連載コラム『シニンは映画に生かされて』第9回
はじめましての方は、はじめまして。河合のびです。
今日も今日とて、映画に生かされているシニンです。
第9回でご紹介する作品は、約200年前、600以上の村を復興するという大事業を成し遂げた二宮金次郎の生き様を描いた五十嵐匠監督の映画『二宮金次郎』。
現代に至るまで多くの人々の心に刻まれてきた二宮金次郎の思想に触れることができるエンターテインメント作品です。
CONTENTS
映画『二宮金次郎』の作品情報
【公開】
2019年6月1日(日本映画)
【原作】
三戸岡道夫
【監督】
五十嵐匠
【脚本】
柏田道夫
【キャスト】
合田雅吏、田中美里、成田浬、犬山ヴィーノ、長谷川稀世、山口馬木也、綿引勝彦、渡辺いっけい、石丸謙二郎、榎木孝明、柳沢慎吾、田中泯、安藤海琴、菊地麻衣、松本実、岩瀬晶子、竹内まなぶ、石田たくみ
【作品概要】
「薪を背負いながら本を読む少年の像」で知られる二宮金次郎。そんな彼の半生を、世間ではあまり知られていない青年期を中心に描いた伝記ヒューマンドラマです。
監督には、『地雷を踏んだらサヨウナラ』『長州ファイブ』で知られる五十嵐匠。
二宮金次郎役には、ドラマ『水戸黄門』の格さん役などで知られる合田雅吏。
他にも、田中美里、成田浬、犬山ヴィーノ、榎木孝明、柳沢慎吾、田中泯、渡辺いっけい、石丸謙二郎、綿引勝彦など実力派キャスト陣が名を連ねています。
映画『二宮金次郎』のあらすじ
少年期、二宮金次郎(安藤海琴)は両親と死別。兄弟とも離れて暮らすこととなります。しかし、農作業に務めつつも、勉学を続けました。
やがて青年となった金次郎(合田雅吏)は、小田原藩主・大久保忠真(榎木孝明)の命により桜町領(現在の栃木県真岡市)の復興を手がけることになります。
「この土地から『徳』を掘り起こす」という宣言した金次郎は、自身の考案した「仕法」に基づき復興を進めようとします。
妻・なみ(田中美里)のおかげもあり、岸右衛門(犬山ヴィーノ)など一部の百姓たちの理解を得ることができましたが、当時の封建社会ではあまりにも先進的な「仕法」に対し、五平(柳沢慎吾)など保守的な百姓たちからは反発されてしまいます。
そのような状況下、新たに小田原藩から藩士に侍・豊田正作が派遣されてきました。
彼は百姓上がりである金次郎を快く思わず、やがて「藩の秩序、幕府の秩序を壊そうとしている」と非難し「仕法」の妨害を開始します…
消えつつある二宮金次郎像
かつて多くの小学校に置かれていた、薪を背負い、歩きながらも本を読む少年の像。その少年の名「二宮金次郎」を答えることができない小学生が、近年増えつつあるそうです。
「働きながらも、歩きながらも本を読む」。像が置かれた当初から「勤勉の象徴」とされてきたその行為は、現代では「交通事故の誘発」「歩きスマホ」を連想させるがゆえに、もはや推奨することなどできなくなり、ついには像の撤去をも促されるようになりました。
自治体によっては代わりに「農作業の合間、休みながらも本を読む少年・二宮金次郎像」が置かれる状況は、金次郎の生きた時代と現代における労働の在り方の変化を感じつつも、「『少年・二宮金次郎像』に植え付けられていた教訓あるいは機能が倒錯しているのではないか」「もう『少年・二宮金次郎像』の必要性は薄れつつあるのではないか」という疑念を抱かざるを得ません。
明治期から始まった学校教育の象徴の一つといえる「少年・二宮金次郎像」が消えつつある現代。しかしながらその状況の中で、本作は二宮金次郎を真正面から描こうとしています。
知られざる二宮金次郎の一面
なぜ今、二宮金次郎を描こうとするのか。
その答えには、そもそも「二宮金次郎」という偉人がなぜ「偉人」と呼ばれるようになったのか、そしてその理由を答えられる人間がどれほどいるのかという疑問が深く関わっています。
二宮金次郎(天明7年/1787年生・安政3年/1856年没。57歳を迎えてからは「二宮尊徳」と名乗る)は、江戸時代後期に生きた人物です。
自身が提唱した「報徳(経済と道徳の融和を目指し、社会への貢献が個人への実益還元につながると説く経済思想)」と「仕法(報徳思想に基づく財政再建策)」によって、その生涯の中で600以上の農村の財政復興を成し遂げたことで知られています。
「できうる限り多くの人間が飢えることなく生きられる」という、経済において何よりも不可欠な条件を第一に考えているといえる報徳思想は、日本的経営思想の源流として捉えられ、「日本最大の実業家」渋沢栄一や「パナソニック(松下電器)創業者」松下幸之助など、現代までに多くの経営者・実業家に影響を与えてきました。
財政再建に特化した江戸時代の経営コンサルタントにして、日本経済思想の礎を築いた一人である二宮金次郎。しかしながら、彼の「経済の人間」としての一面、「偉人」としての一面を知る人間は、あまりにも少ないのです。
二宮金次郎という「人間」を描く
二宮金次郎が「経済の人間」であると知っている。或いは、「偉人」であると知っている。それは、二宮金次郎が一人の「人間」であると知っていることを意味しています。
「少年・二宮金次郎像」は、その姿は違えど多くの人々に知られています。しかしながら、それは人々にとっては「小学校に置かれていたよく分からない石像」であり、「勤勉の象徴」であり、「学校教育の象徴」でしかありません。
多くの人々にとって、二宮金次郎とは「人間」ではないのです。
本作を撮った五十嵐匠監督は、二宮金次郎を題材に取り上げたきっかけとして、「少年・二宮金次郎像」に植え付けられた逸話からは想像できない、彼の「人間臭さ」について語っています。
二宮金次郎の「人間臭さ」。それを映画で描きたいと感じた五十嵐監督の思いが、本作の始まりとなったのです。
五十嵐監督は本作を、二宮金次郎の報徳思想や仕法を丁寧に描写しつつも、彼の「人間」としての波乱万丈な生涯をドラマティックに仕立て、誰もが楽しみ感動することができるエンターテインメント作品として撮りました。
それはエンターテイメントとしての映画を常に撮り続けてきた五十嵐監督自身の作家性のみならず、「観客が深く共感し得る人物」=「観客と同じ、一人の人間」として二宮金次郎を描こうとしたことを示しています。
「人間・二宮金次郎」を描く。それが、「少年・二宮金次郎像」すらも消えつつある現代において映画『二宮金次郎』が制作された最大の理由なのです。
五十嵐匠監督のプロフィール
映画『二宮金次郎』特別試写会での舞台挨拶風景(2018年10月31日)
1958年生まれ、青森県出身。
1996年、ピューリッツァー賞を受賞した日本人カメラマン沢田教一の軌跡を追ったドキュメンタリー映画『SAWADA』で毎日映画コンクール文化映画部門グランプリ、キネマ旬報・文化映画グランプリなど数々の賞を受賞しました。
その後は劇映画を中心に、『地雷を踏んだらサヨウナラ』(2000)『長州ファイブ』(2007)『半次郎』(2009)『十字架』(2015)などを監督。国内外で高い評価を得ています。
まとめ
誰もがその少年期の姿を知る、しかし誰もがその「人間」としての姿を知らない二宮金次郎。
農村の復興に全力を注いだ彼の気高き姿を、本作ではほんの一部ではありますが見ることができます。そしてその姿は、多くの災害に見舞われた近年の日本社会を生きる人々にとって、別の意味を見出すことができるでしょう。
「令和」という新たな元号へと突入し、今後も「少年・二宮金次郎像」が消えゆくであろう中だからこそ、「人間・二宮金次郎」を知る必要がある。その必要性を確認するためにも、ぜひ劇場で本作をご鑑賞することをお勧め致します。
映画『二宮金次郎』は2019年6月1日(土)より、全国ロードショーです。
次回の『シニンは映画に生かされて』は…
次回の『シニンは映画に生かされて』は、2019年6月28日(金)より公開の映画『新聞記者』をご紹介します。
もう少しだけ映画に生かされたいと感じている方は、ぜひお待ち下さい。