連載コラム『のび編集長の映画よりおむすびが食べたい』第3回
「Cinemarche」編集長の河合のびが、映画・ドラマ・アニメ・小説・漫画などジャンルを超えて「自身が気になる作品/ぜひ紹介したい作品」を考察・解説する連載コラム『のび編集長の映画よりおむすびが食べたい』。
第3回で考察・解説するのは、巨匠・黒澤明監督作『乱』です。
10年もの構想、当時の日本映画では最大規模となった26億円ものの製作費でもって作り上げられた本作。その狂気の沙汰ともいえる黒澤明の情熱は、いったい何が原動力だったのでしょうか。
本記事では、戦国武将・毛利元就の逸話「3本の矢」とシェイクスピアの戯曲『リア王』を基に描かれた大作時代劇映画『乱』に込められた映画監督・黒澤明の真意に迫ります。
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映画『乱』の作品情報
【公開】
1985年(日本・フランス合作映画)
【監督】
黒澤明
【脚本】
黒澤明、小国英雄、井手雅人
【製作】
セルジュ・シルベルマン、原正人
【撮影】
斎藤孝雄、上田正治
【音楽】
武満徹
【衣装デザイナー】
ワダエミ
【キャスト】
仲代達矢、寺尾聰、根津甚八、隆大介、原田美枝子、宮崎美子、野村武司、井川比佐志、ピーター、油井昌由樹、加藤和夫、松井範雄、伊藤敏八、児玉謙次、鈴木平八郎、東郷晴子、神田時枝、南條玲子、古知佐和子、音羽久米子、加藤武、田崎潤、植木等
【作品概要】
戦国武将・毛利元就とその息子たちの逸話「3本の矢」とシェイクスピアの戯曲『リア王』を基に、裏切りと憎しみの中で殺し合う人々の姿を壮大なスケールで活写した時代劇。
監督・黒澤明による10年もの構想、当時の日本映画では最大規模となった26億円ものの製作費で作り上げられた。
キャストは仲代達矢、寺尾聰、根津甚八、隆大介、原田美枝子、宮崎美子、井川比佐志、ピーター、植木等など。第58回アカデミー賞衣裳デザイン賞、英国アカデミー賞 外国語作品賞、全米映画批評家協会賞作品賞、ブルーリボン賞作品賞など、国内外で多くの賞を受賞した。
映画『乱』のあらすじとネタバレ
戦国時代を生き抜き、三つの城を築くまでに至った武将・一文字秀虎(仲代達矢)。
秀虎は老いを理由に、長男・太郎孝虎に家督と一の城を、次男・次郎正虎に二の城を、三男・三郎直虎に三の城を譲り、自らは客人となって隠居をする決心をしました。
秀虎は三人の息子たちを集め、三本の矢を手に取ると「一本の矢は簡単に折れるが、多数の矢を束ねたら折れない」と兄弟が力を合わせ一文字家を繁栄させていくことを説きます。
しかし正直者であるゆえに取り繕いができない三郎は、三本の矢を無理矢理へし折って「父上は耄碌されたのか」と言うと、三兄弟が力を合わせることはありえず、いずれ血で血を洗う争いが生じてしまうと進言します。
その言葉に怒り狂った秀虎は、三郎を勘当。三郎は同じく秀虎の決心に反対する三郎の側近・平山丹後とともに追放されてしまいます。しかし彼は隣国の領主・藤巻に三郎の誠実さを買われ、藤巻家の婿養子として無事迎え入れられました。
一方、頭領になった太郎は、自身の正妻・楓の方に「馬印がないのでは、形ばかりの家督譲渡に過ぎない」と不満を煽られてゆくうちに秀虎と対立。一文字家の馬印、そして大殿の格式すら奪ってしまいます。
かつて秀虎に自らの一族を滅ぼされており、一文字家への復讐の機会を密かに伺っていた楓の方。彼女の謀略がもたらした太郎との対立の果てに一の城を去ることにした秀虎は、二の城に住まう次郎のもとへと向かいます。
秀虎は二の城にて、次郎の正妻・末と会います。楓の方と同じく家族と城を奪われながらも、仏を信じ決して秀虎を憎もうとしない彼女に対し、秀虎はそれまで考えたこともなかった己の罪への罪悪感に苛まれます。
しかし、太郎から一の城を奪うことしか頭にない次郎からも酷い扱いを受けた秀虎。実の息子たちへの失意と絶望の中、彼は三郎に譲るはずだった三の城へ向かいます。
その道中、秀虎を見かねて食糧を届けにきた丹後と出会う秀虎。三郎に助けを求めてはと丹後に進言されますが、楓の方と内通する自身の側近・生駒に唆され、結局三の城へと入城してしまいます。
しかし入城後、三の城に太郎と次郎の軍勢がそれぞれ攻め入ります。二人は秀虎に対して謀反を起こしたのです。
三の城での戦いは凄惨を極め、秀虎が引き連れていた家臣や侍女たちはみな殺されました。また戦の最中、太郎もまた次郎の側近・鉄に狙撃され命を落としました。
秀虎は自刃しようと試みますが、太刀が折れていたため未遂に終わります。
正気を失った秀虎は、亡霊のごとき相貌で城を出てゆこうとします。その姿には誰もが手を出せず、城を後にした秀虎は、丹後と御伽衆の狂阿弥を連れて荒野をさまよいます。
映画『乱』の感想と評価
「遺言」をめぐる悲劇の物語
戦国武将・毛利元就と3人の息子たちをめぐる逸話「三矢の教え」。
「一本の矢は簡単に折れるが、多数の矢を束ねたら簡単には折れない」「皆が心を一つにすれば、毛利家が破られることはない」と説いた教訓話として有名ですが、実際に元就が息子たちに送ったとされる毛利家繁栄を説いた「三子教訓状」では、そのような記述は見受けられないことも広く知られています。
黒澤明は三矢の教えに対する「もし、その誓いが守られなかったら?」という問いを基に本作を着想。そして物語の悲劇性をより高めるべく、「老いた王」「3人の子どもたち」そして「遺言」という共通の要素によって結びつけたのが、世界で最も有名な劇作家ウィリアム・シェイクスピアの戯曲『リア王』の物語です。
「シェイクスピア四大悲劇」の一つにして、四大悲劇の中でも「最もシェイクスピア的」とされる『リア王』。なお黒澤は、同じく四大悲劇の一つ『マクベス』を基に『蜘蛛巣城』(1957)を手がけ、それゆえにスティーヴン・スピルバーグからは「現代の映画界におけるシェイクスピア」とも評されていました。
しかしここで何より重要なのは、彼は『乱』の物語とその主人公に、自己を深く投影していたという点です。
老王に投影された「死ねなかった映画監督」
戦国時代を生き抜いた武将にして、自身の三兄弟に家督を譲ろうとした『乱』の主人公・一文字秀虎。その一文字家の家紋は「太陽」と「月」を模しており、本作の着想元である毛利家の家紋「一文字に三つ星」とは異なっています。
その家紋の図案は、黒澤の名前「明」を「日(太陽)」と「月」に分けたものであり、秀虎が黒澤自身であることを示しているためだとされています。
『羅生門』(1950)『生きる』(1952)『七人の侍』(1954)など数えきれぬほどの名作を生み出し国内外から評価を得てゆく一方で、インフレし続ける製作費による資金繰りの難航、『赤ひげ』(1965)の興行的失敗によって生じた東宝からの莫大な借金、より潤沢な資金源を求めてのハリウッド進出とその挫折……。
当時から斜陽に向かいつつあった日本の映画産業同様に、黒澤自身もまた映画を撮り続ける難しさに直面していました。また「モノクロからカラーへ」という映画の色彩の変化の問題も、多くのモノクロ作品の名作を撮り続けてきた黒澤の苦境を語る上で、忘れてはならないものです。
『乱』もまた、海外配給のプロデューサーを務めたフランシス・フォード・コッポラやジョージ・ルーカスの助力によって何とか製作できた前作『影武者』(1980)が興行的に成功したにも関わらず、その製作費の確保には苦しめられていました。
日本どころか世界の映画史に燦然と輝く作品の数々を撮りながらも、やがて老いゆく中で「金のかかる監督」と当時の日本映画界で疎まれ、ついには映画を撮ること自体ままならなくなる……老いの中で自身の意志を裏切られ、疎まれ、最後には何もかもを失うリア王、そして一文字秀虎の姿と、黒澤の現実は重なります。
自身初のカラー作品『どですかでん』(1970)が興行的に失敗し、さらなる借金を抱えた翌年1971年、カミソリで首筋・手首を切って自殺を図ろうとしたこともある黒澤。彼と同じように自刃を試みながらも叶わず、全てを失った挙句に遂げた秀虎の「狂死」という最期を、彼はどのような心境で撮っていたのでしょうか。
その真実は、まさに「藪の中」なのでしょう。
まとめ/人類に対する遺言
黒澤自身の「王」あるいは「映画監督」としての人生が、老いと衰えと喪失の果てに狂死へと至った王の姿に投影された『乱』。
10年もの構想、当時の日本映画では最大規模の製作費となった26億円で作り上げられた本作は、ヒットはしたもののその製作費の回収は実現できず、やはり莫大な赤字を出しました。
『乱』の結末、三の城の跡に一人佇んでいた鶴丸が誤って落としてしまった絵巻には、後光に照らされた仏が描かれていました。全てが失われた後にようやく現れたその姿が意味するのは、人の世はあまりに儚く、それゆえに救い難いという「無常」そのものでしょう。
黒澤が「人類に対する遺言」とも語っていたという『乱』。結末で提示した「無常」こそが、彼の唯一にして無二の遺言だったのかもしれません。
次回の『のび編集長の映画よりおむすびが食べたい』も、ぜひ読んでいただけますと幸いです。
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編集長:河合のびプロフィール
1995年生まれ、静岡県出身の詩人。2019年に日本映画大学・理論コースを卒業後、2020年6月に映画情報Webサイト「Cinemarche」編集長へ就任。主にレビュー記事を執筆する一方で、草彅剛など多数の映画人へのインタビューも手がける。
2021年にはポッドキャスト番組「こんじゅりのシネマストリーマー」にサブMCとして出演(@youzo_kawai)。