているコカインの一件で何か問題が起きているのではないかと勘繰り、セネシャル夫妻を待たずに早々にこの場を辞去します。
その直後、セネシャル邸を訪ねてきた男がいました。彼はこの地区の司教だとのこと。セネシャル邸の庭師が辞めたことを聞きつけて、自分にその仕事をやらせて欲しいと言ってきたのです。戸惑いながらも、その求めに応じるセネシャル夫妻でした。
ところ変わって、場面は街中のカフェ。アリスとデブノ夫人、フローランスの3人でお茶をしようと席についていました。しかし、何を注文しても品切れと言われ、ここでも何もありつけません。
そうこうしていると、彼女たちの席に見ず知らずの軍人の男がやってきて、聞いてもいないのに自らの生い立ちを話し始めます。父を毒殺したのだが、それは死んだはずの母の亡霊が出て、彼女に頼まれたからなのですが云々…といった話を聞かされるはめに。
一方、実はデブノ夫人と浮気をしていたラファエルは、自宅で彼女を迎える準備をしていました。彼女の訪問直後に偶然夫のデブノも自宅を訪れ、情事がバレることはなかったものの、ラファエルの欲求は溜まる一方でした。
今度こそということで、またしても催されたセネシャル邸でのパーティー。今回は食事もスムーズに運ばれてきたのですが、いざ食べようとすると突然の訪問者を迎えるはめに。明日からこの辺りで演習を予定していた軍隊の一団が挨拶にと訪問したようです。
何とか彼らの分の食事も賄えそうだったのですが、今度は演習がもう始まるという伝令のを伝えにきた兵隊が入ってきます。そんな伝令の男に、いつもの話をみなさんにお聞かせしろとけしかけるこの隊の長である大佐。伝令の男の話は、かつての友人の亡霊たちが現れたという自分が見た夢の話でした。
そんな話に一気に食欲を失ってしまった一同に気付いた大佐は、お詫びと言っては何ですが今度は私の家で食事でもしましょうと約束し、その場を後にします。
映画『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』の感想と評価
ルイス・ブニュエルがカトリーヌ・ドヌーブ主演のエロティックな耽美主義的魅力に溢れた『哀しみのトリスターナ』に続いて挑んだのは、ブラックな笑いを交えた痛烈なブルジョワ階級批判でした。それが本作『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』です。
まずブルジョワとは何かということですが、簡単にいうと財産を持たない労働者階級(プロレタリア)とは対極に位置する豊かな資本家層と捉えて頂くと分かり易いかもしれません。搾取する側(ブルジョワ)とされる側(プロレタリア)の対立構造が成立しているということさえ頭にいれておけば、この物語を理解する一助になってくれるはずです。
この作品においては、駐仏大使のラファエル、セネシャル夫妻、デブノ夫妻、デブノ夫人の妹フローランスの6人がこのブルジョワ階級に属する人々にあたります。
外交官であるラファエルを除くと、彼らがどうやって生計を立てているのかは劇中で一切説明されません。このこと自体がもちろんストーリーに関わってくることないのですが、ブニュエルが敢えてこの描写をしなかったことにこそ意味があるのです。
その意味とは、特に何かをしているわけではないにもかかわらず生活が成り立ってしまうことにより、何の目的もなく唯々無為な日々を過ごしているというブルジョワジーという存在自体を揶揄しているということなのです。まさにブニュエルらしい冷笑的ともいえる表現ですね。
そういったシニカルな皮肉に満ちたこの作品の中で最も繰り返し主張されているテーマともいうべきものは、彼ら6人が自らの食欲(ラファエルに至っては性欲も)を満たせないということでしょう。どこに行っても邪魔が入り、決して最後まで辿り着くことがないのです。
これには、どうやって生計を立てているのかも分からないような輩なんぞは生涯に渡って決して何も成し遂げられるはずがない、というブニュエルからの痛烈ともいえる皮肉が込められていることが読み取れます。
こういったブニュエルの意図を補強する上で、もう一点重要なシーンがあります。ストーリーとは何の脈絡もなく度々挿入されるシーン(あらすじには記載なし)なのですが、この場面こそこの作品を読み解く鍵になると言ってもいいでしょう。
そのシーンとは、まっすぐ続く一本道を6人がただひたすら歩き続けるというもの。劇中での彼らは、どんな近場へ行くのにも必ず車を使います。歩くといったような無駄な労力を消費するようなことなど決してしないのです。
そんな6人が、何もない道を自分の足で歩いているということ、一体それが何を意味するのでしょうか?
まずこの道が表すもの、それは彼らの人生そのものなのではないでしょうか。平坦で曲がりくねってもいないこの人生という道を、ただひたすら死に向かって一直線に向かっているのです。
さらに、その死へと向かうスピードはまさに歩くようにノロく、彼らが送っている人生自体何の意味も為さないものであり、まさに取るに足りない存在だということを意味しているのかもしれません。
まとめ
スペイン人であるルイス・ブニュエル監督が、『小間使の日記』(1964)以降フランスへと活動の場を移した作品群の中で、一見難解そうに見えながらも最も直接的にメッセージ性を打ち出した(かつ成功した)ともいえるのが『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』です。
俳優陣も個性的で、例えばブニュエル作品ではおなじみのフェルナンド・レイ(ラファエル役)が、前年に出演した『フレンチ・コネクション』(1971)で残した強烈なイメージを弄ぶかのように、彼にコカインを握らせるという何とも絶妙な配役!
そんなキャスティングもあってか、この作品で初のオスカーを獲得することになったブニュエル。彼がノミネートの一報を受けた時、こんなことを言ったそうです。
「もちろん、私はすでに2万5000ドルを支払った。アメリカ人は弱点もあるが、約束を守る人たちだ」
まさにブニュエルらしい皮肉に満ちた表現ですが、当然のことながらかなりの大問題を引き起こしたそう。アカデミー賞という強大な権威にも媚びず、自らの思想や主義主張を貫き続けたルイス・ブニュエルという男の人間性が垣間見えるエピソードです。