連載コラム「シネマダイバー推薦のNetflix映画おすすめ」第18回
人の“執念”や“欲”とは格も恐ろしく、古ではそれらを糧とし成長する蛇が“禍蛇”という妖魔となり、世の中に悪影響を及ぼす存在として忌み嫌われていました。
映画『陰陽師: とこしえの夢』は、その“禍蛇(かだ)”と呼ばれる悪霊化した大蛇がたびたび人々を脅かすため、四神によって封印されます。しかし、再び蘇ろうとする影が現れそれを阻止するために、若き陰陽師“晴明”と若き法師“博雅”の2人が立ち向かう作品です。
監督と脚本にはファンタジー作家でもあるグオ・ジンミン。主演には台湾系カナダ人の俳優マーク・チャオと映画初出演の中国人俳優ダン・ルンが務めます。
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CONTENTS
映画『陰陽師: とこしえの夢』の作品情報
【公開】
2021年(中国映画)
【原題】
陰陽師:晴雅集 The Yin-Yang Master: Dream of Eternity
【原作】
夢枕獏
【脚本/監督】
グオ・ジンミン
【キャスト】
マーク・チャオ、ダン・ルン、ジェシー・リー、ワン・ツィウェン、ワン・デュオ
【作品概要】
夢枕獏の原作の「陰陽師」シリーズは日本でも『陰陽師』(2001)と『陰陽師Ⅱ』(2003)で映画化されていますが、同氏の作品の世界観を存分に再現したのは「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」の『空海-KU-KAI- 美しき王妃の謎』(2018)と、いえるでしょう。
その『空海-KU-KAI- 美しき王妃の謎』 (2018)で、芸術監督を務めたトゥ・ナンが『陰陽師: とこしえの夢』の製作にも携わりました。
また、他にもアジアで絶大な才能を発揮しているクリエーターが集結し、日本版とは違った脚本と豪華な映像美で配信動画としては、超ハイレベルで大迫力なファンタジー・アクション映画を完成させました。
音楽には「機動警察パトレーバー」シリーズ、「イップマン」シリーズなどを手掛けた川井憲次、特殊効果には韓国から『Okja オクジャ』(2020)の“スタジオ4th Creative Party”、衣装デザインには台湾のジェイミー・ウェイ・ホァンが担当しています。
映画『陰陽師: とこしえの夢』のあらすじとネタバレ
幼い晴明は“守護呪”がどうしても出せないと、師匠に出す方法を訪ねます。
「晴明よ。命を懸けて守りたい者はいるか?」晴明は“母”と答えます。晴明は母の正体が狐だと噂され、人から追われ彼だけが逃れていました。
晴明は母を思い続け“守護呪”を出す修行をしますが、青年になっても会得できず師匠に「守護呪は必要なのか」と尋ねます。師匠は“守護”の意味がわかない彼が気がかりでした。
晴明は目の前に危険が生じたら、別の世界に移動させれば避けられると考えていました。それを聞いた師匠は“小賢しい”とつぶやき「真の強大な敵と出会ったらどうするつもりだ?」と聞きます。
「“守護呪”は陰陽師にとって最も基本で最強の印相。使えないのなら真の陰陽師とは言えない」と晴明に告げ、再び聞きます「この世に守りたい者はいるか?」彼は答えられずに師匠にはいるのかと訊ねると、「いる」と即答されます。
すると厚い氷の山で鎖した鳥居の先にうごめく蛇の魔物が現れ、師匠は対峙するために晴明を別の次元へと逃がし、“雪天狗”、“金霊子”、“狂画師”の式神を召喚させます。
式神達は氷の結界が破られぬよう術をかけますが、大蛇の強大な力で一部が破かれます。すると弟子の陰陽師が時空を超えて現れ、一斉に“守護呪”を唱えますが、晴明だけは使えません。
大蛇は毒牙を放つと晴明は別時空へ放とうとします。ところが師匠が晴明の前に立ちはだかり、身を挺してその毒牙を受けます。
金霊子は師匠の最期を悟ると、最後の力をふり絞り「お仕えできたことは喜びでした」と大蛇の中へと飛びこみ大蛇を弱らせ、残った式神と師匠は再び氷の中へと封じ込むのでした。
大蛇は“禍蛇(かだ)”といい、この世が天地もない混沌とした時代からいる生物で、執着や欲を糧として、衰えず永遠に生き続けている妖魔です。
しかし、倒したと思われた禍蛇も影にすぎず、本体は東の国の“天都城”にいるある者の体を“器”として、封印をしていると師匠は語ります。
そして300年前、東西南北の4つの流派が力を合わせて、天都城に封じ込め“青龍”、“朱雀”、“白虎”、“玄武”の四神像に守護させた・・・。その後も影が現れるたびに、各流派の法師が天都に赴き影を斬ってきました。
師匠は晴明に言います。蛇を斬るものは常にいて、今はそれが晴明「東へ向かえ」と・・・。さらに彼には人々を導く血が流れている。“陰陽師”としてその名を世に広めよ。と、言い残し絶命します。
天都城の城下町はにぎやかで平穏な様子でした。城の中では禍蛇の影が動きを増してきたことで、法師達が天都に集結するだろうと、女帝と思しき女性の髪をとかしながら語る女と男がいました。
運河から城下町へ入った晴明はどこからか聞こえる笛の音に耳を傾けていますが、その笛の音が止まると、妖魔の気配を感じとります。そして、笛を吹く黒装束の男もその妖魔の気配に気づきます。
妖魔は静雲台に献上された、“玄象”と呼ばれる琵琶を盗み逃げていました。昔、好いた女が宮中で弾いた、玄象の音色を聴きたかったと言います。それでも黒装束の男は妖魔を捕え殺そうとします。
晴明は「懐かしがっているだけ、妖魔にも情けはある」と妖魔に情をかけ、琵琶をもらい男に「琵琶を返せば許してくれるか?」とさしだすが、人は許すが妖魔は許されないと攻撃します。
妖魔は逃げ、晴明と男の闘いになりますが、瞬間移動の術を巧みに使い町中へまぎれました。すると建物の片隅に隠れた妖魔が晴明に声をかけ、晴明の式神になって仕えたいと志願します。晴明は“殺生石”と名乗る妖魔に式神になる術をかけました。
一方、玄象を静雲台に持ち帰った男のもとに、宮廷からの聖旨が届いていました。各地で禍蛇の影が出現し、天都の本体が覚醒する危険が迫る、数百年に渡り天都を守り、妖魔を屈服させてきた静雲台に、禍蛇を斬るという勇猛な者がいれば参内せよというものでした。
黒装束の男が宮廷に参上するとそこには晴明もいました。男が「妖魔に肩入れするような男がどうして?」と訊ねると“祭天大典”のためだと答えます。
晴明は男を“博雅”殿と呼び「手が先に出るような男も堂々と入ってきている」と言います。それを見ていた女の法師“阿瀧(アーロウ)”は、博雅のことを宮中の女の憧れの君だと紹介します。
そこに“鶴守月(かくしゅげつ)”と呼ばれる、内廷の法師が現れ、明日に備え早く休むよう促します。その顔を見た晴明は驚きます。師匠の面影に似ているからです。
Netflix映画『陰陽師: とこしえの夢』の感想と評価
映画『陰陽師: とこしえの夢』は、様々な形の“愛憎”が「絆」となって描かれていました。忠行と芳月や師匠と弟子、晴明と博雅・・・人間と妖魔などです。
強い絆とは“情”だけではなく“憎”の部分も存在し、思いが深いほど複雑に絡み強くなる。それがストーリーや演出に反映されていました。
鶴守月の思いは常に芳月に向いていて、芳月の愛は忠行にあり“憎”は別の方に向いていました。どちらかが偏ったときに歪んでいくものなのだと感じました。
さて、愛憎のぶつかり合いとして、晴明と博雅の出会いの対決シーンは、マーク・チャオとダン・ルンが代役なしで、10日かけて撮ったというアクションシーンで、見どころの一つとなりました。
また、鶴守月役のワン・ドゥオの妖艶な美しさと、黒い翼を生やし勇猛な式神となったダン・ルンの激闘シーンも必見です。
原作版・日本版での「禍蛇」
作中に登場する「禍蛇」と呼ばれる大蛇は、世の中の“執念”や”欲”を糧に大きく成長するとされています。
原作「陰陽師」では『白比丘尼』という章で登場します。300年前に人魚の肉を食べた白比丘尼は、不老不死となり人と関わる中で生じる、執念や欲が体の中で蛇となり、30年に一度は蛇を祓わないと、本人が“鬼”と化してしまうという話しでした。
日本版の映画『陰陽師』では禍蛇は登場しません。宮中を守る者として、人魚の肉を食べさせられた巫女が登場します。そして、政略のため妖術をかけられた姫が、嫉妬や欲で鬼になってしまうという設定です。
“とこしえの夢”では女帝として都を守る立場になった芳月が登場します。中国神話に登場する人類を創造した女神、“女媧(じょか)”の話しとも似ています。
本作に登場する“祭天大典”とは蛇を祓う儀式で、芳月は長年祓われ生きてきたのでしょう。しかし、愛した者に禍蛇を抱える器と知られ、離れ離れになってしまう悲恋でもありました。
ニューヒーロー中国版「晴明と博雅」
晴明と博雅はお互いが母親の仇という関係性で友情が芽生える過程には、“都を守る”という共通の使命があってそれを成すには、信頼こそが強みになると解っていたから成立しました。
つまり個人の感情よりも、成し遂げる使命の大きさが勝ったのです。その上で晴明のユーモアさや柔和な思考と博雅の正義感と冷静沈着な思考が功を奏し、強い友情へと導きました。
本作の晴明と博雅はこれまでの『陰陽師』作品にはない、新しいキャラクターです。妖術の晴明と武術の博雅、2人で1つの最強ヒーローが誕生したと、言って過言ではありません。
まとめ
映画『陰陽師: とこしえの夢』は、アジアが誇るクリエーター達が一丸となって作り上げた、東洋一の傑作ファンタジーを余すことなく表現していました。つまり、原作「陰陽師」は日本だけのものでなく、アジア全体で不動の人気を誇っていて、それを示したのです。
グオ・ジンミン監督も「神秘的でエレガントでありながら、危険と困難も併せ持った東洋の世界を視覚化したかった」と熱望しており、それが実現できたと言えます。
鑑賞後、“晴明”と“博雅”の活躍と優美な世界観を観れるのが、この1作だけとは信じたくありませんでした。ぜひ、シリーズ化して新しい作品ができることを期待してやみません。きっとそう思われた方も多かったことでしょう。