連載コラム「シネマダイバー推薦のNetflix映画おすすめ」第12回
死産という深い悲しみでバラバラになった心と家族。それはまるでパズルのようなものでした…。
Netflixのおすすめ映画『私というパズル』は、出産直後に子供を亡くしてしまった女性が、計り知れない悲しみを乗り越えていくヒューマンドラマです。
2020年、第77回ベネチア国際映画祭コンペティション部門に出品され、トロント国際映画祭でも正式に上映されたのち、2021年1月7日よりNetflixより配信されました。
死産という痛々しいまでの悲しみを抱え、癒える間もなく母親との確執やパートナーとの価値観の違いで、心をかき乱されていく主人公マーサ・ワイス。
そんな主人公マーサの苦悩と葛藤を見事に演じたヴァネッサ・カービーは、批評家達から高く評価され、第77回ベネチア国際映画祭で女優賞を受賞しました。
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映画『私というパズル』の作品情報
【公開】
2021年(カナダ・ハンガリー・アメリカ合作映画)
【原題】
Pieces of a Woman
【監督】
コーネル・ムンドルッツォ
【脚本】
カタ・ベーベル
【キャスト】
ヴァネッサ・カービー、シャイア・ラブーフ、エレン・バースティン、ジミー・フェイルズ、モリー・パーカー、サラ・スヌーク、イライザ・シュレシンガー、ベニー・サフディ
【作品概要】
監督は、『ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲』(2015)で第67回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門グランプリを獲得したハンガリーのコーネル・ムンドルッツォが務めます。
『私というパズル』は2018年に舞台劇として、ポーランドにて公演されておりコーネル・ムンドルッツォ監督は、舞台劇でも監督を務めポーランドの月刊誌「Teatr」にて、最優秀監督賞を受賞しています。
主演のヴァネッサ・カービーは、Netflixドラマ「ザ・クラウン」(2016~2017)に登場するマーガレット王女役で、2018年に英国アカデミー賞の助演女優賞を受賞しています。
主人公の母親役には『エクソシスト』(1973)でアカデミー賞、ゴールデングローブ賞で助演女優賞にノミネート、『アリスの夢』(1974)でアカデミー主演女優賞を受賞した、エレン・バースティンが務めました。
また、スティーブン・スピルバーグ総指揮の「トランスフォーマー」シリーズで、主演を務め脚光をあびた、シャイア・ラブーフは主人公マーサのパートナー役を好演しています。
映画『私というパズル』のあらすじとネタバレ
9月7日、マーサは出産を控え仕事仲間から“ベビーシャワー”の激励をうけて、職場をあとにします。
橋の建設現場で働くパートナーのショーンは仕事を早めにきりあげ、義母が購入してくれたマイカーの納車の立ち合いに向かいます。
ショーンは我が子のエコー写真を額に入れて、マーサにプレゼントします。2人は“娘”を迎える準備を万端にして誕生を心待ちにしていました。
やがて、マーサの陣痛は6分間隔に迫っり、ショーンが担当助産師のバーバラに連絡をすると、バーバラは他の出産に立ち会っており、マーサのところには来れないと言います。
マーサとショーンは病院での出産ではなく、自宅での自然分娩を望んでいたため、不測な事態が起こりうることも、予想していましたがとうとう破水し分娩の準備に入ります。
バーバラの代りに来た助産師のエヴァは初対面でしたが、「急なことで不安だと思うけど、精一杯頑張るわ・・・一緒に」とマーサを励まします。
エヴァは手際よく出産の準備を始め、ショーンも積極的に協力しマーサをサポートします。バスルームに移動しリラックスしてきたところに、いよいよ出産の兆候があります。
マーサはベッドルームに移動をしてその時に挑みます。エヴァは超音波で胎児の心音を確認しながら、マーサを出産に誘いますが、徐々に胎児の心音を拾えなくなります。
最初に確認した胎児の心音は元気よく聞こえてきましたが、子宮口に下がるにつれてそれが弱まっていきました。エヴァは不測の事態の時は病院に搬送すると言います。
ショーンはマーサにそのことを説明すると、彼女は病院での出産を強く拒み、自宅での出産にこだわりました。
緊張がはしり、エヴァはマーサに今すぐ出産しないと危険だと告げ、強くいきむよう言います。そして、心音の弱さが続いたためショーンに救急車を呼ぶよう指示しました。
それでもマーサは必死にいきんで、やっとの思いで女児を出産します。すぐに産声をあげなかったので、エヴァは女児の体をさすりながら「泣いて!」と叫びます。
すると赤ちゃんは産声をあげ、マーサやショーン、エヴァをホッとさせました。彼女は赤ちゃんをマーサの胸元に置き対面させると、ショーンは感動的な様子を写真に収めようとシャッターを切ります。
しかし、幸せな時間は一瞬でした。ショーンが「なんだか体が冷たいな・・・」というと、エヴァは赤ちゃんの呼吸が弱いことに気がつきます。
エヴァは蘇生法を試み、ショーンは要請していた救急隊を家に誘導しますが・・・。
10月9日、マーサは職場復帰をします。周りからの同情の眼と哀れむ空気が漂いますが、マーサは「お気遣いなく」と言います。
その日、マーサは体は産後から元に戻っていません。ウィンドーショッピングをしていて、子供の姿を見ていただけでも胸から母乳が出て、着ていた服が濡れてしまいます。
買い物をしていると見知らぬ女性から、“母親の友人”だと声をかけられ、母親から子供を死産した話しは聞いていると、一方的に「助産師のせい」だと言い同情をされます。
マーサはその日、ショーンと共に娘の死亡原因を聞きに検査機関に行きました。マーサの落ち着かない様子を見てショーンは言います。
「“あのこと”が周りにバレるのが怖いのか?」マーサははぐらかし、「“あの問題”のこと?あなたの・・・」とショーンに言い、2人は娘の死に、自分達の過去の素行が関わっていると感じていました。
ところが娘の死因は特定できませんでした。組織検査、毒物検査、微生物どれにも異常は見受けられず、染色体異常もしくは胎盤異常だったかもしれないという見解です。
そして、低酸素状態であっても、死因を特定できないケースは多く、「法廷の中で専門家の見解がわかる」と、訴追が始まっているため個人の見解は語れないと言いました。
ショーンは我が子の死因がわからないことに納得できず、取り乱して退室します。
一方、マーサは冷静に「臓器提供はできますか?」と聞き、医師は「司法解剖した場合は不可能だが、献体として研究や教育のために提供する選択肢もある」と、マーサに言います。
映画『私というパズル』の感想と評価
映画『私というパズル』は、経験者にしか理解できない題材と捉えられてしまう可能性がありますが、視点を変えることで十分に主人公の心に寄り添える作品です。
冒頭の出産シーンはかなりリアルな演出になっています。制作者の真剣なメッセージ性を感じます。命を育み産むことは簡単なことではありません。
出産は母親の力だけではなく、赤ちゃん自身の生命力や生まれ出ようとする力が必要なのです。その命の尊さをこの映画では冒頭で強く伝えてくれました。
マーサがリンゴの香りを嗅いで、それが生まれてきた娘の匂いに似ていると思い出してから、毎日リンゴを食べ、その種を発芽させていくシーンはとても印象深いです。
ラストシーンのリンゴの木は、その発芽させた種から育てたものだと連想させます。
また、子供はいなくても体は母親になっているマーサは、母乳も出てきますし、胸も張ってきて熱をもってきます。冷凍ベジタブルで胸をアイシングするシーンは、出産の経験がある方には共感できるでしょう。
『母の想い』子知らず
日本の常識では考えられないほど、さまざまな訴訟が起きる、訴訟国家アメリカにはあらゆるトラブルに関して、賠償を請求できてしまいます。
本作もその感覚で観ると、娘の出産が死産になってしまったことは、助産師の過失によるものと母親が決めつけ、裁判を起こした風に見えてしまいますが、実はそこは少し違っていました。
マーサと母親の間にどんな確執があったのかは推察できません。わかることはマーサの母親は過酷な状況の中で生まれ、その後の人生も苦労を重ねて、豊かな暮らしを手に入れたことがわかります。
そんな人生の中で培ったタフな心と、忘れてはならない自尊心が彼女を支えて来たと感じるので、マーサへの干渉が強くいつしか反発されていったのです。
過干渉すぎる“毒親”がクローズアップされることがありますが、親であれば子の人生が安穏であるよう願い、つい口出しが多くなってしまうのも理解できます。
マーサの母は純粋にどんな苦しい状況であっても、目を背けずに問題と向き合う力が、負けない人生を送れる唯一の“処世術”だと伝えたかったのでしょう。
ところがマーサにとってはただ口うるさく、自分の価値観を押し付けるだけの、疎ましい存在にしか思えず、常に母の願いとは逆の人生を歩んでしまったのです。
例えば母は裕福な暮らしをしていますが、マーサは援助を受けず1人立ちする生活を選び、病院での出産を望んだ母に反し、費用を抑えられる“自宅出産”を選んだのかもしれません。
アメリカの出産事情
日本でもアメリカでも出産するときは、設備の整った病院ですることが多く、助産院(Birth center)や自宅(Home birth)は少数派でしょう。
アメリカはとにかく日本の出産事情と全く違います。アメリカは医療費が高いことは有名です。少しでも費用を抑えるために、ギリギリまで働き病院で無痛分娩をして、3日で退院をして、少しでも早く職場復帰する。
大げさにいえばこんなスタイルです。日本のような妊産婦に手厚い制度はありません。また、訴訟国家のアメリカでは医療の現場でも、リスクの少ない治療を施します。
出産に関しても例外ではありません。難産になれば医師は早急に、帝王切開を勧めてくるといいます。ところが帝王切開になると医療費が高額に跳ね上がってしまいます。
出産というのは方法に限らず、どこであっても命がけの大偉業であることに違いないはありません。
まとめ
母が起こした裁判は断罪させるものではなく、“事実をはっきりさせる”ための裁判という趣きがありました。
世間の噂は黙っていたら尾ひれ背びれがついて、勝手に捻じ曲げられていきます。そのことで傷つくのは愛おしい娘だから、公の場で自分の口で事実を述べる大切さを諭したのです。
マーサが事実を述べたことで、助産師へのバッシングも無くなるでしょう。それがなければのちのちまでも辛い記憶を思い出し、苦しい人生をおくったかもしれません。
また、我が子を死産したマーサのダメージは、体の回復と共に心の回復にも同じだけの時間がかかり、まさにバラバラになったパズルを組み立てていくような作業です。
本作は時間が解決する癒しと、アメリカならではの訴訟という展開で、まるで荒行のような方法で根底からの復活をもたらす物語でした。
小さな命の死は悲しいものでしたが、それをきっかけに老いた母が娘へ、真の自立へ導く最後のチャンスにもなり、この親子の絆を結ばせるために生まれた命だと感じた作品でした。