連載コラム「シネマダイバー推薦のNetflix映画おすすめ」第34回
2020年にミネアポリス近郊で発生した白人警官デレク・ショービンによるジョージ・フロイドさん殺人事件に端を発するBLM運動の影響下で制作され、NY出身のラッパー、ジョーイ・バッドアスがプロデュース、主演を務めた短編SF『隔たる世界の2人』。
今なお続く警官による有色人種殺害を扱った本作は、2021年、第93回アカデミー賞最優秀短編映画賞を受賞しました。
今回はタイムループに閉じ込められた男が、愛犬の待つ自宅に戻る途中で、警官と揉めて殺される恐怖を何度も繰り返す様子を描いたNetflix短編映画『隔たる世界の2人』をご紹介します。
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映画『隔たる世界の2人』の作品情報
【公開】
2020年(アメリカ映画)
【原作】
TWO DISTANT STRANGERS
【監督】
トレイヴォン・フリー、マーティン・デズモンド・ロー
【キャスト】
ジョーイ・バッドアス、アンドリュー・ハワード、ザリア
【作品概要】
ニューヨーク出身のラッパーにして俳優、ジョーイ・バッドアスがプロデュースと主演を務めたNetflix短編映画。
監督・脚本をコメディ・セントラルでライターを務めていたトレイヴォン・フリーが手掛け、コービー・ブライアントのドキュメンタリー映画、原題:『Kobe Bryant’s Muse』(2015)を手掛けたマーティン・デズモンド・ローが共同監督を務めた本作は、2021年アカデミー短編映画賞を受賞しました。
タイトルの『隔たる世界の2人』は、「隔たる世界の2人(他人)としてではなく兄弟のひとりとして俺を見てほしい」というトゥパックの曲「Changes」の一節からの引用。
映画『隔たる世界の2人』のあらすじとネタバレ
一夜を共にした女性の部屋で目覚める男、カーターは、愛犬ジーターの待つ家に帰ろうとします。
起きて早々部屋を出ようとする彼の様子を不審に思った彼女に、事情を説明するカーター。
知り合ったばかりの彼に愛犬がいることを知った彼女は、「いつでもシッターになるわ」と語ります。
ソファーから立ち上がり、テーブルにぶつかった拍子に瓶を割ってしまう彼女。
カーターは、彼女とまた会う約束をして部屋を後にしました。
通りに出るとコーヒーを手に持ったビジネスマンとすれ違います。
コーヒーがこぼれたと苦情を言う男に対し、カーターはクリーニング代を払うと言いますが、男はその場を立ち去ります。
カーターは、ぶつかったときに落としたマネークリップを拾い上げ、通りでたばこ吸っていると、妙なたばこの匂いがすると話しかけてきたニューヨーク市警の警官が、「妙なたばこを吸う男が大金を持ってる」とカーターに言いがかりをつけ、所持品検査を強要してきました。
壁に押しつけられたカーターが、反射的に抵抗したところに、仲間の警官が応援に駆け付け、彼を地面に押さえつけ圧迫します。
「息ができない(I can’t breathe)」と警官に訴えるカーター。興奮した警官たちは「黙ってろ!」と怒鳴り付け、聞く耳を持ちません。
カーターはそのまま息を引き取りました。
気がつくとカーターが居たのは、彼女の寝室。
ベッドから起き上がり、愛犬のジーターが待つ家に帰らなければならないと彼女に告げます。
彼に愛犬がいることを知った彼女は、「いつでもシッターになるわ」と語ります。
ソファーから立ち上がり、テーブルにぶつかった拍子に瓶を割ってしまう彼女。
カーターは、デジャブに見舞われました。
通りに出ると、コーヒーを持ったビジネスマンとぶつかりそうになりました。
寸前で避けてタバコを咥えると、後ろから警官に声をかけられます。
警官は、タバコの匂いが変だ、という言いがかりをつけ、カーターに所持品検査を強要します。
カーターが、問答無用で壁に押し付けてくる警官に抵抗すると、警官は「オレの銃から離れろ」と逆上しました。
興奮状態の警官は、ホルスターから銃を取り出し、カーターを射殺します。
カーターが目を覚ますと再び彼女の部屋。
悪い予感を感じたカーターは、彼女の部屋から出ていくことを止め、彼女とフレンチトースト作りに興じます。
すると外からドアを激しくノックする音が。
覗き穴から外を確認すると、そこには武装した警官隊の姿がありました。
興奮状態の警官たちは、部屋を間違えたことに気付かずに突入して来ており、興奮のあまり、カーターを射殺します。
目が覚めると再び彼女の部屋。
荷物検査を理由に警官に襲撃されてきた過去のループについて考えた男は、手ぶらで彼女の部屋を出ます。
外では白人警官が待ち伏せしており、怒号と共に銃声が鳴り響き、その度に彼は彼女のベッドで目を覚まします。
何度目覚めても、何度も何度も白人警官に殺されるタイムループに、彼は限界を感じていました。
映画『隔たる世界の2人』の感想と評価
見えない出口
冗談に思えるほどの後味の悪さを見せる本作は、SFというフィクションを設定しながら、劇中で起こっていることは、一切フィクションではないという恐怖を描いた非常に政治的な作品です。
繰り返しのタイムループで主人公が辿る最期の場面、最初の窒息死は、ジョージ・フロイドさん、2度目の銃殺は、マイケル・ブラウンさん、タミル・ライス君、オスカー・グラントさん、3度目の自宅に踏み込んだ銃撃は、ブリオナ・テイラーさんの事件をなぞっています。
男が警官の車で帰路に着く途中の交差点を、カメラが上から捉えたカットでは「被害者たちの名前を叫べ(Say Their Names)」というBLMの合言葉とともに、建物の屋上に描かれた被害者の方の名前が映し出されます。
プロテニスプレイヤーの大坂なおみ選手が、大会の度に被害者の名前を身につけていたのと同様の無言の抗議を本作は、30分という短い尺の中で幾度となく行っています。
レイシストたちが公権力を悪用して起こす、後味の悪い事件を正面から取り扱ったこの短編ドラマもその気持ち悪いエンディングを迎えます。
現実の事件に対する真摯な向き合い方に反対して、本作にはエンディングで解決の糸口が示されなかったことに対する批判の声も少なくありませんでした。
それは、主人公がタイムループから脱却することが出来ないバットエンディングに対する物語的着地点への批判であると同時に、公権力を握っている殺人犯に奴隷のように飼殺されている現実への諦観でもあります。
希望の見えない絶望的なエンディングは、今なお、毎日平均3人、年間約1000人もが警官に殺害されている現実の絶望をそのまま反映させていると捉えると、本作が真に幕を下ろすのは、人種差別を正当化して行われる虐殺が、現実社会から消滅するその時でしょう。
絶望的な不理解
愛犬ジーダーの待つ、カーターの部屋の内部を映すカットが捉えたのは、テーブルに置かれたジェームズ・ボールドウィンの著書「次は火だ」。
ボールドウィンが当時14歳の甥に宛てて書いた手紙の型式で、アメリカの人種問題の歴史、キリスト教会やNYで影響を受けたイスラム思想の経験を綴ったノンフィクション小説です。
ジェームズ・ボールドウィンといえば、2016年に映画化された『私はあなたのニグロではない』(2016)の原作者として知られていますが、彼の著書は半自伝的小説の中で、アメリカの白人を至上とする人種差別の社会機構、それを生み出す精神構造を分析する特徴が挙げられます。
本作におけるボールドウィン的分析は、分断によりお互いへの不理解が深まった白人と黒人の二極化。権力者とその犠牲者の関係性を解体した上で、結局お互いへの理解は示されることは無いという絶望的なエンディングを示唆しています。
レイシストの白人警官は、本作で自身の家族を「典型的なアメリカ人家族(直訳すると、全アメリカ人の理想的な家族)」と形容します。
NY市警で巡査を務める彼が、どのような環境で育ってきたかは劇中で語られませんが、白人コミュニティに囲まれながら、生活圏の異なる異人種、異教徒と直接かかわる機会が無いまま、自身を「純粋なアメリカ人のデフォルト」と信じて育ってきたことは想像に難くありません。
そして彼は、異性愛者で白人の「普通の」女性と結婚し、子供を3人設けています。彼は自身の子に、同じ国の中にも別の背景を生い立ちとし、異なる環境で生きる人々がいるのだということを教えられないまま、その子どもを無自覚なレイシストとして育てるでしょう。
純粋なレイシストが不自由なく生活を送れてしまうというアメリカの社会が、被差別者への理解がないまま次世代へと続く悪循環を生み出しています。
本作のラストで、白人警官による蛮行の犠牲者となった人々の名前が、エンドクレジットの前に流れますが、白人の特権を保守し、有色人種を搾取の対象とする分断された社会構造を生み出した責任を負うべき支配者階級の名は、本作には登場しません。
批判の多くが指摘した提示されない解決の糸口は、分断や差別を扇動した責任問題を本作が追及しなかったことにあります。
それは公権力の保証する地位にあぐらをかく特権階級であり、政府機関の代表を指していますが、この一切の希望を見せないエンディングこそが、彼らの目からは見えもしない下界の道端で、今日も無実の人々が殺されているという現実に愛想をつかしてしまった作り手の絶望を何よりも表しているのではないでしょうか。
まとめ
ジョージ・フロイドさんを殺害した警官デレク・ショービンに有罪判決が言い渡されたこのタイミングで、本作のアカデミー賞最優秀短編映画賞受賞が決定したりと、本作は色々とタイムリーな作品です。
本作は、公権力の正当性を振りかざしながら、罪のない有色人種に暴力を振るう警官の恐怖を被害者の視点で執拗に描く恐ろしい作品です。
監督2人が、アカデミー賞授賞式のスピーチで語っていた「人間ができる最も卑劣なこととは、他人の痛みに無関心であること」という言葉が、本作に長く横たわる痛みを通して深く心に残ります。
かつてマーヴィン・ゲイが曲の中で歌っていた「憎しみを克服する愛を見つけるための今日」は、未だ訪れていないという絶望が本作からひしひしと伝わってきます。
大勢の人の目に触れる都会の街角で「何が起こっているのか」を見せる本作には、路上で警官に押さえつけられる主人公の様子を目撃する通行人がわずかに登場しています。
一部始終を携帯で撮影する彼女にも、助けてあげられないもどかしさがあった。そこに居合わせながらも何もしてあげられないもどかしさが、映画を観ていることしかできない観客のもどかしさと重なります。
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