連載コラム『のび編集長の映画よりおむすびが食べたい』第10回
「Cinemarche」編集長の河合のびが、映画・ドラマ・アニメ・小説・漫画などジャンルを超えて「自身が気になる作品/ぜひ紹介したい作品」を考察・解説する連載コラム『のび編集長の映画よりおむすびが食べたい』。
第10回で考察・解説するのは、2022年4月21日(木)よりNetflixにて全世界同時独占配信を迎えたドラマ『ヒヤマケンタロウの妊娠』です。
本記事ではドラマ『ヒヤマケンタロウの妊娠』のネタバレありあらすじを紹介しつつも、漫画版とドラマ版における「健太郎の仕事」の違いとその意味、そして多様性の社会での「当たり前」の発想について考察・解説していきます。
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CONTENTS
ドラマ『ヒヤマケンタロウの妊娠』の作品情報
【配信】
2022年(Netflix独占配信)
【原作】
坂井恵理『ヒヤマケンタロウの妊娠』(講談社「BE LOVE KC」所載)
【監督】
箱田優子、菊地健雄
【脚本】
山田能龍、岨手由貴子、天野千尋
【キャスト】
斎藤工、上野樹里、筒井真理子、岩松了、高橋和也、宇野祥平、山田真歩、リリー・フランキー細川岳、前原滉、森優作、山本亜依、伊勢志摩、篠原ゆき子、橋本淳、小野ゆり子、木竜麻生、斉木しげる、根岸季衣
【作品概要】
坂井恵理による漫画を原作に、「男性も妊娠をするようになった世界」で妊娠が判明した主人公・桧山健太郎の出産と育児、仕事、世間の偏見、そして人生をめぐる物語を描いたNetflixオリジナルドラマ作品。
主人公・桧山健太郎を斎藤工、健太郎が妊娠した子の「母親」である瀬戸亜季を上野樹里が演じる他、多数の実力派俳優がキャストとして名を連ねている。
ドラマ『ヒヤマケンタロウの妊娠』1シーズンのあらすじとネタバレ
「人生をスマートに生きるコツは、予測と準備を怠らないこと」をモットーに、広告ディレクターとして働く桧山健太郎。多くの女性と関係を持ちながらも特定の恋人は作らず、出世コースを歩み続ける日々を送っていました。
大手アパレルメーカー「ユニーヴ(UNIVE)」の広告企画のリーダーにも選ばれる中、健太郎は会議中に突然吐き気を催し、体調を崩してしまいます。
急遽、病院で検査を受けることにした健太郎。エコー検査まで受けさせられたことで、当初健太郎は「自分はガンではないか」と不安になってしまいますが、担当医は彼に「あなたは妊娠しています」と告げました。
50年ほど前から世界各地では、シスジェンダー(性自認と生まれた時の身体的性が一致している人)の男性が妊娠するという事例が確認されていました。その一方で、「男性妊夫」こと妊娠した男性に対する偏見はいまだ根強く残っていました。
「妊娠から9〜10週が経過している」と話す担当医に対して、あまりにも予想外な出来事を認められない健太郎。しかし病院を去った後、市販の妊娠検査薬を試したことで改めて自身の妊娠の事実を知らされます。
つわりや母乳など、妊娠による身体の変化に戸惑い続ける健太郎。
やがて、人工中絶を考えた健太郎は同意書への署名を頼むため、妊娠の経過日数から逆算した上でお腹の子の「母親」と思われる、ライター兼編集者の瀬戸亜季の元へいきます。
ライター・編集者の仕事に追われる日々を送り、身体的な理由もあいまって出産も子育てもできないと考えていた亜季。当初は同意書への署名を考えますが、出産を経験した元上司の女性の「誰が生むにせよ、妊娠は奇跡」という言葉を聞いた彼女は「この状況は、本当は恵まれているのでは」と健太郎に告げます。
しかし現在妊娠中である健太郎は、生活や仕事に影響が出ていることはもちろん「産むのも堕ろすのも、リスク負うのはこっち」と答えます。その言葉に何も返せない亜季は、同意書に署名をしました。
やがて健太郎は体調不良を理由に、「ユニーヴ(UNIVE)」広告企画のリーダーから降ろされます。雑務を多く回される中で、健太郎は有給をとり妊娠中絶手術を予約します。
ある日病院の待合室で、健太郎は同じく妊娠中の男性・宮地に声をかけられます。妊娠中ならではの悩みや苦労を分かち合う中、健太郎はその後出会った宮地の妻や息子の言葉を通じて、自身の妊娠について改めて考えます。
後日「ユニーヴ」広告企画のプレゼンが改めて行われますが、健太郎が当初立案した企画コンセプトから逸れた内容にクライアントは難色を示し、元々の立案者である健太郎に意見を求めます。
健太郎は亜季の言葉を思い出しつつ、「これまで広告モデルとなった前例がない男性妊夫の広告への起用」「その広告モデルを、実際に妊娠している自分が担当する」と提案。クライアントはその提案に賛同し、健太郎は再び企画の中心へと舞い戻ります。
亜季に出産することを告げる健太郎。「ひとりで育てるから」という彼に対し、亜季は結婚自体は別課題としつつも、健太郎とともに子育てをしたいと答えます。
健太郎のマタニティ写真を使用した広告は多くの反響をもたらし、健太郎は一躍時の人に。しかし妊娠中にも関わらず様々な人間から呼び出される酒の席に、その気遣いのなさも相まって健太郎は辟易していました。
健太郎は「虚勢を張らずにいられる友だち」である宮地との会話の中で、妊娠した男性同士での情報交換や精神的交流のためのネットオンラインサロンを思いつきます。
開設したサロンメンバーによるオフ会では、様々な環境の中で出産を考えるメンバーの生の声、「保活(子どもを保育園に入れるための活動)」など実際に出産・子育てを経験したメンバーのアドバイスなどを聴く健太郎。
お腹の子の初めての「胎動」にも気づけ、ともに喜ぶ健太郎と亜季でしたが、二人の元にある報せが届きます。
ドラマ『ヒヤマケンタロウの妊娠』の感想と評価
広告ディレクターという「世間的イメージ」の仕事
「女性だけでなく、男性も妊娠をするようになった世界」を舞台に、ジェンダー間における妊娠・出産・育児に対する認識の違い、それがもたらす社会の差別・偏見を描き出した坂井恵理の漫画『ヒヤマケンタロウの妊娠』。
今回のNetflixでの実写ドラマ化に際して、原作漫画のエピソードをもとに物語や登場人物の設定が様々な形で脚色が行われていますが、その脚色で最も注目したいのはやはり「主人公・健太郎の仕事」。漫画版の健太郎は「レストランチェーンの企画部部長」という設定ですが、実写ドラマ版の健太郎は「出世街道まっただ中の敏腕広告ディレクター」として描かれています。
なぜ広告ディレクターへと健太郎の仕事が変更されたのか。その理由は、それが「時間に追われる」のが大前提の仕事であること、そして「世間的イメージ」を最も重視する仕事であることが主と考えられます。
ネット社会の飽和化がより一層進行する2020年代、広告業界やマスコミ業界のように「情報の拡散」が業務内容の根幹にある仕事では情報発信の「鮮度」が不可欠とされています。
いかにこれまでにない新しい方法で情報を発信し、情報の拡散をより効果的なものにするか。ネット社会の飽和により激化の一途を辿る情報発信の「鮮度」競争は、健太郎が活躍する広告業界において「誰よりも仕事の時間に追われてこそ一流」「そのためにも家庭は後回しにし、仕事を何よりも優先すべき」という前時代的な発想をより強めてしまっている状況が、ドラマ版では描かれています。
そしてドラマ版での物語展開からも伝わってくる通り、広告業界において情報拡散の鮮度以上に重要なものが「世間的イメージ」です。
情報の拡散をより効果的なものとするために「刺激」と「共感」を追求した果てに、広告のターゲット層は「真にその情報を求める個人」から「刺激と共感をただ貪る、誰でもない世間」へと変質していってしまう……情報の鮮度の競争と同様、ネット社会の飽和がもたらした情報の飽和によって、広告業界の中心には変化を嫌う「世間的イメージ」がいまだに淀み続けているのです。
全ての個人が「社会的マイノリティ」という現実で
「最新」の最前線にいるようで、その実は変化を嫌い前時代的な発想が蔓延している。しかし「情報の拡散」という業務の性質ゆえに、社会的な影響力が非常に大きい世界として描写されている広告業界。ドラマ版の健太郎もまた広告ディレクターとして実績を残し出世をするため、業界に漂う空気に順応してきました。
しかし、実写ドラマ版では「社会におけるアップデートの“きっかけ”を作り出しやすい環境」として広告業界がとりあげられたというだけで、「最新」のフリをして変化を嫌い続ける業界はいくらでも存在します。
また健太郎が出世にこだわっていたのも、母子家庭の中で自身を育て続けてきてくれた母親に報いたいという想いからであり(それが実写ドラマ版において健太郎が「結婚」や「家族の絆」にこだわっていた理由としても描写されています)、それゆえに自身が属する業界におけるジェンダーの問題や、真に他者と接する余裕がなかったのかもしれません。
妊娠を通じて、自身も「社会的マイノリティ」であると世間から突きつけられたことで、健太郎はそれまで続けてきた仕事、業界に蔓延する前時代的な発想を再考することに。劇中、彼が男性妊娠をした人々のためのオンラインサロンの実現に乗り出したのも、広告業界で生きる中で見失いつつあった「真にその情報を求める個人」に向き合っていった結果でもあります。
しかしドラマ最終話の終盤、社会的マイノリティであることを自覚し「アップデート」に至ることができたと語る健太郎に、同僚の女性二人は「かっこつけて言うことじゃない」「私たちには普通のこと」と答えます。
そのセリフは、女性が仕事において直面するジェンダーの問題について言及したものと捉えることもできますが、ドラマ第1話での企画プレゼンの場面で健太郎が口にした「すべての人に誇りを」という言葉、そして健太郎がアップデートの先で辿り着いた「自分らしさ」という言葉からも、その対象は決して女性のみではないことは明白です。
人生では予想外のことが起こる。そして全ての人間が同一の存在ではない以上、誰もが社会的マジョリティにも、社会的マイノリティにもなり得る。そうした多種多様な社会的マジョリティと社会的マイノリティが無数に存在する社会で、いかに各個人の「自分らしさ」を尊重していけるか。
健太郎に向けられた同僚女性たちの言葉には、社会的マジョリティ/マイノリティが必ず生じる現在の社会に「当たり前」として存在すべき発想の指摘が含まれていたのです。
まとめ/「尊重」を続けた先の未来
「男性妊娠」という原作漫画のSF(少し・不思議)的な設定、広告業界という「最新」のフリをした旧態の世界をもとに、社会的マジョリティ/マイノリティが必ず生じる現在の社会に「当たり前」として存在すべき発想について言及したドラマ『ヒヤマケンタロウの妊娠』。
誰もが社会的マジョリティにも、社会的マイノリティにもなり得る現実を、2022年現在の社会はまだ解決することはできない。けれどもその現実から目をそらさず、その上で各個人の「自分らしさ」を尊重することを一個人が、そして社会が継続するというアップデートを進めていくことで、現在の延長線上にある未来で新たな解決案が作り出す種をもたらせる。
それこそがドラマ『ヒヤマケンタロウの妊娠』が原作漫画をもとに描こうとしたものであり、健太郎と亜季の子・幸のような未来を生きることになる子どもたちに対する誠意でもあるのです。
次回の『のび編集長の映画よりおむすびが食べたい』も、ぜひ読んでいただけますと幸いです。
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編集長:河合のびプロフィール
1995年生まれ、静岡県出身の詩人。
2019年に日本映画大学・理論コースを卒業後、2020年6月に映画情報Webサイト「Cinemarche」編集長へ就任。主にレビュー記事を執筆する一方で、草彅剛など多数の映画人へのインタビューも手がける。